日常1(金城権太他)

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 頼みの綱の佐古歳三が無言で背を向けた瞬間、四宮由衣の精神は、失意と絶望の泥濘に斃れ伏した。


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 妹である四宮真衣が仲間達と共に未踏破区域の探索をすると聞いたとき、彼女は強く反対した。


 理由は危険だからだ。

 データに乏しいダンジョンに挑む事と、通過する特急電車に飛び込む事とでは探索者にとってどちらが危険かという問いがあった場合、その探索者の身体強度にもよるが、前者が危険である事が多い。


 だが四宮真衣は姉の忠告を受け止めながらも、それに従う事は無かった。それは、自身が天才であり姉が凡才であるからではなく、探索者という仕事をしていながら危険を避けるようでは、今後の目がないと判断したからだ。


 これは正しい。

 雑司ヶ谷ダンジョンは丙級ダンジョン。

 そして四宮真衣も丙級探索者。

 同じ等級のダンジョンを恐れるようでは話にならないだろう。

 いつか誰かが先に探索してくれるのを待つというのも生存戦略の一つではある。


 だが、優れた探索者は "いつか" ではなく "今"。

 そして、"誰かが" ではなく "自分が" 挑むものだ。


 この辺りの気概は所詮精神論に過ぎないのだが、探索者という人種には精神論が非常に大きな影響を与える。

 人間誰でもこうあるべきという理想の自分像があるものだが、探索者はダンジョンを多く探索してるうちにその理想の自分像へと近づいていくのだ。


 例えば情報収集こそが探索で最も重要だと考えている探索者がいたとして、彼ないし彼女が何十回何百回と探索を繰り返していくと、五感の機能が拡張され、勘が研ぎ澄まされていく。


 受け、攻め、撤退…それら全てに大きな影響を与える素早さというものが重要だと考える探索者がいれば、その者の一挙手一投足は次第に素早くなっていくだろう。


 だが問題もある。

 自身に対してネガティブなイメージを強く持てば、それらが顕在化してしまうのだ。自分はどんくさいと思っている探索者がいたとしたら、どんどんどんくさくなっていく。


 これらの情報は既に公開されており、故に探索者という仕事はその危険性にも関わらず人気がある。なりたい自分に近づける上に、更に金銭的な稼ぎも大きいのだから。


 故に四宮真衣はひくわけには行かなかった。

 逃げれば逃げるほど伸びしろが無くなっていくからだ。


 妹を思う姉の心情と、姉の想いを知りながらも探索者としての在り方を考える妹の心情、これらはどちらが正しくて、どちらが悪いという話ではない。


 四宮由衣と四宮真衣には目標がある。

 同じくダンジョン探索者である両親が失踪したダンジョン、富士樹海ダンジョンに挑む事だ。

 ダンジョンにも探索者と同じく等級がふられているが、富士樹海ダンジョンは甲級ダンジョンに該当する。


 両親は何故失踪したのか?

 ダンジョン内では時空が歪むケースもままあるというが、あるいはまだ生きているのか?

 四宮姉妹はそれを知る為に探索者となった。


 四宮由衣はただ一人の肉親を喪いたくなくて四宮真衣を止め、そして四宮真衣は探索者の極点である甲級となり、富士樹海ダンジョンに挑む為に姉の制止を振り切った。


 まあ結果として失踪してしまったわけだが。


 ■


 佐古歳三が四宮由衣の個人依頼をきかずに背を向けて去った時、彼女の精神は死に瀕したがしかし即座に立ち直った。

 非常にか細いが、頼みを聞いてくれる存在が一人だけいた事に思い至ったからだ。


 それは自分自身。

 四宮由衣は一つの覚悟を決める。


 それは探索者資格と自分の命を賭けて、単身雑司ヶ谷ダンジョンに挑む事である。


 四宮由衣の探索者としての等級は丁級。下から二番目だ。

 等級が正しく評価されているという前提で考えると、一つ上の等級のダンジョンに挑むというのは積極的な自殺を意味する。

 だが人間というものは、追い詰められれば『出来るかできないか』ではなく、『やるかやらないか』という方向へ思考が流れるものだ。


 四宮由衣はやると決めた。

 そんな鬼気迫る様子で覚悟を決めた彼女を、金城権太は屠殺済みの家畜を見る冷たい無関心な目で見つめていた。


 権太は四宮由衣に無関心であった。

 命を捨てる前に、他に売れるものがいくらでもあるだろう、と思ったからだ。特に女の探索者ならば。


 実力はあってもオツムがやや弱い探索者などごまんといる。

 見てくれは整ってるのだから、股でもなんでも開いて挑ませればいいではないか、それに先ほどの頼み方も全くなってはいなかった。見せ金もなにもせずに個人依頼? 脳が間抜けか?

 あんなもの、黙殺されて当然である…権太は内心で唾棄し、だが一応は仕事だから無茶をやらかしそうなら一度は制止する、と決めた。


 だが、ふと何かに気付いたかというような表情を浮かべる。


 ハゲ饅頭についた細い目が二つ、ぱちくりと瞬かれる。

 次の瞬間には彼の目から冷たい無関心さは消え、滑稽なものを見る目へと変じた。


 そういえば、と権太は思う。


 ──佐古さんは、別に断ってはいませんでしたね


 巨大なソーセージの様な腕を組み、権太はやや悩んだ。

 歳三の思考と行動に察しが及んだからだ。


 丙級未踏査ダンジョン

 歳三のこれまでの実績

 歳三の探索してきたダンジョンと、その踏破時間

 そこから予想される歳三の探索者としての業前


 それが権太の脳内でつくり上げられた大きい鍋にぶちこまれ、かき回される。

 そして出てきた解答。


「佐古さん、駄目でしたねぇ。そうだ、一人心当たりがいますよ。乙級の探索者さんなんですけどね。何というか、困難を乗り越える事に快感を覚えるタチでして。その人に依頼打診をしてみましょう。四宮さんも何やら不穏な気配を出していますけれど、今考えている事はやれることを皆やって、それが駄目だったら実行すればいいんじゃないですかねぇ。なぁに、打診はすぐ終わります。返事は…まあ、そうですねぇ…夕方くらいには来るでしょう。よくよく考えてみる事です。四宮さんが考えている事と私が提案している事、成功の可能性はどちらが大きいか」


 そんな権太の言葉に、四宮由衣はややぼんやりした様子で頷いた。


「そうですか、では17時前にこちらまで来ていただけますか?」


 権太がいうと、四宮由衣はまたやはりぼんやりした様子で頷き、ふらふらとおぼつかない足取りで去っていった。


 権太としては放っておいても良かったのだが、仮に "そう" だとして、それを予測しておきながら何もしないというのは、あるいは歳三と自分の友情を裏切る事になるのではないか?と考えたのだ。


 ──まあ友情なんてものでなくとも、数少ない飲み友達なのは事実ですから


 それから権太は再び出口へ目を向け、あの甘えた女はそのうち死ぬだろうな、だがそれは今じゃない…などと思いながら書類仕事を続けた。


 権太は嘘はいわなかったが、言ってはいない事がいくつかあった。


 彼に乙級探索者とのツテがあるのは本当だ。

 その探索者が困難を乗り越える事を喜びとする、というのも本当

 だ。そして、夕方までには連絡がつくというのも本当だし、依頼を出してみるというのも本当だ。


 ただし、その探索者は討伐依頼しか受けない。

 難関ダンジョンの、難関な魔物に挑む事にしか興味がないのだ。

 救出依頼を受けた試しなどこれまで一度もない。

 これは敢えて言わなかった事である。


 要するに、恐らくは待っていれば三人は生還してくるのだから、それまで四宮由衣の足止めが出来ればよいのだ。

 権太としては四宮由衣が暴走の結果死んでもどうという事はないが、歳三に悪いではないか。

 折角助けにいったのに、すれ違いで姉のほうが死んでましたなどと聞いていい気分がする筈はない。


 金城権太は四宮由衣のためではなく、あくまで最近一緒に飲んだりしている歳三の為にちょっとした労を払った。


「ああ、そうだ、久我君にも伝えておかなきゃあいけないですね」


 権太のむちむちした手が固定電話に伸び、内線9番を押す。

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