特別な依頼⑦~交戦~

 ◆


『あれは、岩戸の!』


 友香がどこか嬉しそうに言う。


 歳三がゆっくりと振り返り、声の主を見るとそこには数名の男女が立っていた。


 珍しいな、と歳三は思う。通常、ダンジョンでは滅多に他の探索者とは出くわさない。歳三はふと権太が言っていたことを思い出した……


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 秋葉原のMタワーダンジョンの後始末での事だ。


 金城 権太はチャイニーズ・ヤクザがダンジョン内にバッドで粗悪なドラッグの生産拠点を築いていた事について、こう嘆いていた。


「佐古さんはもう知ってるとおもいますけど……ダンジョンとは厚さ数mmのガラス板を幾重にも重ねたものなんです一枚一枚のガラス板こそがダンジョン領域ですよ。しかしそれほど世界が重なっているというのに、正面から見ればただ1枚のガラスしか認識できない。でもね、何かしらの目的意識をもって探索に臨む事で、この重なったガラス板を横から見る事が出来るンです。それが何を意味するかといえば、幾重にも重なったガラス板の一枚を任意で選ぶことを意味するわけで、このへんのカラクリが分かってないと、国内の調査は中々難しいですよ」(日常25参照)


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 例えば今この瞬間に他の探索者が特に何の意図も持たずに町田工場ダンジョンへ入場してきたならば、その探索者がダンジョンの隅から隅まで探索をしようとも歳三達と出くわすことはないだろう。


 しかし佐古 歳三という個人を認識した上で、歳三と合流しようと入場したならばダンジョン領域内部で会う事が出来る。


 つまり、ダンジョンで偶然他者と遭遇するというのはまずあり得ない事なのだ。


「どこかで会ったかな」


 歳三は正面に立つ男に尋ねた。


 一振りの業物が人の形を取った様な男だった。


 眼光の鋭さには物理的な切断力があるようにすら思える。


 ただ、歳三の腐った人物眼ではその辺の機微は感じ取れないのだが……。


「いいや」と男は言い、そして腰に差す刀の柄に手を当てる。


 臨戦の気配。


 男の総身から戦気がぶわりと広がり、緊張の重苦しいヴェールで周囲が覆われる。


「チップを置いて去るか、るか、選べ」


「強盗かよ、参ったな……というか、チップが欲しければそこにも沢山あるぜ。俺は一枚だけで良いんだ」


『三枚です、佐古さん!』


「……三枚だけでいいんだ。ほら、そこの棚にまだまだ沢山ある」


 歳三の言葉を男──……屍 晃史郎は鼻で嗤った。


 何を白々しい事を、と思ったのだ。


 倉庫内は遮蔽物も多く、一体多数でやりあうには少数側にとって都合が良い。多数側にもメリットがない訳ではないが、その天秤はやや少数側に傾くだろう。


 それに、と晃史郎はそれとなく周囲を確認した。


 窓の類もなく、出入口は一か所のみ。


 奇襲するにせよ、その一か所の出口を潜らねば倉庫内部へと入る事はできない。


「つまり、交渉は決裂と言う事だな」


 晃史郎の言葉に歳三は目を剥いた。


 今のどこが交渉だというのだ、という思いがある。色々とモノを知らない歳三だが、「これは林檎ですよ」と言われてサクランボを差し出されれば「いや、それはおかしい」くらいの事は思うのだ。


『これはいわゆる攻勢交渉ですね! 脅迫とも言いますが。佐古さん、どうしますか? 命は大事ですが、ここで脅迫に屈してしまうと探索者としてこれまで積み重ねてきた信頼を失ってしまいます!』


 炊きつける様な友香の言葉だが、歳三は珍しく動じない。


「いや、命の方が大事だと思いますぜ。生きてさえいれば……っていうことは世の中には沢山あると俺は思う。だから逆に聞きたいンだけどよ、なあ格好いい兄さん、俺がもしハイ帰ります、と言わなければこれから戦いになるのかい? 俺は死にたくねぇし、あんたらも死にたくないと思うんだが……」


 歳三の視線が晃史郎を見た。他の者達には目もくれない。これは、"戦いになりそう" なのが晃史郎ただ一人であると看破したからだ。


「違うな」


 晃史郎がいう。


「これから戦いになるのではない。もう戦いになってるのだ」


 晃史郎からやや離れた位置に立っていた女、東条院がマグナムを抜き放ち、歳三目掛けて銃撃した。


 ◆


 銃撃は三度行われたがそれぞれの軌道は直線ではなく、弧を描いたり一度沈み込んで急上昇したりと捉えどころがない。


 PSI干渉によって軌道が変化しているのだ。厄介な銃撃だが、相手が悪い。



 歳三は掌をめぐらせて、銃弾を受け止める。


 どれ程不規則な動きをしていようと、着弾箇所は歳三の肉体のどこかなのだから円の動きならば受けるのは容易い。


 最も、探索者向けに造られたマグナムから放たれた銃弾を素手で受け止めるというのは中々できる事ではないが。少なくとも丙級やそこらでは手首から先が吹き飛ぶだろう。


 そして受け止めた銃弾を握り込み、サイドスローで正面の女へと投擲する。


「東条院ッ!!」


 ノノミヤの叫び声と同時に、東条院と呼ばれた女が目を見開き、僅かに身じろぎをした。


 回避か、防御か。


 そのいずれかの動作を取ろうとしたのだろうが、半瞬遅い。


 つぶてとなった銃弾は誤たず女の全身を貫き、東条院は血の泥濘の中へと横たわった。


 東条院とてダンジョンに潜りはじめて一ヶ月やそこらではない。


 撃った銃だってそんじょそこらの安物ではない。


 とはいえまあ、相手が悪すぎた。


 歳三が銃撃を回避せずに受け止めたのは、この流れが一番隙を生じないからだ。


 これでいて根がズボラ体質に出来ている歳三は、攻防が一体となった動きを好む。余り策を巡らせるタイプではないものの、ひたすら強行動を取り続ける面倒くさい男であった。


 私生活では隙だらけの歳三だが、戦場では油断のならない殺し屋と化すのだ。


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 ──なんで、こんなことに。乙級相当だとは聞いていた、でも俺たちは以前乙級の探索者だって狩ったことがあるじゃないか! 


 隊の者達は歳三の戦闘能力の一端を監視して確認してはいたものの、その一挙手一投足は乙級探索者相当という範疇からは出ていないものだった。


 甲級が事実上の名誉職というか滅多に表に出てこない事を考えると、乙級というのは協会所属の探索者の最高位だと言ってもいいのだ。


 襲撃メンバーの一員であるノノミヤは慄き、歳三の硝子玉の様な目を見つめる。


 その無機質な目に見覚えがあった。


 ノノミヤはふと幼少の時分を思い出す。


 ──そうだ、あれは俺がガキの頃、虫を採って。虫の目が、何だか怖くて


 そして、そこまで思い出した所で男の思考が途切れた。


 それ以上何かを思ったり、言葉を話す事ができなくなってしまった。


 ノノミヤが瞬きした瞬間に歳三が動き出し、唐竹割りに手刀を叩き込み、彼を真っ二つに割ってしまったからだ。


 歳三がつけているバイザーから、専属オペレーターの荒い息遣いが聴こえてくる。


「後は、三人」


 歳三が確認するように生存者の数を口に出す。


「ねえ、待って! 待って頂戴! 襲い掛かった事は」とが言い、『私たちが悪かった』という前に裏拳を頬に受け、その衝撃でそのまま首が捩じ切られて死んでしまった。


 死んだのはナイフ使いの蟻座魅ぎざみである。普段強気で荒っぽい彼女ではあるが、死の直前になってもそれまでの態度を保つことはできなかったらしい。


 バイザーから聴こえてくるひゅー、ひゅーという音は過呼吸のそれだろうか? 


 しかし歳三は律儀に報告した。


「残り、二人」


 歳三の言葉にサイボーグの我聞がもんがズイと前に出た。


 感じる威圧感は先の三人よりずっと上だ。


「てっこやてっぺーよりはヤりそうだ」


 歳三が言うと、我聞がもんは一瞬「それ誰?」と言う様な表情を浮かべた。だがすぐに表情を戻し、サイドスタンスへと構える。


 だが、晃史郎がそんな我聞がもんを手で制しながら言った。


「ノノミヤと蟻座魅ぎざみがみっともない所を見せたな。まさか戦おうともしないとは。東条院はよくやった。相手に一枚札を切らせた。廻し受け……空手使いか」


 晃史郎が柄に手をかけ、腰を沈める。


 ──居合い


 歳三は間合いをはかる様に、じりと一歩距離を詰めた。


 彼我の距離はやや離れている。


 どれほど長い刀だろうと、歳三を斬るには遠い。


 しかし歳三はその刃が自身へと届くだろうと感じていた。


 単なる勘だ。


 我聞がもんは流れる筈のない冷や汗が流れるのを覚えた。


 歳三と晃史郎──……両者の間の空間に殺気という異物が混じり込み、空気そのものから血臭が漂ってきている様に感じられる。


「こ、こりゃあ……」


 埒もない事を我聞がもんが呟く同時に、晃史郎の刀が抜き放たれた。


 刀には何と刀身がない。


 しかし晃史郎の極めて強力なPSI能力によって周囲一帯の塵や埃、そういった微細な粒子が収束し、刹那の内にナノ単位の薄さの長大なブレードが形成された。


 その切断力は普通の刀の比ではない。


 特にこの場はダンジョンなのだ。


 周囲を漂う微粒子もダンジョン素材と言う事になる。


 ──我流居合・斬乃一きりひと

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