魔王②
◆
実の所、歳三の必殺の確信が空振りに終わった事は一度や二度ではない。
更に言えば、これまでの闘争で全て白星を挙げたわけでもなく、逃げを打った事も何度もある。
例えば歳三がまだ30代後半の時分、某県の当時乙級であったダンジョンに挑んだ際、そこのヌシであった巨大ミミズモンスターを仕留めそこなっている(日常44参照)。勝てぬと判断して逃げを打ったのだ。
協会によって
とまれ日常生活に於いての歳三の判断力の酷さはもはや言うまでもないが、戦闘に於いての判断力は抜け目なく、大胆で、的を外した事は余りないのだ。
その歳三の本能がひそりと囁く。
強敵だ。退き、態勢を立て直せ、と。
・
・
・
──フリー探索ならそうしたんだけどよ
歳三は胸中でごち、右腕を振りぬくがしかし。
手首に強烈な衝撃を受け、歳三の拳はやや逸れる。
結句、歳三の "新月" は異形の左肩の一部を消し飛ばすのみに留まった。
『
──旭真大館空手道・日輪・
言ってしまえば超高速の廻し受けである。
ただし、超高速で掌を廻す事で大気との激しい摩擦が発生し、両掌が高熱を帯びるという点で一般的に知られる廻し受けとは異なっている。
赤熱した両掌が宙空に日輪を描く様は、見る者にある種の神秘性すら感じさせるだろう。
若かりし頃の道元はこの受けで崩してからの握みによって、敵手に打撃、熱撃、握撃の三撃を同時に加える事を得意としていた。
老いてからはとても扱えないそれが、今の道元には容易く使える。
歳三が弾かれた手首を見ると皮膚が破れ、肉が見えていた。
痛みは無視できる程度だが、負傷は負傷だ。
しかし歳三はその傷に小さなセーフティを見出す。
──掴まれ無ければ良いんだな
そんな事を思いながら歳三は声の主に視線を向ける。
そこには異形と化した旭 道元。
もはや人間であった頃の面影などはどこにもない。
隆々とした筋肉には繊維の一本一本にまで
体表は黒々と艶があり、皮膚というより甲殻の様だ。
巨大な目は蟲のそれで、視界の広さは人間とは比べようもないだろう。
「爺ィ~…人間を辞めて虫けらに成り下がったかよ」
侮蔑の声は凶津 蛮から発されたものだった。
声色に乗る感情は警戒が7、残る3は正真正銘の侮蔑だ。
異形と化した道元は、挑発めいた蛮の言葉に無感情に応じる。
『お主には分からんよ』
──そう、分かる筈がない。これまで磨いた武が、積み重ねてきた力が崩れていく、壊れていく恐ろしさなど。才に溢れ、老いによる衰えを意識する事もない貴様らには分かる筈もない
◇
探索者協会のテントの下、二人の職員が立ち話をしている。
京都支部の外部調査部職員だ。
外部調査部、通称 "外調"の仕事は、顕現したダンジョンの破壊工作や内部調査をはじめ多岐に渡る。
そういった職務内容から、当然外調所属の職員はその辺の下級探索者より武に長ける者が多い。
「大変な事になりましたね。まさか旭ドウムがダンジョン化するとは…。高野グループからもダンジョン化に関する警告はありませんでした。京都は東寺を中心に高野グループの勢力が広がっておりますし、霊的監視網は他県より精密な筈ですが…」
『身は高野 心は東寺に おさめをく』
弘法大師空海がこのように遺した通り、高野グループの総本山は和歌山県は高野山にあるが、京都もまた高野グループの力が強い。
ダンジョン化現象が発生するならば、それはほぼ確実に事前に察知される。
もう一人の職員が首を横に振りながら答える。
「イレギュラーという奴なのだろうさ。ダンジョンが我々の予想を裏切った事なんて過去にいくらでも例がある…って、連中はなんだ?旭ドウムから出てきたぞ」
「なんですって?ああ、何人かはテレビで見たことがあります。参加選手ですね。無事でよかったですけど…よく言って満身創痍といった所ですね。医療班の手配は?」
「問題ない。ドクターカーが何台か控えている筈だ」
職員の一人がそういうと、通信機で何事かを指示した。
・
・
・
「……と言うわけなんです。内部はもはや魔境と言ってもよいでしょう。佐古さんは後詰を求めていましたが、下手な戦力では磨り潰されるだけかと…。最低でも飛んでくる銃弾を掴み取る程度の業がなければあの場では何分も生きてはいられないでしょう」
生き残りの一団を率いていた高橋 一真がそういうと、聞き取り調査をしていた外調の職員は顔をしかめた。
──推定乙級、いや、それ以上か
「分かりました。ご協力感謝致します。そのまま治療を受けてください。仲間の皆さんも重傷の方ばかりですが、命に関わるものではありません。協会所有のドクターカーには医療技術の粋が詰め込まれていますので、端的に言ってしまえば死んでさえいなければどうとでもなります。ただ、高橋さんが気にかけていた黒峰 しゑさんの腕については蟲に捕食されてしまったということで、生体培養か、もしくは義手という形で再生措置を取る事になります。これにはある程度の期間を要しますので、すぐに治るというわけではありません」
一真は職員の言葉を聞いてほっと安堵するが、歳三の事を思い出すと安心してばかりもいられないと思う。
「あの、それで佐古さんはどうなるのでしょうか?部外者の僕が言うのもなんですが、旭ドウムのダンジョンを攻略するというのは無茶だと思います。すぐに佐古さんも含めてあそこからは退くべきだ。ドウムには蟲だけじゃない、なにかとても良くないモノもいました。それは黒い繭のようなものに包まれていて…」
一真の説明を職員は一つ一つ記憶し(彼は岩戸重工のシンパで、脳を弄って瞬間記憶機能を外付けしている)、答えられる事には答え、答えられない事はボカして答えた。
答えられない事とは、例えばダンジョンの安全性に関する事である。
ダンジョンは基本的に "外" へは影響力を行使してこない…というのが常識だが、何事にも特例はあるのだ。
富士樹海ダンジョンが年々領域を拡張させている様な特例が。
──『極一部のダンジョンは "外" にも干渉し得る…それも高難易度とされているダンジョンにその傾向が多く見られる』
これは探索者協会の一部の職員が知る秘であった。
例を出せば、蒲田西口駅前商店街ダンジョンの一件だ。
本来は乙級指定内環ダンジョンのイレギュラー、"アルジャーノン" が外環に出没したのはなぜか?
協会はこれを"外"への干渉の一種とみなしている。
つまり、この旭ドウムからも"外"へ何らかの干渉があるのではないかと協会は警戒しているのだ。
だから高橋 一真の撤退提案は現時点では受け入れるわけにはいかなかった。
こういった秘は大きな混乱を招くため、とても一般には出せない。
◇
探索者協会京都支部のオフィス。
「旭ドウムの状況把握を急いでください。外調は待機。他探索者の入場は厳しく制限。民間人やダンジョン人権団体が警備の妨害をするようなら、公務執行妨害で現行犯逮捕するよう警察へ伝達。抵抗するようなら武力鎮圧もやむなし。殺害以外なら何をしてもいいので、無関係な連中を旭ドウムへ近づかせないように。池袋本部所属の佐古歳三からの支援要請は受けいれます。乙級以上、周辺で手すきの探索者のデータをよこしなさい。無駄だとは思いますが、ウチの甲級にも声をかけてください。突入時、場合によっては外調を捨て駒に使います。遺書を書かせるように」
秘書が真剣な表情で頷き、返事をするが…
「はい、支部長。ただちに…と、甲級とはもしや彼女の事でしょうか…?」
「ええ、土御門の大婆様です。まあ無理でしょうが。彼女にはすでに二つ抑えておいて貰っていますから」
西方月仁支部長は窓の外を億劫そうに眺めながら言う。
外は雲が出始めており、しばらくすれば一雨来そうな空模様だった。
仁は長椅子に深く座り直し、一本88万円の高級葉巻をくわえて先端を凝視すると1秒も経たずにボウと火が点いた。
そして深々と吸い込んで煙を口に含み
──今日は長い一日になりそうですねぇ
溜息とともに煙を吐き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます