第42話 森への逃走①

 俺達は、燃える幻妖京を何もできず、ただ高台から見下ろしていた。重い体に更に手枷を着けられ、槍を突きつけられた状態で、炎に追われ逃げ惑う者達を見ていることしかできない。


 地獄を見せてやる、と遼に言われたが、目の前に広がる光景は、本当に地獄のようなものだった。


 京の上空に見慣れた青空が広がり、太陽が顔を出した。ただそれだけのことだ。

 それなのに、京の家々で煙がジリジリと燻り始め、炎を上げながら黒く焦げていく。

 それが一箇所だけでなく、京も宮中も周囲の森すら巻き込んで、一気に焼け広がっていった。


 いち早く気付いた兵達が京や宮中の者たちの避難をさせていく。

 遠く離れているのに、逃げ惑う人々からの悲鳴や怒声、子どもの泣き声などが響いてくるようだった。


 俺たちの近くにいる者たちは、それをなんの感慨もなさそうに、ただただ冷たく見下ろしていた。


「……何でこんなこと……」


 そう呟いたが、誰からも答えは帰ってこなかった。


 京や宮中の殆どが焼け崩れて人気がなくなり、燦々とした太陽の光が、まるでスポットライトのように京全体を照らし始めた頃、ザッザッと複数人がこちらに近づいてくる音が聞こえた。


 見ると、遼を先頭に武装した者たちがこちらへ向かってきているところだった。


 そして、その中にポツンとハクの姿もあった。俯き加減に遼の後について歩いて来る。男物の着物を羽織ってはいるが、中は人界の服装だ。

 それに、手枷が嵌められている。


 遼の護衛なのか、ハクの監視なのかは分からないが、数名がその周囲を取り囲んでいた。


「ハク!」


 俺が呼びかけると、ハクは驚いたように顔を上げ、僅かに目を見開いた。しかし、すぐに眉根を寄せて、遼の腕を枷のついた両手で軽く掴む。


「……遼、二人の陰の気を取り除かせて。顔色が悪い。」

「別にこのまま放置して衰弱するならそれでいい。放っておけ。」


 遼はこちらを一瞥すると、フンと鼻を鳴らす。


「お願い。もうこれ以上、誰かが傷つくのを見たくないの。」

「お前を陥れた奴らだぞ。」

「誰であっても関係ない。もう嫌なの。」


 ハクの懇願するような目に、遼はチッと舌打ちする。


「まるで俺が悪者みたいな言い方だな。奪われたお前を取り戻しただけなのに。」

「取り戻しただけ? そんなことのために京の皆の生活を奪い傷つけるのは、悪いことじゃないの?」


 ハクがそう言うと、遼はハクの手枷をグッと掴んで乱暴に自分の方に引き寄せる。


「俺が今までどんな思いでいたと思ってる。人界の奴らも妖界の奴らも、全部まとめて滅ぼしたっていいくらいだ。逃げた連中全員見つけ出して、森ごと焼き尽くしてやったっていいんだぞ。」


 ハクはそれに顔を歪め、グッと奥歯を噛み締めた。


「戻ったんだから、もういいでしょう。これ以上、他の者を巻き込まないで。」


 ハクが遼を睨むと、遼はギリっと歯ぎしりをしたあと、ハクを地面に叩きつけるように突き飛ばした。


「ハク!」


 ザザーッと音を立てて、思い切り地面に体を引き摺り土埃に紛れるハクを、遼は苦々しげに見下ろす。


「勝手にしろ。」


 ハクは辛そうな表情で目を一度伏せたあと、ゆっくり体を起こして俺達の方に歩み寄り、すっと膝をついた。


「……大丈夫? ハク。」


 そう言うと、ハクは安心させるように小さく微笑む。


「大丈夫じゃないのは、奏太達でしょう。二人とも、手を出して。」


 そして、いつものように、俺と柊士の手を握り、祝詞を唱え始める。押し潰されそうだった胸の重苦しさがスウっとハクが握る手の方へ吸い込まれていき、どんどん軽くなっていく。


 柊士は目を丸くして握られている自分の手とハクとを交互に見ていた。


 ある程度軽くなった頃、不意に、ハクが口をほとんど動かさず、


「……逃げて。」


と囁いたのが聞こえた。


「え?」


 そう声に出してみたものの、ハクは何事もなかったようにニコリと笑う。


「さあ、これでおわり。」


 しかし、そう言って立ち上がった瞬間、ハクは素早い動きで俺達の背後にいた兵の方に身を乗り出した。

 振り返るとハクが光る手でグッと槍を掴んでいるのが目に映り、グアっ! という兵のうめき声が聞こえてくる。


「柊士、奏太を!」


というハクの鋭い声が周囲に響いた。

 それに呼応するように、俺はグイッと柊士に腕を引っ張られる。


「行くぞ! 走れ!」

「え、でも、、、」

「迷ってる余裕はない! 走れ!」


 柊士に促され、咄嗟に立ち上がって駆け出す。

 直後に背後から


「止まって! 二人を捕らえるなら、私、今ここで死ぬから。」


と凄むようなハクの声が聞こえてきた。

 そこから一拍遅れて、苦虫を噛み潰したような低い遼の怒声が追いかけてくる。


「そんな奴らどうだっていい! 放っておけ!」


 遼の指示が響くと、俺たちを捕らえようと動き出した者たちの足音がザザッと止まった。


 しかし、それとともに、キャア! というハクの悲鳴が背後に響いた。


「ハク!」


 振り返り、一瞬足が止まりそうになる。でもすぐに柊士から厳しい声音が飛んだ。


「振り返るな! あいつは必ず助ける! 今はあいつの作ったチャンスを無駄にするな!」


 その言葉に、俺はグッと奥歯を噛む。ハクを犠牲に逃げるなんて。自分の無力さが情けない。

 でも、不意に柊士の顔を見ると、柊士もまた、これまでにないほど苦々しい表情を浮かべて口を引き結んでいた。


「今はここから脱することだけを考えるんだ。」


 絞り出すような声で、柊士はまっすぐに前を見てそう言った。



 必死に森を走り抜け、自分達以外の気配が消えると、俺たちはようやく緩やかに足を止めた。

 鬱蒼とした薄暗い森の中だ。恐らく、もう追っては来ないだろう。


「……柊ちゃん……ハクは……大丈夫かな……」


 近くの木に寄りかかって絶え絶えにそう言うと、柊士はハアー、と深く息を吐き出しつつ呼吸を整える。


「……あいつが殺されることは恐らくない。それだけ遼は結に執着してる。……それよりも、あいつを救い出せる協力者を得るほうが先決だ。俺達だけじゃ、戦えない。」

「……でも、今頃、どんな目に合わされてるか……」


 背後から聞こえたハクの叫び声が気がかりだ。あんな事をして俺たちを逃したのだ。酷い目に合わされているのではないだろうか。


「最後、自分で死ぬとあいつが脅したときに、遼はすぐに他の奴らを止めただろ。ただの脅しだと捉えることも出来たはずだ。それでもああやって焦って止めたのは、結を失うのを恐れてる証拠だ。何事もないとは言えないが、きっと大丈夫だ。」


 そうだと思いたい。ただ、人界で遼が起こしたことや、ハクを突き飛ばした状況などを考えると、どうしても不安が募ってしまう。


 俺が浮かない顔で聞いていたせいだろう。柊士は厳しい顔でまっすぐにこちらを見据えた。


「しっかりしろ。ただ逃げただけじゃない。あいつを救って遼を止めるために、俺達にだってやれることはあるはずだ。」


 それは、俺に言っている筈なのに、柊士自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえる。


「幻妖宮の後ろの森に、宮中の連中が逃げていった。そこに味方になってくれる者たちがきっといる。助けを求めるんだ。

 なんとしてでも、結を……白月を助け出す。」

「柊ちゃん……」

「役目のために、あっちでの幸せを捨てさせたのに、新たにできた幸せまで奪わせてたまるか。」


 柊士は歯を食いしばり、悔しそうにそう言った。

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