第148話 水晶玉の魂①

「体は捨てざるをえませんでしたが、魂の方は確保できたと思います。ただ、これ、どうしましょう?」


 困ったような顔で、巽は握っていた掌を広げた。その上には真ん中がオレンジ色に光る小さな水晶玉が乗っている。


「……魂の確保……?」

「人の祭りで奏太様が手に入れた水晶に魂を籠めたんです。あ、あの、勝手に使ってすみません。」

「……それはいいけど……本当に生きてるの……?」

「……生きていると言っていいかはわかりませんが……」


 鬼の体がある方を見ると、血だらけで地面に横たわったままピクリとも動かない。あれだけを見れば、死んでしまったのだと言わざるをえない。

 本当にこの中に魂があるのだろうか。そう思いながら巽の掌に視線を戻すと、巽は水晶玉を俺に差し出した。

 

 受け取りじっと見つめると、まるでランプの中の鬼火のように中央の光が揺れる。確かに買った時には真ん中に光なんてなかった。でも、水晶玉の真ん中で揺らめくオレンジ色は鬼火にくらべるとあまりに頼りなくて、なんだか不安になる。


「ひとまずここを出ましょう。お話はその後に。奏太様の手当をしなければ。」


 汐の言葉に、亘と巽はコクリと頷く。汐に支えられ亘におぶさると、刺された腹も足もズキッと酷く痛んだ。


「大丈夫ですか?」

「……なんとか。それにしても、よくここがわかったね。」

「ええ、貴方の御友人が助けを。」


 亘はそう言うと、一箇所にピタリと視線を止める。

 一体いつから居たのだろう。そこでは遥斗がじっと鬼の体を見下ろしていた。


 遥斗はあの狐面の男に従っていたはずだ。俺を助けるために亘達を呼んでくるとは思えない。それに、そもそも遥斗は亘達を知らないはずだ。それが何故……

 

「ねえ、死んだの? 死んでないの?」


 不意に高揚を抑えるような遥斗の声が響いた。巽が遥斗の隣まで歩み寄り、鬼の体を確かめる。


「この体はもう抜け殻だよ。」

「だから、死んだの? 死んでないの?」


 遥斗は巽の返答が不満だったのか、イライラしたようにもう一度繰り返した。

 

「体のことだけで言うなら死んだと言っていいと思うけど。」


 巽が言い直すと、遥斗はニヤァと唇の端を歪めて笑った。それから、勢いよくその場にしゃがむと鬼の体に覆いかぶさり、血の滴る部分に顔を押し付ける。ズズっと啜るような音がして、ざわっと鳥肌が立った。


「やめろ! 何をやってる!!」


 巽が首根っこを掴んで引き剥がすと、遥斗はジタバタともがく。


「放せ!! 死んだら好きにしていいと言われたんだ!! 血をよこせ!!」

「好きにしていいと言われた? 一体誰に?」

「知るか! いいから放せ!」


 巽の質問にも答えずに、我も忘れて暴れる遥斗は、まるで人が変わってしまったかのようだ。

 一方で、普段は少し頼りなくとも、巽だって常に鍛えられている武官だ。遥斗がどんなに暴れても、あまり動じている様子は見られない。


「たぶん、鬼の血を飲んだせいで正気じゃないんだ。妖界の温泉水を飲ませないと。誰か持ってない?」

「奏太様に使ってしまいました。それに、まだ奏太様にも足りていません。」


 汐がそう眉尻を下げた。


「なら、本家に運ぼう。覚えていれば、いろいろ聞きたいこともある。巽、頼むよ。」 

「運ぶのは良いのですが、背に乗せたら落ちそうですね……手で掴んで連れていくしかなさそうです。それにしても、このような状態でよく我らを……」


 巽が未だにジタバタする遥斗を捕まえながらそう言ったところで、入口の方からバタバタという足音が複数聞こえ、皆がその場に身構えた。


 扉が開かれると、見覚えのある黒い大犬が姿を現す。心底嫌そうに鼻の上にくっきり皺を寄せている姿ではあるが、頼りになる臨時の護衛役に、俺達はほっと息を吐いた。

 

「……ここは酷い臭いだな。」


 大きな黒犬の姿から、ふっと人の姿に形を変えた柾の後ろからは、更に数名の武官が部屋の中にバタバタと入ってくる。

 

「柾、奏太様の家の守りはどうした?」

「椿に任せた。お前らが正確な場所の情報を寄越さないから、鼻の良い私が駆り出されたのだ。」

「我らにも定かではなかったのだ。仕方がないだろう。」


 亘が言うと、柾はフンと鼻を鳴らす。


「それより、ちょっと妙なことが多くてな。調査が必要そうだ。柾にここの守りを任せたい。そっちの者共の対処も必要だしな。」


 亘は視線を壁際に繋がれた男たちに向けた。これ程の騒ぎになっても、彼らは未だ変わらず、ぼうっとしたまま何の反応も見せない。治療をすれば、もとに戻れるのだろうか。

 それに、他にもまだ気になることがある。


「柾、念のため鬼の体も確保しておいて。もしかしたら調べる必要がでてくるかも。」

 

 柾は亘と俺を見て、更に周囲を見回すと、あからさまに嫌そうな顔をした。


「御命令ですから従いますが、既に鼻が曲がりそうなんですが。」 

「処理自体は他に頼んでもいいけど、指揮は信頼できる者に任せたいんだ。頼むよ、柾。」


 拓眞の件、狐面の件、鬼の血、遥斗の言動。その前のいろいろな事も含めて考えると、正直誰を信用していいのかわからなくなってくる。

 柾は遥斗と違ってここの匂いに嫌悪感を示しているし、何より誰かに支配されるような状態を想像できない。根拠はないけど、任せて良いとそう思えた。


 柾は片眉を上げてじっと俺を見た後、フゥと息を吐きだした。


「承知いたしました。守り手様。」


 

 柾に後を丸投げして本家に向かうと、慌ただしく村田に迎えられた。


「あぁ、良かった、奏太さん。これで柊士さんも無事に見つかれば……」

「……村田さん、柊ちゃんもって?」


 俺が眉を顰めると、村田はハッと口を噤む。それから、言うべきか迷うように、ぐるりと汐、巽、亘を見た後、俺に視線を戻した。


「……西の里に行かれ、お母様の墓参りに行っている最中に行方が分からなくなったそうです。まだお帰りになっていないと……」

「電話は?」

「お出にならないそうです。私からも何度か連絡しましたが、コールは鳴っても出られる様子はありません。」


 柊士ならば大丈夫かもしれないが、今の今まで自分が遭ってきた出来事を考えるとどうしても不安になる。


「……探しに行ったほうが良いかな……」


 ポツリとつぶやくと、汐がふるふると首を横に振る。


「あれ程のお怪我を負ったのです。大人しくなさっていてください。」

「ええ、奏太さんはこちらに居てください。西の里の者達が総出で探しているそうですし、柊士さんも、きっとそれを望まれます。」

「こちらの処理もありますしね。柾さんが戻った時にいらっしゃらなかったら、たぶん怒られますよ。」


 村田と巽にも続け様に言われ、俺は頷かざるをえなかった。


 

 汐が村田に軽く状況を説明し、いつの間にかダラリと生気を無くしたようになった遥斗を別の武官達に任せる。しばらくすると、俺と遥斗の診察のために尾定が呼ばれて本家にやってきた。

 一室に通され寝かされたが、周囲は慌ただしい。


「あのさ、皆が忙しいところ悪いんだけど、☓☓遊園地のお化け屋敷に、ネズミの妖がいるんだ。連れてきてって誰かに伝えてくれない?」


 側に控えていた汐に言うと、汐は困ったように俺を見た。


「大人しくなさってくださいと、何度申し上げたらわかってくださるのです?」

「わかってるけど、早めに解決しておきたい事があるんだ。頼むよ。」

「奏太様、そのネズミが何か?」


 巽の問に、俺はしばらく前に遥斗と遊園地に行ったときのことを話す。鬼火と話せるネズミにお化け屋敷で会ったことを伝えると、汐はムッと眉根を寄せた。


「聞いていません。」

「……だって、どうせ反対されると思ったから……昼間だったし、遥斗のこともその時はよく知らなかったし……それに、ネズミの妖と鬼火に会ったってだけで、それ以外には別に何も……」


 今日も日中だからと遥斗について行った結果これだ。歯切れの悪い言葉しか出てこない。不満げな汐から目を逸らしていると、扉の前にいた巽がすっくと立ち上がった。


「では、私が行きましょう。椿も合流しましたし、亘さんもいればここの守りは十分でしょうから。」


 確かに、部屋の中には亘がいて、扉の外は椿が守っている。本家の中にも武官は複数いる状態だ。


 あのネズミは俺に対してすら怯えていたし、人当たりの良い巽が行ってくれると助かる。

 

「ありがとう。任せるよ、巽。」


 俺が言うと、巽はニコリと嬉しそうに笑って頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る