第40話 幻妖京の焼失① : side.白月

 それは、明け方の出来事だった。


 結の家から持ってきた部屋着でゆっくり寝て、戸口から僅かに注ぐ爽やかな朝の光に目を覚ました。


 うーん! と伸びをする。


 桐と璃耀と近衛まで巻き込んで一悶着あったけど、無理を押し通して自室ならば人界の部屋着で過ごしていいという許可をもぎ取って、本当に良かったと思う。


 しかし、そこでふと気付いた。


 私は、“朝の光”で目を覚ましたのだ。この、日の光が届かないはずの妖界で。


 近衛の静止を振り切り、慌てて部屋を出て外が見える場所まで飛び出すと、晴れ渡った空が広がっている。

 しかもほんの僅かだが、日の光が漏れ出て、一部から煙が立ち昇り始めている。


「……一体、何が……」


 そう呟くと、普段何があっても冷静な璃耀が、慌てた様子で私の元に駆け寄り、膝をついた。


「幻妖京上空の結界が解けています! 日が昇れば、京中が陽の気に晒されてしまいます。白月様も避難を!」

「……京上空の結界が……? 人界と繋がってるの?」


 私は、煙を上げ始めた宮中の一角を見て青ざめる。

 妖界の物は、全てが陽の気にさらされると燃えてしまう。

 妖も、家も、森も、全て、だ。


 私は、近くにいる近衛に目をむける。原因なんて後回しだ。事態は一刻を争う。


「すぐに京に検非違使を走らせて! 軍にも協力させて市井の者を叩き起こして、森の中を通って、日が当たらない遠くに避難させて! それから、近衛は総出で宮中の者の避難を! 時間がない、急いで!」


 叫ぶように言うと、近衛が慌てたように、走って行く。


 既に宮中のあちこちから悲鳴が上がり始めている。


「白月様もお早く!」


 璃耀は私を急かすように仰ぎ見る。


 でも、私はそれに首を横に振った。この京で唯一、私だけは陽の気に晒されても焼かれることはない。

 それよりも、空を何とかしなければ。


「璃耀は皆の避難を優先して! それが終わったらすぐに退避!」

「しかし、白月様は。」

「私は、空の結界を閉じる! 早く!」

「白月様を御一人にするわけには参りません!」

「今、そんな事を言ってる場合じゃないでしょう! 急いで!」


 そう指示を出すと、私は璃耀を振り返らずに、中庭に裸足のままトンと降りる。


 空を見上げると、京の上空が台風の目に入っているかのように、暗い雲の中心からぽっかり青空がのぞいている。大きな天使の輪のような白く光る渦が、雲を食い止めているようにすら見える。


 私はパンと手を打ち鳴らし、空に手を掲げる。頭に流れる祝詞に沿って声に出していくと、そこから次第に空の雲が広がり始めた。


 早く、これを空全体に広げないと。

 太陽が登りきったら、全てが焼き尽くされてしまう。

 私は力の全てを注ぐように、掌に力をこめる。


 しかし、すぐに異変が起こった。


 私が力を注ぐ側から、広がり始めた結界の雲が打ち消されて行くのだ。


「なんで……!」


 そう声に出してみたが、すぐに原因はわかった。

 白と黒の光が、私が注いだそばから、どこかに吸い取られるように降りていっているのだ。


「誰かが結界を解いてるんだ……でも、誰がどうやって……!」


 グッと奥歯を噛みしめる。

 このまま、力を注いでいてもだめだ。元凶を突き止めてやめさせないと。


 私は力を注ぐのをやめて、光の粒が降りていく場所に向かって駆け出した。


 宮中は既に混乱状態だ。悲鳴を上げ、荷物を抱えて門に皆が殺到している。


「皆、荷物をおいて、自分の身だけを守って!」


 そう叫んでみたが、誰も聞いていない。


 途中、指示を出し終わり私の元に戻ろうとしていた璃耀とすれ違った。


「白月様!?」

「あっちに元凶が居るの!」


 私は足を止めずに璃耀にそう叫ぶ。すると、璃耀もまた、私を追って走り始めた。


「お止めください! 今は御身を護る者が居りません!」

「でも、あれを止めないと、結界を閉じられない!」

「しかし……!」


 今、璃耀がどんな顔をしているのか、だいたい想像がつく。さぞや苦々しい顔をしているのだろう。

 でも、行かなければ。元凶を止めなければ、京がまるごと焼き尽くされてしまう。


 ふっと天を見上げる。

 太陽が僅かに顔をのぞかせている。

 それに合わせ、ジリジリと木々が焼けるような匂いがし始め、周囲の喧騒が一層激しくなっていく。


 太陽がこんなに怖いとは思わなかった。


「璃耀!璃耀は今すぐ皆と一緒に避難して!」

「元凶に自ら向かって行かれるような主をおいてはいけません!」

「お願いだから!」

「共に参ります!」


 聞き分けのない従者に唇を噛む。これは何を言っても着いてくる気だ。


「……さっさと終わらせよう。」

「ええ。」


 私が注いだ光の粒はもう降りきってしまっている。でも、場所はだいたい検討がついている。

 建物が密集している場所を抜け、丘を登る。

 そこは死の泉と呼ばれる、陽の気の泉のある処刑場だった。


 ……私にとっては鬼門だ。


 そこにたどり着くと、見覚えがある人影がポツンと一人立っていた。


「……遼……?」

「迎えに来たぞ。結。」

「……遼が結界を解いたの? 一体どうやって……」

「お前と同じだ。妖に転じた。これで、いつまでも一緒にいられる。」


 遼が浮かべる笑顔に、背筋がゾッとする。


 ……私と同じ?

 つまり、転換の儀式を行ったということだろうか。


「あとは、京と宮中を燃やして、お前の今の居場所が無くなれば終わりだ。そうすれば、お前は俺のところに戻ってくるだろう?」


 私は眉を顰める。


「……結を取り戻すためだけに京を……?」


 遼はそれに首を僅かに傾げる。


「お前が言ったんだろう。自分には既に妖界に居場所があると。だから人界には帰らないんだと。」

「……私のせいで……こんな……?」


 鼓動が強く胸を打ち付ける。キーンと耳鳴りがする。今の宮中の惨状や逃げ惑う者達の情景が蘇る。きっと、同じ事が京中で起こってる。


 ……その全ての原因が私にあるの?


「白月様。」


 不意に、璃耀の涼やかな声が聞こえてハッとする。

 ……今は動揺している場合じゃない。


「遼、今すぐやめて。京から出ていって。」

「お前が一緒に来ると言うなら、出ていってやってもいい。」


 私はぐぐっと拳を握りしめる。

 遼の目的は私だ。今、この状況を収めるには、私が行くしかない。


「……一緒に行けばいいのね。」


 私が言うと、遼はニヤリと笑う。

 しかし、すぐに背後から、璃耀の硬い声が響いた。


「白月様、なりません。貴方が居なければ、この混乱の中で、皆が光を失います。京という箱を失っても、貴方には残った者達を導いていただかなくてはなりません。」

「でも……」


 この状態で、京を焼くだけで終わるはずがない。私が行かなければ、きっと何処まででも追いかけて来るだろう。

 これ以上、被害を広げるわけにはいかない。


 そう考えていると、遼は璃耀を冷ややかな目で見ながら首を傾げる。


「そいつがお前の片翼か?」

「……片翼……?」

「璃耀と翠雨という二人が、お前の両翼だと聞いた。そいつがそのどちらかだろう?」

「……だったら、どうするつもり……?」


 嫌な予感がして、声が震える。


「どうするもこうするも、妖界での両翼なんて、もいでしまった方がいいだろ。そうすれば、お前はどこにも行けない。」


 遼はそう言うとパンと両手を合わせた。

 ザッと全身から血の気が引く。


「璃耀!」


 私は叫びながら背後にいた璃耀に覆いかぶさる。


「……は、白月様!」


 私の下から、璃耀の戸惑うような声が聞こえてくる。でもすぐに、遼が陽の気を放ったのだろう。

 璃耀のうめき声が漏れた。


 私の体では、璃耀の体を完全に覆うのは無理だ。陽の気がどうしても当たってしまう。


 私が何とか璃耀を陽の気から守ろうとしていると、ザッザッっと背後にどんどん近づいてくる足音がし始めた。璃耀を失うかもしれない恐怖か、自分が危害を加えられるかもと思う恐怖なのかはもうわからない。でも、背後に迫る遼が、とにかく無性に怖い。


「……白月様、お逃げください。」


 璃耀が呻きながら言う。でも、動けない。少しでも動けば、璃耀が焼かれてしまう。


 不意に、私の真後ろでピタリと足音が止まる。瞬間、ガッと片手で肩を掴まれた。


「お前が守ろうとすればするほど、壊したくなるんだよ!」


 怒声と共に、思い切り背後に引き倒される。璃耀から引き離された事で、陽の気が直接璃耀に注がれていくのが目に入った。


 私は慌てて起き上がり、遼の腕にしがみつく。


「やめて、遼! 私、行くから……一緒に行くから! だから、もうやめて!」


 でも、遼は止める気配はないし、私の力ではどうにもならない。


 その間にも、璃耀は両手両膝を地面について呻きながら地面の上で蹲る。その体はだんだん赤く発光し、焼け爛れていく。ついに人の形を保って居られなくなったのか、璃耀はふっと雉の姿に変わってしまった。


 私は遼を何とかするのを諦め、璃耀の元に走る。


 皮肉なことだが、雉の姿になってくれたおかげで、私の体でも遼の陽の気から守ってあげられる。

 でも、既に璃耀は目も当てられないくらい酷い状態だ。


 しかも、無情にも太陽は、既に京を囲む妖界の結界から半分以上顔を出してしまっている。


 周囲に燦々と光が差し込み、遼の気の力が無くても、少し動けば璃耀が日に当たってしまう。


「いつまでそうしているつもりだ?」


 遼が背後からそう呼びかける。

 日がしっかり出て意味がなくなった為か、もう遼は陽の気を発するのをやめている。


「……遼が居なくなるまで……」

「意味があるのか? 十分陽の気を注いでやったんだ。どうせ、すぐに死ぬだろ。」


 私はギリっと奥歯を噛み締める。

 悔しくて涙が出る。


 璃耀は小さく息をするだけで、動かなくなってしまった。


 ずっと側にいてくれた大事な者ですら、守ってあげられない。

 すぐにでも紅翅に見せて手当しないといけないのに、太陽の光が怖くて動けない。


「諦めろよ。妖界の者が陽の気に抗えるわけがない。太陽の光が当たっただけで都全体がこの様だ。」


 そのとおりだ。全部焼けてしまった。京にある全ての物が、太陽の光の前には無力だ。


 そう思ったところで、ふと気付いた。

 私は自分の着ている服を見下ろす。


 妖界のものが駄目でも、人界のものなら、太陽の光に当たっても燃えることはない。

 これを脱いで璃耀に被せたら、少しは陽の気を避けられるかもしれない……


 私はぐいっとTシャツを引っ張り上げてその場で服を脱ぎかける。


 しかし、すぐに肩をグッと遼に掴まれた。


「何をしてる!」

「離して! このままじゃ璃耀が燃えちゃう! 人界のもので防いであげないと、死んじゃうの!」


 手を振り払い叫ぶように言うと、遼はチッと舌打ちする。


「そんなにそいつが大事か!?」

「たった一人で妖界に来た私を、ずっと支え続けてくれた者を見捨てることなんてできない!!」

「まだわかんねーのか! 俺はお前のそういう……」

「遼!」


 私は声を張り上げて、何かを言おうとした遼を遮る。


「今、遼が私にさせようとしてるのは、本家が結にしたのと同じことだよ! ……わかってよ……!」


 私が必死にそう訴えかけると、遼の方から、ギリっと歯ぎしりするような音が聞こえてきた。


 不意に、私の頭からバサっと一枚の布がかけられる。見ると、それは、遼が着ていた上着だった。


 唖然として遼を見上げると、遼は苦々しげに目を細める。


「今回だけだ。お前が俺のもとに戻ってきて、今後一切こいつらと接触しないと誓うなら、そいつも他の奴等も見逃してやる。」

「……ほ……ホント?」

「ただし、もし、誓いを破るようなことがあれば、今度こそ全て焼き尽くす。」


 私は自分の腕の中にいる璃耀に視線を落とす。

 璃耀の息はまだある。急げば、きっとまだ間に合う。


 本当は、もっと皆といたかった。


 全部思い出して道に迷っても、ここが居場所なんだと言ってくれる皆と、ずっと一緒に暮らしていきたかった。

 京を……妖界をもっと豊かにして、皆と暮らしやすい世にしていきたかった……


 でも……


 ……例え一緒に居られなくても、皆がちゃんと生き延びて、場所は違っても幸せに暮らしてくれるなら、今はそれでいい。


 私は遼の目をまっすぐに見た。


「わかった。約束する。」


 私がハッキリとそう答えると、遼はチラッと璃耀に目を向けた後、燃える宮中の向こう側を顎でしゃくって示す。


「行けよ。妙な真似をすれば、奴らが隠れている森ごと焼き払うからな。」


 私はコクリと頷くと、踵を返して、燃え盛る宮中を駆け出した。人界の上着に璃耀がしっかりと包まるようにして抱える。


 ハッハッと小さく弱い息づかいが伝わってくる。でも、まだ生きてる。早く紅翅こうしに見せなきゃ。


 幻妖宮の裏は、鬱蒼とした森だ。皆、そちらに向かって逃げていった。

 多分、侍医である紅翅も同じ所にいるだろう。


 周囲の建物は既に赤々と燃えていて、まるで空襲にでも合ったかのように焼け落ち、煙を上げている。


 胸が痛くて苦しくて、涙がこみ上げてくる。


 私のせいだ。皆の居場所を奪ってしまった。

 皆、太陽が登る前にちゃんと逃げ切れただろうか。京は大丈夫だろうか。


 もう燃える瓦礫しか残っていない宮中を、溢れる涙も拭えずに私はただただ必死に走った。

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