巣鴨プリズン⑨

 ◆


 佐古歳三という中年劣等男性にとって "反省" とは、自身の感情を慰撫するためのオナニーに過ぎない。


 性根からしてしょうもないのだ。


 真っ当な者ならば、過去の過ちから学ぶところもあるだろう。


 例えば友人知人や家族を失望させてしまったことに対して悔い入る思いだとか、もう二度とこんな過ちを犯さないという強い気持ちを抱いたりだとか。


 しかし歳三はと言えば、あまりにもしょうもないのでそんな思いを抱かない。


 彼が抱くのはただひたすら自慰染みた後悔を抱くのみだ。


 それは薄暗い快楽を伴う行為である。


 例えるならば傷口──……皮膚が破れ、肉が覗くそんな痛々しい傷口にどこか魅入られる様なものだ。


 かさぶたをむき、血を絞り出す。これには痛みを伴うし、見てくれ的にも良いものではない。


 しかしどこか浄化されるような思いもある。


 彼にとっての反省とはそのようなもので、これは本人が自覚しないしょうもない性質のひとつであった。


 歳三は巣鴨プリズンダンジョンに入場した際、自身の過去の罪という傷を大いに刺激された。


 一時的に正気を失うことの精神的感傷を大いに受けた。


 しかしここへ来て、歳三の精神はその刺激に慣れ始めている。


 愚者ほどに喉元過ぎた熱さを忘れる速度は早い。


 ◆


 看守が行ってしまうのを待って、歳三は鉄格子の向こうにいる蒼島に問いかけた。


「なあ、蒼島さん。ここから出たいンだけど、あのもくもくを倒さないと出られないンですかねぇ」


 蒼島は力なくうなだれて答えた。


「あなたが何をしたのかは僕にはわからない。でも、あなたは自分なりに乗り越えたんですね。どんな方法で乗り越えたのかは分からないけれど。僕には無理そうです。目を開けても閉じても、彼女の影が見えるんです。僕は彼女を殺したくなかった。それなのに…」


 歳三はただうんうんとうなずき、蒼島に気付かれないように軽くため息をついた。


 何があったのかは分からないが、蒼島の精神は完全に崩壊しているようだ──……歳三はそう思いながら立ち上がり、鉄格子を掴んだ。


 無理やりに曲げ出そうと言うのだ。


 奥歯をギリッと噛み締め、二つの腕に満身の力を込めた。


 奇妙な脱力感はまだ残っていたが、それでも最初よりは大分マシになっている。


 歳三の筋肉が盛り上がるやいなや、袖がはじけ飛んだ。


 顔は今や真っ赤になり、鼻からは血が一筋流れ──……


 ・

 ・

 ・


 蒼島はその整った顔を歪ませながら、あんぐりと口を開いた。


 囚人たちを閉じ込めている牢獄には鉄格子が嵌っているが、それはただの鉄格子ではない。


 ただの鉄格子ならば蒼島なら3秒と掛からず捻じ曲げる事ができる。蒼島とて乙級探索者の認可を受けている超人だ、一見すると華奢だがその身体能力は人間離れしていた。


 戦車をけり飛ばし横転させ、鉄筋コンクリートで出来たビルディングを素手で解体する程度はたやすい。


 そんな彼をして、眼前の鉄格子には触れることさえできなかった。


 鉄格子に手を触れるとトラウマが強烈に刺激され、膝は崩れ落ち、心が萎えしぼむのだ。


 練達の精神干渉系PSI能力者である蒼島は、このダンジョンの性質ともいうべき浸食作用に気付いていた。


 この空間では僅かでも "被害者への罪悪感" があるならば、 大きく力を奪われるのだ。


 その強制力は強大で、「ちょっと悪い事をしたな」くらいの罪悪感でさえも愛する恋人を自らの手で殺めるほどに膨れ上がり、対象の心を蝕んでいく。


 そして人は他人に嘘はつけるが、自分にはなかなかつけないものでもある。


 トラウマを乗り越える、罪悪感を昇華するというのは並大抵の事ではない。


 ──なのに


 耳障りな、金属が軋む音と共にゆっくりと鉄格子が変形していく。


 それはやがて、より鋭い、金属が限界を超える断末魔の叫びに変わった。


 何かの断裂音が牢獄に響き渡り、蒼島をはじめ近くの房の囚人は固唾を飲んでその光景を見つめる。


 遠くの房の囚人たちも、何かとんでもない異常が起こっている事に気付いて苦悶と慟哭の叫びを一時忘れていた。


 やがて──……


 ◆


 歳三は親指を鼻に押し当て、ふん、と息を鼻から出す。


 べちゃりという音とともに血の塊が床に落ちた。


 額からは汗が滲み出ており、その様子はどこかくたびれて見える。事実、歳三は少し疲れていた。


 一息つきたくなり、胸元へと手をやるが──……


「そうだ、没収されてるんだった」と忌々しそうに呟く。


 残念ながらタバコは没収されているのだ。


「な、なああんた!!」


 そんな声がかけられる。


 歳三は無表情で声の方を見た。


 蒼島の隣の房に収監されている男が、歳三を見ている。


「なんですかい」


 歳三が応えると、男は言い募った。


「て、鉄格子を破っちまうとは……。た、たのむ!俺もここから出してくれ!俺はもう十分に反省してるんだ!」


「反省って……何かやっちまったのかい?例えば……盗みとか……」


 歳三が尋ねると、男は言い募る。


「い、いや、大した事はやってない……ほ、放火だ……。といってもその、仕方がなかったんだ。その、携帯型のリニアガンを充電しようとして、家庭用のコンセントを使ったらショートしちまって……い、家が何軒か燃えて、その、何人か死んだ……こ、子供も……」


 歳三はそれを聞いて、何も言わずに蒼島の方を見た。助けてくれよ、という男の声は努めて無視する。社会性の乏しい歳三ではあるが、男が最悪だということは理解できた。


「蒼島さんは……正当防衛だったな」


 放火殺人犯と正当防衛殺人犯では後者のほうが大分マシだった。


 ・

 ・

 ・


 ちなみに、歳三は "マシだったから" という理由だけで蒼島に目をつけたわけではない。


 顔見知りだったからというのも大きい。


 根が生粋の人見知りである歳三だが、別にソロ探索に命をかけているわけではない。


 必要とあらば他人と組む事に抵抗はない。


 彼がソロ探索者を続けているのは、周りが歳三を忌避するからだ。


 池袋本部で佐古 歳三という探索者は強く偏屈で、逆らう者には容赦をしない厳しい性格をしていると思われている。


 まあそれもこれも歳三が強力なモンスターの死骸を、そのまま買い取りセンターへ持ち込んだりしていたノンデリな行為が原因なのだが。


 ともかくもそんな歳三だが、まさに今が『』の条件を満たしている事に本能的に気付いていた。


 力が無ければ探索者はできない。


 力が無ければダンジョンから生きては還れない。


 だが力といっても様々な種類がある。


 そして歳三は豊富なダンジョン探索経験から、自分が持つ力だけではここを脱出するためには今一歩足りない事を察していた。


「なあ、青島さん。アンタもここを出たいンだよな。だったら一緒に……どうですかい、って言おうと思ったンだけどよ」


 しかし──……視線の先には力なくうなだれた蒼島。


 歳三は参ったという風に頭を掻いた。


 何事も、本人にやる気がなければどうにもならないのだ。

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