魔域

本日は2回更新してます。 スミス坂本・裕子の初出は日常38の魔女コスの女。目的説明は日常43。日常38で余裕ぶっこいてたのは、少し早く入国して日本観光を楽しんでいたから。このどうにも軽くてカジュアルな性格が任務に適していると判断された。

-------------------



 ◆


 英国生まれ英国育ちの日英ハーフ、魔女っ娘スタイルのスミス坂本・裕子は全身から冷や汗を流し、吹き飛びそうになる意識を懸命に繋ぎとめようと努力をしていた。ふらりと揺れる足元は何とも危なっかしく、協会の職員達は慌てて彼女を支える。


「大丈夫ですか?」


「ありがとう。大丈夫じゃないけど大丈夫。それにしてもまだ領域に足を踏み入れていないというのにこれ程の……。あなたたちは平気なの?」


 裕子は職員達の方を見ずに尋ねた。彼女の辞書に礼という言葉が登録されていないわけではなく、眼前に広がる魔域から視線を切りたくないのだ。


「我々職員は良くも悪くも特別 "鈍感" な者ばかりが選ばれていますから。勿論鈍感なだけではなく、各地のダンジョンでそれなりに干渉を受けていますし、各種の薬や精神活動を抑制する作用のナノマシンを体内に入れています。ただ、それでも森には余り近づきたくありませんね」


 木場と名乗った壮年の男が苦笑しながら言った。探索者時代は乙級探索者としてそれなりに無茶な探索もしたことがある中年男だ。


 隣に立つ中年女、小杉も苦笑いを浮かべている。彼女も丙級の上澄みとして活躍していたが、結婚を機に引退をした。まあ離婚と同時に現役復帰……ではなく、職員としてスカウトされて今この場にいる。


 この富士樹海ダンジョン詰めの職員は大体そんな経歴を持っているが、こんな猛者揃いの職場でも年に2、3人の殉職者が出ていた。日中でも夜中でも、ふらりと樹海に入って行ってしまうのだ。そして戻ってこない。その場で呼び止めれば "行って" しまうことはないのだが……。


 ダンジョンの入り口からはまるで生き物の息遣いのような微かな風が吹き出している。風に混じる腐臭はどこか甘く、蠱惑的だ。


 優れたエンパシストでもある彼女はその風から "歓迎" の意を感じ取った。来てくれたら必ず祟り殺してやる、呪い殺してやる、だからおいでおいでおいでおいでという盛大な "歓迎" だ。


 そして木々の間から無数の何かがじっと彼女たちを見ているような、不可解な感覚。


 裕子は我知らず短杖を握り締め、何が襲ってきても良い様に精神を練磨させた。彼女はもし領域内からモンスターが飛び出してくる事でもあろうものなら、例えどんな犠牲が出ようとも迎撃するつもりだった。


 裕子は母国であるイギリスで侯爵級エンフォーサーの位を戴いている。エンフォーサーとは執行者という意味で、英国大魔法省が擁する公式戦力だ。


 侯爵級の実力の程度はダンジョン探索者協会基準で言えば乙級探索者相当だが、彼女達エンフォーサーの役目はダンジョン攻略ではなく、国家安全保障に関するリスクの物理的排除であり、エンフォーサーの多くは非常に殺傷能力が高いPSI能力を行使できる。


 20代も半ばを過ぎているにもかかわらず見た目がロリ魔女である裕子だが、後先を考えなければ一トン爆弾に倍する破壊力を行使できる。


 一トン爆弾の破壊力はざっくり言えば、大型ビルを粉々に破壊できる程だ。仮に一トン爆弾の不発弾が発見された場合、近隣住民は一キロ以上の避難を余儀なくされる。


 だが、そもそもなぜ彼女が日本の、ましてや青木ヶ原樹海入口まで来ているかと言えば、ダンジョン時代黎明期に締結された新日英同盟に基づくものだった。


 富士樹海ダンジョン攻略の糸口を、魔法学的観点から解決できないかという意図の元に裕子は派遣されてきている。こういった協力員の要請は二国間で盛んに行われており、過去には日本の探索者が英国の高難度ダンジョンの異変に対応したこともある。


 裕子は良くも悪くもカジュアルな性格で、"魔女騎士" の照合に見合わぬ軽さが欠点とされてきたが、富士樹海ダンジョンの周辺は悪辣な精神汚染の念波が飛び交っており、繊細な者だとその場で首を掻っ切って自殺してしまうほどの悪所という事情もあって派遣要員に選ばれた。


 たった一人かと言う向きがないわけではないが、侯爵級エンフォーサーの戦術価値は少なくともこの時代の最新鋭戦闘機などより上なので、同盟国の最難関ダンジョンへの派遣要員としてはアリかナシかで言えばアリだった。


 それに、求められていることは戦闘ではなく、魔法的なアプローチの可否なのだ。しかしそんな彼女でもビビり散らすほど富士樹海の闇は深く、濃かった。


 ・

 ・

 ・


 昨今、日本最大最悪の甲級ダンジョン "富士樹海ダンジョン" は領域拡大を続けており、探索者協会はこの抑制に躍起になっていた。


 いや、協会だけではない。桜花征機や岩戸重工、三ツ和重工の国内の大企業もこの領域抑制を目的としたプロジェクトに参加している。


 桜花と岩戸は何度となく武力衝突した程の険悪な仲だが、こと富士樹海に関する事に関しては歩調を揃えていた。つまり富士樹海ダンジョンの脅威度がそれだけ高いという事だ。


「ひっひっ、英国の大魔法省肝入りのエンフォーサーだというから見に来てみれば、とんだ小娘ではないか!」


 顔を蒼褪めさせている裕子の背に侮蔑の言葉が投げつけられる。


 裕子が振り返ってみれば、そこには全身鈍色の金属人間が立っていた。服は着ていない。〇ーミネーターの様な外見のアンドロイド──……岩戸重工が擁する特殊部隊の総部隊長、土門兼次であった。


 岩戸重工は複数の特殊部隊を擁する。歳三が交戦した部隊もその一つだ。特殊部隊の一つ一つには隊長が配置され、彼ら隊長連中を指揮監督するのが土門総隊長である。岩戸のサイバネティック技術の粋がつぎ込まれており、脳を除く全ての臓器、筋肉、血管、皮膚などがダンジョン由来の強靭な新素材でつくられている。


 ちなみにこの様な組織は当然桜花征機も存在しており、桜花機動殲隊と呼ばれる桜花征機の特殊部隊もここには駐屯していた。


「土門総隊長、挑発はおやめください」


 協会の職員が土門を嗜めると「おお、すまんな!」と一応は謝罪した。職員に対して。


「では貴方は富士のダンジョンをそこまで脅威だと思っていないと?」


 裕子が問うと、土門は真顔……というか、そもそも表情筋が存在しないので分からないが、兎も角も真面目な雰囲気を出しながら言った。


「そんなわけがなかろう、ここは魔界よ。しかし、恐れを表に出す、それ自体が素人仕草だというのだ。富士樹海ダンジョンは意思を持っておる。悪の意思……悪意を持っておる。なぜ我々がこの場に駐屯しているかは聞いておるだろう、"森"めを見張るためだ。協会から派遣されている複数の甲級、大企業の精鋭部隊、国も陸自の特戦隊を出しておる。ああ、高野坊主もきていたか。ともかく、それだけの戦力を集中させておいてやっている事といえば、"それ以上広がるなよ" という威嚇に過ぎん。滑稽な事よ……だが威嚇といっても本身ほんみの威嚇ぞ。もしダンジョンがこれ以上領域拡大速度を早めるならば、我らとて死力を尽くして潰しにかかる。少なくとも今の時点でそれをやれば、我々を殺せたとしてもダンジョンも大きな損傷を受けるじゃろう。それをダンジョンも理解しておる。だから緩慢にしか動かん」


 だが、と土門は首を樹海に向けた。


「森は悪の意を持っておる。弱みを見せればそこを突いてくる。少しずつ現地戦力を削ってくるのよ。だから本心では恐怖していても、それを表に出してはならん。分かったかの、お嬢さん」


 裕子は頷く。


 そして改めて森を眺めて言った。


「本国にもこれ程のダンジョンとなるとエディンバラくらいしかないと思う」


 エディンバラ城は英国最北端スコットランドにある古城だが、エディンバラ・ダンジョンとはエディンバラの城下町とエディンバラ城を含む巨大なダンジョンを指す。


 イギリス最難関のダンジョンとして知られるが、幸いにも富士樹海ほど悪辣ではない。といっても多くの上級探索者の命を吞み込んできた魔域である事は間違いない。


「魔法的なアプローチというけれど、どんなダンジョンにせよそういったアプローチをするなら、核となる逸話なりが無ければどうしようもない。聞けば富士樹海ダンジョンは自殺の最大名所という話だけど、それだけじゃあ手の出しようがない」


 人はなぜ自ら死ぬのか。死ぬなら死ぬなりの理由があり、100人いれば100通りの理由がある。例えば経済苦で自殺するのだとしても、そこに至るには様々な経路がある筈だ。


 英国式の魔法的アプローチとは、ダンジョン形成に際する "根源"、"核" を正確に見極め、対消滅するような逸話なりを然るべき方法で上書きする事を意味する。簡単に言えば、非常に荒っぽい除霊の様なものだ。


 成功したとしてもそれでダンジョンが消滅する事はないが、その悪性や危険性が格段に低下するため、時としてダンジョン破壊より有効な手段となる場合もある。


「こう言ってしまうと語弊があるけれど」


 裕子はそう前置きして続けた。


「自殺を選んだ人たちは結局の所、弱者であり敗者。つまり負け犬。比べるに、私たちはどう? 望んだモノの大半を手に入れてきた強者であり勝者。樹海に意思があるならば、私たちを憎み、嫉妬しているかもしれない。そういう意味で魔法的アプローチは諦めた方が無難。余計に刺激するだけ……。このダンジョンに対して何らかのアプローチができる人がいるとすれば、それは生まれついての負け犬。負け犬の気持ちが理解できるのは負け犬だけ。でも最難関ダンジョンという過酷な環境でも生き延びられるだけの強者でなければならない。圧倒的な強者でありながら無様な負け犬である必要がある」


 そんな滅茶苦茶な裕子の言葉に、土門は両眼を赤く発光させて──……「いるわけなかろうがバカモン!」と怒鳴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る