巣鴨プリズン⑪

 ◆


「落ち着きましたかね……?」


 恐る恐る歳三が問うが、蒼島はそれに答えない。


 見れば蒼島は荒々しく息をして肩を上下させている。


 言葉が継げないほどに疲労困憊している様子だった。


 随分疲れているみたいだな──……と値踏みするような視線を蒼島に向け、次いで周囲を見渡すと、鉄格子の向こうにいる他の独房の人々がこちらを見ていた。


 ──ここから出るンだったら手は多いほうがいいかもしれねェけどよ……


 歳三は彼らの手を借りることができればと思うものの、どうにも気が乗らない。他の者たちも何かやらかしてここにいるわけで、それがどうにも気になってしまうのだ。


(あくまで歳三の主観では)自身も凶悪な犯罪者であるというのに、それを棚に上げている形になってしまっているが、歳三自身にも凶悪犯罪の類を忌避する感情があった。


 例えば先ほどの男である。


 先ほどの男は家庭用電源でダンジョン用の武装を充電し、ショートからの失火で一般人が死傷している。これは重過失失火罪にあたるが、歳三の価値観からしてみればそんなものは放火殺人と同義である。


 ましてや子供も死んでいるとあっては、これはちょっとフレンドリーに接することは難しい……歳三はそう考えていた。


 それでいながら、正当防衛の場合には殺害を容認するという自分の価値観の歪みに気付いていない。


 歳三が蒼島を見守っていると、やがて蒼島は落ち着きを取り戻した。


 その表情は重い。


 だが、瞳には重厚な憂いのヴェールがかかっているものの、歳三へ向ける表情からは狂乱の気配は感じられなかった。


「もう大丈夫です」


 蒼島は静かに言ったが、その言葉が本当かどうかは疑わしい……そんな感じを覚えながらも、歳三はウンウンと頷いた。


 蒼島はさらに続ける。


「僕は乗り越えました。いや、乗り越えたというより、受け入れたと言った方がいいかもしれません。僕は僕という人間を、やっと直視することができたと思います」


 ──何の話だよ……


 歳三は内心困惑しながらも、とにかく頷いて同意を示す。


「ああ、アンタは大丈夫、俺もそう、思う。うん」


 歳三はあんぽんたんだが白痴ではない。相手の話が理解できなくても、適当に共感することで人間関係がスムーズに行くという、どこか正しくて間違っているような処世術をいつの間にか身につけていた。


 この辺は、ここ最近の知人たちとの交流を通じて得たスキルである。


 蒼島は歳三の言葉に弱々し気な笑みで応える。


 ──分かっている。この人は僕のことなんて全く信用していない。なぜなら僕が弱いからだ


 蒼島は深い羞恥の念にとらわれていた。


 同じ乙級でありながら、なぜこうも違うのか。


 触れれば意気が挫け、体からは力がこそぎ取られる……そんな鉄格子を、歳三は力尽くで破壊してしまったのだ。


 ──それもあんな短時間に! 


 実際、収監時、蒼島は脱獄しようと鉄格子を両の手で掴んだが、筋骨優れた一般人男性ですら、赤子なみの膂力を出す事すら困難なほどに力を奪われてしまっている。


 良くも悪くも完璧主義者である蒼島は、歳三に人としての根源的な強さを見た(と、信じ込んでいた)。


 ◆


「とりあえず僕たちの装備を回収しましょう。このままでは……いえ、佐古さんはそのままでも大丈夫かもしれませんが、端末がない事には動きづらい」


「ああ、それがいいと思う、思います」


 蒼島の提案に、歳三も同意する。


 ボディアーマーだの剥ぎ取り用のナイフだの、治療キットだのはともかくとして、Sterm端末がない事には脱出もままならない。


 歳三の言葉がどこかぎこちないのは、どういう風に話していいか分からないためである。


 ほぼほぼ他人なのだから敬語で良いとは思うのだが、歳三が使える敬語は雑というか何というか、チンピラめいている下品なものだった。


 それがちょっとな、と歳三は思う。


 蒼島の顔立ちはお上品というか端正というか、男装の麗人めいており、そんな下品口調で話しかけるにはややはばかられるのだ。


 この状況でそんな事を気にしている場合ではないのに、歳三は気にしてしまう。余りにもしょうもない男であった。


 ・

 ・

 ・


 二人はまず監獄エリアを抜け出し、装備を回収することにした。


 背後ではうめき声や呻き声が絶えず聞こえていたが、歳三は哀れな囚人たちの言葉なんて聞こえもしない様だった。


 これは故意に無視しているのではなく、ナチュラルにと思っているからである。


 佐古 歳三という男には、他人が死のうが生きようがどうでもいいと思っているろくでなしめいた気質がある。


 ただ、自分が良ければいいというのとは少し違っている。


 という範疇に、親しい友人・知人が含まれており、そういった極少数には甘い態度を見せたりもする。


 それに対して蒼島は、余力が助けられる者がいれば助けたいとは思っていたが、(一見冷淡にも見える)歳三の態度にヤワな考えを捨てた。そもそも余力なんていうモノも無い。


 蒼島は脳裏にマップを描きながら、歳三を見て言う。

 

「この監獄エリアは、監獄棟の一部です。ここに僕たちの装備があるとは考えづらい。初めに連れて行かれたあの場所を覚えていますか? 四方が板で覆われた狭い空間です」


 蒼島は歳三が軽くうなずくのを見て語を継いだ。


「おそらく、そこで僕たちの装備は剥ぎ取られたのでしょう。だから装備もそこにある可能性が高いです。まずはそこに行ってみませんか? 全体のマップは頭に入っているので、現在地が特定できればもっと楽に移動できるとおもうんですが……」


 蒼島がそんな事を言う。


 歳三には端末がないため、このダンジョンの地理云々については何も分からない。


「頭に入っているっていうのは……」


 歳三が言うと、蒼島は何てことない風情で応える。


「関東一円の乙級指定ダンジョンなら、その内部の構造はほとんど頭に入っています。もちろん丙級や、有用な素材がとれる一部の丁級以下のダンジョンも。あくまで協会が公表している限りのマップデータに限りますけどね。仲間からはそこまで覚える必要はないと言われますが、何が起こるかわかりません。端末が失われたり壊れたりすることもあり得ますから。そのときに迷って脱出できなかったら、そんなの馬鹿みたいじゃないですか」


 ダンジョン素材をふんだんに使っているSterm端末はその耐久力は元より、自己修復機能も備わっているため壊れる事は滅多にないが、それでも絶対という事はない。


 耐用試験では50口径対物狙撃銃からの狙撃を数十発受けても性能に翳りは見られなかったが、強力なモンスターに破壊されるという事はありえる。


「じゃあ、行きましょう。まずは外に出たいですね。現在地を確認したいんです」


 蒼島がそう言うと歳三はうなずき、無意識のうちに一歩下がった。


 これは、蒼島に先導してもらおうという歳三の甘ったれた気持ちが無自覚に行動に出てしまったのだ。しかし、この状況で「じゃあ、先に行ってもらえますか?」とも言いづらい。


 ここへ来て見栄坊のケが出てしまっていた。


 幸いにも蒼島はそんな歳三の保身の念には気づかず、先を行ってくれる。


 歳三は心の中で、「もしモンスターが出てきたら、ちょっとは頑張るか」となどと思いながら、蒼島の背中を追った。

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