日常52(歳三他)
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ぷぅ、と高い音が響いた。
歳三の屁である。
歳三はごろりと寝転がりながら端末を眺めていた。
空手大会は近いのに、ここ最近はずっとそうだった。つまりは怠惰に過ごしている。
インプット……つまり、創作物や旭真大館の動画配信などから空手らしきものを学び取るのは終わったのだ。後は当日を待つだけだと歳三は考えている。本来ならば見て学んだなら実地で試したりするものだが、どうもその気が起きない。
つい先日はやる気に溢れていた筈なのだが、あっというまにしおしおと萎えてしまった。気分の上げ下げ、その起伏は更年期障害を思わせる。
歳三の脳裏には想像を絶する実力者たちが様々な技を繰り出す姿が揺曳されているのだが、それらがどんな具合なのかを確認する為に体を動かす気になれないのだ。つまり、やる気がない。
──てっこやてっぺーが来てくれたらなァ
そんな事を思いながら、寝転びつつスパスパとタバコを吹かす。一人だと詰まらないのだ。これまで孤独に自己研鑽に励んでいた彼だが、ここ最近の探索では他者と共にする事が増えていた。
孤独は人と人の間に揺蕩う猛毒空間であり、一人である者が"それ"を意識した時、"一人"は毒されて"独り"へと変じてしまう。
これでいて根がラビット気質に出来ている歳三は、中年男性のくせに独りで探索するのは少し寂しいなどというおこがましい事を考えていた。
鉄騎や鉄衛が応援してくれるなら少しは頑張れそうなものを、となどという
ちなみに桜花征機へは連絡はしたものの、件の二機は大改修をしているとの事で、ダンジョンには連れ出せないとの事だった。歳三の戦闘データなどを参考に、技術の粋を注ぐとの事であった。
──金がどれくらかかるのか、それが気になるけどよ……
そうは思いながらも、歳三は尋ねる事ができなかった。歳三はこれでいてチキン体質にも出来ているので、"嫌な事や、嫌な事が発覚する可能性があるような事は知りたくない派"に所属して久しい。
例えば協会で実施されている健康診断などもよくサボり、金城などからせっつかれてようやく診断を受けるといった様に。
まこと情けない話だが、歳三は国民健康保険の支払いもよく滞らせていたという過去がある。当時の歳三は収入に乏しく、料金支払い額をみたくなかったからだ。
嫌な事だから見ない様にするというのはまるで子供のようではあるが、"現実"とか"現実的な事"に苦痛を感じる人種というものは珍しくはない。
そういったマインドの流れで歳三はその"大改修"とやらにいくら掛るのか……どうしてもきけなかったのである。
金の多寡次第では人生にも関わるのだから、ここは苦手だろうと現実を直視すべきなのだが、今回は幸いにも歳三の懐事情は悪化しなかった。
というのも、"大改修"に掛かる費用は桜花征機の持ち出しだからだ。この二機をローンで購入するにあたって歳三はそういう契約を結んだ。歳三がそれをド忘れしていただけである。
「よっこいしょういち……と。ああ、腰が重いな……年か……」
歳三はなんだか泣きそうな声で呟きながら立ち上がる。その様子は精気を欠いて鈍重ですらあった。
ハァとため息をつきながら、指でぴんと吸い殻を上にはね飛ばす。歳三の視線がぴたりと吸い殻に吸いつき、歳三の驚異的な集中力によって一瞬が百瞬にも引き延ばされた。
めきりと右拳が握り込まれる。
次瞬、空間に穴を開けるような凄まじい拳打が宙空のタバコの吸い殻の横へ放たれ、大気との摩擦熱によって吸い殻は焼き尽くされてしまった。灰皿に溜まった吸い殻は悪臭を放つため、ここ最近は室内環境保全の為にもタバコの吸い殻を焼き尽くす様にしているのだ。
ちなみにこんなものが人体に直撃したら周囲の人々は肉片と血の雨から身を守る為に頑丈な傘を必要とするだろう。
それだけの力があるのだ、歳三は。
しかし歳三は自分が"まともな空手"を衆人環視の下に演じられるかどうかを気にしている。みっともない姿を晒してしまったらどうしよう、型にない技を放って笑われてしまったらどうしようとそんな事ばかりを気にしている。
大会まであと一週間。
当日が近づくにつれ、歳三のやる気はしょぼくれていく。
■
部屋全体に粘着質なスープの様な何かが広がっている。勿論比喩の話だ。
スープの様な何かは"殺気"という。
血臭に濁る空気を吸い込んで、男は辺りを見回した。もはや動く影はない。
男は足元のモノを蹴転がす。
うつ伏せとなっていたソレが仰向けとなった。ソレは当然ながら死んでいた。背がバッサリと斬り裂かれている。
ソレの生前の名は扇 信也といい、旭真大館の門下生だ。
段位は7段。
ダンジョンの干渉も受け入れており、旭真祭に出場する予定であった。
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