第55話 洞窟の戦い②

 集団の最前列あたりで、キラキラした白い光が迸るのがチラリと見えた。

 それと共に少し前方から、おぉ、というどよめきが上がり、同じ方向から、叫び声や呻き声が反響してくる。

 柊士の陽の気が敵方を圧倒したのだろう。

 白い光が次第に見えなくなると、


「進むぞ!」


という蒼穹の声が響き、再び全体が駆け足に動き始めた。


 その道には、蛙はもちろん、黒く焦げた獣の死骸があちこちに転がっている。

 見るも無惨な光景に、俺は目を細め、それらが出来るだけ視界に入らないようにその場を抜けた。


 入口に近づくに連れて、外のざわめきが聞こえて来るようになり、それがどんどん大きくクリアになってくる。


 怒号や叫び声、ザザザっと土や砂を巻き上げながら多くの者があちこちに移動する音などがダイレクトに聞こえて来る頃には、大きく口を開けた出口から、松明のオレンジ色の明かりが煌々と外を照らし出しているのが見えた。


 土埃に血生臭い匂い。

 飛び交う矢。

 松明が倒れ、あちこちで爆ぜる火。

 飛び散る血飛沫。

 刀を合わせたまま睨み合う者達。

 地面に転がりうめき声を上げる者。

 刀を倒れた者の背に突き立てようとする者。

 爪を光らせ空から直滑降で降りていく猛禽。

 血でその毛を真っ赤に染め、それでも敵に食らいつこうとする獣。


 出口の向こう側には、駆け抜けてきた穴の中の惨状なんて目ではないくらいの、自分の考えていた覚悟が霧散してしまうほどの吐き気を催すような光景が広がっていた。


 更にそこへ、到着した軍団の兵達はもちろん近衛や人界の妖の一部も飛び出していき、戦はますます激しさを増していく。


「奏太様は、道が開けるまでは外に出ずに後方で待機を。」 


 亘は俺が動かないように、肩をグッと掴んでその場にとどめたが、こんな戦場では、足が竦んで、動きたくても動けない。


 妖連中ならまだしも、柊士だってこんな光景を見るのは初めてのはずだ。

 それなのに、柊士はじっと前を見据えて構えていて、動じていないようにも見えた。



 外の惨状は目を覆うようなものではあるが、敵方は裏切り者の寄せ集めと蛙の兵士達だ。

 朝廷の軍団と近衛、さらに人界の妖が加わったこちら側の方が数も力量も上回っている。

 素人目で見ても、趨勢はある程度見えたような気がしていた。


 ……それが起こるまでは。



「伏せろ! 陽の気だ!」


 唐突に、柊士の声が周囲に響いた。


 それと同時に、穴の入口の直ぐ側、松明の火が当たっていない暗がりから、白い光の粒と黒い光の粒が混じり合った気の力が広範囲に発せられた。


 茂みから離れていた者や、穴の入口で土壁に護られていた者は無事だったが、陽の気が発せられた周辺にいた者たちは、敵味方関係なく、焼かれていく。


 俺や柊士が発する気は、白い光だけなのに対して、白と黒が混じり合うのはハクの気の力だ。

 そして、もう一人……


「せっかくこの場を囲って朝廷の兵を日光と俺の陽の気で焼いてやろうと思ったのに、日が出る前にこっちが負けそうになるとはな。」


 暗がりから姿を表したのは、遼とそれを護るように取り囲む、兵士の集団だった。

 まだこれほどいたのかと思うほどの数だ。


 その内の一部が外の戦場に向き合うようにして、こちらへ合流してこようとする味方の兵達を牽制し、残りが俺達に向き合って穴の出口に立ち塞がる。


 外と内を完全に分断された形だ。


「太陽の光から逃げてきた奴らを俺の陽の気で正面から焼いて絶望する顔が見たかったんだけどな。お前らのせいで台無しだよ。柊士。」


 その言葉に、遼のやろうとした事を想像して鳥肌が立った。


 周囲の森で敵兵が待ち構えて囲まれる中、広範囲に広がった結界の穴から日光が出始めて洞穴に退却しようとしたところへ、穴に近い場所から陽の気が発せられれば兵士は逃げ場を失う。


 少なくともそうならずに済んだのは、人界の妖も加わったことで、遼の想定よりも早く方が付きそうになったからだろう。

 日光が出るのを待っていられなくなったのだ。


 ただ、今の状況も決して良い状況ではない。


 外にいる兵士たちは未だ混戦状態。穴の入口を守らなければならない以上撤退はできないし、戦いが長引けば、その内太陽が上ってしまう。

 穴の内側も遼に陽の気を発せられればただでは済まないが、こちらもやはり、退くわけにはいかない。


「……負けそうになったから、わざわざ捕まりに出てきてくれたのか?」


 柊士が硬い声で問いかけると、遼は鼻で笑う。


「そんなわけ無いだろ。不要なごみを全部燃やしに来たんだよ。」

「ごみ?」


 眉を顰めて問う柊士に、遼は底冷えのするような目で、穴の入口にいる者たちを見回した。


「鬱陶しいんだよ。幻妖京という場所に、妖になったあいつを慕う連中に、白月という名前。

 妖界の柵だらけじゃないか。

 そんなものが残っているから、ようやくこの手に戻ってきたのに、前までの関係に戻れないんだ。

 だから、全部を焼却するんだよ。綺麗さっぱり。もう二度と戻れないように。」


 遼のその言葉に、今度は柊士が嘲るように鼻で笑う。


「はっ、せっかく奪ったのに、白月に受け入れてもらえないのか。」

「あいつは白月じゃない。結だ。それなのに、白月なんて名前があって、白月として生きた記憶があるから、こんなことになるんだ。柵も記憶も、一回全部リセットしてやる。」

「……リセット……?」


 言っていることがすんなり理解できずに俺が呟くと、遼は口元をニヤッと歪めた。


「邪魔なものを全部取り払って、あいつの記憶も消す。全てリセットして、一からやり直すんだ。妖界の記憶だけ消せたら良かったが、そういうわけにもいかないからな。

 あいつは俺と一緒に、結としてもう一度やり直すんだよ。」


 ……開いた口が塞がらない。

 本当に全部消し去るつもりなんだろうか。人界と妖界で彼女が生きた全てを。

 自分の都合のいいようにコントロールするために。


「そのような事、赦されると思うのか?」


 泰峨がそう凄んだが、遼は表情を変えずにこちらを見据えている。


「お前らが赦すかどうかなんて関係ないだろ。」

「ハクだって、そんなこと望んでないハズだ。」


 俺もそう言い返したが、遼には何も響いていない。


「望んでなくても、どうせ直に全部忘れる。知ってるか?満月の夜にだけ咲く花の蜜から記憶を消し去る薬が作れるんだそうだ。」


 遼はそう言うと、チラッと空に目を向ける。


 同じように視線を上げてゾッとした。

 そこには、真ん丸の月が西の空に傾き浮かんでいる。


「お前らの“白月様”はもうすぐ居なくなる。その前に、お前らにも消えてもらうけどな。」


 遼はそう言うと、パンと両手を合わせた。


「蒼穹さん! 布を!」


 慌ててそう叫ぶと、周囲を守っていた兵達によって、複数枚の遮光カーテンが広げられた。

 遼から発せられた陽の気がカーテンに当たる。でも、きちんと役目を果たしてくれているようで、反対側に漏れ出ている感じはない。


「はぁ? 何だよ、それ。」 


 向こう側から、呆れたような遼の声が聞こえた。


 しかし直ぐに、ブスッっと一枚のカーテンに刀が突き立てられる。


 刀を突き刺されたカーテンに身を隠していた者たちのうちの一人が、呻き声を上げて地面に倒れ伏した。


「そんなのに包まってたら身動取れないだろ。出てこいよ。陽の気で焼いてやるから。そうじゃなきゃ、その布切れごと、串刺しだぞ。」


 遼の声が穴の中に反響する。


 ただ、こちらが遼の陽の気を警戒して動けないように、向こうも、俺と柊士を警戒して迂闊には動けないのだろう。ジリジリと空気が張り詰める。


 ……陽の気に耐えられる俺か柊士が遼を引き付けて隙をつけないだろうか。

 向こうは陽の気の使い手二人を同時に相手にする必要がある分、こっちのほうが有利なはずだ。

 遼を捕らえられさえすれば、陽の気を気にせず戦える。


「あのさ、亘、俺が遼ちゃんを引き付けてみるから、亘は柊ちゃん達と遼ちゃんを捕まえてよ。」


 近くにいる亘に、こそっと小さくそう声をかける。亘は目を見開き、思わぬ発言に驚いたように声を上げた。


「はぁ!?」


 しかし、亘に止められる前に、俺はバッとその場から飛び出した。

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