第58話 二人の距離 : side.白月

 夜更けに、騒々しい音が外から聞こえた。

 でも、格子の嵌まった窓の外に目を向けていても、ここからでは一体何が起こっているのかはわからない。


 ……なんでこんな事になったんだろう。


 歯車が狂っていった場面は、今思いおこせば、きっとたくさんあった。

 それは恐らく、祭りに行って無邪気に掌を光らせた時から既に始まっていたのだろう。

 そして、いろいろな狂いが積み重なって、結局全て壊れて崩れてしまった。


 人界から妖界に来たことなんて、そのうちの一つに過ぎない。

 唯一やりきれないのは、兎の存在だろうか。結を活かすためだけに、わけも分からぬまま巻き込まれた。苦しみや悲しみが消えることは、この生を終えるまで、きっとないのだろう。


 ただ、それ以外はすべて結と白月の選択の結果で、それが全部自分に返ってきたということだ。周囲のみんなを巻き込んで。


 ……そういえば、汐と亘には、酷いことしちゃったな……


 鬼に襲われたあのとき、自分達がボロボロになっても私を守って救い出してくれたのは、あの二人だった。

 伯父さんが私を柊士の代わりにすると決めた時に、まだ救えると、最後まで抵抗してくれたのもあの二人だった。


 私は、そんな大事な事も忘れてた。

 二人は結にとって、今の璃耀達と同じように大事な存在だったのに。


 でもきっと、もう謝ることもできないのだろう。

 出来たらもう一度、二人にあってきちんと話がしたかった。


 あんなふうに居なくなってごめんねと。

 もう大丈夫だからと。

 あのときも、今までも、ありがとう、と。


 あの出来事は辛く苦しい出来事だったけど、今ではもう過去のことになっているのだという自覚はある。

 璃耀が言うように、新たな生を、別の世界で確かに生きているのだと、全部思い出して妖界の皆の顔を見てそう思った。


 あのまま結が死んでいたら、妖界の皆とは会えなかったんだろうと思うと、そんな味気ない事はない。

 それくらい、信頼できる仲間に囲まれて、随分自由気ままに、心のままに生きてきたなと思う。

 短いけれど、楽しく幸せな日々だったのだと、失ってから気づくのだから、皮肉なものだ。


 戻りたいと、ここから出たいと、何もない外に何度も手を伸ばしかけては、強く掌を握りしめる。

 皆から、この妖界で太陽を気にせず生きていく自由を奪わせてはならない。

 きっと、これが一番丸く収まる形なのだ。



 外の騒がしさが遠ざかるように消えていくと、今度は廊下の方からどしどしと床を踏みしめる音が聞こえてきた。


 ……また、遼が来たのだろうか。


 思い通りの反応を示さない私に苛立ち、押し倒され手足を押さえつけられたのは、それ程前のことじゃない。


 結の婚約者であった彼のことが、今は怖くて仕方が無い。死んだはずの婚約者を執拗に追い求めるその目に狂気を見た気がして、どうしても、体が震えてしまう。

 あの目で見据えられるのが怖い。


 結が死んだあの日より前には、もう、戻ることなんて出来ないのに。私も、彼も。


 ガタタっと乱暴に扉が開く音が響き、小さく身構える。


 しかし、そこに居たのは、遼ではなく、識と呼ばれていた検非違使だった。

 それに、心の中で胸をなで下ろす。


「京を焼かれ、帝位を引きずり降ろされた気分はどうだ? 少しは驟雨様の気持ちは理解出来たか?」


 識はニヤと唇の端を吊り上げる。


 でも私にとっては、別に帝かどうかなんてこと、どうだっていいのだ。

 驟雨は帝位に固執していたかもしれないが、そもそも私は、カミちゃんに言われなければ帝位につくつもりはなかったくらいだ。

 そういう意味では、驟雨の気持ちなんて微塵もわからない。


 ただ、幻妖京を焼かれたことだけは、どうしても受け入れがたい事だった。

 でも、それももう、取り戻すことはできない。


 この検非違使もまた、京を皆から奪ったことに加担しているのだ。

 答えを返す気にもならず、顔を見るのも嫌で、私は黙ったまま窓の外に視線を移す。


 すると、識はフンと鼻を鳴らした。


「別に答えたくないならそれでも良い。お前など、どうなろうと知ったことではない。遼を上手いこと使うための餌でしかないからな。驟雨様を裏切った京の連中に地獄を見せられればそれでいい。」


 私は窓の外に目を向けたまま、奥歯を噛む。こんな奴に、と悔しさが湧き上がってくる。


「……それなら、もう十分でしょう。」


 震える声をなんとか抑えてそう言うと、識の声に嘲笑が混じった。


「莫迦を言うな。まだ足りぬ。驟雨様はその御命を失ったのだぞ。

 だが、先程遼が、連中の始末に向かった。直に良い報告が聞けるだろう。」


 ……は……? ……始末に向かった? 誰を? ……まさか、皆を……?


「ウソ! だって、皆の事は見逃してくれるって……!」


 思わず声を荒らげて識を見る。

 私を挑発するための嘘であってほしい。

 だって、約束したのだ。今後一切皆に接触しさえしなければ、見逃してくれると。

 だから、私は遼の手をとったのだ。それなのに……


 動揺する私を見て、識は馬鹿にするような笑みを浮かべる。


「遼につれない態度を取ったらしいな。お陰で、“奴らが生きていて帰る場所が残っているせいだ” と、ちょっと吹き込んでやっただけで、直ぐに兵を率いて出陣していった。全く扱いやすいものだ。」

「……そんな……」


 私の些細な抵抗が、そんな事態を引き起こすことになるなんて思いもしなかった。

 どんなに心にないことでも、遼に愛を囁いていればよかったのだろうか。

 そうしたら、皆は新たな場所で無事に暮らしていられたのだろうか。


「ハハハ! 良い顔だな。せっかくだから、京の者達の滅びの報告も、記憶のあるうちに共に聞いておくがいいさ。絶望を味わってから、全てを忘れさせてやる。」

「……忘れる?」


 意味が分からず呟くように問いかけると、識は懐から小さな瓶を取り出してこちらに見せた。


「婚約者殿が、記憶を全て消すことを御所望だ。一から全部やり直すのだそうだ。良くやるものだな。さっさと見切りをつければ良いものを。」


 識の言葉に背筋が凍る。


 記憶を消す……?

 結の記憶も白月の記憶も全部……?


 ようやく結の記憶を取り戻して受け入れたのに、それでも白月としてこれからを生きていこうと決めたのに、こんな状況になっても白月として生きた記憶が心の支えになっているのに、それが全部消されてしまうの……?


「幻妖京の連中は物理的に消え、お前はそいつらのことも全部まとめて忘れるのだ。なかなか残酷な結末だろう?」


 これから起こり得る未来を想像して、ゾッとした。


「なんで……そんなこと……」


 もう、声も震えを抑えられない。

 識はそんな私をみやり、眉を少しだけ上げた。


「復讐だと言っているだろう。」


 歪められた口元に、私はそれ以上言葉を発する事ができなかった。



 識が部屋を去ってから、打ち付ける鼓動が強く早くなっている。

 皆は大丈夫だろうか。上手く逃げられているだろうか。


 空と森しか見えない窓をいくら覗いても、何も見えない。何もわからない。


 それから再び外が騒がしくなったのは、空が白み始めた頃のことだった。

 さっきの騒ぎが遼達が出ていった音なのだとしたら、今聞こえている騒ぎは、帰ってきた音なのだろう。


 ……帰ってきてしまったのだ。


 何処かで、あのまま帰ってこないことを期待していた。

 だって、無事に帰ってきたということは、幻妖京の皆に被害が及んだ可能性が高いという事だから。

 心の中が嫌な感じにざわめく。


 一体どうなったのだろう。

 せめて失敗していてほしい。

 皆には何事もなかったのだと言ってほしい。


 そう思っていると、不意にガタタっと扉が再び鳴った。ドキっと心臓が強く脈打つ。


 そこに現れたのは、識ではなく、服を血で真っ赤に濡らし、蒼白な顔をしている遼だった。


 何がどうなっているのだろうか。全然状況が飲み込めない。

 ただ、遼は口を引き結び、フラフラしながらこちらへ歩みを進めてくる。


 ……怖い。


 幻妖京の皆を傷つけたかもしれないことも、記憶を消されるかも知れないことも、血だらけの状態で真っ直ぐにこちらへ向かってくることも、ただただ怖い。


「……来ないで……」


 そんな言葉が、ふと口をついて出た。

 遼はそれに表情を歪ませる。


 遼に触れられたくなくて距離をとっていると、じりじりと窓の方に追いやられていく。

 トンと壁に背中がぶつかると、手首を強く握られ、グッと引かれた。


「行くぞ。」


 しかし、私は精一杯の力でその場に踏みとどまる。


「行くってどこへ?」

「ここを出るんだよ。奴らが来る前に。」

「奴らって……」

「良いから来い!!」


 遼はハアハアと荒い息遣いで今にも倒れそうなのに、私の手首は痛いくらいに握られている。


 戸惑いと恐怖に身を竦めていると、不意に、扉の方から別の男の声が響いた。


「大して奴らの始末もできずに逃げ帰ってきたと聞いたが。」


 識が扉の柱に寄りかかり腕を組んで遼を見据えていた。


「だったら何だよ。」

「それどころか、近衛の一部がこちらへ向かって来ているそうじゃないか。困るな、余計なものを連れてこられては。」


 遼は眉根を寄せる。


「何が言いたい?」

「さて。どのように処するのが良いかと思ってな。」


 識はそう言うと、つかつかとこちらに歩み寄る。

 一体何が起こるのだろうと不安がよぎる。

 遼も怪訝な顔で識を見ている。


 不意に、識は何気ない仕草でスラッと刀を抜き放ちこちらに向かって振り上げた。


「結!」


 遼が動揺したように叫び声を上げる。


 瞬間、ドッという鈍い音が聞こえ、遼は識に腹を蹴り飛ばされた。

 遼のうめき声が聞こえ、どういうことかと戸惑い混乱する。

 と、突然、先程まで遼に掴まれていた方の腕に激痛が走った。


 見ると、識の持つ刀が私の腕を貫き、引き抜かれようとするところだった。

 血がどっと流れ出て、耐えきれない痛みに涙がじわっと自然に湧き上がる。腕が焼けるように熱い。痛みと熱さがそのまま体を侵食していくようで、ハアハアと息遣いが荒くなる。


「お前、結に何を!」

「これで手を自由に使うことはできないだろう? 陽の気は厄介だからな。自衛くらいはさせてもらわねば。」


 腕を抱えていると、ぐいっと体を引かれ、自分の体が遼から識に渡ったのが分かった。後ろから顎を無理矢理あげさせられる。

 そして、体が持った熱を放出させるような冷たい感触が首筋にピタと当てられた。


 突きつけられる刃に顎を引き上げたまま、もう片方の腕を背中側に捻じりあげられ、身動きがとれない。


「責任を持って、始末してきてもらおう。大事なものを失いたくなければ。」


 耳元で、識の冷徹な声が響いた。


「識……! お前……!!」


 遼は私と識を見比べ、屈辱に苦虫を噛み潰したように表情を歪める。


「行けよ。自分の尻拭いくらい、自分でしてこい。婚約者を二度も殺されたくはないだろう。なあ、遼殿。」


 遼はギリっと奥歯を鳴らしたあと、一度目をきつく瞑る。

 それから、覚悟を決めたように目を見開くと、壁に手を付き、ふらつきながら扉へ向かった。


「もう、そろそろお払い箱だな。」


 識はその背を見送りながら、そう小さく呟いた。


 遼の姿が見えなくなると、後ろからグッと背を押される。


「行くぞ。」

「……どこへ……」


 先程遼とした問答を再び繰り返す。


「逃げるんだよ。一緒に来てもらうぞ。」


 抵抗は許されない。


 私は識に背を押されされるがまま、識が声をかけた兵士複数と共に、遼や他の者達に知られぬまま、廃寺の裏から空へと飛び立った。

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