大磯海水浴場ダンジョン④
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「どうです、大磯は。何もない町ですが、これでいて住めば味が出てくるんですよ」
崎守は車を走らせながら言った。
車は二人のおじさんを乗せて役場へと向かっている。
そこで詳しい話を詰めるのだ。
詰めるといっても歳三がすべき事は至ってシンプルで、大磯海水浴場ダンジョンのヌシをぶっ飛ばす事である。
ただ、崎守には一つ、個人的な腹案というか用向きがあるのだが。
「凄く良いですね」
歳三の小学生並みの感想に、崎守は頷く。
別に適当に答えているわけではなく、語彙力が欠如しているからこうなってしまう。
しかし歳三としてもこれはお世辞ではなく、本当にすごく良いと思っての発言だった。
どうにもこの地域だけ時が停滞しているかのような街並みなのだ。
いや、停滞というより、ゆっくり流れているかのような。
駅前だというのに高層階の建物が一つもなく、視界を占める緑色と空色の割合は都会の比ではない。
歳三は時の流れにそこはかとない恐怖を感じている。
世間様では10年が経ち、20年が経っても、歳三の精神世界ではせいぜい数年しか経っていないのだ。しかし世間は歳三を中年の男性として見る。
現に中年男性なのだから当然なのだが、歳三の中では自身が47を迎えた立派な大人だとはとても思えない。
精神年齢が低い…というような蔑みチクチクフレーズがあるが、歳三は自身の精神年齢が低いと思っているし、それを指摘されたこともある。だがその精神年齢とやらはどうやって成長させればいいのか?
歳三は空を割る事ができる。
高速度で繰り出される彼の手刀は大気を断ち割り、一時的な真空状態を現出させる。
歳三は海を斬る事ができる。
シャープに繰り出される彼の蹴撃は衝撃波と共に海を数メートル引き裂く事が出来る。
歳三は地を砕いた事がある。
それなりの力を籠めて振り下ろされる拳撃は3000万キロワットもの仕事率を誇り、周囲に小規模の地震を発生させるだろう。
これはつまり、歳三は瞬間的に日本最大級の富津火力発電所6基分のエネルギーを生産、消費出来る事を意味する。
しかし精神年齢を成長させる術は知らない。
社会経験を積め、と人は言うが、歳三はもっと分かりやすければいいのにななどと思っていた。歳三は曖昧な事が苦手だ。
~みたいな感じにやっといて、などという指示をされて上手くできた試しがない。しかし事細かく指示され、自身でも納得できた事に関しては失敗した試しがない。
空を割るのも海を斬るのも地を砕くのも、創作物中でやり方が提示されており、その通りにやればなるほど確かにこんな感じになりそうだなと自分でも納得出来たから実現出来た事だ。しかし精神年齢を上昇させる方法についてはどれもこれもが曖昧で、歳三は全く納得できなかった。
結句、今の彼は実年齢と精神年齢が大分乖離してしまっている。
この内外の年齢を、歳三としてはそれ以上広げたくないのだ。
なんだかみっともない気がするので。
そんな彼にとって、この大磯町というのは、外界の馬鹿げた時間の進行速度が抑えられているような、そんな心休まる町に思えた。
「海水浴場のダンジョンが一時的せよ消えてくれたら、湘南の海を楽しみにきた人でもう少しにぎわうのですがね。どうぞ、この度はよろしくお願いしますよ」
崎守の言葉に歳三は力強く頷く。
歳三はこれで居て根が小市民気質に出来ているので、立場のある人間から頼られるとどうにもやる気が出てきてしまう。
探索者の中には自身の生物的な強度をカサに着て、女を侍らせまくって毎晩種をばらまいたり、一般人に横暴にふるまったり、要するにチンピラめいた事をする者も少なくはない。当然探索者新法に抵触する行為をすれば検挙されるのだが、一般人警察官では探索者を取り押さえる事は難しい。
結句として、探索者の中には警察の手から逃れる者も少なくはなく、それが世間様からの探索者に対しての批判に繋がる事も往々にしてある。
だが歳三はそういった不良探索者とは一線を画す小市民ぶりであり、基本的に上からの命令には逆らわない根っからの飼い犬気質だ。その辺の使いやすさもあってか、探索者協会は歳三のメンタルへ配慮したりもする。
「…?ああ、佐古さん、さてはコレ、やりたいんですね?もう少しだけ待っててくださいな、私ぁ別に構わないんですが、一応公用車でね。車内禁煙なんですよ」
崎守が人差し指と中指で何かをつまむ仕草をしながら言った。
先程から歳三は頷いたり短く返事したりするばかりだ。
当初、崎守はそれを不機嫌さの表出かと思い内心焦ったが、歳三の上着の胸ポケットが盛り上がっており、歳三がしばしば胸に手をやろうとしているのを目ざとく捉えていた。
「助かります」
「ところで銘柄は何を?」
「エイトスターです」
「ああ、いいですねえ。男のタバコですよそりゃあ。最近はカプセルだなんだとありますが、あんなもんは女子供のオヤツですわな」
二人のおっさんは益体もない話をしながら、そんなこんなで車は役場へと到着する。
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「さて、あらためて大磯へようこそ、歓迎しますよ佐古さん。あ、こちらは大磯新報の記者の高木さんです」
歳三達が町長室に通されると、既にそこには先客がいた。
健康的な小麦色の肌が印象的な青年である。
全身から発される陽の気は歳三とは対極にあるものだった。
「はじめまして佐古さん!お噂はかねがね。それでそちらの方々は "桜花征機" の…」
高木の視線が "鉄騎" 達に向けられるが、 "鉄騎" も "鉄衛" もやや俯いたまま何も答えない。これは歳三以外の存在を虫ケラだと思っている…からではなく、自身の機械音声が余計な質問や疑問などを呼び込み、その対応に歳三をかかずらわせる事を嫌うがゆえの対応であった。
「あちゃ…嫌われちゃったかな?いや、一応事情というか、素性は伺ってはいるのですが」
高木が苦笑混じりに言う。
崎守の目論見に高木も賛同しており、高木としては歳三のみならず "鉄騎" と "鉄衛" からも話を聞いておきたかったのだ。
事情を知っているなら、と歳三は二機に指示を出し、身を包む外套を脱がせた。おお、と高木と崎守の声が漏れた。
"桜花征機" の技術の粋が詰め込まれているのが素人目にも分かる。
だが、と高木は内心で訝しんだ。
──機械探索者か。しかし、その有用性は否定されているはずだ。なぜ "桜花征機" は今さらそんなものを…?
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これまで肉体の一部を機械化した探索者というものは珍しくはなかった。しかし今回 "桜花征機" が開発したのは機械化する為のパーツではなくて、頭のてっぺんからつま先まで機械の探索者であった。これはとんでもない事である。
探索者が探索者として人外の能力を得るには時間がかかる。
強い思いを抱き、何度も死線を潜り抜ける必要がある。
探索者としての資格を得たから探索者です、とはいかないのだ。
しかし "桜花征機" の機械探索者は、本来かかる探索者としての成熟の為の時間を省く事ができる。
ただ、勿論デメリットもある。
まずは金だ。ダンジョン探索を可能とするだけの能力を持たせるというのは非常にコストがかさむ。人型の姿にダンジョンのモンスターに抗するだけの装備を搭載するというのは非常に難しい。
戦車などの近代兵器では駄目なのか?という疑問もあるかもしれないが、そういうモノでは駄目なのだ。
大変異直後、陸上自衛隊北部方面隊第5旅団隷下にある第6即応機動連隊は北見市に発生した大規模ダンジョンを調査目的で探索したが、ただ装備と訓練があれば何でも可能という幻想を打ち破る為の供物と化した。
要するに全滅したのだ。
ダンジョンは過酷で、不可解で、そして適応しなければ生き残ることのできない世界であるという事実を、彼らは最も悲劇的な形で示した。
それだけではない。
それまでただの一匹も漏れ出た事のないダンジョンのモンスターが現実世界へ漏れ出て、北見市は実質消滅したといってもいい被害を被った。その後の調べで、ダンジョンに近代兵器を以て挑む事は、ダンジョンの危険性を一番良くない形で最大限に高めてしまう事が分かった。
多くの犠牲を出しながら、政府はダンジョンについて調べを進め、更にいくつかの事が分かった。
戦車やら四駆やら、とにかく乗り物の類は皆駄目だったという事。
重火器にしても砲の類は駄目だが銃器の類は問題ない事。ドローンは不可解な故障が相次いだ為除外。ちなみに動物はモンスターと化してしまう。ただ、ロボットの類…人の形をしているロボットの類は不可解な故障も起きずに問題なく稼働をする事が確認されている。
そして、探索を一切せずに放置しているとダンジョン領域は拡大していくという事。国が探索者を保護、探索者への転身を奨励している大きな理由である。
それだけ聞くとダンジョンは厄の塊にしか思えないが、人間という種の進化を劇的に早めるような益もある事が分かり、また、ダンジョン内の素材が非常に有益なものである事が多い事も分かってからは政府の動きは実に迅速で、探索者協会もまさに電光石火のはやさで設立されるに至る。
ちなみに、機械探索者には "先がない" と一般的には考えられている。先とは探索者としての成熟に伴う能力向上の事だ。
機械には心がない、心無き存在は存在の階梯を昇る事ができない。だから人型ロボットを開発してもすぐに通用しなくなってしまう為リソースを割くのは無駄…これが定説であった。
しかし "桜花征機" はそんな金喰い虫をわざわざつくって、一般的には存在しないとされる精神、それに対する干渉を警戒して本来不要なマスター登録というフェールセーフ機能を設けた事になる。
大磯新報の高木は、その辺りの事情が気になって仕方が無かった。
── "桜花征機" は国営企業だ。つまり、国の指示で機械探索者を作ったと考えてもいいだろう。なぜだ?機械探索者の有用性はゼロとは言わないまでも、機械探索者で出来る事は他の探索者にだって出来る。膨大なリソースを注ぎ込んでまで…
機械探索者の欠点
心の有無
ダンジョンの干渉は精神にも作用する
心、心、心とは何か…精神とは何か
高性能なAIと言えども人の精神を模倣する事は出来ない
ならば、ならば…
そこで高木はハッと思考を止めた。
"鉄騎" の体勢が変わっている。
少し体勢を変えただけで、別におかしい事は何もない。
しかし、高木には "鉄騎" から非常に禍々しい何かが放射されている様に感じる。
赤いモノ・アイの光がまるで血の色に見えた。
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結局高木は思考を進める事をしなかった。
"鉄騎" の態度が余りにも厄かったからだ。
高木は "鉄騎" からそれ以上探るならば…という明確な意思を感じた。高木は思考が読まれたのかと思ったが、しかしそれは考えづらいと否定する。
──俺の、態度とか…声色とか…そういう部分から解析していたのか?思考を…?いや、しかし…
荒唐無稽なその考えをしかし、高木は否定できない。
とにかく高木としてはこの件は棚上げにする事に決めた。
命が惜しかったからだ。
大磯新報の記者として、ダンジョン周りの調査もしたことがある高木は、明文化出来ない勘めいたモノに命が救われる事もあると知っている。
そして翌日。
歳三はなぜこんな事になったのか、などと考えながら構えを取っていた。それは奇妙な構えだった。
──空手で言う…前羽の構えに似ているか?しかし、なぜあんな距離から…
空手の有段者でもある崎守は内心で小首を傾げる。
崎守は町おこしの策の一つとして、探索者協会への依頼を町おこしのイベントに落としこんだ。大磯にはこんな辣腕探索者も挑むようなダンジョンがあるんだと内外に知らせる為である。
魅力的なダンジョンは金の流れを生む。
都会の辣腕探索者が挑むような実入りが、大磯海水浴場ダンジョンからは見込まれるとなれば、県内外の探索者が集まってくるだろう。だがその為にはその辣腕探索者の存在を内外に広告しなければならず、そのために崎守は高木に協力させた。
高木もヴィクトリア・ホームの出身であり、町愛精神は旺盛である。ゆえに、大磯町の町新聞である大磯新報にスペースを割いて、仰々しく書き立てた。歳三が大磯町へたどり着く前に、すでに町内は歳三がデモンストレーションを行う事を知っていたのだ。歳三がもし断れば崎守は町民からの失笑と失望を買ったであろう事を考えれば、非常に強引に過ぎる手だと言える。しかし崎守はツテのある協会幹部から歳三の人となりを聞いて知っていたので、先に既成事実さえ作ってしまえば歳三がこれを断る可能性は低いと踏んでいた。
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【大磯新報】
季節は初夏を迎え、大磯海水浴場も海開きの日を待ちわびている町民の皆さんも多いだろう。しかし今、大磯海水浴場は深刻な問題を抱えている。
そう、ダンジョン化現象だ。
この時期、海岸は大規模なダンジョン化現象に見舞われ、これは秋が訪れるか、もしくはダンジョン最奥に潜むヌシと呼ばれる凶悪極まりないモンスターを倒さねばならない。
我々大磯町の人々にとって、海水浴場のダンジョン化は深刻な問題である。かつては観光の一大拠点であり、地元経済の重要な柱ともなっていたその場所が、今や不気味な異空間と化してしまったのだ。
だが皆さんもご存じの通り、このダンジョンは毎年必ず解放されるわけではなく、痛ましい犠牲が出てしまう事も珍しくはない。
だが今年、このダンジョンの解放に挑む者が現れた。その名は佐古歳三。都内在住のベテラン探索者である。なんとその等級は乙級。乙級という地位は探索者の中でも上位に位置する事はご存じの方も多いだろう。
そう、絶望的な状況ではないのだ。
佐古氏の挑戦が成功すれば、海水浴場は我々の手に戻る。だからこそ、我々は彼の挑戦に期待を寄せ、全力で支えていく必要があるのだ。
佐古氏の実力を直接目の当たりにしたい方は、近日中にふれあい会館の一階講堂に足を運んでいただきたい。
というのも、今回の探索に当たって、佐古氏は我々にそのベテラン探索者としての実力の一端を見せてくれるというのだ。開催されるデモンストレーションで我々は何を目にするのか、今から楽しみで仕方がない。
※佐古歳三さんのデモンストレーション詳細は、大磯町公式ホームページにてご確認ください。
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歳三は両の手の指先をやや曲げ、双掌を広げ、左腕を上、右腕を下方に構えた。前傾気味の仁王立ちといった風情からは磨き抜かれた暴を感じさせる。
おお、だの、これは、だのという騒めきがあがった。
観客の声だった。
さらにはシャッターを切る音が何度も響く。
歳三は高く積みあがった瓦の前に立っていた。
──『なるべく派手に頼みますよ!』
崎守の言葉が頭をよぎる。
派手にか、と歳三は心中で呟いた。
派手とはいえ、周囲を巻き込んだり、施設を破壊してしまうような技は使えない。であるならば…
──塵風(ちりかぜ)
技の名を思い浮かべると、頭の奥で何かがカチッと音を立てた。
歳三の身体が破壊を為す為に前方へ飛び出していく。
歳三が一々技に餓鬼っぽい名前をつけているのは、技の名前と身体の動作を直結させる為だ。身体記憶のそれに近い。
この技はこれこれこういう動作、とあらかじめ覚えさせておく。
すると、技の名前を思い浮かべる事により技の型通りに身体は動く。技に名前がないと、身体の動作をわざわざ脳内で確認しなければならない。これは一瞬が生死を分ける闘争に於いては致命的な隙となってしまう。
この辺りの理屈を、歳三は金城権太より教えてもらっていた。
§
瓦の眼前で右掌を、まるで掬いあげる様に振り上げるとその部分の大気が削り取られる。歳三の鋭い掌撃が局所的な真空地帯を作り出したのだ。
そしてその真空地帯の大気は当然の様に穴を埋めようと吹き込んでいく。
それは強力な吸引力を発揮し、瓦が吸い寄せられて一塊となる。
──なんだあれは!吸い寄せられたぞ!
──いつの間に瓦の前に!?
すかさず歳三はふりあげた右拳の鉄槌を落として、右膝と挟みこむ様にして瓦の塊群を粉砕し、右脚を大きく引く。この際、歳三はズボンの右膝部分の生地を引き千切った。
そして右脚の引きに引っ張られるように腰が自然と捻られ、右回転の腰の捻りから繰り出される左掌打が宙に残る右拳に叩きつけられた。
包拳礼の様なその形は掌中の空気圧を高め、温度を上昇させ、その高温は先程引き千切った生地への着火を導き、当然の様に爆発した。
爆手の変化形だ。
包拳礼の形では十分な空気圧縮ができないため、爆発の威力は低い。勿論一般人がまともに受ければ大怪我をするだろうが、観客は十分な距離をとっている。
「な、なな、なぁ……」
崎守と高木は口をあんぐりとあけ、歳三のデモンストレーションを見ていた。観客たちも似た様なものだ。
爆音に驚き、腰を抜かしてしまった者もいる。
響く爆音、立ち昇る炎をバックに歳三は包拳礼の形のままに静かにたたずんでいた。
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"鉄騎" の画像は近況にあげときます
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