蒲田西口商店街ダンジョン⑦


歳三の両の掌が撃ち合わされ、爆炎が乱舞する。

炎の舌が "アルジャーノン" を舐め回すがしかし、件の化け鼠は全く堪えた様子を見せない。歳三は "これもダメか" と思いつつ、ボディビルディングで言う所のモストマスキュラーのポージングを取った。勿論気が狂った訳ではない。


歳三の三角筋…つまり肩辺りに噛みついた何匹かの鼠が、膨張する筋肉に弾き飛ばされた。巡り廻るアドレナリンが瞬時に歳三の血管を収縮させ、出血を止めた。


爆手など、こんなものは精々が脅かし程度に過ぎない。

歳三もその位は分かっている。

だが、やれる事を試してみるというのは大事だ。


殴っても蹴っても、引き千切っても何しても堪えないモンスターが、ちょっとした静電気をピリッと受けただけで斃れるという事も珍しくない。


歳三は一つ一つ技を試してみる事にしたのだ。

彼はこれでいて案外に器用で、炎を出す事もできるし、風を巻き起こす事もできる。それを一つ一つ試せば一つ位はマトモに通じるかもしれない。


勿論負傷の度合は刻一刻と増していくだろうが、歳三は余り心配していない。何せ耐える事には慣れているのだ。


それに、このまま削り続ければ、先に命の泉が尽きる方は此方ではなく彼方だと、内なる何かが囁いていた。


歳三の曇った眼には勝利に至る道程の、その輝かしい軌跡は未だ視えて来ない。しかし、頑張り続ければいずれ活路が開くとも信じている。その直感には何の根拠もないが、死線に身を置き続けてきた視えない景色というものが確かに存在する。



歳三に聞こえる囁き。

それは "察し" などというものではなく、歳三の肉体…傷つけられ、そのたびに更に強靭になって立ち直り続けてきた筋肉の、声無き声に他ならない。


一つ断言できる事がある。


歳三という男は頭で考えては駄目なのだ。

感じて、行動する。

これが彼の肉体スペックを十全に発揮する方法である。

というよりそうしないと、例え格下であっても相手がちょっと捻った戦い方をするとたちまち手古摺ってしまう。


なぜなら、歳三は察しが悪い。

戦闘もそうだが、日常生活でも察しが悪い。


日常生活なんか酷いものだ。

相手の目から見た自分というものが想像できないのだ。

ここでこういう発言をすれば、こういう服装であるなら、こういう振る舞いをしたならば相手がどう思うかというのを想像できない。


そしてただ想像出来ないだけでなく、屁理屈をコネてそれを正当化しようとする。例えば自分は他人ではないのだから、他人の気持ちが分からないのは仕方のない事だと考えてしまう。


だから結局素のままの自分として振る舞う。

人間だれしもその場にそぐう仮面を身に着けるもので、この仮面を身に着けられない者はえてして社会不適合者とされる。


ここで歳三の見た目や性格、もしくはトークスキルでもなんでも、なにかしらが圧倒的に優れていれば周囲に自分を押し付け、受け入れさせる事ができるだろう。世間一般で、素の自身が受け入れられている者というのは大抵突出した魅力というものを持っている。


だが歳三にはそんなものはなく、故に社会不適合者とされて長く社会に参画する事が出来なかった。


しかし、戦闘では別だ。


歳三の突出した身体能力は、一般社会で言う所の "突出した魅力" であり、これはどんどん押し付けてしまった方がいい。

小賢しく何かを弄する必要などは全くない。


歳三は思うがまま、戦場の暴君として振る舞うべきだった。

そうすれば "アルジャーノン" などは造作もなく葬れる。


力の限り地面をぶん殴って地割れを起こし、地の底深くに放り投げてしまえばいいし、石炭を握りこんで人工ダイアモンドが作れるほどの握力で "アルジャーノン" を圧縮し、固めてしまうというのも良いかもしれない。その身に無数の命が存在してようがするまいが、一握の超硬質化した肉の塊となれば関係ない。


そう、歳三は察しが悪い。

歳三の好きなゲームだの漫画だのの話で例えると、戦士が剣を使わず魔法を使おうとしてどうするのか、魔法使いが魔法を使わず剣を使おうとしてどうするのかという話になる。


しかし、ようやくというべきか。

歳三もその辺の事に気付いてきたのかもしれない。


歳三は、筋肉の声無き声に耳を傾けて、何となく、とりあえず戦ってみるというしょうもない感じ "歳三スタイル" に開眼しつつあった。



だが、次の瞬間歳三の意識の芽生えはあっという間にボロボロに崩れ去った。視界の隅からとんでもないモノが飛んできたからだ。


── "鉄騎"


歳三は生色を喪った。

大電力供給の負荷のせいで各所から漏電が認められる "鉄騎" が、あたかも流星の様に接近してきたのだ。

歳三は "鉄騎" がこの戦いに参加するには些か性能が足りないと考えていた。それは事前に "鉄騎" のスペックが、戦闘を専門とする丙級探索者相当であると聞かされていたからである。


歳三は察しが悪い為、眼力やらなにやらで彼我の実力差を看破する事などは出来ないが、これでいて学習の人でもある為、事前に情報があればそれを参考にモノを考える事くらいは出来る。


──そこまで戦闘データが必要なのか!?



何故逃げてくれなかったのかという愕然とした想いが、歳三が長年精神世界で煮込んできた黒くて臭くてドロドロのヘドロ的ナニカ…つまり、"諦念" を呼び起こす。


そうだ、このロボは俺の事を信じてはくれないのだ


ビカビカと光っているのはどうしても自分が戦いたいからに違いない


だががっかりする必要はあるのか?いや、ない


これまで例え一人でも俺を心底信じてくれた者なんて…


歳三の悪癖である所の極端な自己否定が鎌首をもたげ、歳三の心を冷やしていく。歳三もまたそれが極論に過ぎる事は理屈では分かっているのだが、どうにも心が冷えていくのを止められない。


「なんだか疲れちまったな」


歳三はぽつりと呟き、大きく息を吸った。

攻撃の手も止んでいる。

当然隙だらけなのだが、幸いにも "アルジャーノン" も歳三の突然の虚脱に対して、それが罠であるかと訝しみ、様子を窺ってた。


イレギュラー個体 "アルジャーノン" には高度な知性がある。

歳三が攻めあぐねて居たのは "アルジャーノン" の特性もそうだが、その知性ゆえの高度な戦術思考にもよるところが大きい。


歳三の胸に中原中也の言葉が胸をよぎった。


汚れつちまつた悲しみに

なすところもなく日は暮れる……


歳三は中卒であり、学力ときたら一次方程式を解くことが出来るかどうかも怪しいが、尊敬する同級生である所の "望月君" が読書はしなよ、と言ったので一時期文学かぶれみたいな真似をしていた事もある。


それはともかくとして、全身からビュウビュウと血を流しつつ頑張ったというのに、全然言う事をきいてくれない、信じてくれないというのは流石の歳三も落ち込むのだ。


しかし、歳三という男の手首はこれでいてゆるゆるであり、ちょっとした事ですぐ "もう少しがんばろう" と思う事もできる。

そして、そのちょっとした事が起きた。


『マスター、負傷した様ですね。手当をしたい所ですが、この場での手当は適切ではありません。早急にお逃げください。出口までの案内は "鉄衛" が致します』


鉄騎はまるで歳三を庇う様に、"アルジャーノン" と歳三の間に立ちはだかり、前方を大きいモノアイで睨みつけながら言った。

歳三は "鉄騎" の各所からバチバチという不穏な放電が発生していることにやっと気付き、ここでようやく鉄騎が自分を助けにきたのだと理解した。下向きだった歳三の手首がくるりとひっくり返る。



『戦術AI"桜花ver1.02" が打開案を提案。敵性個体 "アルジャーノン" は群体である事から、継続的な焼却が有効。実行』


鉄騎の両腕が掲げられた。


掌が "アルジャーノン" に向けられ、火炎が放射される。

勿論バカみたいに炎をボウボウと垂れ流す殺傷意識が低い炎ではなく、ゲル化ガソリンが噴出され、そこに着火した形のしっかりとした炎だ。歳三の炎は少しばかり意識が低かったが、"鉄騎" のそれは殺傷意識が余りにも高い。


これは中々消えない。

少なくとも水をぶっかけた程度では絶対に消えないのだ。

付着した燃料が燃え尽きるまでは対象を焼き続ける。


歳三の戦車砲みたいなパンチやキックでも堪えなかった "アルジャーノン" の苦悶に満ちた甲高い鳴き声は、"鉄騎" の火炎放射が確かな効果をあげている証左であった。

歳三の脳裏に、とある漫画の内容が思い浮かべられる。


それはファンタジー世界を舞台とした漫画で…


──そう、魔王が炎の魔法を放ったシーンだ


──勇者たちは身体を金属へ変える魔法で身を護ろうとしたが


──炎は消えなかった。魔王の炎の魔法は、勇者たちを焼き尽くすまで消えないんだ


なるほど、と歳三は思う。

この時歳三の脳裏に一つの技が想起された。

歳三をして使用を躊躇わせる恐るべき技だ。

歳三は肉体的な痛みには鈍感だが、そんな彼でも恐ろしいと思う技はある。


だがこのまま "鉄騎" が "アルジャーノン" を焼き尽くしてくれるなら、と歳三が思った所で、"鉄騎" の各所から漏れる放電現象が激しくなった。明らかに厄い光景に、歳三は慌てて "鉄騎" に背後から抱き着く。


「やめろ!やめろ!死んじまう!壊れちまう!」


ボキャブラリーの欠片もないセリフだが、それだけに真に迫る歳三の叫びに、 "鉄騎" はそれでも放射を止めない。

歳三はマスター登録者であるのに、何故命令を聞かないのかと言えば答えはただ一つであった。


『先程までの戦闘状況を分析した所、マスターでは "アルジャーノン" を倒す事はできません。従って命令は拒否します。我々は自身の保全より、マスターの身の安全を優先します。再度、逃走を提案致します。 "鉄衛" が安全なルートを算出しております。当機はここで "アルジャーノン" と交戦。時間を稼ぎます。ただし、5分以上は難しいでしょう。当機はまもなく機能を停止します』


火炎放射に伴う機体内部の高温化、大電導に伴う各所の破損が "鉄騎" を蝕んでいた。


五体満足な状態でクォンタム・キャパシタ駆動システムを起動したのならまだしも、"アルジャーノン" に接敵するまで、それなりに探索を進め、ちょっとした戦闘もあったのだ。エネルギーは大分底をつきかけており、そんな状態で起動したものだから、反動もまた大きかった。


人間で例えれば、酷く飢えている者に急にカロリーたっぷりな食事を与えて身体に良いわけがないというような理屈だろうか。


やがて燃料が枯渇し、火炎放射が途切れ、"アルジャーノン" は転げまわり炎を消そうとしている。ゲル化ガソリンが燃え尽きれば炎も消し止められるだろう。それまでに "アルジャーノン" が内包する命がどれだけ焼け散るかは分からないが、有効打を失った "鉄騎" が果たしてどれ程持ちこたえられるか。


ジャギン、と "鉄騎" の腕から湾曲ブレードが飛び出す。

しかし、ただそれだけの動作が "鉄騎" の肩口の小爆発を誘発した。ガンプラすらもまともに組み立てられない歳三でも、 "鉄騎" が壊れかけ…つまり死にかけである事は理解できた。


「どうして俺を、助ける。大事なテストだ、お前を作った人たちはお前が自殺しようとしている事を喜ばない。俺が死のうと、お前たちは無事に帰るべきだ。それが仕事の筈だ」


歳三の声にはまじりっけなしの疑問と困惑が籠められていた。

まあ、ここで投げかける質問ではない。時間がかかりそうだし、 "鉄騎" には余り時間が残されていそうにもなかった。

しかし "鉄騎" は律儀に答えた。


『当機の仕事は稼働テストを遂行する事ですが、それは次点です。優先すべきはマスター登録者である貴方を護る事。それが仕事なのです。さあ、早く逃げてください。余り長くはもちません』


それを聞いた歳三は "仕事か" と呟き、考えるのを止め、おもむろに燃え盛る "アルジャーノン" に向かって疾走する。


『マスター!?』


そんな声が聞こえたかどうか。

歳三は燃え盛る悍ましき肉塊の懐に飛び込み、髪の毛やら眉毛やらをジュウジュウと燃やしながら、腰に手をやった。

そこにあるのは武器ではない。


飲み水だ。

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