第137話 事件への疑念:side.璃耀

「白月様は?」

「まだ、お目覚めになりません。当初は人界の者が雑に薬をかけたせいだと憤っていた紅翅も、これ程目覚めぬのはおかしいと……」


 温泉地にある翠雨の部屋に呼びだされた璃耀は、白月の眠る部屋で交わされた会話を思い浮かべながらそう答える。


 白月が人界から戻ってきて半月程になる。血に濡れ意識を失った状態で温泉地へ運び込まれたと聞かされ慌てて駆けつけたが、白月はあれから一度も目覚めていない。


 璃耀の知らぬところで人界行きが決定されて妖界に置き去りにされたのが、未だに悔やまれる。


 人界の祭りに三日ほど参加して戻ると聞かされ、二日目に白月が姿を消したと報告を受けた時には血の気が引いたし、無事に帰ってきたと聞かされた時には、本人がなんと言おうと、立場をきっちり理解するまで永遠と苦言を呈すつもりでいた。


 そして、これ以上何も起こってくれるなと、何も起こしてくれるなと、そう気を揉みながら帰りを待っていたというのに、ようやく妖界に帰ってきた主は、璃耀の呼びかけすら耳に届かぬ状態だった。


 最初は人界と翠雨への憤りがあった。

 しかし今はもう、そんな事はどうでも良い。とにかく早く目覚めてくれと、ただ、それだけだ。


「……そうか」


 翠雨はそう小さく返すと、疲れた様に額に手を当てて息を吐き出す。

 翠雨は白月をあちらからこちらに送り出したあと、人界側への事情聴取を行い、白月の抜けた穴を補うためにこちらへ顔を見せる事なく宮中で執務に当たっていた。

 ほんの僅かに出来た時間を使ってようやく姿を見せたのが先程だった。


「そちらで何かわかった事は?」


 事件からここまで、宮中から概要を説明する文が送られてきただけで、璃耀は主が巻き込まれた事件の情報を大して得られていない。

 もちろん、白月に同行した者達からは既に聴取を終えているが、どうにも不明瞭な事が多いのだ。


「事件のあらましは文で伝えた通りだ。人界でもともと起こっていた騒動に巻き込まれたのだと説明されたが、白月様自身が狙われた可能性も捨てきれない。」

「それにも関わらず人界との入口を封鎖したのですか? もう少し調べを進めるべきでは? 白月様が未だお目覚めにならぬ原因もわかるかも知れません。」


 翠雨は事件の後、人界側の事情聴取を終えると早々に妖界と人界を繋ぐ結界の穴を封鎖した。

 白月や人界の陽の気の使い手二人が閉じた訳では無い為、結界の穴自体はあいたままだが、翠雨が出入り口の見張りを強化し厳戒態勢を敷いた上で、あちらとこちらの行き来を禁じたのだ。


 そのせいで、調査は人界側に任せる他無くなり、主が何故あの様な目に遭わなくてはならなかったのかを探る術を失った。本当ならば、宇柳あたりを人界に残して調査させ、原因を明確にすることで主の危険を完全に取り払い憂いを無くしたかった。


 真相が分からず靄のかかった様な状態で、主が目覚めることもなく、璃耀の胸にはジリジリとした思いだけが募っていく。


「文のやり取りは許可してある。調査によって分かったことがあれば何かしら報告が来るだろう。あちらとて、今回の事件を有耶無耶にはできないはずだ。奏太様が狙われたのだからな。むしろ私は、これ以上あちらの事で白月様を煩わせたくはないのだ。」

「煩わせる、ですか?」


 事件に巻き込まれた事だけではない何かがあったのだろうかと璃耀は眉を顰める。

 先を促す様にじっと翠雨を見つめると、仕方が無さそうに小さく息を吐いた。


「白月様がこちらに来る事になった出来事が、あの方にはあまりに重すぎると実感したのだ。

 人界の者達の対応も、あの方が故郷を懐かしむ思いも、立場が変わった事によって起こる過去との差異も。

 周囲の望みによって、御本人の意志とは無関係に、住む世界も立場も変わらざるを得なかったのだ。

 あの方が望んだ故しばらく滞在したが、何度お連れするのでは無かったと後悔したか。

 それに加えてあの事件だ。もう、あの方は人界に関わるべきではない。」


 翠雨が人界で何を見てきたのかは分からない。

 しかしそれは、以前、生家に閉じこもった白月を迎えに行った時に璃耀自身も感じたことだった。

 事態が落ち着き、白月自身が結と呼ばれていた時代と今との間に折り合いをつけたように見えていたから、故郷との多少の交流はと思っていたが、翠雨が交流を止めさせた方が良いと考える程の事があったらしい。


「いくら窮屈でも、いくら故郷に帰りたくとも、其方が言う通り、幻妖宮から出るべきでは無かったのかもしれぬ。」


 そう言って僅かに目を伏せた翠雨の表情には深い後悔が滲んでいる。

 しかし璃耀はそれを否定するつもりはない。璃耀自身もこの様な事態になることは予見できなかったが、それでも万が一の事を考えると白月を危険から護ることのできる宮中から出すことも、ましてや妖界を出ることも、当初から許容するつもりは無かったからだ。


 せめて、あちらで騒動が起こっていることを事前に掴めていれば、いくら翠雨でも強行するようなことは無かっただろうが……


 そう思ったところで一つの違和感が浮かび上がり、璃耀は首を傾げる。


「あちらでは祭りの前から騒動が起こっていたのでしょう? それが事前に分かっていたにも関わらず、祭りへ招待したり、直前で知らせがなかったりしたのは何故でしょうか。安定しない中で来賓を呼ぶようなことは避けたいと思うのが普通では?」


 それに翠雨は当時のことを思い出すように考え込む。


「……そういえば騒動で有耶無耶になっていたが、到着した際、あちらの準備不足が目立っていたな。出迎えもなく、人界との入り口ではあからさまな対応ではなかったが門番に動揺があった。里へ案内されてからもしばらく待たされたし、取り繕ってはいたが、招待側がまるで我らの訪れを知らなかったのではと思うような対応だった。

 ただ、広場についてからは白月様が座す場所もきちんと用意されていて不備は無かったし、それ以上に不愉快な出来事があったために忘れていた。」

「その様な状況を翠雨様がお許しになるとは思えませんが、それ以上に不愉快な出来事があったと?」


 翠雨は思い出すのも嫌だというように眉間にしわを寄せる。


「亀島の当主と子の横柄な態度だ。人界にいた頃の白月様と面識があったとはいえ、人界の二貴族家の立場を弁えぬ無礼な振る舞いであった。当人たちは既に死んだが。」


 事件の主犯は亀島家の次子であったと文にあった。主犯は事件の中で死亡。翠雨が当主の責任も問うたことで、結果的に数日後には当主も極刑に処されたと知らせがあったらしい。


「しかし、其方が言うようにあちらの対応は確かに筋が通らぬ。騒動がある中で来賓を招き、その後に状況の変化があったとしても、説明や取消はなかった。着けば着いたで出迎え準備は整っていない。」

「……まるで、人界側に知らされぬまま、何者かの企みで呼び寄せられたようにすら思えます。」

「白月様を害するために、か?」


 確実とは言えない。目的もわからない。しかし、そうである可能性が高い気がする。


「状況を整理すれば、白月様がただ巻き込まれただけ、という線は薄いと思われます。一方で、奏太様を狙ったというのも否定されるものでは無いでしょう。とすると、奏太様と白月様、両者が狙われたと考えるのが自然でしょうか。」

「あちらで『守り手様』と呼ばれていたのは、奏太様と柊士様、そして、人界にいた頃の白月様だ。しかし今回、柊士様に被害はなかった。お二人だけに共通点があるか?」


 従兄姉同士であり、守り手であるという共通点もあるのに、何故奏太と白月だけなのか。

 二人だけに何か共通するものがあるのだろうか。それとも、ただ単純に柊士だけが先送りになっているだけか。


 そう思っていると、普段は翠雨の後ろで口を開かず淡々と仕事に当たっている蝣仁が口を開いた。


「翠雨様、発言をお許し頂けますでしょうか。」


 翠雨はそれにコクリと頷き、先を促す。


「事情聴取の際、奏太様が狙われたというお話しがありましたが、その前までに人界で起こっていた事件は、むしろ亘という護衛役に害意が向いていたように聞こえました。そして、その護衛役の前の主は人界にいた頃の白月様であったはずです。」


 亘という護衛役には覚えがある。常に奏太と行動を共にし、先の戦の際には主である奏太と共に白月を救う事に協力してくれていたと聞いた。

 この地で白月が妖に転じた際の出来事を涙ながらに詫びて許しを得ていた印象が強い。

 亘の主という共通点で狙われたとすると、確かに柊士だけが無事であったことに説明がつく。


「事情聴取をなさるなら、その者だけでも幻妖宮に呼び寄せますか?」


 情報はいくらあっても良い。

 あの者に関しては、今までの言動を考えても白月への害意はないだろう。それに、近衛も軍団も検非違使も控える宮中ならば守りも堅固だ。万が一何かがあったとしても、白月の居ない幻妖宮であれば然程問題にはならない。


 そう思い尋ねると、翠雨は眉根を寄せ直ぐに首を横に振った。


「いや。先程申した通りだ。もうあちらとこちらを安易に繋ぐつもりはない。白月様がお目覚めになれば、結界の穴も閉じて頂けるようお願いするつもりだ。あちらと隔絶できるのなら、危険を冒して原因の特定などする必要はない。元凶が入って来ようがないからな。」


 翠雨の言い分は分からなくもないが、やはり、どうにもスッキリしない。

 それが表情に出ていたのだろう。翠雨は面倒そうに首を傾げる。


「……あの方の憂いもわずらいも、全てを取り払いたがる其方が、一体何を悩む必要がある? 人界など切り離してしまえば良かろう。」

「それはそうですが……」

「何か懸念か?」


 璃耀自身にもはっきりとはわからない。あの方が目覚めぬせいかもしれない。ただ、何かがやはり引っかかる。嫌な予感がして胸がざわつく。


 ……それで本当に事態が収まるのなら良いが……


 璃耀はそう言いかけてぐっと言葉を飲み込む。

 嫌な予感がするのなら尚の事、交流は断っておいた方が良いのだろう。

 翠雨の言う通り、原因をはっきりさせるために人界で起こった出来事をこちらに持ち込む方が危険かもしれない。


 璃耀は懸念を振り払うように、小さく頭を振った。


「いえ、仰せのとおりに致しましょう。」

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