第146話 失踪の裏側①:side.巽
時は少し遡る。
巽は非番のその日、奏太の護衛任務に同行させてほしいと頼み込み、渋る亘を押し切って奏太の家にやってきていた。
「少しでも護衛の時間を増やして、奏太様に護衛役だと認識していただきたいんです!」
護衛役と名がついていても、あくまで補佐。しかも、主の認識の中では未だに巽は案内役であり、武に関する期待をされていない。
正規の案内役である汐がいる以上、巽は奏太にとって完全におまけだ。少なくとも、巽はそう思っていた。
だから、何とかお役に立ち、少しでも頼りにしてもらいたいと熱意を伝えたつもりだったのだが、訴えかけた先輩護衛役には、呆れた顔をされてしまった。
「邪魔をしなければ何だって良いが、家の外から護衛するだけなのに、どうやって護衛役と認識していただくつもりだ?」
「うっ……で、でも、何かあった時に真っ先に……」
「あの方に何かがないように未然に防ぐのが護衛役の仕事でしょう。」
亘と共に様子伺いで同行していた汐にも溜息をつかれ、情けない気持ちで巽は肩を落とす。
「だいたい、非番ならこんなところに居ないで柾に稽古でもつけてもらったらどうだ? 力をつけるほうが先だろう。」
亘の正論に、巽はパタリと耳を塞いだ。その通りである。その通りではあるけれど、今はできるだけ奏太の側にいて、役に立てるようになりたかった。
あと、柾の稽古は精魂使い果たすまで絞られるので、出来る限り避けたい。
――― 一体、何を焦っているのか。
この前、柾に稽古をつけてもらい、ボロボロの状態で休憩していたらそう問われた。
もともと巽は護衛役への憧れが強かった。でもそれはなにも巽に限ったことではない。里の武官も、武官を目指す子ども達も、皆が憧れ目指す立場だ。
でも今の巽にとっては、それ以上の思いがあった。
案内役を任された時には、それでも誉れだと、いつか頼れる護衛役になれたら良いと、そう思っていた。
変わったのは、あの事件。
あの日、巽は奏太の側近くに仕える立場にあるにも関わらず、主を危険から守る前に蚊帳の外に出されたのだ。“案内役”という言葉と共に。
行方知れずの晦と朔を探すことは主が望んだことだった。しかし、護衛役を最後まで全うできず自分に何の手出しもできないところで、あわや、亘を含む他の護衛役が殺され主を奪われるところだったのだ。
力量など関係ない。せめて自分がそこに居たらと、守り手に仕える護衛役として仕事ができていればと、武官であれば思わないわけがない。
”たとえ自らが死しても、守り手様を御護りしてこその護衛役”
自分がいて何か出来ていたかはわからない。それでも、あの日の話を聞けば聞くほど、奏太の盾にくらいはなれたのではと思ってしまう。
そうすれば、主があそこまで心を痛めることもなかったのではと。
亘が眠っている間、奏太が汐を遠ざけていた間、ずっと側にいたからこそ、巽は奏太の痛みを一番に感じ取っていた。
あの事件は、あの場に居なかった巽にも大きな爪痕を残していたのだ。
『焦り』
柾が言う通りなのだろう。それでも、少しでも主の近くに、少しでも何かのお役に、そう思わずにはいられないのだ。
巽達は日暮れすぐに里を出て、奏太の家に向かう。
基本的に外からの護衛時は、人間社会で目立たぬよう普通と同じ大きさの鳥や虫、獣の姿で周囲の警戒に当たる。そういう意味では白鷺である椿は少々目立つのだが、奏太の家の庭の目立たぬところにいることが多いらしい。
この日も同様に、奏太の家に生える木に隠れるようにとまり、家の周囲を警戒していた。
奏太の部屋の明かりはついていない。ただ、今日はどこかに行く予定とは聞いていなかったし、御本家に連絡も入っていないそうで、自宅の別の部屋にいるのだろうとしばらく様子を見ていた。
しかし、待てども待てども、奏太の部屋に明かりがつく様子はない。
「まさか、いらっしゃらないなんてことは……」
「確かに、普段ならそろそろ御部屋にお戻りになる時間だが……」
巽がそうこぼすと、亘も不安気に奏太の部屋の窓の方を見る。
「少し様子を見てくるわ。御不在なら、御両親にどちらへ向かわれたのか伺ってこないと。お出かけになるなら御本家に一報をとお願いしておいたはずなのに……」
汐は、不満と心配を混ぜたような声で言いながら、ひらりと庭に舞い降りる。それから、フッと蝶の姿から人の姿に変わると、躊躇いなく玄関口に向かっていった。
「汐ちゃんは、奏太様の御両親と面識が?」
「妖界での戦の折、こちらで我等の帰りを待たせて頂いていたようだ。その話を持ち出すと汐の機嫌が悪くなるから、ここだけの話だが……」
亘はそう言うと語尾を濁した。
異変があったのは、汐が玄関に向い始めてすぐのことだった。一人の青年がまるで見計らったかのように、汐の下へ駆け込んできたのだ。
「……あれは、奏太様の御友人ではなかったか?」
確かに、巽も一度だけだが見たことがある顔だ。あの忌まわしい事件が起こったその日に。
「……た、助けて……! 奏太が……!」
その言葉に、空気がピリッと震える。亘は枝を蹴って飛び、人の姿に変わって庭に降りた。巽も慌てて人の姿に変わって亘の背を追う。
「小僧、何があった?」
奏太の友人……遥斗といったか。青年は突然現れた巽達に驚く素振りもなく駆け寄り、縋るように亘の服を掴んだ。
「奏太が連れて行かれたんです! 頭に角を生やした女に……!」
「角……? まさか、鬼に……」
汐の声に、巽と亘は視線を交わす。
「君、奏太様は、どこからどちらの方角に連れて行かれたか分かる?」
「あ、あの山を登ったところです。途中まで追いかけたんですけど、洞窟の奥の扉の中に入ったみたいで、開かなくて……」
「扉?」
巽は眉を顰めた。鬼界との綻びから出てきた鬼ならば、そんなところに連れ込むような事をするわけがない。人界に住み着いていると考えたほうがいいだろう。しかも、里の直ぐ側に。
何故そんなところに鬼がいて、何故奏太が連れ去られるまで気づく事が出来なかったのか。
危険を見逃していたという事実に、思わず唇を噛む。
「汐、御本家へ知らせた上で椿と柾を呼べ。万が一奏太様が戻った場合にここの守りは残したい。巽、行くぞ。」
亘は汐が駆け出すのを横目に、そのまま人目も憚らずに大鷲の姿に変わる。更に、バサリと羽ばたき、両の鉤爪で遥斗の肩辺りの服を掴んで持ち上げた。
宙吊り状態で持ち上げられた本人は、声も出ないのか目を大きく見開き表情を固める。
「呆けるな。案内しろ、小僧。」
さすがに普通の人間相手に無茶苦茶ではないだろうか。一瞬そう思ったが、巽は口を噤んだ。急ぎたいのは巽も同じだ。人の形をしたものが鷲に変わったなど説明に苦慮しそうだが、きっと後から柊士達がなんとかしてくれるだろう。
巽も小さなトンボの姿に変わって、亘の側まで飛び上がった。
山の中腹まで飛び、遥斗に何とか説明させて近しいところまでいくと地面に降りる。鬱蒼とした木々の間を大きな翼を広げて飛ぶことはできない。
亘は再び人の姿に変わって駆け出した。巽もいつでも戦えるように人の姿に変わった。
しばらくすると、蝶の姿の汐が追ってくる。亘は遥斗に先導させて走りながら厳しい声音を出した。
「汐、連絡はどうした?」
「待機していた連絡係に伝えたわ。」
「それなら、里に帰れ。危険だ。」
亘の言葉に、汐はフンと鼻を鳴らす。
「何それ。案内役だからって、また置いてけぼりにするつもり?」
「お前を守りながらは戦えない。」
「案内役なんて足手まといで役立たずだって言いたいわけ?」
「そうじゃない。ただ、今はお前の出る幕じゃないだろう。」
「私の知らないところで奏太様や貴方達が死にかけるような目にあって、気づいたらすべてが終わってるなんて、お断りよ。」
亘と汐は言葉の応酬を繰り広げる。
巽としては、どちらの言い分も分かる。
武官でない汐を連れて行くのは、汐の身を考えれば危険極まりない。何かがあれば、優先されるのは必然的に奏太になるからだ。
でも一方で、巽には、汐の気持ちが痛いほどによく分かった。非力だからと置いていかれて、その先で主に何かあっては、後悔ではきっと済まない。
「しかし、お前に何かあれば奏太様が……」
「それは、亘さんも一緒ですよ。汐ちゃんがいることで助かることもあるはずです。人数は多いほうがいいと思いますよ。」
巽は気づけば、二人の間に割って入っていた。
「汐ちゃんだって、危険は百も承知、いざとなれば見捨てられるし、むしろ奏太様の盾になる覚悟くらいはあるはずです。」
そう言いつつチラリと汐を見れば、肯定するようにふわりと舞い上がる。それに巽はニコリと笑ってみせた。
「それでも、奏太様を放っておけないし、お役に立ちたいんです。どんな時だって。何もできずに主を失うことほど辛いことはない。でしょう? 亘さん。」
今度は亘を見れば、まるで苦いものを飲み込むように口を引き結んでいた。
「奏太様が一番だけど、奏太様が守りたいものもできるだけ守りたい。気持ちは分かりますけど、亘さんは御自分の信念を他の者に押し付けすぎです。汐ちゃんには汐ちゃんが守りたいものもあるんです。」
僕も、ですけど。
巽は口元で小さくそう付け加える。
すると、亘は盛大に息を吐き出した。
「わかった、わかった。勝手にしろ。その代わり、奏太様は私に汐を守れと言ったんだ。奏太様最優先ではあるが、その次くらいには、自分のことを優先してくれ。」
亘は観念したように汐を見る。当の汐は短く、
「善処はするわ。」
とだけ返した。
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