第149話 水晶玉の魂②

 巽が連れてきた、体長50センチくらいの立って歩く縫いぐるみのようなネズミは、思っていた以上にガチガチに緊張していた。ちょっとの物音で怯え、今にも泣き出すのではというくらいに大きな目を潤ませている。


「ま、まさか、俺が、日向様の、ご、御本家に……」

「あのさ、そんな大層なものじゃないから、ちょっと落ち着いてもらえないかな?」


 小きざみに震え続けるネズミに向って言うと、ビクゥっと肩を大きく揺らされた。


「人界の妖達の頂点に並び立つ方が、大層な者じゃ無い訳ないですけどね。」


 巽が余計な事を言うのを、俺は睨んで黙らせる。

 

「あの、と、頭目様、お、俺、お言いつけどおり盗みは働いていません……! 悪さも……あの……黙って借りることはあっても、きちんと返してますし……あの…………」


 聞いてもいないのに、ネズミは自分の無実を釈明し始めた。一体巽は、何と言って連れてきたのだろうか。

 

「巽、連れて来る時、ちゃんと説明してくれた?」

「ええ、力を借りたいと。ただ、奏太様の使いだと伝えた途端この有り様で。」


 巽は呆れた様子で両手を挙げてみせた。巽相手でこの状態だ。亘なんか行かせていたら、気絶していたのではないだろうか。


「いっそ、一度本気で脅かしてみますか? 逆に驚きで緊張が解けるかもしれません。」


 亘が真顔で物騒な事を言い始めたが、そんなショック療法を試したら、それこそ気絶どころか天に召されるのではないだろうか。


「やめろよ。とりあえず、この場の人数を減らそう。皆、この部屋を出てくれないかな。俺とこのネズミだけなら以前に話をしたことがある分、少しはマシかもしれないし。」

「奏太様と得体の知れないネズミを二人きりにするわけにはいきません。」


 汐は凍りつくような視線をネズミに向けながら言う。こんな目で見られたら、俺だって口を噤む。

 誰か残すにしても、汐は却下だ。もちろん、本気でショック療法を試しそうな亘も。それに、巽は既に来るまでの間で怯えられている。


「……わかった。椿だけ残す。巽、行ったり来たりで悪いけど、柾の様子を見てきて。汐は柊ちゃんの方がどうなってるか粟路さんに確認を。亘は部屋の外で警護。あと、まだハッキリしないことが多いから、念の為、水晶玉のことは口外しないで、ここだけの話に留めておいて。」


 俺が指示を出すと、汐は不満げに、亘と巽はこちらを気にするようにしながら出ていった。



 部屋の密度が減ったおかげか、ネズミはいくらか落ち着いたように息を吐いた。

  

「そう言えば、お前、名前は?」

「名なんてありません。其処そこらの妖など、名のない者が殆どっす。」


 名前がないとは、なんとも不便だ。『ネズミ』と呼ぶのもどこのネズミかわからないし、『お前』だと、複数人いる時に誰に話しているのか分からなくなる。

 とりあえず、仮でも名前があったほうが良い。 


「じゃあ、ここではひとまず……うーんと…………あ、そうだ、チュウって呼んでいいかな? ネズミだし。」


 字は『忠』あたりが良い気がする。発想が安直だが、この場限りのあだ名みたいなものだ。別にいいだろう。

 そう思ってネズミを見ると、丸くてキラキラした目を大きく見開き、何故か突然、ポロリと涙をこぼした。


「え? は? ご、ごめん、そんなに嫌だった?」


 適当にあだ名をつけたのが良くなかったのだろうか。あたふたしながら慌てて謝ると、椿が見兼ねたように声を出す。


「そうではなく、単純に嬉しくて感動したのでは? 守り手様から名前を賜るような栄誉、普通はありえませんから。」


 視線を椿からネズミに戻すと、ネズミはコクリと頷いた。


「とても光栄なことです! ありがとうございます! 頭目様!」


 まさか、こんな風に有難がられるとは思わなかった。もうちょっとちゃんとした名前にしてあげれば良かったかもしれない。ネズミだからチュウなんて、さすがにちょっと名付けた方が恥ずかしい。

 ただ、ここまで感動されておいて、今更取り消しできるような雰囲気でもない。


 ……ひとまず、『忠』ってことにしておこう。『ただし』って名前があるくらいだ。変な意味は無いだろう。


 俺はそう自分に言い訳をして納得することにした。


「忠も、その『頭目様』っていうの、やめてよ。」

「……じゃ、じゃあ、なんとお呼びすれば……」

「奏太でいいよ。妖連中は皆そう呼ぶし。」

「わかりました! 奏太様!」


 忠はそう言うと、深々と頭を下げた。



「それで、忠にお願いしたいのは、これなんだけど……」


 俺は中央でオレンジ色を揺らめかせる水晶玉を取り出して忠に見せる。


「この中に、魂が入ってるんだ。鬼火と話ができる忠なら会話できないかなと思ったんだけど……」


 鬼火も元は人や妖の魂だ。炎のようなものを纏う鬼火とは違うけれど、魂という点では共通している。水晶の部分が邪魔をする可能性はあるものの、話ができるのではと思ったのだ。


 忠はじっと、俺の手の中にある水晶玉を見つめる。


「出来るかわかりませんけど、ちょっとお借りしてもいいです?」


 俺は頷いて、忠の小さな手の上に水晶玉を乗せた。俺達には小さな水晶玉でも、忠にとっては片手で持つには大きかったのだろう。両手を広げて丁寧にそれを持ち、じっと見下ろした。


「あの……俺の声、聞こえますか?」


 忠は躊躇ためらいがちに水晶玉に語りかける。しかし、反応がなかったのだろう。もう一度、


「あ、あのぉ……」


と呼びかける。

 

 ……やはり、だめだったのだろうか。

 

 そもそも、行商人の話自体がかたりだった可能性もある。たとえあの話が真実だったとしても、上手く魂を移せたかはわからない。


 ただ万が一、あれが本当に狐面の言う通り本人だったとしたら、絶対に失ってはいけない者だった。しかも、亘の手でなんて……

 

 そう背筋が寒くなった時、忠の表情が急にぱっと明るくなった。

 

「あぁ、良かった! ちゃんとお話できそうで!」

「……話せた……のか?」


 俺が問うと、忠は得意げに頷く。


「はい、大丈夫そうです!」


 俺はホッと息を吐き出した。どうやら、あのまま命を失う事だけは避けられたようだ。忠も話ができるのなら、きちんと状況を確認することができる。あの男の言っていた事の真偽も。


「忠、それならまず、中に居るのが誰か確かめてくれるかな。」

「はい!」


 忠も、連れてこられた自分が役目を果たせる事に安心したのだろう。元気な返事が返ってくる。


「あの、俺、忠って言います! 今、奏太様に名前を賜ったんす!」


 忠はへへっと笑いながら、水晶玉に自慢するように言った。よっぽど嬉しかったのだろうが、そんな事はどうだって良い。伝えてほしいのはそんな事じゃない。


「ああ、駄目っすよ。奏太様を呼び捨てにするなんて。ちゃんと敬わないと、里の皆様に殺されちゃいま……」


 向こうの反応がどういうものだったかはわからないが、忠はそこまで言ってから、ハッと椿を見て口を噤み、ツイッと天井の隅に視線を逸らした。椿はジロっと忠を睨む。どう考えたって口を閉じるのが遅い。


 俺が椿を制すると、椿は小さく息を吐いた。

 水晶玉が更に何かを言ったのだろう。忠は再び水晶玉に耳を傾ける。

 

「え? ええ、まあ、お元気そうではありますが……」

 

 忠は確かめるように俺を見てから頷いた。

 

「ねえ、なんて言ってるの?」

「あの、奏太様がご無事で良かったと……」


 無事じゃないのは自分のはずなのに、俺の心配をするなんて、狐面の男が言っていたことが真実味を増して、胸騒ぎがする。

 

「貴方のお名前を伺っていなかったので、教えてください。お名前、あります?」


 優越感たっぷりの表情と言い方で忠は尋ねる。向こうに見えているかはわからないが、なんだかイラッとさせられる表情だ。

 しかし、思ったような答えが帰ってこなかったのだろう。忠はすぐに不思議そうな顔で首を傾げた。


「……なんて答えればって? それは、名前はあるけど、忘れてしまったってことっすか?」


 更に質問で返すと、忠は先ほどよりももっと深く首を横に傾ける。よほど不可解な事を言われたのだろう。


「……はぁ。タマグモに、ハクゲツに、ユイに、名前のない兎っすか。名前をたくさん持つ妖もいるらしいっすけど、随分……」


 忠の返答に、ドクンと心臓が大きく脈打った。


「……忠、中の人物は、本当に白月だと言ってるの?」

「はい。ただ、名前がたくさん出てきたので……」


 タマグモは知らない。でも、結も白月も兎も、呼び名や姿は違っても、同一人物の事だ。最初に出た名前が、もしもあの鬼の名だとしたら……


 忠は再び水晶に視線を落とす。


「あの、貴方のお名前は、白月さんで間違いないっすか?」


 ギュッと拳を握り、返答を待つ。


「……そうだと言っています。目が覚めたら、タマグモと言う名の鬼の中にいたと。あの……魂を入れ替えられたと言ってます。」

 

 俺は思わずガバっと忠がもつ水晶玉の方に体を乗り出した。しかし、その勢いでズキッと脇腹が痛み動きを止める。


「……あいつの……言ってた通りってことか……!」

 

 うめき声と共に、思わず声が出た。

 

 それと同時に、扉の向こう側で亘がガタッと音を立てて立ち上がったのがわかった。 

 俺は小さく舌打ちをする。こちらの言葉が届くところに亘を置いておくんじゃなかった。

 

 ここにある魂が本当にハクの魂だとすれば、知らなかったこととはいえ、亘はハクに手をかけたことになる。


 バン! と乱暴に扉が開き、亘が怒りと困惑の混じったような顔で忠を睨みつけた。

 

「何を馬鹿な事を!! それが白月様であるわけが……!!」


 亘の怒声に、小さなネズミは、ヒィっ! と声を上げて息を呑み、その場に蹲って震え始める。


「亘、やめろ! この水晶玉の中の魂と話ができるのは忠だけなんだ!」


 椿に支えられながら体を起こし、亘を制する。俺が慌てている場合じゃない。亘にはしっかりしていてもらわないと困る。

 

「しかし、あのような出鱈目を……っ!」

「落ち着け。たぶん出鱈目じゃない。あの土の部屋の中で、俺は狐の面をつけた奴にそう教えられた。お前が鬼を始末するのを止めたのも、巽に鬼を助けるように言ったのも、それが理由だ。さすがに、あんな怪しい奴の言ったことをそのまま信じる訳にはいかなかったし、半信半疑だったけど……忠は結ちゃんやハクの事を知らないはずだろ。」


 そう。忠が知るわけがない。ずっと遊園地のお化け屋敷に引きこもり、里と関わりを持たないようにひっそりと暮らしていたと聞いた。本来、その口からハクと結、兎の話が出るわけがない。


 俺がじっと亘の目を見据えると、亘は顔を青褪めさせて動きをピタリ止めた。

 

「………………まさか…………そんな事が…………」


 亘はそのまま言葉を失い立ち尽くす。


「頼むから、大人しくしててくれ。」 


 亘にとって、自分の命よりも何よりも大事なのは、結と俺だと、以前そう言っていた。その結を、自分の手で斬って捨てたのだ。亘がどんな行動に出るのか、予測がつかない。


「忠、ごめん。手出しは絶対にさせないから、続けてくれないかな?」


 頭を抱えてブルブル震えるネズミを落ち着かせるように、俺はポンポンと背を叩く。それでもすぐには震えは収まらず、しばらくそうやって黙ったまま時間をおいた。


 怒鳴り込んできた亘に忠はチラリと視線を向けるが、亘は俯いたまま動く気配はない。むしろ、亘のほうが心配になるくらいだ。


「椿、誰かを呼んできてくれないかな? 汐がいれば、汐でもいい。亘をどこか別の場所に……」

「…………いいえ、ここに居させてください……己の為したことを、正確に知っておきたいのです……」

「でも、亘……」


 俯き低く掠れた声で言う亘を、ここに置いておくのはどうしても躊躇われる。


「……大丈夫です。ここから動きません。ですから……どうか……」


 懇願にも似た声に、胸が痛くなる。亘の為には、この部屋から一度出して落ち着いてから説明した方が良いのだろう。でも、なんだか今の様子でここから出すのも心配だった。

 

「……わかった。ただ汐を呼ぶ。何かあれば、ここからすぐに出すからな。」


 俺が言うと、亘は小さく頷いた。


 

 椿は汐を呼びに行きつつ、ここまでのことを話しておいてくれたのだろう。汐は何も言わずに亘の隣にスッと座った。


 亘は壁際に座り、拳を膝の上でギュッと握り締めたまま動かない。汐はその様子をチラと心配そうに見てから僅かに目を伏せた。

 きっと、亘に変化があればすぐに気づいてくれるだろう。

 

 俺はぐっと奥歯を噛んでから、もう一度、ようやく落ち着いた様子の忠に問いかけた。


「もう一度聞くけど、その中に居る人は、本当に白月という名前なんだな?」


 忠はそれに、恐る恐るといった様子でコクリと頷いた。

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