日常16(マァ君&みぃ‐ミニスカ女‐)

 ◇


 今日は夕方からマァ君とデートだ。

 マァ君はとびの仕事をしていて、いつも大体夕方くらいに終わる。


 蒲田西口の喫煙所で、マァ君は煙草を吸っていた。

 待ち合わせの時間まではまだ20分くらいあるけれど、マァ君はデートの時にはいつも私より早く待ち合わせ場所についている。


 私もマァ君より早く待ち合わせ場所につける様にしようとしたけれど、一度それをやったらちょっと叱られてしまった。

 自分はいいんだって。

 煙草を吸い溜めしておくからって。


 私が喫煙所にいくと、マァ君は "よう" と手をあげる。

 そんな仕草一つがまるで俳優さんみたいで、私はついついマァ君の綺麗な手に目がいってしまう。


 でも確かに綺麗だけれど、女の子みたいな手というわけじゃない。

 少し筋張っていて、よく見れば男らしい部分もあるのだ。

 ぎゅうと握れば、ぎゅうと強く握り返してくれる。


 そんなマァ君は自分が病気だといって、毎週心療内科に通っていた。だけど、私はたまにマァ君が本当に病気なのかよくわからなくなってしまうのだ。


 マァ君は私と付き合ってから一度も "あんな風" になった事がない。それは私がわがままをいってマァ君を不機嫌にさせた時もそうだった。そんな時、マァ君は少し困った顔をして結局わがままを聞いてくれたり、聞けないわがままだったとしても、私が落ち着くまで抱きしめてくれる。


 ある日、マァ君は私にこんな事を言った。


「俺は大抵の事は笑って済ませられるんだけどよ、なぁーんか全然我慢できなくなる事があるんだよな。俺がやりたくねー事をさ、エラそーにやれって言われるとキレちまう。やらなきゃいけない事をやれって言われる分にはいいんだ。それがやりたくなくてもな、やるぜ俺は。でもやりたくねー事はいやだね」


「それってどう違うの?」


 私がそう聞くと、マァ君はちょっと考えて私の頭を撫でて "さぁなぁ" と言った。


 私は面倒くさがって教えてくれないマァ君にむっときて、お返しのわがままとばかりに「ねぇ、今日お泊りしたい!明日休みでしょ?」と予定になかった事を言う。


「いや、今日は帰ったら録画してた野球がみたくて…」


 マァ君の返事を聞いた私は彼の前でファイティングポーズを取る。


「また戦う?私が勝ったら言う事きいてくれるんだよね?」


 するとマァ君はため息をついて苦笑し、馬鹿、と言うなり私の事をぎゅうっとして囁いた。


「降参」


 ■


 学生時代、栗木 美奈子(クリキ ミナコ)は虐められていた。

 普通の虐めではなく、かなり深刻な類のいじめである。

 いじめに置ける軽重などというものはあくまでも本人の受け取り次第なのだが、それを差し引いたとしても美奈子がクラスから受けていた仕打ちは深刻なものだった。


 廊下で同級生とスレ違えば背後から強く蹴りつけられたり、トイレでは大量の水が頭上から降って来たり。

 物を隠されるのは茶飯事で、クラスの男子とのキスを強要された事もある。


 そんな虐めの渦中にあった美奈子はしかし、抵抗をする気力を失っていた。なぜならば、こうなってしまった背景に美奈子のいわば負い目の様なものがあったからだ。


 簡単に言ってしまえば売りをしていた事がバレたのだ。

 当時の美奈子は世の中を割と舐めており、世の中だけでなく異性の色々なモノを舐める事にもさして抵抗を覚えていなかった。

 母親譲りのコケティッシュな風貌は男受けする事甚だしく、ちょっと甘えたりするだけでドカドカと万札が財布へ飛び込んできて、甘える以上の事をすれば更にドッカンドッカンと飛び込んできた。


 ただ、そんな舐めた彼女も自身の所業が万人に受け入れられるとは思っては居なかった。SNSに屯するような脳の総容量が8g程度の有象無象PJ(パパ活女子)とは違い、周囲へ漏らす事はしなかった。


 だのに何故バレたかと言えば、同じクラスの姫川 麻耶が美奈子の過激なパパ活行為をクラス中にバラしたのだ。1日中尾け回し、決定的なシーン…男とホテルへ入るシーンなどを撮影し、それらを証拠として美奈子を糾弾した。


 麻耶が何故そんな事をしたのかといえば、簡単に言えば美奈子に嫉妬していたからである。美奈子は転校生だったのだが、転校初日からそれまでクラスの一番人気であった姫川 麻耶を凄まじい勢いで追い上げた。


 はっきりいってしまって美奈子は可愛い。可愛いだけじゃなくオーラもある。愛されオーラだ。その辺の木っ端アイドルなんぞは目ではない。


 だからこそ、当時アイドル養成所に通っていた姫川 麻耶は美奈子を強く強く憎悪したのだ。


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 栗木 美奈子が天然愛され仕草に優れているのならば、姫川 麻耶は政治に優れる。美奈子への扱いは1日の内にクラスの愛され女子から、金の為なら平気で股を開くドビッチへと変わった。

 まぁ当時の美奈子がドビッチであった事は事実だが、それを差し引いても美奈子へのバッシングは過剰に過ぎた。


 これは恐らく、美奈子に対して根拠のない処女性を見出していた精神弱者達が頭をぽっぽっぽっぽさせていたからだろう。

 大して親しくもない相手に一方的な期待を寄せて、それが裏切られたら過剰な憎悪を抱くというのは精神弱者の得意とする所である。


 そして、それまで愛される事に慣れ切った美奈子は、突如として自身へ向けられた憎悪に抗する術を持たなかった。


 ブラック企業に長く勤めている者が転職という選択肢があるにもかかわらず、心身を耗弱させながら勤務し続ける心境に似ているかもしれない。弱り切った人間というのは思考能力が落ち、取れる選択肢が日々狭まっていく。


 そして過熱した批判者というものは、相手が弱れば弱るほど更に過熱していくのである。


 いじめはとうの昔に度を超え、美奈子は次第に死を考える様になった。


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 そんな美奈子の日々だが、ある日、決定的な変化を迎える事になる。転校生がやってきたのだ。


「望月 雅人(モチヅキ マサト)っす。…よろしくっす」


 なんだか無気力な感じの挨拶をした雅人は妙に飄々として見え、更には無表情で無口で、雅人はあっというまにクラスの大多数の頭の中から存在を半ば抹消された。といっても虐めにあったとかそういうわけではなく、単に影が極度に薄かっただけである。


 雅人は美奈子の虐めにも全く関与せず、虐めが過熱しだすといつのまにか教室から居なくなっていた。


 だがこの日の虐め模様はちょっといつもとは様子が違っていた。


 まずこの日、授業は自習だった。

 そして両隣の教室はそれぞれ家庭科と体育で、少しくらい騒いでも問題が無い。この日の美奈子の表情は殊更陰鬱で、これから何が起こるかをよく知っている様だ。


 美奈子の暗い見通しの通り、虐めが始まった。

 すると、雅人がスッと席を立って教室を抜けようとする。

 これは常の事だったが、この日は姫川 麻耶が教室を抜け出ようとする雅人を呼び止めたのだ。


 麻耶は皆と一緒になって美奈子を虐げない雅人の事が常々気に食わなかった。姫川 麻耶は容姿に自信があり、成績も優秀、運動神経もよく、ついでに家も裕福…クラス内カースト最上位の少女である。故にクラスの殆どの者は麻耶に逆らう事が出来ない。しかし、このスカした転校生である所の望月 雅人はどうにも思うままに出来ない。


 そんな事実に、麻耶はこの際だから雅人も屈服させてしまおうと考えた。


「ちょっと!待ちなさいよ。アンタさ、なんか全然クラスに馴染もうとしてないよね。まあいいや、コイツの事、どう思う?」


 麻耶は床に蹲る美奈子を足で小突き、雅人に尋ねた。

 しかし雅人は何も答えない。それどころか朝一番の通学路で、歩道にぶちまけられた下痢便を見た時の様な顔で麻耶を見て言った。


「…鬱陶しいな。命令すんなよ」


 当然ながら麻耶は激昂する。


「何よ!…ああ、分かった。そうやって興味ない風を装って恰好つけてるんだ?いるよね。こういう奴。それとも私から話しかけられて緊張してるのかしら。なんだか童貞くさいもんね。女慣れしてないみたいな?だったら "経験" させてあげるよ!ねぇ、高橋、今井、そのブスの服脱がして。望月、嬉しいでしょ?このブスとヤラせてあげる。あ、でも処女じゃないからそこは期待しないでね。知ってる?コイツ、おっさんと寝てお金稼いでたんだよ」


 高橋、そして今井と呼ばれたクラスメイトの男子が美奈子に群がり、着ている服を無理やり脱がせていく。美奈子は当然悲鳴をあげようとするが、口を他のクラスメイトに押さえられてくぐもった音が漏れるだけだ。


「あー…やめたら?それって多分犯罪っすよ」


 流石の雅人も嫌悪に表情を顰めながら言うが、その投げやり気味な制止は麻耶の怒りに火を注ぐばかりだ。

 そしてついに美奈子は悪意あるクラスメイトに下着だけの姿にひん剝かれ、高橋と今井に腕をおさえられている。

 顔は涙だか鼻水だかに塗れていた。


「興味ない風だけどさ、望月だっていじめを止めようとするそぶりも見せないじゃん。結局同類なんだよ。違う?恰好つけるのやめなって。逆にダサいよ?それよりどう?このブスの恰好…そそるでしょ?勃った?」


 にたりと笑う麻耶の表情は控えめに言っても醜い。

 だが、醜い表情をしていたのは麻耶だけでなく、美奈子と雅人以外の全ての者がそうだった。


 なんかさ、と教室に声が響く。

 雅人の声だ。

 なによと麻耶が応じると、雅人は暫時黙し、ややあって語を継いだ。


「何だか疲れるよあんたら。何で俺を巻き込もうとするんだよ。俺は確かにいじめを止めようとはしなかったけど、それは栗木が俺の友達でもなければ恋人でもないからだ。あんたは地球のどっかのさ、なんとかって国のなんとかって人が虐めにあってたとしてさ、それを止めようとするか?名前の発音もよくわかんねぇ外人の為に本気で怒れるか?そういう事だ、分かれよ。あんたらのくだらねえ虐めを手伝わねえのも同じ理由だ」


 雅人の足がトントントントンと床を叩いている。

 でもよ、と雅人は続けた。


「まあそんな風に割り切ってるつもりなんだけどよ、どういうわけかいらつくわけよ。なんでか自分でも考えているんだけどよ、多分俺の性格が面倒くさいからかもしれねぇな。親父はよ、『 いいかい、雅人。君は他人より広く、深く自分というものを知らなければいけない。それは何故か、理由はいずれ分かるよ 』なんて言ってたっけなァー」


「まあいいや、俺はこれでも親父を尊敬してるんだよ、だからあんまり迷惑かけたくないワケ。でもどこにもお前らみたいなのがいてさ、俺にぎゃあぎゃあ偉そうにコイてくるワケ。あれしろこれしろってさ。金を出せとか、なんだとか。そのたびに俺はキレちゃってさ。転校ばっかなんだよ。頼むよ、やめてくんない?俺になんかエラそうに言っていいのは親父かお袋だけなんだわ。俺は自分でちょっとキレやすいかもなーって思っててさ、だから色々ジコカイカクってのをしてるんよ。むかつく事でも割り切れるようにってさ。今ならまだ我慢できるんだ」


 教室は暫時沈黙に包まれた。

 なぜならば雅人の様子が明らかにおかしかったからだ。

 やけに饒舌になり、薬物でもキメたかのように瞳孔が拡大している。


 しかしここで退いては立場がない麻耶はなおも居丈高に言い募った。


「ゴチャゴチャうるさいのよ!あんた、そこのブスを犯しなさい。もし断ったら次のターゲットはあんただから。言っとくけど私は市議会議員、姫川 圭太の娘だからね。逆らったり私に危害くわえたらあんたの親も…」


 そんな麻耶の稚拙な脅しは、ついにぶっちぎれてしまった雅人の声に遮られた。


「え!?全然意味わかんねーんだけど!なんで!?なんで俺がそんな事しなきゃならないんだ?お前は俺の何だよ。親か?違うよなァ!?偉そうにコイてんじゃねェぞ!あーむかつくなァ!ぶっ殺したいなァ!」


 雅人の怒りのボルテージが瞬時に0から100まで一気に振り切れ、更に限界突破して20億程まで上昇し、顔を真っ赤にして、壁を殴り始める。


「なんで!」

 雅人が壁を殴る。


「俺が!」

 雅人が壁を殴る。


「この性格ブスの!」

 雅人が壁を殴る。


「いう事をよォ!」

 雅人が壁を殴る。


「聞かなきゃ!」

 雅人が壁を殴る。


「なんねーんだ!」

 雅人が床をガンガンと踏みつけている。


 その様子の余りの異様さに、傲岸不遜な麻耶でさえも呆気に取られている。だが暫時の忘我はすぐに怒りにとって変わられた。ブスという聞き捨てならない言もそうだが、こうまで露骨に反抗されるというのは、プライドが高い事に定評がある麻耶には到底耐えられない事だったからだ。


「ちょっ…」


 麻耶が居丈高に何かを言おうとした時、雅人が目を充血させながら麻耶の襟首を掴み、思い切り自分の顔へ引き寄せた。しようと思えば簡単にキスでもなんでも出来る距離だが、麻耶の瞳には多分の恐怖が揺蕩っている。他のクラスメートも同様だった。

 いきなり絶叫して暴れ狂ってる雅人に誰も何も言えない。

 その場の誰の目にも雅人の気が狂っている様にしか見えなかった。


 虐めに遭っていた筈の美奈子でさえも呆然と雅人を見ている。虐めの一環で美奈子の制服ははぎとられており、派手目な下着が丸見えだ。しかしこの時の美奈子にそんな事を気にする心の余裕はなかったし、クラスメイト達も美奈子をみてニヤニヤする心の余裕を持つ事が出来なかった。


 激怒とは激しい怒りと書く。

 雅人の怒りはまさに激怒であった。

 この場の者達は誰一人として、人が本当に怒った姿を見た事がない。ゆえに大声をあげて暴れる雅人の様なイカれた怒りっぷりには度肝を抜かれていた。


「俺はよォ!!病気なんだとよ!間欠性爆発性障害ってよ!イシャがそういってたぜ!虚仮にされっとよォ!!我慢ができねーワケ!俺そいつに何もされてねーじゃん!俺に嫌がらせとかよォ、なんかしてきたらそりゃあ殴るよ!そんなもんセンソーだぜ!でもよォ、なんもされてねーのになんだぁ!?虐めろだぁ?犯せだぁ!?やらねーなら俺をターゲットだぁ!?」


 雅人が麻耶の襟首を掴みながらブルブルブルブルと震え始めた。


「来いよオラァ!俺にいう事聞かせてェなら掛かってこいや!俺の顔面によ、一発でもいいモンいれたら言う事きいてやるよ!」


 雅人の額がガン、と麻耶の顔面に叩きつけられる。

 手加減無しの頭突きである。


 くぐもった呻き声をあげて麻耶は倒れ、顔を押さえて立ち上がろうともしない。


 雅人は己の精神の底でグツグツ煮え滾る怒(ド)のマグマが、自身の血管に流れる血と入れ替わったような錯覚を覚えていた。


「死ねや!!」


 倒れた麻耶の腹部に雅人の蹴りが叩き込まれ、血混じりの胃液が麻耶の口から漏れる。


「テメーらもよ!」


 叫ぶなり、雅人は美奈子をおさえつけていた高橋と今井に飛び掛かり、高橋に対しては喉へ突き、そして今井に対しては金的への蹴りを浴びせ、倒れた二人を先程の麻耶と同じ様に蹴りあげている。一度ではない、何度も何度もだ。


「やめて!死んじゃうよ!」


 誰かが雅人に叫んだ。


「あ" ァ!?殺すんだよ!」


 雅人が言い返し、甘な事を言ってるのは誰かと後ろを振り向く。

 するとベチンと雅人の頬へ拳が叩きつけられた。


 上等、と雅人が拳が握りしめ、よくよく相手を見てみると…美奈子が下着姿のまま拳を握って立っていた。


「言う事、聞いてくれるんだよねッ…!?」


 美奈子の言葉に怪訝そうな表情を浮かべた雅人だが、ついさっきの自分の言葉を思い出す。


 ──俺の顔面によ、一発でもいいモンいれたら言う事きいてやるよ!


「殺しちゃったら、逮捕されちゃうよ…。助けてくれてありがとう、でも…恩人が逮捕されちゃったら嫌だから…。そ、それより!私望月君の顔を、その、ぶったよ…駄目だった、かな」


 雅人は "あぁー" と気の抜けたような声をあげ、全身を巡っていた狂熱が抜けていくのを感得した。

 同時に自分が何をやらかしたのかを理解する。


 ──殺さなくたって逮捕かもなぁ


 §


 それが二人の馴れ初めで、最終的には美奈子が雅人を押し切る形で交際に至った。


 ・

 ・

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 結局雅人は逮捕されることはなかったし、学校を退学する事もなかった。逆に強姦を扇動した麻耶が警察のお世話になった。

 確かに麻耶の父親は市議会議員で、表の権力も裏の権力もそれなりに持っていたのだが、雅人の親がそれ以上の権力者だったのだ。

 仮に雅人が麻耶らを殺害したとして、はたして法で責を問えるかどうか疑問である程の権力者。


 雅人の親、甲級探索者 望月 柳丞(もちづき りゅうすけ)。甲級は護国の要と考えられており、その辺の政治家などより遥かに権力を有する。


 なお、後のダンジョン探索者協会会長でもある。

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