しょうもな比呂ちゃん②

 ◆


 この時の歳三の心地はと言えば、ただ一匹のしらみの様にちっぽけで、頼りなく。


 地を這う虫けらマインドを地で行っていた。


 ──あゝおれだったなら


 歳三は自身が情けなかった。


 何をどうしたらいいのか分からないのだ。


 飯島 比呂が何を考えているのかは分からなくても、そこに決して悪意がない事が歳三には分かる。


 全く自慢になる話でもないが、歳三という男は幼少の頃から他人の顔色を窺う事に慣れているからだ。


 悪意邪念を感知したならば、歳三の戦闘本能はすかさずONとなり、例え相手が裸体の美女だろうとバラバラのひき肉にせしめてしまう所だが、比呂にはがない。


 まともな経験さえあれば、と歳三は悔やみに悔やむ。


 色も恋も経験のない歳三は、どこまでも、どこまでも無力であった──


 ・


 ・


 これまでどんな猛者でも強力なモンスターでも、歳三の制空圏バトル・エリアに入って無傷で出て行った者はいない。


 男と女の駆け引きが一種の戦いであるならば、比呂が前人未踏の第一歩を踏み出しそうだった。


「卑怯な事をしていると分かっています」


 比呂は静かに言いながら上半身を寄せていく。


「歳三さんが、こういうのに弱いと何となく気付いていて、敢えてやっています」


 距離が縮まった。


「本当は順序を踏んでから、と思いました」


 比呂の声は抑制を欠いて上ずっていた。


「歳三さんが悪いんです。いきなりいなくなったりするから。歳三さんがいけないんです。こうして迫る、僕を跳ね除けたりしないから」


 比呂はそう言って、歳三の手首を掴んだ。


 歳三ときたらされるがままだ。


 それをいい事に、比呂は歳三の手をゆっくりと自身の胸へと持っていく。


 手をひかねばと思う歳三はしかし、己の意思が全く腕に通らない事に気付いて愕然とした。


 腕を引けないのか、引く気がないのか、それさえも不明瞭だ。


 女体の甘くやわい肌を夢見て、己が摩羅を擦り続けていた日々が脳裏を過ぎる。


 そうして、歳三の掌はついにに触れた。


 触れてしまった。


 山に! 


 ・

 ・


 瞬間、歳三はを幻視していた。


 随分とまあ大きく白く、綺麗な山だなと歳三は暫し見惚れる。


 ──白雪なんて纏ってとんだ別嬪さんだな


 山は火に炙られ、緩んだ蝋の様にやわそうだ。


 手を伸ばして掌中に収めてみるかいと歳三は彼方の山をむんずと掴んだ。


 すると。


 ・

 ・


「あッ……んんッ……!」


 そんな悩ましい声で歳三は正気を取り戻す。


 ふと見れば、目の前には火に炙られた様に顔を朱に染める比呂と、その胸を大胆に揉みしだく自身の掌があった。


 この瞬間、歳三は全てが終わったのだと悟った。


 これまで頑張って積み重ねてきた信用も灰塵に帰したと理解した。


 ──俺は、また


 かくなる上は死を以て償うしかないと、歳三はきりりと表情を引き締め、比呂を見た。


 最期に詫びてから自身の素首そっくびを手刀で叩き落とすつもりだった。


 しかし。


「歳三さん……僕は、もう」


 目が曇りに曇っている比呂は、思いがけずも男らしいウルフな表情を浮かべた歳三のツラに惚れ直し、衝動的に自身の唇を重ねたのであった。


 佐古 歳三、47歳──初めての接吻である。

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