第80話 妖の里⑥
拓眞の姿が完全に見えなくなると、亘は俺の後ろに回って、そっと背を押した。
「さあ、奏太様。お役目が終わったのなら、さっさと帰りましょう。このようなところに留まったところで、いい事などありません。」
亘は拓眞に言われたことなど、気にも止めていない様子だ。
「悔しくないの?」
「どうでしょうね。慣れたといえば慣れましたし、ああいう手合は何を言っても聞きません。真面目に相手をしていては、無駄に疲れるだけですからね。私のことなど、何とでも言えばいいのです。」
亘は随分達観している。
「まあ、結様の事を貶した時には、稽古と称してボコボコにしてやりましたが。」
……と思ったが、そうではなかったらしい。
「よく咎められなかったね。偉いんだろ、あいつら。」
「結様が口添えし、私や他の者が稽古だったと必死に説明し、亘に負けたという不名誉を認めたくない御本人が、手加減してやったのだと主張したお陰で難を逃れました。」
淕が疲れたように言った。
なるほど。御番所の前で淕が亘と交代したのは賢明な判断だったというわけだ。
淕が変わってくれなければ、中で血の雨が降っていたに違いない。
二度とこんな所に来たくはないが、どうしようもないときには、柊士から淕を借りたほうが良さそうだ、と俺は考えを改めた。
亘に背を押されるまま、俺達は御番所の門をくぐり、来た道を引き返し始める。
何かあっては、と念のため、淕もついてきてくれている。
「ところで、亘は良いとして、汐は大丈夫なの?その……あんな奴らばっかりのところで……それに、俺結構、いろいろ言っちゃったけど……」
俺を本家に送り届けたあと、またこんなところに戻ってこなくてはならないと思うと心配になってくる。
特に汐は、近くで瑶が目を光らせているせいか、御番所に来てからほとんど喋っていない。
「おや。拓眞にだけでなく、他にもいろいろ仰ったのですか?」
「拓眞様、だ、亘。」
瑶が厳しく窘める。
亘はそれに、少しだけ肩を竦めて見せたが、言い直すつもりはないらしい。
「我らの事はお気になさらず。今に始まったことではありませんから。」
汐は、感情を廃したような声音でいう。
「……なんか、ごめん。」
俺がいろいろ仕出かしたせいで、汐が怒っているような気がして、思わず謝る。すると、汐は目を丸くしてこちらを見た。
「何故奏太様が謝るのです。我らの為に怒ってくださったのに。」
「……いや、だって、これ以上立場が悪くなったら、俺のせ……」
そこまで言いかけると、汐は首を横に振った。
「奏太様が気に病まれるような事ではありません。御番所に近づかなければ良いだけですから。」
「そこまで心配なさらずとも大丈夫ですよ。私もいますから。」
亘がなんとも爽やかな笑みで言う。
が、榮や拓眞にあの調子で結を貶されて亘が暴走したりすれば、汐に余計な火の粉が降りかかる気しかしない。
「……いや、それはそれで、なんか不安なんだけど。」
俺がそう言うと、亘は不満そうに眉を顰めた。
「そのような言い方をされるとは心外ですね。」
亘はそう言うが、俺の言葉に頷いていないのは亘本人だけだ。
亘は周囲を見回したあと、諦めたように、ハアと息を吐いた。
「稽古に向かう私と異なり、汐自身が御番所に向かうことは殆どありません。屋敷で御父上の庇護下にあれば、大丈夫でしょう。」
「それならいいんだけど……」
俺は汐に目を向ける。
汐は、俺を安心させるように、小さく笑みを浮かべた。
「それにしても、奏太様が私の為にも怒ってくださるとは思いもしませんでしたね。」
亘はからかうように俺の顔を覗き込む。事実だけど、ニヤニヤ笑うその顔が鬱陶しい。
俺は、覗き込んできた亘の顔をベシっと叩いた。
「でも、結ちゃんの事を差し引いたとしてもなんか見事に亘と汐ばかりが目の敵にされてる感じだね。後ろにいた淕には全く矛先が向かなかったのに。」
俺は顔を押さえる亘を無視して淕を振り返る。
しかし、淕は困ったような顔をするだけだ。それを見かねたように、瑶が口を開いた。
「淕は、もともと亀島家に仕えていた家系の出ですから……」
「所謂、身内ってわけか。」
「それでも、亘程でないにしろ、当たりの厳しいところはあります。殆どが妬みですが。次期御当主の護衛役ですから。」
なんだか、どうにもドロドロしていて気持ちが悪い。権力のある者とその取り巻きが、寄ってたかっていじめをしているみたいだ。
人の何倍も生きている筈のいい大人が。
「まあ、汐の言う通り今に始まったことではありませんし、奏太様は目の前の御役目に集中して下さればそれで良いのです。後は、力比べで私が勝ち抜くのを祈っていてください。」
亘はそう言うとニコリと笑った。
自信があるのだろうし、話を聞く限りでは、亘と淕が外れることはなさそうだけど……
でも万が一、拓眞が護衛役になんてなったら……
俺はそんなことを想像して、ブルブルと頭を振った。
汐の家に寄って着替えをし、来たときと同じように坑道を引き返す。瑶の目があるため、亘に何も言えない晦朔に送り出されて、俺は本家に戻った。
汐と亘と別れると、俺はドシドシとわざと足音を立てて廊下を歩き、柊士が先程まで仕事をしていた部屋のドアを乱暴に開けた。
「あんな奴らがいるなら、先に教えておいてよ!」
「……汐に聞けって言っただろ。」
柊士は書類から顔を上げて面倒くさそうに言う。
「汐の立場じゃ言いにくいだろ。あんな対応されてるなんて。亘だって、心配することじゃないって笑ってるし。」
「その様子じゃ、きっちり洗礼を受けたってわけか。」
「俺のことは、教育がなってないって言われただけだよ。ずっと亘と汐が貶められてた。結ちゃんのことまで。」
思い出すとイライラしてくる。
「まあ、見といて良かっただろ。」
「良い訳ないだろ。」
即座に返すと、柊士は小さく首を傾げる。
「お前が不快かどうかの話をしてるんじゃない。汐と亘がおかれている環境くらい、俺から言うより、自分の目で見ておいたほうがいいだろってことだ。それに、万が一俺がいなくなったら、お前があいつらと渡り合っていくんだぞ。」
……まあ、確かに、知らなくていい、という問題ではない。俺の護衛役、案内役についているからこそ、生まれている問題なら余計に、だ。
「どうにかできないの? あれ。」
「亀島か? いろいろ問題はあるが、追い出すわけにもいかないだろ。」
「なんで?」
「妖を野に放ってどうする。しかも、あの性格だぞ。恨みをつのらせて何を仕出かすかわからないだろ。人界側に残された二貴族家の一つであるせいで、派閥もできてる。周囲に言葉の毒をまき散らすだけで表立った罪もない。そう簡単な問題じゃない。」
「……まあ、そうかもしれないけど……」
口籠る俺に、柊士はハアと息を吐き出す。
「時間はかかるだろうが、方法は考える。立場上は俺達が上だ。うまい解決策が見つかるまでは、こっちの味方を増やしつつ、毅然とした態度で、あいつらを守ってやるしかないだろ。」
……俺が、汐や亘を守る……か……
今まで守れてばかりだった俺に、一体何ができるんだろう。
少し考えただけでは、その答えは出てきそうになかった。
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