第81話 路地裏の騒動①
暗い部屋の中で、そろそろ寝るか、とスマホを置いて目を閉じる。
コンコンと窓を叩く音が響いたのはようやく微睡み始めたころだった。
無視を決め込もうかと、一瞬魔が差す。
でも、わざわざこの時間に来たのが汐だとすれば、鬼界の綻びである可能性が高い。
既に鬼に酷い目に合わされたことのある身としては、放置して良いものではない事くらいわかる。
俺は、睡魔を振り払って目を開け、ハアと息を吐き出した。
窓を開けてやると、案の定、青い蝶がヒラリと入ってくる。
「奏太様、鬼界の綻びです。」
「なんか、久々だね。時間無視な所も含めて。」
もう、深夜十二時をまわっている。
前々から思っていたが、俺が寝ていて、起きなかったらどうするつもりなんだろう……
そう思い聞いてみたら、
「手段を選ばなければ、侵入経路など、どうにでもなります。」
と、とても怖いことを真っ直ぐに返された。
……いや、あんまり、深く考えないほうが良さそうだ。
「……それで、呼びに来たってことは、亘の謹慎が解けたんだ?」
「ええ。御当主と粟路様から許可が出ましたので。さあ、急いで参りましょう。」
汐に急かされて本家に行くと、いつものように亘が待っていた。
ただいつもと違うのは、人の姿のまま両脇に毛足の短い灰色の仔犬を二匹抱えている事だ。
仔犬自体は凄く可愛いのだが無造作に抱える亘の姿と全然マッチしていない。
しかも仔犬二匹は、亘から逃れようとバタバタと足を忙しなく動かして身じろぎしている。
「離せよ、亘! 守り手様にご挨拶できないだろ!」
「そうだぞ! いつまで抱えているつもりだ!」
口々に亘へ悪態をつくその声は、何だか聞き覚えがある。
「え、何それ。」
思わず問うと、亘は二匹を見下ろしてからニコリと笑った。
「番犬その弌とその弐です。」
「弌と弐って呼ぶなといっているだろう!」
灰色の犬の一方がそう叫ぶように言う。なんか、聞き覚えのあるやり取りだ。と思っていると、亘が二匹を抱えている手をパッと離した。二匹はヒラリと身を翻し、瞬く間に人の姿に代わってその場で跪く。
「奏太様、晦です。」
「朔です。」
ああ、どおりで聞き覚えがあるはずだ。里の門番をしていた二人だ。
「……え、なんで?」
「丁度非番だったようなので、捕まえてきました。」
……捕まえて?
まあ、さっきの様子を見る限り、文字通り捕まえてきたのだろうが……
そう思っていると、汐が進み出て教えてくれた。
「今回の綻びが街中だったため、幻覚を用いた目眩ましと一時的な結界を張れる者が必要だったのです。」
「この二人がそれを?」
「ええ。門番には必須の力ですから。」
「へぇ。そんな事ができるんだ。すごいね。」
俺は、何の気なしにそう感想を漏らす。すると、目の前の二人がバっと顔を上げ、キラキラした目で俺を見上げた。
「奏太様に褒めていただいた!」
「まさか、そんな風に言って頂けるとは、なんたる光栄!」
「……え、は……? いや……そんな大げさな……」
確かに凄いとは思ったが、ボソッと呟いただけの言葉を拾い上げて、ここまで大きく反応されるとは思わなかった。
戸惑う俺をよそに、二人は更に続ける。
「貴い御方なのに、我らにまでそのようなお言葉をかけてくださるとは!」
「やはり、亘のような奴でも、手元に置かれて受け入れられる程、心が広くてお優しいのだ!」
「噂通りの御方だ!なんて素晴らしい方なんだ!」
さり気なく亘を貶しているし、一体どんな噂なのかがすごく気になるが、二人は興奮に満ちた様子を隠そうともしない。
キラキラ輝く視線が目に眩しい。というか、もはや痛い。
しかも、気づけば二人の背後から二本のフサフサした尻尾がのぞいていて、それがブンブンと大きく早く振られていた。
「一生ついていきます!奏太様!」
「必ずお役に立ちます!」
「……あぁ……うん……」
なんとかそう返すと、二人の向こうで、亘がニヤニヤ笑いながら、尻尾を振る二人と戸惑う俺を見ているのが目に入った。
……あれは、完全に面白がってるな。
一方の汐はというと、それを更に俯瞰するように俺達を眺めながら呆れた声を出した。
「あまり遅くなるわけには参りません。さっさと参りましょう。」
「でも、どうやってこの人数で移動するの?亘に三人は乗れないだろ?」
俺がそう尋ねると、亘は足元に置いてあったらしい、持ち手のついた大きめの藤のカゴを持ち上げてみせた。
「2匹くらい詰めればなんとか入るでしょう。爪に引っ掛けて行きますので大丈夫ですよ。」
……何か置いてあるなとは思ったけど、あれにさっきの仔犬姿の二人を……?
普通に乗るだけでも、亘は結構な速さで飛ぶので、風も揺れも物凄い。
爪に引っ掛けるというが、風に煽られて、吹き飛ばされそうになりながら危なげにグラグラするカゴと仔犬の姿が目に浮かぶ。
……いや、多分、見ていられない。
「……カゴは俺が持つ。」
「しかし、危ないのでは?」
「そんなのに乗せて、爪に引っ掛けて行くほうが危ないだろ!」
「そうではなく、奏太様が。流石にこの大きさでは、片手で抱えるには無理がありますよ。両手を離して飛ぶわけにはいかないでしょう?」
「……それはそうだけど……」
俺がそう言うと、少しだけ顎に手を当てて考えていた亘が、何かを思いついたようにポンと手を打つ。
「では、背に紐で括りつけましょうか。」
亘の大きな背に紐で括られる二匹を想像して、雑な扱いに可哀想な気持ちも湧いたが、少なくともカゴよりは安全な気がする。
ズリ落ちないようにしっかり括れば、なんとか……
そう思っていたのだが、本家の中に戻り紐を持ってきた亘は、おもむろに仔犬の姿に変わった二人を持ち上げると、俺や二人が何かを言う前に、手早く俺の背にガチガチに括りつけた。
「……え、亘に括りつけるんじゃなかったの……?」
「私の背に直接括るより、この方が安全でしょう。」
いや確かに、亘の背に括るだけだとちょっと心配だなとは思ったけど……
ただ、鏡を見たわけではないが、かなり間抜けな姿になったことだろう。
それを証拠に、もっともらしいことを言った亘が、笑いを噛み殺しそこねたような顔をしたのが目に入った。
「わ……我らが奏太様の背に……」
「何という不敬を……」
背中の二人は、そんな事を口々に呟きながら、恐れ多いとばかりにプルプル震えている。
別に不敬でも何でもないが、もしそうだとしたら、一番質が悪いのは亘だ。
流石に一言文句を言ってやろうと口を開く。
しかし、声を発する前に、
「もう、そのような事どうだって良いでしょう。時間が惜しいのです。さっさと参りましょう。」
という、汐の冷たい声が飛んだ。
声質から考えるに、結構イライラしだしている。
表情や態度にあまり現れない汐の感情がわかるようになってきたのは、良かったのか悪かったのか。
しかも、当の亘は何食わぬ顔で、さっさと鷲の姿に変わってしまっている。
なんだか俺がワガママを言って汐に怒られたような感じになったのが全く解せない。
ハアと息を吐きだして、未だ震える二匹の仔犬を背負ったまま、俺は亘の背に乗った。
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