第41話 幻妖京の焼失② : side.白月

 裏門を抜け、焼けた森の一部も走り抜けて、ようやく木々が生え太陽の光が届かない陰に入る。


 皆は何処だろう。早く、紅翅に見せないと。


「誰か!」


 私は祈るような気持ちで周囲を見回し、森の中に呼びかける。


「誰かいる!? 皆! 紅翅!」


 すると、木々の向こう側から、スゥっと一羽の梟が木々の間を縫うように飛んでくるのが目に入った。


「白月様!」

「宇柳、良かった!」


 宇柳は私の前で着地するやいなや、人の姿に変わって跪く。


「白月様をお探ししていたのです。ただ、我らは森から出ることができず……ご無事で本当に良かった。」


 宇柳はほっと息を吐き出す。


「皆は?」

「この先に避難しています。ただ、市井の者達もそうですが、逃げていく最中で散り散りになってしまっていて、安否が不明な者が多くいます。今は翠雨様の指示に従い、検非違使と軍で捜索を行い、近衛が皆を守っています。」

「皆と一緒に紅翅はいる? 璃耀が大変なの。」


 私はずっと抱えていた布の包を見下ろす。

 息づかいが弱くなっている気がする。本当に急がなくては。


「紅翅殿もいらっしゃいます。白月様に何かあったときのためにと、治療の準備もしていらっしゃいました。」

「良かった! 案内して!」


 宇柳はコクリと頷くと、前に立って足早に誘導してくれる。


 辿り着いた先は、大きな洞窟の前だった。

 洞窟の中には全員入れないのか、外に結構な人数がいて、多くの者が不安そうな顔で周囲の様子を伺っている。


 しかし、私が姿を現すと、皆がホッとしたような安堵の表情を浮かべ、気付いた者から順に膝をついていく。


「白月様……」

「ご無事で良かった……」


 そんな小さな声がさざ波のように広がっていく。

 その度に、胸がズキズキと痛んだ。


 私のせいでこうなったのに……


 市井の者達も、宮中の者達も、皆一様に煤けた格好をしている。火傷をしたのだろうか。布を体に巻き付けている者も多い。


 私は悔しさに唇を噛んだ。


 洞窟の前まで行くと、誰かが中に呼びに行ってくれたのだろう。カミちゃんや凪が焦ったような顔で駆け出してくる。


「白月様!」

「カミちゃん、皆!」

「ご無事で何よりです。」


 そこへ、皆の後ろから璃耀の副官である浩が足早に進み出る。


「白月様、璃耀様を御存知ありませんか? お姿がみえないのです。」


 不安気な様子の浩に、胸が締め付けられる。


「酷い火傷なの。紅翅のところに案内して。すぐに。」


 私が上着に包まった璃耀を抱きしめるように抱えると、浩は顔を青褪めさせる。


「そんな……」

「お願い、急いで。」


 呆然と呟く浩を急かすように言うと、浩はハッとしたように、


「こちらです!」


と駆け出した。


 それを追って洞窟内に入ると、すぐに紅翅が目に入った。

 他の軍医や町医者と共に、怪我人の手当をしている。


「紅翅!」


 声をかけると、紅翅はハッと顔を上げる。


「白月様!ご無事ですか?どこかお怪我は……」

「私は大丈夫。でも、璃耀が……!」


 私が上着を捲ると、璃耀の美しかった翼はボロボロに抜け落ち、皮膚が赤く焼け爛れてしまっている。

 息づかいは更に弱々しく、今にも止まってしまいそうだ。


 それに、皆がハッと息を呑んだ。


「……白月様……璃耀様はこれではもう……」


 近くで様子を見ていた凪が静かに言う。

 たったその一言に、胸がナイフで抉られるような思いがする。

 その先なんて聞きたくない。璃耀が居なくなるなんて、そんなの、考えたくない。


 私は必死に首を横に振った。


「まだ大丈夫だよ。ね、そうでしょ、紅翅。まだ息があるもん!」


 でも、紅翅は難しい顔で璃耀を見下ろし、何も言わない。


「ねえ、紅翅! お願い、璃耀を助けて! 薬をありったけ使ったっていいから。足りないなら、私、宮中に取りに行くから!それでも足りないなら、薬湯の湧く温泉にそのままつけて……」


 片手で璃耀を抱えて、紅翅の腕を掴む。


「ねえ、紅翅っ!!」

「……白月様。」


 不意に、カミちゃんが厳しい声音で私を呼んだ。まるで、諦めろと、我儘を言うなとでも言うように。


「やだ……やだよ! まだ生きてる。お願い。助けて、紅翅! カミちゃん!」


 皆の諦めの空気に、思わず、涙が溢れる。


 すると、紅翅はようやく、スウっと息を吸い込み、小さく吐き出した。


「わかりました。やれるだけのことはやりましょう。」


 紅翅は袖を捲りあげると、くるっと踵を返す。


「白月様、璃耀様をこちらへ。」


 紅翅に示された場所に璃耀を寝かせると、紅翅は近くの箱に手を掛け、薬湯を取り出してバシャバシャと璃耀に振りかけ始める。

 限られた者しか湧く場所を知らない、妖界で一番効く薬だ。


「白月様は、この薬湯の大本がどこにあるか御存知なのですね?」


 手を止めずにそう問い掛ける紅翅に、私は涙で濡れた目元を腕でぐいっと拭う。


「うん。カミちゃんと宇柳も知ってる。」

「では、そこへご案内ください。大量にあるならば、御身体ごと漬けてしまった方が良いでしょう。」


 紅翅はそう言いながら、璃耀の口にも薬湯を含ませ、更に蓮華の花弁を咥えさせる。


「わかった。宇柳、案内をお願い。」

「は、はい!」


 宇柳は返事をすると、すぐに璃耀を運んでくれる者達を手配し始めた。

 私はそれを見届けると今度はカミちゃんに向き直る。


 璃耀の事は紅翅に任せるしかない。でも、もう一つ、この場で伝えておかなければいけないことがある。


「カミちゃんは皆をお願い。皆を連れて、できるだけ遠くに逃げて。」

「……白月様?」

「市井の者も含めて、例え日が出ても大丈夫なように皆が入れるような洞窟のようなところに避難できるといいと思う。烏天狗にも相談して。とにかく、安全なところへ。」


 カミちゃんは、私の言葉に眉根を寄せる。


「白月様はどうなさるのです。」


 ……言いたくない。でも、言わなきゃ。


「……私は一緒にはいけない。戻らなきゃ。」

「白月様、一体何を!」


 凪が咎めるような声を上げる。

 でも、これはもう決定事項だ。皆を守るためには、この方法しかない。


 しかし、何かを察したのだろう。

 私がその場で立ち上がると、不意にカミちゃんが私の腕をパッと掴んだ。


「白月様御一人で行かせることなどできません。」


 私はそれに首を横に振る。


「行かなきゃ。この森すら焼き尽くされてしまう前に。だから、カミちゃん、皆をお願い。」


 しかし、カミちゃんは手を離してくれない。それどころか、先程よりもその手には力が込められている。


「カミちゃん、お願い。こんなことになっちゃったけど、きちんと皆を守らせて。」

「行かせることはできません。」


 カミちゃんは毅然とした態度でそう言い張る。

 でも、ダメなのだ。私が行かなければ、本当に皆が殺されてしまう。


 私は、僅かに掌に力を込める。

 光る手でそっと私を掴むカミちゃんの手に触れると、カミちゃんは驚いたようにパッと私の腕を離し、まじまじとこちらを見つめた。


「ごめんね、カミちゃん。皆。」


 それだけいうと、カミちゃんに引き止められる前に、私は踵を返して洞窟の外に出る。


「白月様!」


 凪や皆が私の後を追いかけてくる。

 でも、私はそれを振り返らず、足早に歩みを進めた。


 振り返ったら決意が鈍りそうで……行きたくないと、助けてと、縋ってしまいそうで、皆の顔を見ないように、真っ直ぐに視線を上げて、宮中へ戻る道を突き進んだ。


 森の切れ目には、既に日の光がさんさんと降り注いでいる。


 そして、その向こうで、遼が笑みを浮かべてこちらを見ていた。


 私は足を止め、一度だけ、ギュッと目をつむる。


「白月様……」


 不安気な桔梗の声が聞こえる。


 私だって、出来たら行きたくない。皆の側にいたい。璃耀の無事を見届けたい。怖くて、心細くて仕方ない。


 でも、私がそれを選べば、今度こそ皆は逃げ場すら失ってしまう。


「結。」


 遼がこちらへ手を差し伸べる。


「白月様。」


 凪が私の手首をギュッと掴んだ。


 私は凪の手にそっと自分の手を添える。


「凪、皆。他の皆をお願いね。」


 一度だけ、皆の顔を見て気丈に笑って見せると、凪は戸惑うように私の手首を離した。


 私はそっと、太陽の光の下に一歩踏み出す。


 空には、人界にいた頃なら、結でも小兎でも、走り出し飛び跳ねたくなるような青空が広がっている。


 でもそれが、まるで日の射さない妖界に住む皆との別れを意味するようで、胸がズキズキと傷んだ。


 一歩ずつ歩みを進め、スッと差し伸べられた遼の手を震える手でそっと握り返すと、グイッと手を引かれて抱きとめられる。


「ああ、結。おかえり。」


 遼のその声に、懐かしさではなく、全てのものがこの手からこぼれ落ちたような空虚な感情が自分の中に広がった。

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