日常36(歳三、飯島比呂、ティアラ、ハマオ)

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 新宿の雑踏をかき分け、歳三は三人の元へと向かった。

 比呂らを見た歳三はふと自分の服装を見下ろす。


 ──少し浮いているか?


 飯島比呂はカジュアルな服装だが、本人の風格めいたものが彼に落ち着いた印象を与えていた。薄いブルーの半袖シャツに、淡いグレーのチノパン。足元は白いスニーカーだ。ヒマムラで揃えられそうなラインナップだが、どれも桁が二つは違う。


 ハマオはワイルドな出で立ちだった。色黒で長身、髪の毛は編み込まれている。服装は黒のタンクトップに、モスグリーンのショートパンツ。足元は黒と黄色の色合いが印象的なサンダルだった。


 ティアラはなんというかヤンキーな姉ちゃんのような服装であた。黒のタンクトップの上にカーキーのミリタリーを羽織り、下は黒のハイウェストのワイドパンツだ。足元はシルバーのフラットサンダルで、目元にはサングラス。


 そして歳三は灰色のしょぼくれた背広であった。

 よくよく考えれば年齢もまるっきり離れており、歳三はにわかに自分がこの場に居てもいいのかどうか疑問を抱いた。

 これでいて根がニブニブ体質に出来ている歳三でさえ、この場…というより、この三人と比べるとひどく浮いている事がよく分かる。


 そわ、と手が浮く。無意識のうちにタバコを吸おうと身体が勝手に動いてしまったのだ。歳三のメンタルは合流したその瞬間に大きなダメージを負ってしまった。


 だがもはや三人からは認知されてしまった以上、この場で引き返すわけにもいかない。歳三は "なぜ俺は、こんな馬鹿な真似を" などと本心からは思っていない泣き言を思い浮かべ、歩を進めていく。


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「佐古さん!スーツも着るんですね!お似合いだと思いますよっ」


 比呂が笑顔を浮かべながら言う。

 安スーツに似合うもクソもあるかと思いながら、歳三はぎこちなく笑い、どうも、だとか、ウン、だとか返事にもならない返事を返す。


 この何のことはないやりとりで、歳三のしょうもな脳は一瞬でその回転数をブチ上げた。


 比呂は歳三の個人的なファンであるために本心から言っているのだが、歳三にとってはおべんちゃらにしか聞こえない。


 しかし僅かな付き合いとはいえ比呂の人間性が善良である事も知っている。そういう人間が果たして口から出まかせをホイホイ吐き散らすだろうか?いいや、きっとそんな事はないだろう。であるからには、このクソしょうもない背広姿というのも案外自分には似合っているのかもしれない…備わってきたか…?風格ってやつが…などと歳三の思考はあがったりさがったりしている。


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「フクザツな人間関係ってやつ?」


 ティアラが半笑いを浮かべながら歳三と比呂を見て言った。

 ハマオは肩を竦め、明言を避ける。


 ティアラとハマオから見て、佐古歳三という男はどうにも奇妙な男であった。


 まず、強者特有の威圧感がない。佐古歳三という男はまるで陰気な沼の様に見える。強者というのはもっとド派手な気配を持つ者が多い。活火山だとか雄大な大森林だとか。陰気な沼は強者らしくない。


 しかしその沼をよくよくよくよくのぞき込んでみれば、何かこう、背筋に氷柱を滑り込ませられたかのような寒気を覚えるのである。長い棒を取り出し、沼の深さをはかろうと沼に差し入れれば、その棒が何者かによって引っ張られて危うく引きずり込まれそうになる…


 ──私は同じ様なイメージを抱いた奴を一人知っている


 たしかそいつも探索者だったな、とティアラは思い、歳三たちに話しかけた。


「私服…っていうのかしら?もっとカジュアルな服装でよかったのに。でも似合ってると思うわよ。そうしてるとまるでよく仕事が出来るビジネスマンに見えるわね」


 全くそんな風には見えちゃいなかったが、とりあえずぶっこいておく事は悪い事ではない。ティアラはそう思い、ごく自然な笑みを浮かべた。彼女としても歳三がいなければあるいは秋葉原ダンジョンで全裸男女の仲間入りをしていたかもしれず、その点を考えると歳三には感謝していた。これはハマオも同様である。


 だがそれはそれとして、探索者協会の上級探索者と思しき強者とのツテを作るのも悪くないとティアラは考えていた。


 ──それに、この飯島比呂っていう若い子もイイわね。サシでやれば7-3で私が有利だけど、5年後にはそのままひっくり返っているでしょう。業腹だけれど、才能の差ね


 だがそれはそれで構わない、とティアラは思っている。実力者とのコネ、ツテはあればある程良い。特にこういう時代では…。


 ■


 一行は雑談もそこそこに、305号を新宿3丁目駅に向かって歩いて行った。


「へぇ~!それじゃあ佐古さんでも甲級は難しいンすね」


「公務員試験が大変なんだ…俺は勉強が苦手だから」


「そうなンすか?俺もっすけどね、7の段とか難しくないッスか?」


「ああ~…難しいねぇ、たまに間違えちゃう」


 歳三とハマオが恐ろしく低レベルな話をしながら並んで歩いている。見た目は真逆だし、年齢も二回りは違う上に性格も反対のこの二人だが、案外に気が合うようであった。


 ハマオは横浜の元チンピラであり、世紀末的思想…つまり、力こそが正義めいた考えを持っている。青少年時代は暴走族にも所属していた悪たれであった。ちなみに暴走族はこのダンジョン時代にも存在しているが、全国的には大分規模が縮小している事は否めない。ともかくも、そんなハマオであるから歳三が秋葉原のダンジョンで見せた力には感服しており、極々自然に下っ端めいた感じになってしまう。


 そんな二人の後方を比呂とティアラは雑談しながら並んで歩いている。美形二人が並ぶとこれはまた随分と絵になり、すれ違う人々はしばしば振り返って見たりしていた。


「じゃあ全部独学で?」


「そうそう、ネットとかで調べたりさ~。あとはハマオの奴が格闘オタクだから教えて貰ったり。まあすぐ私の方が強くなっちゃったけど」


「DETVはレベル制なんでしたっけ」


「それね、まあそうね。でも余りアテにならないよ?利益率高い行動していけばレベルがあがるんだからさ。でも全く無意味ってわけでもないかな。やっぱりそれだけダンジョンで探索経験を積んだって事にもなるし。でもなー、やっぱり量じゃなく質だからね。ダンジョンを使ってのトレーニングで大事なのは。ベットした命の回数だけ強くなるってなもんよ。ま!私は使い分けてたけどね。やっぱりお金も欲しいし。動画撮影の時はかなりマージンとってるけど、ガチで潜る時はいつも死にかけてたなぁ」


 比呂とティアラも案外に相性は良かった。しかし当初、比呂はティアラを見た時、どういうわけか胸がざわついてしまった。ティアラは傍目から見ても美女だし、あるいは歳三と抜き差しならぬ関係なのではないかと邪推したからだ。


 だが少し話して、ティアラは歳三の事を全く男性として見ていない事に気付いた。ざわつきの原因が無くなったとあれば、比呂とティアラ、聡明な者同士で話が合うというのはごく自然な成り行きであった。


 ──なんで僕はあんな風に気になってしまったんだろう…


 比呂は男である自分が歳三の男女関係を気にするというのは、これは奇妙に感じられたものの、命の恩人の私的な事を知りたがってしまうという気持ちは理解できないものではない、と半ば強引に自分を納得させていた。


 この時比呂はまだ自分の身に起こりつつある何かに気付いてはいない。


 それは良い事とも悪い事とも言い難い極めてセンシティブな現象であったが。まず大きな核が徐々に変貌をとげていっている。それに伴い、些末な部分…例えば一人称が俺から僕へと変わったりといった小さい変化に果たして比呂は気付く事があるのだろうか。


「あ、そこの九字蕎麦の向かいっす。道路挟んだトコ」


 新宿の人々が行き交う中、歳三がハマオが指さす方向を見ると、そこには一際目立つ建物が立っていた。それが "ネスト"、探索者向けのビュッフェレストランだった。


 ネストはその名の通り巣を意味し、外観もそのコンセプトを反映していた。建物はかなり大きめで、曲線を多用したデザインが特徴的だった。外壁は淡いブラウンとベージュの色合いで、巣をイメージさせるような模様が施されていた。窓は大小さまざまな形状で配置され、それぞれが巣穴のように見えた。


 かつてはシネマ新宿という映画館だった場所で、ダンジョン化現象が起こり台無しになってしまった歴史を持つ。そのため建物の一部には、かつての映画館の名残を感じさせる装飾や構造が残されていた。エントランスには大きな看板が掲げられ、その下にはガラス張りのドアが並んでいた。看板には、探索者たちに人気のメニューや特別企画が紹介されている。


 なお、ランチタイムの平均予算は3万円~、ディナータイムは8万円~と探索者ならば手頃と言える価格設定となっている。ちなみに一般人も入店は可能だ。


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