魔王④

 ◆


 道元があげた絶叫は痛みによるモノというより、怒りと屈辱によるモノだ。


 腕の一本や二本ではこの魔蟲・道元は斃れない。


 スゥ、と道元が大きく息を吸い込んだ。


 腹部を覆う黒光りした甲殻がべこりとへこむ。


 すると道元の全神経を巡っていた灼熱の怒炎が内に内に、腹の奥へと向かっていく。


 怒りとは抑制出来ぬ限りは毒でしかないが、正しく制御すれば活力となる。


 丹田に熱が籠り、道元は自身の生命力が高まっていくのを感得した。


 ──巡れ、巡れ、命の車輪よ。この身を蝕む怒りを糧とし、儂を賦活せよ


 道元の脳裏には一つの車輪が描かれている。


 これはタントラ…密教でいう所のチャクラだ。


 サンスクリットで円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)を意味するこの概念は、分かりやすく言えば人体には7つのエネルギー中枢が存在し、各部を活性化させることで部位に応じたパワーを得られるというものだ。


 こういったスピリチュアルな話は大抵がガセなのだが、チャクラに関しては大変異以前から科学的な解析が進められており、現在ではいくつかの事が分かっている。


 1.チャクラが存在するとされる各部で他では見られない特殊な電位(電荷に係る位置エネルギー)が計測される事


 2.各部が活性化した場合、非活性化状態と比べて格段の運動能力の差が見られる


 旭真大館流空手道とはこのチャクラの概念を取り入れたもので、チャクラを任意で活性状態へもっていき、可能であるならば複数のチャクラの活性状態を維持する事がその極意である。型だのなんだのは他の流派と大して変わりはない。


 チャクラ。


 それが他流派を大きく優越する要因となっている。


 旭真大館が世界最大級の格闘団体である理由は、ただ門下生が多いからだけではなく、看板に見合った実力を伴っているからこそなのだ。


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 道元の丹田で第二チャクラであるスワーディシュターナ・チャクラが回り、回り、回り。


『グ、フ、フフフ。…やるのォ』


 道元は邪悪な笑みを湛えながら歳三に向き直る。


 千切れた腕の出血は既にとまり、圧潰面の肉が盛り上がっている。


 歳三が目を遣ると、肉は更に盛り上がり…やがて腕が "再生" した。


 歳三はそれを見ても何も言わない。


 道元はにたりと嗤い、歳三の脇腹を指差した。


『軽傷…ではないな。儂の拳を無傷で捌くというのはお主でも難しいらしい。ところでお主には出来るかな?儂の様な再生が。この身には数多の命が渦巻いておる。それらを使ってチャクラを…』


 長広舌を振るう道元を無視して、歳三はポーチへ手をやった。


 そして協会謹製の注射器タイプの応急キットを取り出し、脇腹へチクリと突き刺す。


 すると、道元に抉られた傷がみるみる内に医療用ナノマシンによって治癒され、やがて傷は痕も残らず治ってしまった。


 歳三にチャクラは回せないが、傷を治すだけなら別にチャクラを回す必要なんてないのだ。


『……どうやら仕切り直し、という事らしいの』


 道元は構えを取った。


 足は四股立ちに近く、腰を低く落とし、前腕で体全体を隠す。


 伝統派空手によく見られる極端な半身の構えである。


 とはいえ、決して珍しい構えではない。


 ないのだが、魔蟲・道元の様な異形の姿が取ると一種異様な迫力があった。


 それを見た歳三はボクシング似た構えで応じ…空手でいう猫の構えを取ったり、色々試行錯誤している様子で結局無の構え…つまり、腕をだらんと垂らしたノーガードの構えを取る。


 それは明確な隙なのだが、怪物になった今でも武術家気質が抜けない道元は馬鹿正直に歳三が構えを定めるのを待った。


 歳三は2秒は稼げたな、などと思いつつ、今度はやや左にズレた…一歩、二歩。


 この辺の思考も、歳三が昔に比べて少しは大人になったという証なのだろう。


『どうした、真正面から受けるのが怖いか?』


 道元の言葉に歳三は "いや" と短く答え、念の為にもう一歩左へズレた。


 何を、と道元が言おうとした瞬間、何かに気付いた様に振り返る。


 凶津 蛮だ。


 極端な前傾姿勢…まるで獲物を見定め、襲い掛かるチーターの様に爆発的な敏速さで駆けている。


 黒獅子の様な髪が後方へたなびき、見開かれた両眼は戦意で血走っていた。


 さながら、野獣である。


「遅いな、爺!」


 加速をそのまま跳躍に乗せ、大きく飛び上がった蛮は手刀を高く掲げた。


 ◆


 馬鹿め、と道元は内心ほくそ笑んだ。


 ──儂で瓦割りでもするつもりか。割れるのはうぬの手よ


 確かに凶津 蛮は一等才ある武術家であることは間違いなく、その身体能力も一級品だろう。


 しかし所詮人間の範疇での話に過ぎない。


 ──蛮の小僧は問題ない。だが、あの男は傍観しているタマではない筈…


 道元は後方からの歳三の強襲に備えて、背に意識を集中させた。


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 ・


 凶津 蛮は飛び上がる寸前、袖を大きくめくった。


 大きく太い腕に何か巻き付くものがある。


「おっさん!合わせろや!」


 叫ぶなり、蛮は宙空で鋭く手刀を振り下ろした。


 明らかに手刀の殺傷圏内ではない。


 怪訝な表情を浮かべた道元だが、すぐに腕を掲げて "何か" から身を守ろうと身構えた。


 道元としては後方の歳三も気になる。


 しかし、他愛ないと斬り捨てようとした蛮にこそ警戒せよと本能が囁いたのだ。


 道元の意識が腕に注がれると、甲殻の硬度が飛躍的に向上する。


 この辺の理屈は要するに、来るぞ来るぞと身構えていれば痛いゲンコツにも案外耐えられたりするようなアレである。不意にゴツンとやられるより、ずっと耐久力が増す…そういう理屈だ。


 まあ道元の様な異形の場合は、その理屈よりももう少し複雑な作用が働いているのだが。


 次瞬、道元の掲げた腕に何かが当たり、火花をあげて体表の甲殻を削り取る。


 "何か"は一度防いでも勢いを衰えさせることなく、ぎゃりぎゃりとうねり狂い、道元の甲殻を少しずつ傷つけている。


 ──凶津流・宙斬りそらきりの太刀


 ◆


 要するに、ダンジョン素材で作られた特殊ワイヤーによる斬撃であった。


 協会基準でいう所の乙級指定の大蜘蛛モンスターから採取された糸を原材料としており、ダイニーマと呼ばれる超高分子量ポリエチレン繊維のおよそ87倍の引張強度を誇る。


 同重量で比較するならば、スチール(鋼鉄)の約の1300倍の強度だ。


 道元はどこもかしこもべらぼうに硬いし、凶津 蛮が全力でぶん殴ってもその甲殻は凹みさえしないだろう。


 だが、同じモンスターであるなら話は別だ。


 乙級指定の大蜘蛛モンスターは道元より格が落ちるが、それでも怪物は怪物である。


 ちなみに蛮はこの糸の購入の為に日本円にして25億もの大金を支払っている。


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 ──旭真大館空手道・破旭風


『喝ァァァアッ!!!』


 道元は気合一声、周辺の空間ごと薙ぎ払うような音圧による衝撃波を発生させた。


 破旭風──これはチャクラをぶんまわし身体能力を向上させ、でかい声を出して周辺をぶっとばす…太陽風を思わせるダイナミックな業だ。


 声の圧に破壊力を持たせるというのは人間には少々難しく、生身であった頃の道元でも若い頃にしか扱えなかった。まあ威力はそれほどでもなく、一般人男性の穴という穴から体液が噴出し、かろうじて即死する程度である。とはいえ一応、崩しや牽制くらいにはなる。


 宙空にいた蛮は吹き飛ばされ、卑劣にも後方から襲いかかろうとした歳三も体勢を崩す。


『おのれ、小僧ッ!空手家のくせに暗器などに頼るとは!姑息な真似をしおってッ…。貴様はそれでも儂の一番弟子か!』


 イテテ、と立ち上がった蛮は、なんだこいつという視線で道元を見ていった。口元には笑みが浮かんでいるが、侮蔑の色が濃い。


「人間辞めてモンスターになった弱虫がいうセリフかよ。なァ、歳三。お前もそう思うだろ?」


 蛮が歳三に視線を向けて問う。


 歳三はといえば仕事中なので軽口は無視したが、内心では "そうかも" と思っていた。

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