日常12(歳三他)
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池袋の居酒屋『超都会』でしょうもない酒を呑んだ翌朝、歳三は午前5時に起床し、二度寝によって午前8時に起床し、三度寝によって午後1時に起床し、ここでようやくちゃんと起きようと思い立った。
歳三は手を伸ばし、ベッドの上に放ってある煙草の箱をとって一本咥える。朝一番故のヤニ切れで震える指をかろうじて擦り鳴らし、火をつけると肺一杯に煙を吸い込んだ。
そして、煙を吐き出すと共に
「人生ッ……!」
などと呟く。
この言葉に特別な意味などは何もない。
ただ、ため息と共に吐き出す様に呟く事でちょっと気持ちよくなるのだ…と歳三が権太に伝えると、丸顔の協会職員は
『よっこらセッ●スとか、よっこいしょういちとかそういうアレです?』
などと言ったものだった。
ともあれ、昼過ぎに起床した歳三は豪快に衣服を脱ぎ捨て、全裸となって寝汗を流す為にシャワールームへと向かう。
シャワーを浴びる前に脇を香り、気弱な歳三にしては珍しくワイルド・ウルフめいた様子で舌を打った。
──臭いとは思わねェが、匂いはある。何事もよ、自分の事には気付かねえもんだ。匂いがあるってんなら、きっと他の奴等は俺を臭いと感じるだろう
しかし、と歳三は解せない思いで一杯だった。
なぜこれほど熱心に身体を洗っているのに体臭が消えないのだろう、とボディソープのボトルを取り上げる。
──NAXウルトラリッチじゃあだめか。新しいものを買いに行くか
確か、と歳三の脳裏にとある広告の内容が想起される。
柿タンニン・葉緑素・銀イオン・シクロデキストリン・薬用炭・トレハロースなどの洗浄成分が含まれている高級ボディソープの広告であった。
──だがよ、通販じゃあだめなんだ。俺は今すぐほしい。そうだ、デパートに行こう。…デパート?いや、百貨店か?まあどっちでもいい…
歳三はやや億劫ながらも外出する肚を決めた。
ただ、歳三の体臭は極まった男性ホルモンが原因で、体臭というよりむしろフェロモンであるため、歳三がいくら垢を落とそうと余り意味がない。というより、歳三は別に不潔にしているわけではないのだ。
ともあれ、そんなこんなで歳三は池袋駅に向かい…
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JR池袋駅東口。
周囲からは悲鳴や怒号があがり、サイレンの音も聞こえてくる。
なぜこうなったんだろう、と歳三は内心首を傾げながら左掌を前方に向けた。
護りの型を取ったのは眼前に立つ男が銃を手にしていたからだ。
銃がただの銃であるなら問題はない。例えば歳三の腹筋は戦車砲までなら表皮で止まるだろう。
ただ、それがダンジョン探索に使う様なものだと少し話が変わってくる。ダンジョン素材をふんだんに使った特別仕様の銃弾などを使われれば、歳三も無傷ではいられない可能性がある。
「ひっ、ひっ…じゅ、銃!?」
歳三の背後では引きつった様な男性の声。
その低くて野太い声は、普段なら男性らしい印象を与えるのだろう。しかしその時の声は明らかに緊張によって引きつっていた。更に、彼のヒュウヒュウという息遣いがそれに加わることで、緊急事態とは思えない滑稽な雰囲気を醸し出していた。
──可能性は低いけどよ…ダンジョン用の銃だと怪我しちまうかもな。躱すのは難しくなさそうだが…駄目か
背後には雨に濡れて震える子猫の様に無力な中年男性…撃たれたくはなくとも、下手に躱すわけにはいかなかった。
銃撃の音が一度、二度、三度。
──廻し受け
三度の銃撃の間に歳三がしたことは、左掌で宙に小さい円を描く事だけだった。
歳三シリーズの技にリストインさせるにはやや地味だが、必殺精神に欠ける腑抜けた飛び道具を受けるには十分である。
「彼はなぜこんな事を?」
歳三がしんどそうに背後の中年男性へと尋ねる。
しんどいのは周囲に人が多いからだ。
ついでに警察官も集まってきていた。
歳三は人が多い場所ではちょっとしんどくなってしまうし、国家権力が苦手であった。若い頃お世話になった事があるので。
「あ、あ、歩いていたらいきなり叫び出して…泡噴いて倒れたんだ…それで私は平気かどうか、聞こうとしたら、立ち上がって…」
「あの人を撃って暴れてるという訳か」
歳三の視線の先には、腹を撃たれてもだえ苦しんでいる背広姿の中年男性がいた。
眼前の暴漢は笑ったり喚いたり、しょぼくれたりしたかと思えば地面を何度も踏みつけて顔を真っ赤にしてたりとせわしない。
しかも背を駅ビル側に向けているため背後に回り込めないと来ている。
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助けなければいけないな、と歳三は思う。
しかしそれは所謂正義感に突き動かされての事ではない。
ここで怪我人や背後の中年男性を見捨てれば、社会的に死ぬかもしれないと考えたからだ。
勿論中年男性らの命がどうでもいいというわけではないのだが、こういったものをどうにかするのはそれこそ警察の役目であり、探索者の役目ではなかった。
歳三はどうもそこらへんの頭が固く、本来求められているわけではない役をこなす事に心理的な抵抗を感じている。
であるなら、そもそもでしゃばらなきゃいいのだが、腰を抜かして恐怖で怯えている中年男性がどうにも哀れに思えてしまって、つい大丈夫かと手を差し伸べてしまったのだ。
例えペット不可物件に住んでいたとしても、路傍にかわいい子猫や子犬、子豚でも小鳥でもいいが、打ち捨てられていたとしたら憐憫の情を覚える者は多い。歳三の心境としてはそんな所であった。
──ここで見捨ててみろ。きっとSNSにアップされて、俺は今度こそ日本、いや世界に居場所がなくなる。大人も子供も犬も猫も俺を卑怯者だと罵るだろう
だが歳三には懸念が一つあった。
暴漢を取り押さえるとなれば多少手荒くなるだろうという懸念だ。大義名分があるとはいえ、探索者としての力を一般人に振るってもいいのか、どうか。
──確か、違法行為だったはずだ。いや、まて。緊急時は問題なかったような…クソ!わからなくなってきちまった。そもそもアイツは一般人なのか?…一般人だな、間違いない。銃もあんなオモチャを使ってるくらいだ。アイツはか弱い一般人…畜生!俺は負けるのか、こんなところで…いや、まて。閃いたぜ!
かつての歳三ならもう何がなんだか分からなくなってしまって、意気消沈して逃げ出していたかもしれない。
だが年を取り、多少なり大人の分別を得た彼は違う。
歳三はずんずんと暴漢へ向かっていく。
再度の銃撃はそのまま胸で受けた。
探索者用のものでないと分かったのでもはや弾く必要もなかったのだ。周囲からは悲鳴があがるが、歳三は勿論無傷なので問題はない。
──よし、効かねぇ。もし超高級銃弾かなんかで撃たれていたら怪我をしていただろうからな。助かったぜ…今日はツイてるッ…!
暴漢は歳三に恐れをなしたか、今度は倒れている中年男性に銃を向けた。瞬間、歳三の左手が大きく袈裟に、まるで引っ掻くようなていで空気を毟り取る。
すると急激な空気の収束現象が発生し、暴漢は態勢を崩して銃を取り落してしまう。暴漢はあわててジーンズのポケットに手をつっこみ、折り畳みナイフを取り出した。
しかし歳三は構わず暴漢に手を伸ばし、案の定胸をナイフで突きさされるも刃が折れた為に事なきを得る。
『あのおっさんやばいだろ』
『さっき撃たれたよね!?』
『探索者だろ?』
『探索者だって撃たれたら怪我するに決まってるだろう。力とかは強いかもしれないけど、逆にいえばそれだけだよ』
『あ、佐古のおっさんだ…あの人こういうの無視しそうなもんだけど』
『本当だ。だねー、この前センターで受付嬢の子をめっちゃ睨みつけてたよ。女に話しかけられると怒るんだってさ』
歳三のゴツくて毛むくじゃらな手が暴漢の両肩に置かれると、暴漢は地面に貼り付けられたかのように動けなくなってしまった。しかし暴漢は、そんな物理的拘束もそうだが、なによりも歳三が顔を真っ赤にしてぶるぶると震えながら自身を睨みつけてくる事に甚く震えた。
歳三は野次馬達の言葉を聞いてしまったのだ。
過去の色々で歳三はもうこういうヒソヒソ話というか、周囲でだれかが自分の事を話題に出しているという事自体に強いトラウマを覚えてしまっている。しかし銃で撃たれて無傷で、そればかりか銃弾を片手で受け止め、刃物で刺されても平気の平左な男なんて、こんなものはもう話題に出したくなってしまうのが野次馬魂というものだ。
そしてついに歳三の精神に限界が訪れる…。
「やめろおォォォォ!!!!やめろ!!!やめろォォォ!!」
歳三の怒声が周囲へ響き渡った。
暴漢の背後のショーウインドウがばりんと粉砕され、暴漢も歳三の声の暴力を受けて気絶してしまう。鼓膜が破壊されなかったことは暴漢にとって幸運と言えるだろう。
更に歳三の絶叫はヤケクソ気味な怒りを乗せてたちまちに周囲へ伝播し、野次馬達の精神を手酷く殴打した。
心が弱い者はその場に崩れ落ち、取り囲む警察官達は思わず歳三へ銃を構え、空では何十羽もの鳥がギャアギャアと喚き散らし、もう本当に酷い事になっていた。
ぐたりと脱力した暴漢は、そのまま地面に吸い寄せられるようにして倒れ込み、歳三は帰宅したら自殺をしようと心に決める。
──もうだめだ。俺は折れちまった。器物損壊、一般人への障害…逮捕だ。間違いねえ。俺のザマはSNSで拡散されるだろう。あの時とは比較にならねえ炎上をするはずだ。自殺だ、自殺しかない。腹を切るのだ。三島みたいによ。ああ、こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった
歳三は肩を落とし、とぼとぼとその場を立ち去る。
野次馬も警察官も、誰も歳三を引き留める事などはできなかった。それは歳三が見せた常軌を逸した暴の気配を恐れたからでもあるが、なにより歳三の背にこの世の全ての絶望がのしかかっているようにも見えて、声をかける事を憚られたからでもある。
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その日の夕方、歳三は白装束ならぬ白パジャマに着替え、最新鋭の戦車を容易く一刀両断する手刀で腹を掻っ捌こうとしていたら、端末が鳴る。金城権太の名がディスプレイに表示されていた。
『ああ、佐古さん、どうもどうも。こんばんは。いやね、昼間の顛末をちょっと伝えたくてお電話差し上げたんですよ~。あら?なんだから暗いですね、ははぁヤニ切れですか?我々はもう良い大人なんだから、頭がおかしくなる前に定期的にヤニを補充しなきゃあだめですよ。ああ、それで昼間の。うん、佐古さんが取り押さえた男ですけど、外部の探索者でした。そう、協会外のね。しかも質の悪いヤクをやっててねぇ、最近そういうのが出回ってるんですわ。身体能力を高めはするんですが、強い依存性があり、すぐに頭ン中ぐっちゃぐちゃになっちゃうらしいです。歳三さん、わざわざ取り押さえようとしたんですって?その気持ちは立派ですがね、正直無駄ってもんですよ。薬に頼るような心構えで探索にいけばね、そのよわったらしい心はダンジョンの干渉で更に醜くねじ曲がります。いっそサクッと殺っちまうのが優しさってもんかもしれませんよ。ここだけの話ですけどウチでもそういう薬を流してるトコはどこか調査をしてましてね、荒事になるかもしれませんわなぁ。ちなみにそういうヤク中を始末した場合でも佐古さんは罪には問われませんからね。ああ、それと!怪我してたおじさんは助かったそうです。よかったですねぇ。ところで警視庁からですね、歳三さんを表彰したいとのことで…え?ああ、そうですか、じゃあ断っておきますよ。あとは何かあったかな…え?ガラス?ああ、そういうのはウチで弁済しますので。うん、じゃあ…ええ、また飲みましょうや。それじゃあ失礼します~』
権太は恐るべき肺活量で一気にまくしたて、歳三は端末を眺めながら暫時ぼうっとしていた。
そしてタバコに手を伸ばし、火をつけて煙を吸い込む。
鯉の口の様にパクパクと煙を吐き出し、まんまるい煙の輪を作り…
「おお、二重丸」
煙の輪の中に更にもう1つ、小さい煙の輪を作り出すことに成功したのだ。これは中々高難度の技である。
歳三は1つ頷いてからベッドに寝転び、10分もしない内に眠りについた。
時刻は16時を回った頃。
少し早すぎるが問題はない。
変な時間におきても、どうせ寝たり起きたりして調整するだけの話なのだから。
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しょうもないなとおもったらアレをください。アレをね。わかりますよね?アレです…
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