日常86(飯島比呂、四宮真衣、鶴見翔子、城戸我意亞他)

 ◆


 池袋は西口公園の一画がやや騒がしい。


「鬱陶しいな~っ!」


 黒いショートヘアの女──……四宮 真衣が煩わしそうに吐き捨てる。


 彼女の目の前には一般的にイケメンに分類されるであろう二人の若い男が立っていた。


「いいじゃん、ちょっと話すだけだよ。それにほら、俺たちも学校卒業したら探索者になりたいしさ。奢るから探索の話とかきかせてよ」


 ナンパだ。


 真衣も一人ではない。


 幼馴染である鶴見 翔子、飯島 比呂らと一緒に居る。


 ただ、ナンパ男の対応は完全に真衣に任せているようで、比呂と翔子はこの後どこでランチを取るかとかランチの後は銃を見に行きたいだとか、最近桜花征機から発売された新商品 "440式発破刀『紅蓮』" は多分いつもの玩具枠だとか、そんな事を話している。


 ちなみに"440式発破刀『紅蓮』"は火薬仕込みの日本刀で、斬りつけると同時に小規模な爆発を起こすのだが、当然刀の持ち主にも爆発の衝撃が襲い掛かってくる為にクソの役にも立たないゴミとしてSNSでも広く批判されている。


 ところで二人の若い男は池袋にキャンパスを置く帝王恵生ていおうけいせい大学の学生だった。


 帝王恵生ていおうけいせい大学は大変異前はどうしようもないFランとして名を馳せていたが、大変異後は環境と価値観の変化に素早く対応し、ダンジョン探索に特化した学部、学科を設立してこれが爆ウケした。


 巨額の資金を投じて各種設備を揃えたり、探索者協会所属の現役探索者を講師に招いたりと時代に完全に適応したのだ。


 故に、かつてのFランはどこへやら、現在ではそこそこのランクに位置している。少なくとも大変異前でいうMARCHレベルだと認識されている。


 この対応速度の要因はやはり金だ。


 帝王恵生大学は帝王グループという巨大組織が保有する学校の一つで、この帝王グループにはとにかく金が唸る程ある。


 3つの大学、短大複数、専門学校、高校、中学校・小学校、幼稚園・保育園。これらの教育施設のみならず、病院やクリニック、老人ホームなどの施設も運営し、さらには複数の学校法人、公益財団法人を所有している。


 若い男たちも異界探索学部というなんだかファンタジックな学部に所属し、銃器や探索用ツールの使い方、探索者の社会的立場やら法律関連の話など、総合的に探索学を履修していた。


 ただし、実際にダンジョンを探索して干渉を受けるといった事はしていない。それはやはり死傷を恐れて、という事になる。帝王グループの保有する大学はどれも学費が馬鹿みたいに高く、必然的に学生は富裕層の子供が多くなる。


 富裕層の子供がダンジョンであたら若い命を散らしたならば、これはもう面倒くさい事になるというのは火を見るより明らかであった。


 そんなわけで、この若い男たちは生来の勝ち組であり、勝ち組ゆえの傲慢さでもって若い女をコマそうと三人に近づいたのだが……。


「いいよ、先に買い物済ませてからでいいかな?」


 それまで翔子と話していた比呂が男たちに向かって言う。


 ◆


 10分後。


 比呂たち三人、そして帝王恵生大学の男たち──……レキオと瀬田は探索者協会池袋本部が収まっている旧サンシャイン60へ来ていた。


 大変異と呼ばれる世界規模のダンジョン発生後、様々な経緯を経て政府が所有者である株式会社サンシャインシティから買い取り、改修を施したのだ。


 ビル全てが探索者本部というわけではなく、多くの企業がビル内に店を出していたりする。


 ダンジョン探索に欠かせない銃器や近接戦闘武器、防具、治療キットなど。価格もぴんきりで、金さえあれば一般人でも刃物なり銃器なりを購入できる。


 銃刀法はどうなるのかという向きもあるにはあるが、この時代そんなものはない。


 ただ、巷に出回っている銃の類はほとんどが探索者用に調整されており、一般人がこれを使用すると脱臼や骨折で済めば恩の字だ。最悪腕が引き千切られる事もある。


 ・

 ・

 ・


「じゃあこれとこれとこれ、後は──……ああ、このアンプルも下さい」


 比呂がどかどかと買い物をしていく。真衣や翔子も同じ勢いで消耗品などを買い込んでいる。これらは治療キットや防具の補修セット、強い毒性があるといった危険素材などの特殊収納袋、その他諸々である。


「ああ、支払いはカードで。はい、協会口座からの引き落としで。ええ、三人分」


 総額300万円強。この場では比呂が立て替え、後程清算するということになっている。


 これらの消耗品は一度で消費しきってしまうわけではなく、数回分の探索用品をまとめて購入したという形になる。


 それを考えれば大した出費ではないのだが……


「えっと、凄い買い込むんだね……」


 レキオがやや引いた様な表情を浮かべて言った。


 レキオの実家は太く、毎月50万円程の仕送りを受け取っているのだが、それでも一度の買い物で何百万円もドカドカ使える程の経済力はない。


「治療キットのランクを少し上げたんです。以前ちょっと死にかけた事があるので」


 翔子が比呂の代わりに澄ました顔で答える。


「あの時翔子ったらお腹に大穴空いてたもんね。内臓見えてたよ」


 真衣が笑いながらいうと、翔子もまた笑みを浮かべて「え、見えちゃった? そういうの気付いても言わないでよ、エッチだなあ」などと答える。


「それじゃあ次は銃かな。えっと、翔子は別に岩戸重工の銃じゃなくてもよかったんだっけ?」


 比呂がいうと翔子は頷いた。


「そうだね。私は二人と違って専属契約はしてないから」


「桜花征機から打診来てなかったっけ?」


 真衣の言葉に、翔子は顔を顰める。


「来たけど蹴ったよ。桜花征機って国営企業だから大きい顔してるけど、ガラクタばっかり作ってるじゃん。新製品の刀も爆発する刀って何? 意味あるの?」


「でも浪漫があるから……」


「真衣ってそういう所あるよね。ちょっと前に皆で観た追放もののアニメもアレだったし(日常22参照)」


 真衣と翔子がキャイキャイと話しているのを比呂が苦笑しながら見ている。


 レキオと瀬田、二人のイケメンは完全に置いてけぼりだった。


 というより、内輪の話ばかりで入っていけないのだ。なんだか住んでいる世界が違う様な気がしてならなかった。


「な、なんか色々勉強になるね。俺らも探索者志望だからさぁ。えっと、ところで三人はどこの探索者さんなの? 俺一応DETVからスカウト受けててさ」


 瀬田が言う。軽く笑みなどを浮かべるツラから見える白い歯、細マッチョ……顔も小さく、目鼻の配置も良い。


 動きも機敏で、恐らくは格闘技などをやっているのだろう。軟弱な感じもせず、スペックは非常に高い。


 だがそんな瀬田の外見は、比呂達三人に少しも好印象を与えなかった。


「探索者協会よ」


 真衣の返答は非常にドライなものだった。まるで「お前たちには全くこれっぽっちも興味がない」と言うような、そんな調子である。


 実際、三人は男たちに少しも歓心を抱いていない。


 しつこいと言っているのに無理についてくるような相手ではなおさらだ。


 しかしそれが第一の理由ではなかった。


 ◆


 三人は明確な目的があって探索者稼業をやっている。


 彼らの両親は富士樹海ダンジョンへ挑み、未帰還となった。ほぼ確実に生きてはいないだろうが、それでもせめて遺品くらいは回収したいと思っている。


 これは出来ない相談ではない。


 ダンジョンの並列世界的な特性を鑑みれば、強く望む事で "三人の両親が命を落としたダンジョン領域" へと入場ができるからだ。勿論時間経過で風化してしまっている可能性もないではないが……。


 だがその為にはまず力が必要だ。


 甲級ダンジョンに挑む事ができるのは甲級探索者だけ。だから比呂達三人は甲級を目指している。まあ現時点では彼らは甲級探索者の本当の意味を知らないのだが。


 ともあれそんな目標を持つ三人にとっては、レキオと瀬田は生物学的に弱すぎた。


 比呂、真衣、翔子──……三人は見た目こそどこぞのアイドルグループかと見まごう程に可愛らしくはあるのだが、可愛いのはガワだけである。


 "ツラの良し悪しなんていうものは、モンスターに叩き潰されてミンチになってしまえば皆同じ" というような殺伐とした価値観を抱いていた。


 こういった価値観は彼女ら特有のものではない。


 探索中、生と死の一線を命懸けで行き来した者は大体こんな殺伐とした価値観を抱く様になる。


「なんだかさっきから冷たいね、もう少し話してくれてもいいんじゃない?」


 レキオがやや不満げに言った。


 比呂達は顔を見合わせ、何と答えたものかと互いに思案する。


「私もちょっと不思議に思ってたんだよね。ほら、アナタ達って顔は結構整ってるし、顔だけじゃなくて探索者になる為に鍛えてたりもしてるんでしょ?」


 真衣の言葉にレキオが頷く。


「ま、まあそうだけど」


「動きとかキビキビしてるもんね。ナンパはしつこいなとは思ったけど、ナンパってああいうものだし、少しくらい強引な方が私は好き」


「じゃあなんで……」


「なんか違う気がするんだよね」


 真衣は硝子玉の様な目でレキオと瀬田を見た。


 レキオは真衣の目を見て僅かにぶるりと震える。


 体が震えたのか心が震えたのか、レキオには判然としなかった。


 よく見れば、他の二人もレキオ達を真衣と同じ目で見ている。


 レキオはその目をどこかで見たような気がするが、思い出せない。


 瀬田も同様だ。


 その時、声がした。


「おお、三人娘かよ。そろってお出かけか?」


 皆が振り向くと、そこには赤い髪をたなびかせた舞台俳優の様な男が立っている。


 丙級探索者、城戸 我意亞キド ガイアであった。


 ◆


「佐古の旦那は居ないのか? ちっ、例の件について話さなきゃならねえってのによ」


 我意亞は舌打ちし、髪をかき上げながら言う。


 ちなみに我意亞と比呂は夏に協会本部で出会った事があり(日常29参照)、それからというものちょくちょく本部で顔をあわせて、気付いたら真衣や翔子、比呂の三人と我意亞の間には一定の面識が生まれていた。


 今では顔を合わせれば少し話すくらいはする程度の仲だ。


 なお歳三は我意亞と "例の件" とやらを話す約束はしていない。


「前々から思っていたんですけど、歳三さんとどういう関係なんですか? あと例の件ってなんですか?」


 比呂がやや強い調子で逆に問い返すと、我意亞は鼻で笑った。


「例の件は例の件だ。で、俺と旦那の関係か? そんなモン、決まってるじゃねえか。認め合った仲よ……実力チカラをな」


 勿論認め合っていない。我意亞は認めているが。


 シニカルな笑みを浮かべる我意亞はヤケにサマになっており、比呂は悔しそうに唇を噛み締める。


 ──悔しいけど、この人なら確かに


 比呂は以前より強くなったが、それは我意亞もだ。


 協会は我意亞に対して、近日の乙級昇級を告知していた。その気になれば50tの戦車を5m近く蹴り飛ばせる者をいつまでも丙級に置いて置くわけにもいかない。


「なんか怪しいよね! 城戸さんって結構適当に話してる事ない?」


 だが真衣が野生の勘で我意亞のしょうもなさを嗅ぎ付け、翔子もまた疑念に満ちた視線を注ぎ始めると、我意亞はやれやれといった風に首を振って去っていこうとし……立ち止まる。


 そして、その時初めてレキオと瀬田に気付いたかのように二人を見て、特に何も言わずに今度こそどこかへ歩き去って行った。


 ──同じだ


 レキオは我意亞から向けられた目が、比呂たちからのそれと同じ事に気付く。


「なんなんだろうねあの人。まあいいか、それでね、違うっていうのはさ、こんな事を言ったら何だけど……違う生き物に見えちゃうっていうか。そういうの良くないと思うんだけどね、犬とか猫とか、そんな感じに思えちゃって。ん、ん~、それも違うかも。なんていうんだろうなぁ、なんていうか、私が少し力を入れて押しただけで、多分アナタ達は骨折とかしちゃうとおもうんだよね。少し仲良くなったとしてさ、喧嘩みたいになって私って短気なトコあるからぶったりするとするじゃん? そしたらアナタ達は多分死んじゃうとおもう。そういう人たちを男として見るのは無理っていうか、同じ人間として見るのは無理っていうか~……ああ、差別とかじゃないの! 私だって探索者じゃない友達とかもいるしさ。でも」


 真衣がそんな事を言いながら髪を掻きむしる。


「いや、言いたい事は分かったよ。そうかもな」


 レキオは肩を落としながらそう答えた。


 人間扱いされてないと言う事に気付いたのだ。


 ──情けないっていうか、虚しいっていうか


 そんな事を思いながら瀬田を見ると、瀬田もまた力のない視線をレキオに返してくる。


 そうして二人の若い男たちは比呂達の前から去って行った。


 ・

 ・

 ・


「あーあ、かわいそう」


 翔子が言うと、真衣は苦笑する。


「まあでも仕方なくない? 家族でも友達でもないんだし。協会の仲間ってわけでもないしさ」


 真衣の言葉に比呂も「そうだね」と同意する。


 しかし「でもさ」と翔子が何となくという風に疑問を口にした。


「私たち、最初の頃は非探索者の人に対してこんな風に思ったりしていなかったと思うんだよね。でもこの環境に順応していくにつれて、気持ちが少しずつ変容していった……気がする。これってなんだか不安じゃない?」


 ダンジョンの干渉は肉体のみならず精神にも及ぶ。精神に対しての干渉は肉体に対するそれよりも緩慢としているが、それでも変化は変化だ。


「まあ、不安かも」


 真衣がぽつりと言う。


 比呂もまた同じ気持ちだった。


「だって比呂みたいに相手が強いと、倍以上年上のおじさんに惚れたりするかもって事でしょ? 私は佐古のおじさんは探索者としては尊敬してるけど、惚れるってことはないなあ。指に毛が生えてるんだよ? 無理だって」


 比呂はコイツとは分かり合えないなと思った。


 ◆


 帰路、レキオと瀬田は黙りこくってただただ脚を動かしていた。


 ふたりが無言なのは、何か口を開けば途端に泣き出してしまいそうになるほど情けない気持ちで一杯だったからである。


 やがて池袋駅についた時、ようやくレキオが口を開いた。


「俺、ちょっとマジで探索者目指すわ。あんなゴミを見る目で見られたままで我慢できるかよ」


 レキオの言葉に瀬田も頷いて答えた。


「強くなってあの糞女共を惚れさせて、捨ててやる。あの赤い髪のやつはどうする?」


 瀬田がレキオに聞くと、レキオは「俺は俺よりイケメンの奴に勝てる気がしねえんだよ」と言った。

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