第43話 森への逃走②

 宮中の者たちに助けを求めるのはいいが、前途は多難だ。


 高台から京を見ていたこともあり、大体の方角はわかっていたつもりだったが、実際に森の中に入ってしまうと、本当に方角があっているのかが分からなくなる。


 でもそんな中、柊士は何故かぐんぐん先に進んでいく。


「ねえ、柊ちゃん。これ、本当に合ってるの?」

「本当にこっちにいるかはわからないが、宮中の裏の方角には向かっているはずだ。」

「なんでわかるの?」


 そう聞くと、柊士は呆れたような目をこちらに向けた。


「お前、もうちょっと周りを見ろよ。」


 柊士が言うには、京の者たちが逃げ込んだ先は、俺達がいた山と隣の山のちょうど間に広がる平野地帯で、幻妖京の奥には、それとは別に一際高い雪山があったらしい。目の前で繰り広げられた光景が衝撃的すぎて、全然意識してなかった。


 なので、俺達は山を下りつつ、木々の間から時おり見える雪山の方角に向かって歩いているのだそうだ。

 そして、山を降りきったあたりで、周囲に誰かいないか探していくことになるらしい。


 ……方角はあっているかも知れないけど、そんなの、殆どあてがないのと同じだ。


 そんな思いが湧き上がり、一人で途方に暮れる。


 ただ、そんな心配はすぐに杞憂へと変わった。

 山を下り終わると早々に、宮中の兵と思われる者達に遭遇したからだ。


 ……しかも、悪い意味合いで。



「動くな!」


 唐突に背後から鋭い声が聞こえきて、俺はビクッと肩を震わせた。

 振り返ると、武装した男が二人、こちらに槍先を向けて立っている。


「怪しい奴らめ。京の者ではなかろう。こんなところで何をしている!」


 発せられた言葉から考えるに、少なくとも俺達を捕らえに来た遼の仲間ではなさそうだ。

 それに京の者を正とする言い方を考えれば、きっと味方となり得る、宮中のものなのだろう。


 俺はほっと息を吐く。

 少なくとも、途方もなく深い森を彷徨い歩く羽目にはならなさそうだ。


 そう思い、安心と同時に油断したのがいけなかった。


「あ、あの! 朝廷の方々ですよね? 俺達、白月様を……」


と、迂闊にもハクの名前を真っ先に出してしまったのだ。


 俺としては、助けたいから協力してほしい、と助けを求めるつもりだった。

 しかし、すべてを言い切る前に、右に居た兵に思い切りズイっと槍を突き出された。


「ぅわぁっ!」


と思わず声が出る。


「その格好、人界の者だろう。白月様の何を知っている?! あの方を拐かした輩なら容赦せぬ! 大人しくしろ!」


 そう言われて自分の服を見下ろし、サアっと血の気が引いていく。


 ハクが遼に連れ去られたのだと知っているのだとすれば、京の者たちからしたら人界の者は完全に敵に見えるのだろう。


 隣から、柊士の小さな溜め息が漏れ聞こえる。

 それに俺は、ムッと柊士の方に目を向けた。


 ……俺が迂闊だったのは認めるけど、だったら柊士はどうするつもりだったのか。


 しかし、不意に別の方向から、


「ちょっと待て。」


という声が響いた。


 兵士達に視線を戻すと、左側の兵士が、首を捻りながら俺のことをじっと見据えている。


「此奴、見覚えがある。」

「見覚え?」

「ああ、何処だったか……」


 ものすごくまじまじと見つめらている。しかも、みるみるうちに、眉間に皺が寄り表情が険しくなっていく。

 柊士もそれに気づいたのだろう。


「おい、お前、一体何をしたんだよ。」


と肘で小突かれた。

 でも、思い出そうにも、こちらにはその兵の記憶がまったくない。


「いや、俺には全然心当たりがないんだけど……」


 そう言いつつ、俺もまた首を捻りはじめたところで、ようやく左側の兵士が、苦々しい表情で目を細めた。


「……思い出した。烏天狗の山だ。白月様と共に捕らえられていたのを助けられた子どもだ。」


 ああ、なるほど。


 あの時、ハクを守るために、周囲にはある程度の兵がいたのだ。こちらが意識していなくても、人界の服を着た俺は、さぞや目立っていたことだろう。


 ……ただ、だとしても、ここまで険しい顔をされる理由がわからないんだけど……


 そう思っていると、右の兵士も、思い出すように視線を僅かに上に向ける。


「ああ、俺は同行しなかったが、白月様を連れ去ったのは今回と同一人物であったと聞く。であれば、少なくとも、この者らは敵方ではないということか。」


 右の兵の言葉に、俺はほっと胸をなでおろす。少なくとも、敵だと疑われ、問答無用で一突きにされることはなさそうだ。


 しかし、左の兵の表情は険しいままだ。というか、こちらを見る目に、憎悪がこもっているようにすら見える。


「……何かあるのか?」


 右の兵士が俺の疑問を代弁するように問う。

 すると、左の兵士は口にするのも悍ましいとでも言いたげに、苦々しい顔をさらにギュッと顰める。


「白月様が、此奴の両手を握ったのだ。」

「……はい?」


 思わず、自分から間抜けな声が零れ出る。

 確かにあのとき何度か、ハクに手を握られ、陰の気を抜いてもらった。


 でも、だから何だというのか。


 疑問符が頭の中に浮かんでいる状態だが、左の兵はそんなことお構いなしに、苦しそうに言葉を続ける。


「……あの時、白月様は、此奴をまっすぐに見つめられ……あの方の白魚のような両の手で、此奴の両の手を……自ら、握られたのだ……衆目も憚らず……。そして、誰にも聞こえぬような声で何事かを囁かれたのだ……! その……時間の……長さたるや……!」


 食いしばった歯の隙間から絞り出すような憎しみのこもった声音で発せられる言葉に、もはや戸惑いしかない。


 何か聞き間違いか捉え違いでもしてるのだろうか、と思うほどだ。

 それなのに、右の兵士はそれに目を剥き声を荒げた。


「は……白月様が両の手で此奴の手を握られただと!?」


 ……え、いや、ちょっと……


「白月様に両の手を握られるなど、女子や、翠雨様や璃耀様を除けば、余程の功を立てねば許されぬ事だ……! ましてや、此奴のような小僧になど……!」


 右の兵士まで、親の仇でも見るような視線をこちらに向けてくる。


 心底しょうもない理由で敵視され、物凄く居心地が悪い。ただ一方で、二人の視線に晒されたことで、俺はようやく思い出した。あの時、


 "あっという間に我が方の兵達に敵視されてしまったな"


と和麻に苦笑されたことが蘇ってきたのだ。


 ……確かにあの時も周囲の視線は痛いと思っていたが、ここまで怨みを買っているとは思わなかった。


 しかし、左の兵士の話はそこで終わらない。


「……しかも、幻妖宮に戻ったあと、此奴は白月様のお部屋に招かれているのだ。此奴を連れてお部屋へ戻ると……白月様の口から……あの美しいかんばせで微笑まれて……!!」

「んな……!!」


 もはや、目を見開き、血の涙でも滲ませる勢いだ。


 どんどんヒートアップしていく二人に、もはやついていけない。

 柊士も唖然としたように二人を見ていた。


「……お前、相当こいつらに恨まれてるじゃないか……というか、あいつ、こっちの世界でどう認識されてんだよ……」


 柊士の呆れ声に俺も頷く。


「……ハクは、帝であり、英雄であり、アイドルなんだ……多分……」

「……なるほど。それに手を出して怨みを買ったと。」

「人聞きの悪いこと言わないでよ! 手を握られたのは陰の気を抜くためだし、部屋に行ったのは人界に帰るためだ!」

「でも、そいつ等は納得いってないみたいだぞ。」


 顎で示された方を見ると、二人は拳を握りしめ、殴り掛からんとする勢いでこちらを睨みつけていた。


「どうする? こっそり始末するか? どこの馬の骨とも分からぬようなやつに、これ以上白月様に近づかれては堪らぬ。」

「えぇ!?」


 まさか、遼の仲間として始末されるのではなく、アイドルに近づきすぎたことによる嫉妬で始末される可能性があるとは思いもしなかった。


 しかし、右の兵士は


「まあ、待て。」


と槍を構えかけた左の兵士を押し留めた。


「俺とて、心の底からそうしてやりたい。そうしてやりたいが……! 白月様が悲しまれるようなことをするわけにはいかぬ……!」


 ……右の兵士には理性の制止がかかったらしい。悔しそうにそう漏らす。


「しかし……!」


 それでも左の兵士は諦められないとでも言いたげに、恨めしげにこちらを見た。

 それに右の兵士はブンブンと首を横に振る。


「今、お辛い目に合われているあの方を、これ以上悲しませるようなことはできぬ……! お優しいあの方は、どのような者であろうとも、傷付くことをお厭いになるはずだ……!」


 ああ、なんか、完全に変なモードに入っちゃってるな……


 そう思ったところで、柊士もまた、見ていられないとばかりにハアと息を吐いた。


「そんな事はどっちだっていい。」

「え、ちょっと、柊ちゃん?」


 俺自身も自分のことなのに、達観し始めてた部分はあったが、従弟の行く末をどうでもいいとバッサリ切り捨てるのは如何なものか。


 不満が少しだけ過ぎったが、柊士はお構いなしだ。


「奏太、お前、朝廷の連中とある程度面識あるだろ。信用できるやつはいるか?」

「え……うん……たぶん……ただ、信用できると思ってた妖界の者に、一度裏切られてる。その人がそうじゃないとは言い切れない。」


 俺は曖昧に頷いた。

 信用できると思っていた青嗣があれだ。正直、自分の目に自信はない。

 ただ、一人だけ例外がいる。


「上層部の人なら大丈夫だと思うけど……」


 そう言いながら、唯一、確実だと言い切れる璃耀を思い浮かべた。あの人なら、絶対的なハクの味方だと言い切れる。


 俺がそう言うと、柊士はコクリと頷いた。


「どこぞの馬の骨ならまだいいが、妖界を守るために意に染まない者の元にお前らの“白月様”は連れ去られていったんだ。俺達は、白月と白月を連れ出した奴らの拠点の情報を持ってる。信用出来る者に引き渡したい。」


 ……どこぞの馬の骨、ね。


 俺の不満をよそに、柊士の言葉に二人はピタリと動きを止めて真顔になった。

 まるで先程までの茶番が嘘のような、ピリッとした空気に瞬時に変わる。


「……白月様を取り戻すためなら、会わせることは可能だ。だが、誰を指名するつもりだ。」


 柊士が俺に目を向けると、二人もこちらに視線を移した。


「……えぇっと……璃耀さんにお話したいです。」


 なんとかその場の雰囲気についていきつつ、そう言ってみたものの、前回は偉い人になんて会わせられないと言われた。一番は璃耀だが、ダメだと言われる可能性は高い。


 そう思っていると、思ったとおり、右の兵士が首を横に振った。

 しかし、理由は前回と全く異なるものだった。


「璃耀様はダメだ。白月様を最後までたったお一人でお守りしようとされたのだろう。陽の気に晒され、大怪我を負わされた。……聞いた話では治療は難しいだろうと……」

「……え、璃耀さんが……?」


 ハクと璃耀の関係は、そこまで深く知っているわけではない。それでも、一番の忠臣であるということだけはわかる。

 ハクは、そんな者を失うかもしれない状況であの場に居たということだ。


“これ以上、誰かが、傷つくのを見たくない”


 ハクはどんな思いでそう言ったんだろう。そう思うと胸が痛くなる。


 それに、ハクや璃耀だけじゃない。知っている者がどんどん傷つき倒れていく。本家も幻妖京も焼かれた。

 ……これ以上被害を広げないように、早くこの事態を収集させないと、次に何が起こるかわからない。


 ぐっと奥歯を食いしばり、俺は二人をじっと見据える。


「それなら、翠雨さんでも、蒼穹さんでも、宇柳さんでもいいです。力を貸してくれる人と話がしたい。」


 宇柳以外は面識が薄い。でも、翠雨と蒼穹は、会わせてもらえるなら、話をしてみる価値はある。

 それに、上層部にいるその二人が黒なら、もう妖界の者を頼ること事態が間違いだろう。


「宇柳殿は、侍医殿と何処へ璃耀様をお連れになった。近くにはおらぬ。それに、翠雨様に我らがお目通り願うのは難しい。大将殿に取り次ごう。」


 右の兵士はようやくそう頷いた。

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