廃病院エンカウンターズ⑤

 ◆


 撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。


 弾倉はあっというまに空になった。

 銃撃は全弾命中、しかし


 ──斃れない


 まほろの表情が引き攣る。

 全く効いていないわけではなかった。

 少女の姿を取った異形はたたらを踏み、銃撃箇所を見つめている。異形はややあって顔を上げ、まほろの事を睨みつけた。


 視線に籠められた憎悪の悍ましさは名状しがたいものであった。


 ──縄…


 まほろの脳裏に縄が思い浮かべられる。

 ただの縄ではない。黒い縄だ。黒くて腐臭が漂う縄だ。

 縄の表面をよく見れば、そこに小さい顔のようなものが無数に浮いている事に気付くだろう。

 そうだ、この縄は葛や藁、麻を束ねたものではなく、人体を押しつぶし、引き延ばし、束ねたものなのだ。


 まほろははっと我を取り戻し、じりと後退って…

 一目散に逃げ出した。


 ・

 ・

 ・


 こなれた探索者ならば霊体と言えども殴り飛ばせるし、撃ち殺せる。これは日常的に異界ダンジョンに出入りする事で位相のズレに慣れてしまっているからだが、それだけでは説明不足だ。


 ダンジョン化現象に巻き込まれると、その場の想念が具象化する傾向がある。これは有機物、無機物かわりない。

 想念とはそのものが抱いている想い、もしくはそのものに籠められた念を意味する。秋葉原エムタワーダンジョンではオナホール型モンスターが散見されたが、これはオナホールというジョークグッズに人々が抱く一方的な想念がオナホをモンスターへと変貌させた。


 よって、同じ理屈で霊の類もモンスターへと変貌してしまう。これにより霊は一々まどろっこしい順序を踏まずとも、より分かりやすい殺傷能力を得るに至る。認知されずとも相手をぶち殺せるようになるのだ。


 しかしそんなモンスターと化した霊を探索者達は狩り殺し、地位や名誉、財を得ている。探索者にとっては不気味な怪物が元は霊であろうがなかろうがどうでも良く、モンスターであるなら殺す事が出来て当然という共通認識が生まれてしまっている。


 この認識は一般人とは大きく考えを異にするものであり、その持ち前の異常空間適正体質と合わせて、総じて "位相がズレている" と称する。


 まほろはこの点においてまだ一般人気質が抜けていなかった。

 戌級探索者がヒヨコだという所以である。


 とはいえ、腐っても探索者だ。

 一般人が10発撃とうが100発撃とうが意に介さなかったであろう銃撃を、たった5発撃つだけでややたじろがせる事が出来た。


 まほろは追撃をする事なく逃げ出した。

 ハンドガンは既に弾切れだったし、予備のマガジンも一階ロビーの荷物においてある。更に、なにより肝心な事だが、びびりちらしていたのだ。


 ◆


 荒い息遣いがいくつも重なる。

 オカルトシャッターズの面々は見るも悍ましい異形と遭遇し、一目散に逃走した。


 いや、壊走といっていいかもしれない。

 これまでちょっとした心霊現象…物が落ちたりだとか囁き声が聞こえたりだとかは経験してきたものの、ここまではっきりとやばいと分かるような経験はしてこなかった。

 それはまほろの配慮によるものなのだが、この廃精神病院では勝手が違った。


 それまでしっかり機能してきたまほろの感覚拡張PSI能力がろくに機能しなかったのだ。この理由は、まほろがいくつかの致命的な勘違いをしていたからである。


 まずは協会データベースの無条件の信頼。PSI能力が効果を発揮するには自発的な意思というトリガーが必要だ。もしまほろが協会のデータベースに対し、僅かにでも疑念…例えば抜けや誤記載などがあるのではないかという疑念を抱いていたなら、彼女はちょっとした違和感、厭な予感という形で啓示を受けていただろう。


 次に決めつけ。まほろはこの廃病院を視るにあたり、一応は異常がないかどうかを自身の能力で確認をした。廃病院のどこかに何かが潜んでいるのではないか、と。しかし、まほろの見立てはややピントがズレていたのだ。実際は、この廃病院そのものが取り憑かれていたhaunted。これは案外に分からないものである。


 例えば透明なカップの中にいくつかのビー玉と飴玉をまぜる。そこから飴細工を取り出せといわれれば、多少集中すれば出来るだろう。しかしその中の何人がカップそのものが飴細工だと看破できるだろうか?


 ・

 ・

 ・


 統制もなくてんでばらばらに逃げ出した末路は知れている。

 月原 恋は一行からやや遅れて後方を走っていた。


「恋、はやく!」


 まほろがそういって恋を追い抜いていく。

 恋もはやく走りたかったのだが、恋の運動能力は他の面々に比べると低い。


 恋は焦燥感に駆られながらも、必死で足を動かした。

 しかし。瞬間、視界が狭窄していく感覚を覚える。


 ──え、え、え、何?


 恋は狼狽した。

 レンズを絞る様に視界の外周から黒い何かが狭まってくる。


 同時に、耳鳴りと共に頭がぼうっとしていく。

 急に立ち上がった時に発生する脳貧血にも似た症状だ。


 恋は思わずしゃがみこみ、ふと気付いた時には…自分が仲間達からはぐれてしまった事に気付いた。


 恋は前後に長く伸びる通路の中央に立っていた。

 LED懐中電灯の光量に不足はないが、それでも恋には心細く感じる。


「ここは…どこ?」


 呟くが、当然返事は帰ってこない。

 廊下は暗く、そして静かだった。


 とにかく移動しなければ、と恋はライトを前方に向ける。

 しかしそこで異常に気付いた。


 ──先が、みえない?


 ライトを向けても闇が晴れないのだ。

 まるで真っ黒い煙に光をさしむけているかのようだった。


 恋は後退り、前を向き、そして後ろを向く。

 本能はこの場に留まっていたら危険だぞと囁くが、同時にその本能がヘタに移動すると危険だぞとも囁く。


 突然、髪の毛が誰か…いや、何かに掴まれた。


「きゃっ…!」


 恋は声をあげるが、力任せに引っ張られて痛みと恐怖で声を出せなくなってしまう。誰かが、何かが恋の髪の毛を掴んで廊下を引きずっているのだ。


 そして廊下のどん詰まりまで来ると恋の身体が浮き上がり、壁に貼り付けられた。


 みるみるうちに恋の顔がトマトの様に赤くなり、目が充血していく。コケティッシュな風貌の恋であるが、この時の恋ははっきりいってグロテスクですらあった。頸部を圧迫され、死にかけているのだから仕方がない。


 恋はここで死ぬ、そのはずだった。

 しかし…


 ◆


「おいおいおいおい!出来損ないがいるじゃねえか!」


 野卑な声、そして耳をつんざくような轟音が数度。

 絶叫、男の笑い声。


 ──馬鹿が!その程度の念動で俺様がどうにかできると思ったか!教育してやるぞ!オラァッ!


 ──歯を~…食いしばれぃッ!


 何かが、潰れる厭な音。


「おお、要救助者を一人救助したぜ。いや、ちと違うな。多分他のメンバーじゃないか?で、そっちはどうだ。ハァ?誰もいない?すると上か。取り合えず合流するか、一般人連れて探索ってのは面倒だ。…一階だな?よし。…おい、生きてるか?」


 刺すような光が恋を照らす。

 恋はぼんやりと凝視した。

 誰かが目の前に立っていたのだ。

 どちらかと言えば小柄な男だ。

 身長も恋と同じか、もしかしたらそれより低いかもしれない。


 しかし存在感が違った。

 小柄な身体の全身から精気のようなモノが放射されていた。


「助けに来たぜ。ついでだがな。しかし一般人がこんな場所に…いや、今回はお前らのせいでもないか。データの抜けはたまにあるんだよなァ」


「あ、あの、おじさんはだれですか…」


「あァ!?俺はまだ35だぜ!おじさんじゃあねえよ!俺は探索者だ、名前は流石 小次郎。成り行き上お前らを助けてやる事になった。どうでもいい話だが、フルネームを名乗ったのは苗字だけだと苗字だと認識してもらえねぇ事が結構あるからだ。流石ってのは苗字だかナントカ詞だか分かりづらいからな。だからといって名前だけもおかしい。違うか?ガキ、お前は知らない相手にいきなり "小次郎さん" なんて呼びかけるのはおかしいとおもうだろ?」


 "え、いきなり何この人。よくわかんないけどおじさんだよね?" などと思いながらも、恋は小さい声で謝罪する。


 恋は18歳だ。18歳からみた35歳はまごう事無きおじさんであるし、別に18歳から見なくたって35歳はおじさんである。とにかく、そこでようやく頭がはっきりしてきたのか、慌てて周囲を見回した。


「あ、あの!変な、変なのが私の髪を…みんながっ…」


「ああ、お前の髪を引っ張っていた奴は始末した。雑魚だ。練度も糞もねぇ稚拙な念動をかけて来たが…オラァッ!!!」


 小次郎は叫ぶなり、いきなり闇に向けて銃をぶっぱなした。

 恋は悲鳴をあげ、"闇の中の何か"も悲鳴をあげる。


「え、いまの…」


 この場には何かがいる。それは間違いない。

 だが、その何かが小次郎と名乗るオジサンによって撃退されていた。


「銃は便利だぜ。敵を殺せる。除霊も出来る。まあついてきな、守ってやるからよ」


 は、はいと恋は答え、小次郎の後をついていった。


 ・

 ・

 ・


 道中は様々な怪異があった。


 例えば勢いよく飛んでくるカート。


 行く手を遮るように立ちふさがる患者衣を纏った不気味な人影。


 天井から何十何百という数の黒い手が伸びて来たり。


 それらの障害を小次郎は極めて合理的な手段でもって排除した。


 カートは蹴り返し、不気味な人影は銃殺し、黒い手については壁をバンバンと殴りつけ、床をガンガンを踏み鳴らし、ガンをつけて威圧して追い払ったのだ。


 ──め、めちゃくちゃだこの人!


 霊とはもっと、こう、お経なりなんなりを読み込んで成仏させたりとかそういう向き合い方をするのではないのだろうか?恋はそう思うが、小次郎は余りにも暴力的である。しかし恋を守るという言を違える事はなかった。


 ◆


 一階ロビーは撮影機材や簡易的な寝具などが乱雑に転がっていた。壁にはひび割れが走り、苔がそこかしこに発生している。


 小次郎と恋がロビーに戻ってきた時、その場には三名の男女がいた。赤髪の男性探索者…城戸 我意亞、黒髪長髪の女性探索者…四段 丈一郎、あとはオカルトシャッターズの技術担当である木崎 剛である。


 丈一郎が剛になにか質問をしている。剛の顔色は良いとはいえないが、取り乱したりせずに質問に答えている様だ。


 手は少し震えており、何度か言葉が詰まる場面もあった。それでも彼は一生懸命に答えようとしていたが、言葉がうまく出てこないことへの焦りが次第に顔に現れていた。


 我意亞は床に置いたノート端末にも似た機材を睨みつけていた。胡坐をかき、ヘッドフォンのようなものを装着している。片耳に手を当て、何かを聞き取ろうとしているようだ。


 ノート端末のディスプレイには様々なグラフと線状の3Dモデルが表示されている。ヘッドフォンから伸びるコードはノート端末とその隣に置いてある円柱形の装置へ繋がっていた。この装置は超音波を発信し、建物の構造や動的・静的な物体の位置を探知し、ノート端末はそれらの情報を解析するのだ。


 基本的に何もかも端末任せであるため、我意亞はヘッドフォンを装着する必要はないのだが、それでも探索者特有の直感というものがある。


 そして、この直感というものが案外にも馬鹿にできず、時に解析AI顔負けの些細な違和感に気付く事もある。ちなみに探索者界隈でいう直感とは、経験、無意識の情報処理、身体的センサー、感情、および人工的な強化の組み合わせによって形成されると考えられていた。無根拠、無軌道なデマカセではないのだ。


「…見つけたぜ、多分これだな。おいおい、本当にここはダンジョンじゃねえのか?サス、ダン!行くぞ、場所はStermに座標を送った」


 我意亞が叫ぶなり、突撃銃を背負ってロビーから出ていこうとする。だが…


「あら?」


 丈一郎が疑問の声をあげる。

 ドアが開かないのだ。


「古い建物だからな。たてつけが悪いのかもしれねえな」


 我意亞はそういって、ドアノブに力を籠める。

 しかし開かない。


「と、閉じ込められた…?」


 木崎 剛がそういうが、我意亞は首をふっていった。


「いや、たてつけが悪いだけだ。仕方ねえ、少し修理するか」


 我意亞は一旦ノブを離し、その場を離れ…やがて何かを抱えて戻ってきた。筒状の金属塊だ。


 ──IWG-1X 回転式レールガン

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