第147話 失踪の裏側②:side.巽

 遥斗が指し示したのは、背丈より高く生茂る笹薮の向こうだった。隙間なく枝が絡む笹をかき分け、奥に進む。本当にこんなところに連れ込まれたのかと疑念が湧いたが、しばらく行けば、笹と笹の間に道ができていく。


「こんなところがあったなんて……」


 巽は頭上を覆う笹の天井を見上げてそうこぼした。それに汐も考え込むようにつぶやく。

 

「上空を飛んだだけでは、これはわからないでしょうね。」 

「地上からでも入口が巧妙に隠されているのだ。見過ごしていても不思議はない。」


 亘の言葉に巽はコクリと頷いた。翼やはねのある者は、基本的には山を飛び越え里に入る。翼を持たぬ者も使い慣れた道を駆け抜けるだけだ。見回りはするが、山を隅々まで調査するようなことはしない。


「奏太様が無事に戻られたら、一度、近辺を細かく調べたほうが良さそうですね。」 


 でもまずは、奏太の救出が最優先だ。巽は、視線の先に現れた土の隧道を睨むように見据えた。



 鬼火の明かりが転々と灯る道を進むと重く頑丈そうな扉が現れた。

 扉には南京錠がかかっていて開きそうにない。どうすべきか、そう思っていると、亘はそれを自前の鉤爪で力まかせに破壊した。

 あんな風に強力な武器が自分にもあればいいのにと、つい恨めしく見てしまう。そこで、ふと疑問が浮かび上がった。


 ……あれ? そう言えば、何で外から鍵が……


 しかし巽がそう声に出す前に、亘は扉を蹴破って中に突入する。

 それと共に、ムワッとした甘い匂いが扉の向こうから漂ってきて巽は袖口で口と鼻を覆った。吸い込んだ途端にクラっと軽い目眩がし、頭に薄い靄がかかったような感覚に襲われる。

 亘も同じだったのだろうか。足元が僅かに揺れたように見えた。

 それとほぼ同時に、

 

「奏太様!!」


と汐が悲鳴をあげる。更に、亘がこちらがビクリとするような怒声をあげた。


「汐、巽、奏太様を!!」


 土壁に囲まれた穴蔵の中。壁に男が二人繋がれ、その空間の中央で、奏太が美しい女に抱きかかえられるようにしながら腹部と太腿のあたりから大量の血を流していた。女の頭には、白い二本の角。


 背筋がザワリとした。

 守るべき主の腹を、鬼に裂かせるなんて。


 巽は慌てて奏太に駆け寄った。亘が鬼の着物を掴んで奏太から引き離し、汐が奏太を支える。

 バシャリと妖界の温泉水をかけて奏太の顔を覗き込むと、しっかり視線が合い、荒かった呼吸が少しずつ安定してくる。

 

「奏太様、お体は……」

「……ありがとう……なんとか……」


 その言葉に巽はほっと息を吐いた。致命傷にならず間に合って本当に良かった。


「あの鬼は……?」

「大丈夫です。亘さんが今、始末を。」


 巽は安心させるようにそう告げる。しかしその途端、奏太は慌てたように声を荒げた。


「っダメだ!!!」

「は?」


 思わず間の抜けた声が出る。

 一体何に対して駄目だと言われたのかがわからず目を丸くしていると、奏太は身を捩って視線を巽の後ろに向けた。

 ただ、応急処置のために薬をかけただけなのだ。そんなに早く元通りになるわけではない。奏太は痛みに引き絞られるような声を出して蹲った。


「動いてはいけません!」


 鋭い声音を出した汐もまた、状況が掴めないのか戸惑うように奏太を見る。

 しかし奏太は汐の手を振り払い、脂汗を流しながら体を起こして亘のいる方へ向かおうとし始める。

 相当酷い怪我だったのだ。訓練もしない人の身では、意識を保っているだけでも辛いだろう。

 それでも、奏太は声を張り上げるのをやめない。


「……亘、やめろ!!!」

「奏太様! 大人しくなさってください!!」


 巽は動こうとする奏太を必死に押さえた。これ以上は動かないほうが良い。少しでも早く安全な場所へ移動させて、すぐにでも医師に見せたいくらいだ。無理をさせては傷を悪化させることになりかねない。

 それなのに、奏太は必死に亘の方に手を伸ばす。

 

「やめろ、亘!!! 巽、亘を止めろ! あの鬼を殺させるな、絶対に!!」

 

 奏太が、どうやら鬼を殺させたくないことだけはわかった。ただ、守り手様を傷つけた鬼を生かしておくという選択肢はない。むしろ、何故自分の腹を裂いた鬼の始末を止めようとするのだろうか。


 自分では動けないせいだろう。奏太は弱々しい力で必死に巽を押し、亘のところへ向かわせようとする。


 しかし、すぐにヒュッと小さく風を切る音が聞こえてきて、奏太は目を見開きピタリと動きを止めた。

 きっと、巽の後ろで亘が鬼を始末したのだろう。


 不意に、ギイと扉が軋んだ音が耳についた。そちらを見ると、僅かに開くその向こうに何かが動く。


 瞬間、


「その鬼を死なせるな!!」


という奏太の叫ぶ声が周囲に響いた。


「奏太様、落ち着いてください!」 

「どうなさったのです。先程から一体なにを……」


 戸惑う巽の胸ぐらを奏太は必死に掴む。


「……頼む……から……死なせちゃダメだ……! 巽……っ!」


 痛みに奥歯を噛み絶え絶えに言うその瞳には、強い懇願の色が映っていた。

 

 鬼をそのまま活かしておく事はできない。奏太が何らかの理由で騙されている可能性もある。でももし、奏太がそうまでして鬼の救命を求める理由と確信があるのだとしたら……?


 命を失わせずに済む手が無いわけではない。亘があれを持っていれば、鬼を無力化した上で魂だけをすくい上げることが出来る。一か八かだが―――


 巽はくっと顔を上げた。

 

「汐ちゃん、奏太様を頼む。」

「何をするつもり?」

「奏太様に危険が及ぶようなことはしないよ。でも、主の御命令だからね。」

 

 懐疑的な視線を寄越す汐に、巽はニコリと笑んでみせた。

 それから、自分を掴んでいた奏太の手を放させると、巽はタッと亘に駆け寄る。


「亘さん、トドメ、待ってください!」


 刀を振り上げ、鬼を一突きにしようとしていた亘を止めようと声を上げる。

 鬼は抵抗していたのだろう。ズリズリと這い回ったのか掠れた血の跡があちこちにあった。でも、今はもう、小さく浅い息をするだけで動く気配はない。


「奏太様がなんと言おうと、生かしておけないぞ。」

「わかってます。でも、考えがあるんです。」

 

 亘に斬られ、体をくの字にして地面に横たわっている鬼からは、血が流れ出し地面に広がっている。近づくと先程よりも強い甘い匂いが立ち上がってきて、巽は眉根を寄せた。亘はよく平然としていられるものだと感心する。


「この匂い、この鬼からですか?」

「ああ。恐らく血だ。匂いのせいで頭がハッキリしない。あまり近寄るな。」


 亘はそう言うが、主の望みを叶えようとすれば、その血に触れないわけにはいかない。

 

「亘さん、あれ、持ってませんか?」

「あれ?」

「あれです。商人から奏太様が買った水晶玉。」


 持っていなければ、在り処を聞いて取りに行く必要がある。管理庫に預けられていない以上、亘が持っているか御本家の何処かにあるのだろうが、御本家にある場合、取って戻ってくるまで、この鬼が持つかが心配だ。妖界の温泉水は奏太に使ってしまった。

 

「…………持ってはいるが……」


 亘はゴソゴソと懐を探り、掌に小さな水晶玉を乗せた。巽はそれにホっと小さく息を吐いた。

 

「貸してください。」


 差し出されたそれを掴むとその場にしゃがみ込む。さらに、傷口にググっと水晶玉を押し付けて、体内へねじ込んだ。


「巽、一体何をしている?」

「あの行商人は、大量の血液に浸して魂を移すと言っていたでしょう。これを使えば、この鬼の命をすくい上げられると思って。」


 巽が説明すると、亘からはイライラとした口調が返ってくる。

 

「相手は奏太様を害した鬼だぞ。奏太様を謀っていた可能性の方が高い。」

「そうかもしれませんが、魂だけならば危険はありませんし、何より主がお望みですから。」


 巽は片手を血に染めながら、体に押し込んだ水晶玉を見つめる。 

 あの時に行商人から聞いた話では、作成者は結局誰も救えなかったと言っていた。上手くいくかは正直わからない。

 それに、魂が宿るとどうなるのかを聞いていない。何か変化があるのか、成功か失敗かを判断する術もない。とにかく、何らかの変化があると信じて固唾をのんで水晶玉の変化を待つしかない。


 そうして見つめているうちに、不意にぽうっと小さな橙色の光が水晶玉の中央に灯ったように見えた。

 それはまるで、ランプに入れられた小さな小さな鬼火のようで、誰も何も言わずとも、魂が水晶玉に移ったのだろうということが分かった。


「成功したかも知れません」


 巽はホッとしながらそう言うと、鬼の体から水晶玉を取り出し、コロンと転がるそれを亘に見せた。

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