廃病院エンカウンターズ①

 ◆


「な、なんで!?」


 まほろは声をあげた。後ろを振り向く。

 仲間達も絶句していた。


 確かに屋上に繋がる階段の筈だ。

 なのに、目の前には白塗りの壁がそびえていた。

 本来屋上への扉がある筈なのに、そこには壁があるのだ。


 まほろは壁に手を触れ、その冷たい感触によってそれが幻影の類ではない事を理解する。


「なんで! なんでよ!」


 まほろは拳を固め、壁を殴りつけた。

 戌級とはいえ探索者の拳だ。即興で作られた脆い壁ならばぶち抜く事は容易い筈。


 しかし、傷ついたのは壁ではなくまほろの拳であった。

 まほろは腰に差した銃を取り出す。


 それを仲間の一人が慌ててとめた。


「や、やめろ! こんな狭い所で撃ったら跳弾でっ……!」


 まほろはぐっと呻き、項垂れる。


 もはや精神も肉体も限界に近づいていた。

 まほろをリーダーとした配信者集団、"オカルト・シャッターズ"がこの廃病院から出られなくなってもう3日になる。


 まほろは虚ろな目で窓の外から外を見た。

 真っ暗だ。夜であった。

 しかし、果たして本当に夜なのか。

 窓の外には夜より更に昏い闇が広がっていた。


 ──まるで、ダンジョンみたい


 だがダンジョンではありえない、筈だ。


 ──だって、協会のデータベースにはっ……。ダンジョンじゃないなら大した事ないって……だって、だって、私は探索者だから……探索者はお化けなんて簡単にっ……


 まほろは唇を噛み締める。


『幽霊、怨霊、死霊……霊の類は人が抗えない超自然的な存在じゃないわ。所詮は不定形のモンスターに過ぎないの。普段からダンジョンっていう異界に身を置いている探索者っていうのはね、そんな不定形のモンスターだってぶった切れるし、ぶっとばせるのよ。大事なのは気合負けしない事ね、つまりびびるなって事よ』


 まほろは師の言葉を思い出し、表情を歪めた。


 仲間の一人、恋たんが腕時計を見る。

 デジタルの文字盤は午前8時を示していた。


 まほろも戌級ダンジョンの探索を繰り返す中で、命のやり取りを何度もしてきた。ゆえに生と死の匂いには敏感だ。


 その磨き抜かれた嗅覚は、自分達の身体から立ち昇る濃厚な死の匂いを嗅ぎ取っていた。まほろ自慢の幻影を見破る看破のPSI能力……感覚知覚の拡張・分析能力も意味を為さない。


 ──私たち、死ぬんだ


 まほろの脳裏に一人の黒髪の美女が想起される。

 彼女が師と仰ぐ者だ。


 ──ごめんなさい


 ・

 ・

 ・


 その時、轟音が鳴り響いた。

 どぉん、どぉん、と何度も何度も雷が地に叩きつけられるような凄まじい音だった。


 まほろ達は慌てて階段を駆けおり、状況を確認する。


 まほろが全身と全霊を籠めて破壊しようとしても壊れなかった壁が、窓が、床が。


 青白い何かに貫かれ、爆散していた。



「み、耳がっ!」


 仲間達が耳を押さえる。

 声がするのだ。


 言語としての意味をなさない呻き声。

 誰かが、何者かが苦悶の呻きをあげている。


 苦しんでいるのだ。

 悲しんでいるのだ。

 断末魔の悲鳴をあげているのだ。


 何重何百という幽玄の絶叫が折り重なり、しかし同時に聞いた事のある声が、今一番聞きたかった声が聞こえてくる。


 ──最初っからこうすりゃあ良かったかもな。それにしても散々迷っちまったな。新鮮な気分だぜ。Stermありきの探索ばっかりしてきたから、迷うって事を久しくしてないもんなぁ


 ──城戸、てめぇマゾ野郎か? しっかし、ダンジョンっぽいがダンジョンじゃねえんだよなあ。モンスターっぽい野郎はいたがよ、走りよってくるだけだ。一応衣服は切り取っておいたが、どう見ても襤褸切れだぜ。金になるどころか、金を払って引き取ってもらう類のもんだ


 ──あんたら派手にやるわねえ。弾薬費だけでどれだけするやら。それにしてもあの子が無事でいるといいけれど。馬鹿だけど素直でいい子なのよ


 ◆


 時は遡る。


 戌級探索者、日野まほろには生来不思議な能力があった。それはなんとなくおぼろげに相手の感情が推し量れたり、街中でも不思議なモノが視えたりする便利な能力であった。まほろはその能力に "真実の眼" と名付けた。


 まほろの能力は彼女を人気者へと押し上げる事になる。

 理由は言うまでもないだろう。


 相手の感情……意思が何となく分かるという事は人間関係構築の上で非常に大きいアドバンテージとなる。それに、普段見えないモノ……要するに心霊系が知覚出来るという高いエンタメ性は、人気者キャラとなるだけの条件を満たしていた。


 前時代でこそ幽霊などというものは創作上の存在でしかなかったが、このダンジョン時代では幽霊はリアルに存在しており、その事実は既に一般に知れ渡っている。


 世界には妖精だっているし妖怪だっているし、幽霊だっているし魔女だっているのだ。例えばEU圏では、空を見上げれば金に困った魔女が食品配達の日雇いバイトなどをしている姿が目に入るだろう。


 だからまほろが幽霊が見えると言ったならば、実際に見る能力を持っていると考える方が現実的であった。


 そして小中高、彼女は人気者でありつづけた。しかしその称賛の美酒にまほろは溺れたりはしなかった。自分が何かをすると周りが喜んでくれる、笑顔になってくれる、それが何よりうれしかったのだ。


 時には嘘もついた。祖母を亡くして悲しむ同級生に、おばあさんが守護霊になってあなたを護っているよ、などという優しい嘘だ。実際にはいかめしい面構えの鎧武者だったりしたのだが。


 そんなお人よしのまほろだが、ある日、高校の同級生から一つの提案を受ける。オカルト・シャッターズという配信グループを結成し、そのリーダーになってくれないかという提案だ。その同級生は、まほろの能力は心霊系の配信でウケがいいと考えたのである。


 その見立ては的中し、オカルト・シャッターズの配信は見事にウケた。いわくつきの心霊スポットでまほろがそれっぽい事をいうだけなのだが、その前時代的なオールド・スタイルさがウケたのだ。この時代、心霊スポットという場所は危険を伴う事もあるのだが、まほろは本当にまずい、面白半分で行ったらヤバい場所をというのを意図的に避けていた。


 だが何も起こらないというのは、それはそれで問題だった。

 それっぽい事を言っているだけで人気を維持できるほど心霊系配信は甘くない。


 不気味な廃屋、棚から勝手に落ちる人形……そんなべたな絵が視聴者からは求められていた。余りにもアレな絵面は逆に引かれてしまうし、なによりまほろには霊を直接どうこうする能力が無かったのだ。ゆえにまほろは軽い騒霊現象を見込めるような場所の選定をしなければならなかった。まほろの眼、能力はそれを可能とする。


 仲間達が、視聴者が喜んでくれるというのはまほろにとって何よりの喜びで、そんな尽くし系の彼女の性格が動画を上質なものへと仕立て上げていった。


 とはいえ限界もある。日本全国、行けば死ぬような場所を探すのとちょっとした騒霊現象が起きるだけで済むような場所を探すのとでは圧倒的に前者の方が簡単だ。いい加減ネタも尽きてきた頃、まほろはミューチューブのアカウントに一通のDMを受けた。


 端的に言えばスカウトだ。

 ダンジョン探索者協会からの。


 ◆


「ええ、配信の方は観させていただきました。それで日野様は希少なPSI能力を有していると確信したわけでして、ただ、このPSI能力というのは厄介なものでして、適切な鍛錬を積まねばいずれ消えてしまうという事例が非常に多く……」


「そうですね、義務……つまり、ノルマはありません。勿論、しっかり功績を積む事でより大きい評価を得られます。協会からの評価は社会的な評価と等しいとお考え下さい。例えばローンを組む際にも……」


「ふむふむ、つまり日野様は配信仲間と一緒に……ほう、そうですか。心霊現象を? しかしそれは危険ですよ。幽玄の世界というのでしょうか、あの界隈は人智では測りきれない部分が多いですから。与しやすしと見た現場が、実は非常に危険な場所であったなんてことは枚挙に暇がありません。ただ、そういう万が一のケースに備えて、探索者として成長をして頂く事で、あるいは命を永らえるという事もあるでしょうね。探索者という生物は霊に対して一般人を遥かに超える耐性、強度を持ちますから」


「ええ、勿論! 指導はしっかりさせていただきますよ。こちらからスカウトさせていただいたわけですから。昨今、協会では後進の成長を促進するために……」


「そうそう、契約金も出しましょう。ざっと……これくらいではどうです? 最近の配信機材というのも中々の値がしますよね。移動費を初め、ロケ代など中々お金もかかるのではないですか? ちなみに戌級探索者であってもしっかりお仕事をしてくださってる方の月収はざっとこれほどに……」


「ええ、そうおっしゃっていただけると思っておりました。大切な仲間も守れる、配信に必要な費用も稼げるのですからね。当然でしょうとも。はい、はい、では一度最寄りの支部へいらっしゃっていただいて……」


 ・

 ・

 ・


 そんなこんなでまほろは探索者となり、四段丈一郎という探索者が "先導者" に選ばれたのだった。





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1も2も中盤までは面白くて後半はハァそうですか…って感じでした

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