日常94(歳三、鉄騎、鉄衛)

 ◆


 鉄騎と鉄衛は、歳三への絶対的な忠誠を誓っている。


 別に歳三に人外をも虜にする魅力があるからというわけではない。


 むしろ魅力はない。


 二体が歳三に忠誠を誓っているのは、いわば擦り込みに近い所があるが、まあそれでも忠誠は忠誠である。


 ということで二体は協会のデータベースに密かにアクセスし、主たる歳三の情報を収集していた。


 そこで浮かび上がってきたのは、歳三の極端な自己卑下の傾向だった。


 二体にとって、歳三が "王" となることは絶対の使命であり、そのためには探索者としての成長が必要な過程であった。


 だからこそ、高難度ダンジョンへの挑戦自体は歓迎すべき事だと考えている。


 しかし富士樹海は別だ。


 このダンジョンについて集められた情報の数々は、あまりにも不穏なものばかりだった。


 生還率は驚くほど低く、生還者たちの証言も厄い事この上ない。


 いくら歳三が優れた戦闘能力の持ち主だとしても、単独での探索は余りにリスクが大きすぎる。


 とはいえ、二体は主の意思を正面から否定することはできない。


 だが、このまま富士樹海への探索を許可するわけにもいかない。


 そんなジレンマを抱えながら、鉄騎と鉄衛は互いの顔を見つめ合うしかなかったのだ。


 ・

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「しかしマスター」


 鉄騎が口火を切る。


 一言で言えば美声。


 少女から女へと変容かわる直前と直後、その僅かな間の声色を切り取ったような響きだった。


 ただ、どこか機械的な違和感が混ざっている。


 透明感のある女の声色に、わずかながらメタリックな響き──不自然さが混じり合っていた。


 それは人工の声が持つ冷たさではなく、むしろ人間らしさを追求しすぎた結果の不自然さだ。


「しかし、マスター。協会は余り良い顔をしませんよ」


 鉄騎が言うと、歳三は「え?」という表情を浮かべた。


 ◆


「マスターは乙級探索者です。乙級とは探索者協会では上級探索者として想定されており、上級探索者とは単にダンジョンを探索して資源を持ち帰る事だけを期待されているわけではありません」


 これはその通りで、乙級探索者以上の者は時に国家戦略の駒として "活用" される事もある。


 歳三が旭ドウムへ派遣されたのもその一環だ。


 人類社会を脅かす可能性のある因子への攻撃ユニット──それが上級探索者なのだ。


「ま、まあそれは聞いてるから、俺も分かってるけどよ……。でもそれなら富士樹海ダンジョンへ潜るってのは別に構わないんじゃねえのか?」


 富士樹海ダンジョンは甲級指定であり、しかもタチが悪い。


 更に言えば複数の上級探索者たちはおろか、自衛隊や企業の特殊部隊まで動いている。


 それなら別に自分が動いても何の問題もないのではないか、というのが歳三の主張だった。


「仰る通りです。しかし、旭ドウムでの一件と違い、今回はマスターの独断です。一般的に "上の人間" というのは独断専行を好みません。協会からの評価が下がるというのは、マスターにとっては良くない事なのではありませんか?」


「ソウダゾ、サイゾ」


 鉄騎と鉄衛はとりあえずの理屈をつけて、歳三を説得しようとした。


 これで居て根が社畜体質かつ奴隷根性旺盛に出来ている歳三である、所属する組織の評価が下がるというのは余り宜しい事ではない──主に精神的に。


 しかし。


「友達が、困ってるからなァ」


 飯島 比呂を友達と言って良いのかどうか。


 まあ恋人ではないだろう、と歳三は思う。


「友達?」


 鉄騎の問いかけに、歳三は頷く。


「ああ。まあ、その、比呂君は俺と──恋人になりたいらしい。だが」


「だが?」


「まずは、友達からだろう。やっぱり……普通はそうだ。一般的、には……」


 別に友達という時期を経ないで恋仲になる事なんて世の中ごまんとあるが、歳三のリトル・ワールドでは "まずは友達から" という事になっている。


 まあ、歳三は恋人が何かを歳三は知らないのだが。


 言葉は知っているが、意味は知らないのだ。


 花という言葉を知っているだけではその香りも、触感も、生命の艶やかさも理解できない。


 だが、友達は知っている。


 歳三もこの年だ、友達が0というわけではない。


 更に言えば、この男は友情には手厚く報いる事を旨としている。


 だからこそ望月の教えを何十年も心の支えとしてきたし、権太の頼みなら何でもかんでもハイ、YESと受け入れてきた。


 命だって懸ける。


 文字通り何でもするのだ、友情の為ならば、何でも。


 そして、歳三には望月や権太以外にも "友達" がいる。


 それは──



 ・

 ・

 ・


 戌級探索者、佐古 歳三、22才。


 探索経験一年目の新米の頃。


 歳三は困っていた。


 金もなく、実力もなく、才能もなく、そして何より人と話すことすらろくにできない歳三。


 都会の片隅で残飯を漁るドブネズミのような歳三。


 そんな若き歳三は、日々ダンジョンの入り口付近を這いずり回り、誰も見向きもしない端くれの素材を拾い集めていた。


 そういった探索者は協会のみならず、殆どの探索者組織で人間扱いをされずに蔑まれている。


 目立った成果があげられないからとか、そういうくだらない理由で蔑まれるわけではない。


 失敗が多いから蔑まれるわけではない。


 挑戦をしないから蔑まれるのだ。


 探索者とは挑戦者──チャレンジの気概無くしては探索者足りえない。


 で、挑戦も出来ない半端者がなぜ探索者を騙ってるのだ? という話になる。


 だが歳三も周囲の蔑みの視線を肌で感じており、何とかしたいとは思っていたのだ。


 別に歳三はダンジョンにビビッていたわけではない。


 モンスターに臆していたわけではない。


 が分からなかっただけなのだ。


 探索のやり方は分かる。


 協会は新米探索者に講義を設けている。


 教えられて、それを納得しさえすれば歳三という男はそれを忠実に成す事が出来る。


 しかし肝心な事が分からない──生き物の殺し方が。


 殺す、命を奪う。


 それが何なのか、よくわからなかったのだ。


 ◇


「う~ん、そんなことを言われてもね」


 当時、戦術講義で講師をしていた金城 権太は髪を掻きあげて苦笑した。


 当時の権太は髪はちゃんと生えていたし、胴回りは引き締まっていた上に全体的に雰囲気がチャラい。後日、太ったり禿げたりしたのはストレスが原因だ。


 そういうわけで戦術講師として基本的な戦闘技術を指南していた権太だが、ある時、新米探索者がこともあろうに生き物の殺し方とはなんぞや、と尋ねてきたのだ。


 生き物など殺せば死ぬではないか、と権太は思う。


 ──要するに、モンスターをどう倒せばいいのか、という事なんでしょうが


「別に殴ってもいいし、斬ってもいいし、撃ってもいいです。好きにしなさい。君の攻撃が相手の命を削り切った時に相手は死にますよ」


 権太は至極当然な事を言った。


 人間だろうがモンスターだろうが、と権太は思う。


 しかしその新米探索者は──


「はあ、それが殺すってことなんですか……」


 などと納得していない様子で言う。


 ここへ来てようやく権太は目の前の新米探索者──佐古 歳三が頭が弱いというか、ユニークな人間である事に気付いた。


「だったら──」


 権太はとある助言を歳三に与える。


 それは通常ならとんでもない助言で、探索者というを有効活用しなければならない協会の職員としては許されない類の内容だった。


 しかし意外にも歳三は納得してしまう。


 なるほど、と歳三は思った。


 そういう観点があったのか、と。


 で、どういう観点だったのかといえば──


 ◇


 台東区某所、かつて動物園だった場所がダンジョンと化した。


 区画ごとに難易度が分かれ、初心者から上級者まで幅広く挑む事が出来る。


 ある日、歳三はそのダンジョン内でとあるモンスターと向かい合っていた。


 猿だ。


 四本の腕を持つ猿の化け物──といっても所詮は戌級指定のモンスターなので、頭部を銃で数発も銃撃すれば死ぬ程度のか弱い生き物だ。


 しかし自他ともに認める雑魚である所の歳三には強敵だった。


 猿・モンスターは四本の腕をまるで嵐の様に振り回し、歳三を殴りつける。


 歳三はピーカブー・スタイルよろしく亀のように体を丸め、ひたすら猿の暴力を受け止めていた。


 血が滲み、骨が軋み、痛みが全身を這いずり回る。


 酷く痛み、そして苦しく、歳三は涙と鼻水を流しながら頭の中で権太の言葉を何度も反芻していた。


 ──『生きるとか死ぬとか、そういう事がよくわからなくて戦いづらいというのなら、一度死んでみなさい。いや、正確に言うと生きるか死ぬかの瀬戸際という所までモンスターから痛めつけられてみなさい』


 ──『きっと物凄く苦しいし、怖くもなるでしょうから。そうしたらきっと、死ぬっていうのがどういうことかわかりますよ。自然、殺すということも分かるはずようになるはずです』


 権太の言葉は、暴力の痛みと共に歳三の身体に刻み込まれていく。


 まあ権太としては『ちょっとコイツ、精神的にアレだな。まあ追い詰められればゴチャゴチャ考えていられなくなるだろうから、そっちの線でアドバイスするか。死ぬかもしれないけど、まあ死んだら自己責任だよね』くらいのノリだったのだが──


 ・

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 ・


 ああ、痛い。


 死ぬ、死んじまう。


 血が出てる、骨が折れてる、肉が、肉が剥き出しだ。


 この猿は俺を殺そうとしてる。


 あの真っ赤な目を見ろ、俺はこんなに情けないトコを見せてるってのに


 少しも手加減をしてくれない。


 いや、違う。


 そうか、そうか、これが闘いか。


 殺すってのはそういうことなんだ。


 あの猿は俺の事しか見てない。


 俺の事しか考えていない。


 俺だけを見てる。


 嗤ったりせず、俺を殺そうと本気になってくれている──


 ・

 ・

 ・


 己に真剣に向かい合ってくれている猿・モンスターへ、歳三は感謝の念を抱いた。


 猿は歳三だけを見つめ、ただ殺そうとする。


 "救われた" ──歳三はそう感じた。


 すると歳三という男はちょろいもので、モンスターに友情をすら感じてしまう。


 虐げられた者が虐げる者への愛着を抱くストックホルム症候群にも似た、精神の変容だ。


 この厚い友情に報いるにはどうすればいいのか? 


 それは求められている事を成すということに尽きる──歳三はそう悟り、命のやりとりを望む "友達" の願いをかなえたいと心から思った。


 そうしてはじめて歳三は反撃した。


 殴り、蹴り、安物のナイフで斬りつけ──すると不思議なことに、ピュアな気持ちで戦えば戦うほど力が沸いてくるような気がするではないか! 


 歳三はまさに、闘いの最中に成長をしていたのだ。


 ダンジョンの意思が歳三の純粋な想いに呼応した。


 そして死闘の終わり──歳三は猿・モンスターの死体を抱いて泣いていた。


「殺したくなんかなかった」


 歳三はそう呟き


「でもお前がそう望むなら、殺るよ」


 そう、命を懸けて殺る。


 "友達" のためなら殺し、殺されたっていいのだ。


 ◆


 そんな昔の事を思い出した歳三は、鉄騎と鉄衛に向けて「頼むよ」と両手を合わせて頼んだ。


「気持ちよく見送ってくれねぇか。協会に最低限の筋を通すために、協力もしてほしい。友達のためなんだ」


 歳三が言うと鉄騎と鉄衛は再び顔を見合わせ、やがて仕方なく頷いた。


「準備もあります。出発は二日後でいいですか」


 鉄騎が言うと、歳三は無言で親指を立てた。


 なんとなく恰好をつけたくなったのだ。


 自分という物語の、その最終話が近いような気がしたから。


 まあ最後くらいは、と。

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