魔胎⑥~立待月~
◆
「知るか」
凶津 蛮はいうなり、虎爪に見立てた両の掌を上下に構える。
両の腕と脚に漲る力感はただ事ではなく、凶津 蛮の全身からは噎せ返る様な必殺の気配が立ち込めていた。
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恐るべき相手!
凶津 蛮の闘争本能はかつてない死闘を予見していた。
この場合の死闘とは、一般的に言う『激しく力を尽くして戦う事』の意を持たない。
確定された死に向かう愚かな闘いを意味する。
嬲り殺しに遭うというのだ。
──この、俺がか!
しかしこの男は、それに恐れを抱く事はなかった。
いいねぇ、と太い笑みすら浮かべる。
「挑戦者の立場は久方ぶりだ。あの"野獣"との死合い以来か。貴様はその気が無さそうだが、悪いが俺と死合って貰うぞ」
凶津 蛮のその言葉で歳三の脳のスイッチが切り替わ……
る事はなかった。
「やめてくれよ…勘弁してくれ…」
歳三はしょぼくれた様子で蛮に乞う。本当に、とことん、どこまでも情けないおっさんの姿であった。気概もなければ覇気もないしょうもない姿…それに蛮は毒気を抜かれてしまう。
「俺にもまだ見せていない札がある。それを見せよう…と思ったが…なんだその面は…。そんな情けねえ面をするんじゃねえ!!前を向いて俺を見ろ!!」
「頼むから、怒鳴らないでくれ」
歳三は俯きながら答える。歳三は怒鳴られるのが嫌いなのだ。
ぎゃおおおんとされると歳三は参ってしまう。まあ怒鳴られるのが好きなものはいないと思うが、歳三は特にそういう品のない行動に弱い。
とはいえ、蛮が見て取る程には歳三の内心は情けなくはない。
──死合いなら、仕方ねえ。が、今は仕事中だ
歳三はそんな事を思っている。つまり、仕事中でなかったら死合いを受けていたと言う事だ。
しかし理由付けがされてしまうと話は変わってくる。
死合いという理由付けがされたなら、歳三は人殺しを厭わない。戦闘の結果相手が死ぬことは歳三の手を緩める理由にはならない。
とはいえ、歳三は断じて積極的に殺人をする気質ではない。むしろ引け腰だし、弱気だし、なんだったらその辺の女子高生ですら歳三を泣かすことができるだろう。あくまでも理由付けがされたらという話ではある。
だが、今回は凶津 蛮から死ぬ理由を提供してくれたというのにそうはならなかった。
先約…つまり、協会からの依頼を受けたからである。
こうなると歳三は梃子でも動かないというか、とにかく依頼優先の構えを取る。
凶津 蛮からすれば冗談じゃないと思うかもしれないが、彼が人間でありモンスターではない以上、彼がどれほど強くても歳三からしてみれば被救護者の括りを脱し得ないのだ。
探索者協会が歳三にあれこれと気を配り、彼が引け目を感じないべしゃり上手…金城権太などを接触させて協会へ愛着を抱かせようと画策するのも、歳三のそういった気質が原因であると言ってもいい。
要するに歳三は、彼が認める公的機関から大義名分を与えられれば何だってしてしまう。
弱者男性である所の歳三は残念ながら探索者以外の仕事は日雇いとかチラシ配りとか、そういった職歴しかないのだが、もし彼が就職活動に成功していたならばその会社で真面目に働き、忠実な歯車と化していただろう。
そう、歳三は案外に真面目…歯車気質を真面目と言っていいのかは疑問だが、とにかく真面目なのだ。
だから、という訳ではないが。
「…よしわかった、とにかく、む!?」
蛮が眼を見開く。
側方から桃色蜥蜴・モンスターが電光石火の猛速で歳三に食いついてきたからだ。
しかし、歳三は既に動いていた。
左脚が地と天を円を描く様に削り取る。
──
血が、飛沫いた。
◆
弾間 竜には特筆すべき背景などは何もない。
両親が高難度ダンジョンに向かって失踪したからどうとか、社会に居場所を求める為にだとか。
そういう動機などはなく、何となく探索者となり、何となく乙級に至った。
何となくといっても欲望や強い祈念が何もないわけではない。
探索者となって力を得て、良い酒を呑み良い女を侍らせたいという人並の想いはあった。
荒淫、暴食、暴飲。
これらはもはや弾間 竜のライフサイクルの一環と化していたが、一般人があっという間に精神と肉体を壊すような生活をしてても彼の肉体と精神はこゆるぎもしなかった。
エンジョイ&エキサイティングな日々、しかし弾間 竜は段々とそういった日々に飽いてきた。
これは彼だけの話ではなく、そういうものなのだ。どんな刺激だっていずれは慣れる。
やがて彼は新たな刺激をダンジョンに求める様になった。ダンジョン内は言ってしまえば異空間だ。異世界である。自身がこれまで見た事がないものが見れ、経験したことがない事を経験出来るかもしれない。
弾間 竜はそう考えた。
ところでダンジョンは欲望の顕在化を促進するが、弾間 竜の場合はどうであろうか。
かつて帝政ロシアの小説家であるトルストイはこの様に述べた。
──退屈とは、欲望に対する欲望である
と。
弾間 竜の欲望、願いとは退屈からの脱却である。この想いがダンジョンからの干渉によってより高められ、彼はダンジョンにちょっと異常な程にのめり込む様になったのだ。
その様に良くも悪くも変化を求める彼だからこそ、"受け入れた"。
自身が人ではなくなる事を。
弾間 竜は望んでモンスターとなったのだ。
◆
背筋が凍りつく程の蹴足を、かつて弾間 竜だったものは宙空で身を捻って躱した。しかし完全に躱したわけではなく、歳三の爪先は竜の胴体から頬にかけて深々と斬傷を刻みつける。
血がとめどなく流れ、それでも竜は怪物の形相で笑った。
その様子に、豊島区でも察しの悪さにかけてはベスト300に入るであろう歳三が何かを察する。
「お前の思い切りを、俺に見せたいってことかい」
歳三は返事を期待したわけではないが、その言葉を解したか竜は一際大きい咆哮をあげた。
大気がビリリと震え、竜の両眼が戦気の烈火で熱く燃える。
歳三と弾間 竜はやや距離を離した位置から向かい合った。
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凶津 蛮はそれを邪魔する事なく眺めていた。
この男は俗欲の塊のような男ではあるのだが、歳三とは違って空気を読む事ができる。
まあ横槍のような真似をされたのは事実で、それに対して一言モノを申しても良いとは思うが、それよりも蛮には気になる事があったのだ。
蟲である。
大量の蟲が一点に引かれて、或いは惹かれていく様に……
──あの繭か
あるいは歳三から感じた危機感以上のものを黒い繭から感じる蛮は、繭を注視した。逃げるという選択肢は蛮にはなかった。
それをしてしまうと、"弱る" と感じた。
蛮の人生は必ずしも勝利のみで飾られているわけではなく、手痛い敗北もいくつかある。
だが敗北を飲み込んでそれに立ち向かう肚を決めた時、蛮は自分が以前の自分よりも強くなっている気がするのだ。
だから基本的には不退転のスタイルを崩さない。
今回はどうなるか、蛮は思う。
──生きて帰ってこれたなら、俺は更に強くなっているだろう
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異形と化した弾間 竜の戦気は頂点に達した。
ぼこり、と音が響き竜体が盛り上がっていく。
急激な成長…というよりは進化であった。
身体が二回りは大きくなり、鋭い牙はより鋭利に、爪はもはや爪と言うよりはそれぞれが一振りの刀剣…それも妖刀の切れ味を宿している様に見える。
何よりも、頭部だ。
太く長く、そして鋭く。
額から大きな角がせり出してきた。
これは弾間 竜のある種の象徴であった。
退屈な日常を貫き破らんとする想いが角という形に結実したのだ。
「かっこいいじゃねえか」
歳三は呟いた。
──受けられねぇなありゃ
一目でその角の厄さを見て取る。
彼の目から見ても弾間 竜の剛角は恐るべき凶器に他ならなかった。
腹筋で受ければ腹を貫かれ
額で受ければ頭を吹き飛ばされる
何より…
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弾間 竜が突進を繰り出した。
凄まじい勢いの突撃である。
生身であった頃、彼はこの様な技を使ったがその時の比ではない。
歳三の動体視力を以てして、それは不可避の速攻であった。
額の角が凶猛な光でギラつき、歳三を貫かんとする。
しかしこの時、歳三。
如何なる構えも取らず、両の腕をだらりと垂らし、そして腕ばかりではなく涎すらも垂らしながら忘我に在った。
これは腑抜けているわけではなく
──
◆
古来、雅を解する者達は月を愛でた。
そして月の華は十五夜だ。
しかしそれは十五夜以外に見るべき所がないというわけではない。
十六、十七日目の月とて美しい。
だが、月の出は十六夜は十五夜よりやや遅く、十七日目ともなると更に遅い。
故に人々は外に立ち、月を待ちわびていたという。
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突き出される剛角を歳三は上体を逸らせることで躱した。
これは自身に回避行動以外を禁じる事で可能な防勢防御である。
要するに余計な事を考えず、ただよける事に集中したと言う事だ。
これが立待の構え。
次瞬、歳三は上体を逸らせたまま角に腕を回し、同時に両の脚を絡みつかせた。しかし、左足のみは高々と天を向いている。
上体を逸らした勢いで足が高々と掲げられたのだ。
そして、その左の足の踵を一思いに弾間 竜の後頭部へと降り下ろす。
これこそが、月。
つまり月とは相手の頭部を指す。
立待月とは、敵手の伸び来る強烈な一撃を躱し、相手の勢いをも利用して逆撃を叩きつける技に他ならない。
果たして歳三の踵は弾間 竜の頭部を叩き割り、竜は脳漿をまき散らして斃れ伏した。
弾間 竜は最期の最後で、彼の抱える欲を満たし得ただろうか?
彼はダンジョンで色々な事を経験してきた。
自身がモンスターと化す経験もしてきた。
さぞ刺激的であっただろう。
だが、死までは経験していない筈だ。
そういう意味で、彼は最期に望みを叶えて逝ったとも言える。
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