第195話 奇跡の村①:side.白月
砂地と枯れ木ばかりの土地に来てすぐ、セキという名の鬼の少年に連れられ小さな村に向かった。石造りの家が集まる閑散とした村。その中の今にも崩れそうな建物がセキの家だった。家族は姉のリンと幼い妹スズだけ。両親は随分前に虚鬼に襲われて亡くなったのだそうだ。
「父さんと母さんが使ってた寝床があるから、そこを使えばいいよ。宿代ももらったし迎えが来るまで泊まっていって大丈夫だから」
セキは寂しそうにそう笑った。
人界でも妖界でも、鬼は討伐対象。放っておけば人や妖に害を為す存在と見做されていた。でもセキからは、あの頃感じていた鬼への危険性を感じない。それは目の前の鬼の子が思っていたよりも人間や妖に近かったからか、それとも私が鬼に近づいたからか。
セキの家につき採ってきた柿の実を広げると、セキの姉妹から熱烈な歓迎を受けた。
「こんなに食べられるものをくれるなんて! いくらでも泊まっていきなよ!」
「お姉ちゃん、すごーい!」
「へへ、すごいだろ!」
両手を腰に胸を反らせて自分のことのように得意げに笑ったセキに、思わずフフッと笑いがこぼれた。何だかすごく久々に自然に笑えたような気がした。
セキの家は本当に質素で、家にあるのはテーブルも椅子もベッドも他の家具も崩れかけのレンガや石を積んだり切り出したものを並べたりして出来ていて、木製のものも布類も殆どない。扉だけがボロボロの木製で、ベッドと思われる台の上に目の粗い端のほつれた薄汚れた布が申し訳程度に置かれているだけだ。セキ達自身の
セキが私を招いた理由は食べ物の確保だ。どうせやることも無いし、御先祖様の言う迎えが来るまでは近くの枯れ木に手当たり次第に陽の気を注いでみようかな、などとぼんやりと考えながら、一夜を過ごした。
そして迎えた翌日早朝。
ドンドン、とセキの家の扉を乱暴に叩く音と共に目が覚めた。ムクリと起き上がり、ハッキリしない頭で自分の居場所を確認する。その間にセキの悪態めいた声が聞こえてきた。
「……いったい、こんな時間になんなんだよ」
目を向けると、狭い家の中でセキが眠そうな目をこすりながら戸に向かうところだった。
「はいはい、誰?」
そう言いながらキイっと音を立てて戸を開ける。瞬間、バンという衝撃音と共に戸が大きく開き、そのまま粗末な戸板が外の向こうに消えていった。更にドタドタと頭に角を生やした男女が、セキを強引に家の中に押し込みながら複数雪崩込んでくる。
「セキ! これは一体どうなってる!?」
先頭の大男の怒鳴り声が家中に響き渡った。
「ちょ、ちょっと待ってよ! それはこっちが聞きたいよ! なんなんだよ、急にみんなで!」
セキは目を白黒させながら、対照的に目をギラつかせて詰め寄る者たちをなんとか押し止めようと奮闘している。
「ねえ、皆、落ち着いてよ。こんな朝っぱらから、困るんだけど」
セキの姉、リンもセキに加勢するように歩みを進め、不機嫌そうに腕を組んで押しかけてきた者たちを睨んだ。スズは、先程から私の隣でぎゅっと腕にしがみついている。
「落ち着いて居られるか! お前ら、まさか
「は? 日石なんて高価なもの、持ってるわけ無いだろ! それに、白の渦があれば村長に報告してる! 隠せば村ごと滅ぼされるじゃないか!」
「なら、何でこの家の周りだけ、急に緑に覆われてるんだよ!?」
セキは押し寄せてきた一人にそう言われ、ハッと息を呑んだように見えた。
「……緑に、覆われてるの……?」
それから、視線がこちらに向く。それに合わせて鬼達の視線がこちらに移った。ギラリと獲物を捕える様な目にドクンッと心臓が大きく鳴る。
「……お姉ちゃん……?」
スズの不安そうな声とぎゅっと力の込められた私を掴む小さな手を見下ろして、初めて自分が小刻みに震えていることに気付いた。
相手が大人の鬼というのもあるかもしれない。でも、それだけじゃない。あの複数の目が、土牢に閉じ込められていた時を思い出させる。血を求めて襲いかかって来た者たちの目と重なる。
「セキ、あの娘は何だ? どこで捕まえた? 食うつもりなら、村に分けろ」
一際体格の大きな男が凄む。しかし、すぐにリンが視線を遮るように私と鬼達の間に入ってくれた。
「この子は食べ物じゃないわ。お客なの。変なこと言わないで」
「客だぁ? おかしなこと言ってるのはそっちだろ。美味そうな肉を捕まえておいて、独り占めするつもりか」
「違うよ、ちゃんとよく見てよ! ハク姉ちゃんは不思議な感じがするけど、ちゃんと鬼なんだ! 虚鬼じゃあるまいし同族を喰うなんて言うなよ!」
セキが慌てたように否定すると、鬼達の間に懐疑と困惑が混じりはじめる。
「はぁ? 鬼だと?」
「いやいや、どう見てもただの食料だろ」
「え、そうか? あの娘、ちょっと食べちゃいけない感じがするんだけど」
「ああ、わかる。ほんの少し同族の気配が混じってるっていうか……」
集団の後ろの方からヒソヒソと声が聞こえ始めると、否定されたように感じたのか、大男はギリと奥歯を鳴らした。
「なら、俺が確かめてやるよ」
周囲を威圧するように睨みつけると、男はセキの胸のあたりを思い切りドンと突き飛ばした。
「何すんの、やめてよ!」
リンが私を守ろうと立ちふさがったが、男はリンの細い腕を掴んで振り回すように投げ飛ばす。ズンズンとこちらへ近寄ってくる大きな鬼に、ジワリと恐怖心が湧き上がってくる。一歩、また一歩と近づくに連れて、ドクドクと脈打つ音が耳に煩くなってくる。ぎゅっと私の腕にしがみついたスズが力任せに引き剥がされ目の前が大きな体躯に覆い尽くされた時、私は反射的にパンと手を打ち付けた。
身を守る為の慣れた動作。いつもの様に溢れ出した光は目の前を明るく満たすように眩く輝く。
「グワァッ!」
「キャア!」
「何だ!?」
叫び声や驚きの声が周囲に響く。その中に、
「……姉ちゃん!! ハク姉ちゃん!!」
という、セキの悲鳴めいた声が聞こえて、ハッとした。
慌てて陽の気を収めると、目の前にいた大男は酷い火傷にうめき声を上げながら床に転がっていて、セキや姉妹、他の鬼たちも頭を抱えて床に小さく蹲っていた。
「ご、ごめんなさい! セキも、リンとスズも大丈夫!? 怪我は……」
私が声を掛けると、目の前で火傷に苦しむ男以外の皆が、恐る恐る周囲を見回しながら顔を上げる。
私の背に隠れるように小さくなっていたスズはもちろん、セキとリンの二人も、戸惑うような表情はしているが怪我をしている様子はない。
たぶん、薄暗い中で大げさに明るく光って見えただけで、陽の気は目の前の男に受け止められ、さほど周囲に広がらなかったのだろう。
ひとまず、居場所を作ってくれた姉弟に何事もなく、私はほっと息を吐き出した。
問題は、目の前で苦しそうに呻く大男だ。モロに陽の気を受けたおかげで結構酷いことになっている。すぐに止めたから命に関わるようなことはないと思うけど、さすがにこのまま放っておくのは心が痛む。
……鬼相手に使うことになるとは思わなかったけど、しょうがないか……私がしたことだし……
私は、首からかけて着物の下に忍ばせていた小さな巾着袋を取り出した。旅をしていた頃から肌身離さずつけていた救急セットだ。その中から、山羊七のところの温泉水が入った小瓶をひとつ取り出す。
量が少ないため、瓶の口を押さえながら少しずつ少しずつ火傷の酷そうなところ中心に振りかけていく。半分ほど使っただろうか。しばらくすると少し楽になったのか、大男はゆっくり何度か呼吸をし火傷の状態を確認したあと、恐ろしげな目で私を見上げた。
「あの……大丈夫……?」
「……ヒィッ! お、俺が悪かった!! もうやめてくれ!!」
一応心配してあげたのに、悲鳴を上げられた。
「……ねぇ、ハク姉ちゃん……さっきのは……」
「……えーっと、驚かせてごめんね。昨日、木を元気にしたのと一緒なの。陽の気って言って、日の光と似たような力なんだけど……」
そもそも太陽の出ない鬼界でそんなことを言って伝わるのだろうかと思いながらモゴモゴ答えると、聞いてきたセキではなく、家に乗り込んできた鬼たちがざわめきはじめた。
「……あれが日の力?」
「あんなに眩しいもの、初めて見たぞ」
「ねえ、日の力って、日石に込められてる力でしょ?」
「でも、あの娘から出たように見えたけど……」
「……この家の周りに緑が生えたのも、もしかして……」
その言葉に、バッと一気に鬼たちの視線が私に注がれる。
余計なことを口走っただろうか……
タラリと冷や汗が首筋を伝う。
「あれは、日の力をもたらす女神様だ!!」
不意に、誰かが突然そう叫んだ。その途端、狭い家の中がワッと蜂の巣をつついたような大騒ぎに見舞われる。
「天から降ってくるでも日石から出たのでもなく、自分で日の光を出せるなんて!!」
「一晩でこの家の周りに緑が満ちたのも、女神様のお力か!!」
「あれ程美しく神々しい姿なんだ、きっと間違いない!」
「しかも、あの酷い火傷をあっという間に治しちまったぞ!」
先程とは違う、畏れと好奇と期待が入り混じったキラキラとしたたくさんの目がこちらに集中する。
……これはマズイ。ものすごい誤解が生まれ始めてる。
妙な期待を持たれたところで、陽の気を使うってだけで私に大したことはできない。火傷が治ったのは温泉水のおかげだし、手持ちが切れれば終わりだ。私なんかが神様だなんて、どう考えても無理がある。
「……い、いや、あの、私はそんな大層な者じゃ……」
さっさと幻想を破壊して現実を見てもらわないと。そう思いながらあわあわしながら口を開く。しかし大騒ぎになっている今、誰も私の声など聞いてくれている雰囲気ではない。味方になってくれそうなセキ達はポカンとしながら、私と鬼たちとを交互に見るだけだ。
「女神様だ!!! この村に、女神様が降り立ったぞ!!!」
「え!? ちょっと……!!」
止めるまもなく、まるで村中に宣言するかのように誰かが叫びながら外へ駆け出して行った。
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