第79話 妖の里⑤

 榮の部屋を出ると、俺は、ハァー、と深く息を吐き出した。とんでも無く疲れる時間だった。


「淕が来てくれて助かった。礼を言う。」


 瑶もまた、小さく息を吐きながらそう言う。

 あれだけのことを言われて、土下座までさせられたのに、助かった、とは……

 まあ亘がいたら、結の話が出た時点で大騒ぎになっていただろうけど。


 淕は瑶に首を横に振って見せる。


「いえ、大したことはしていません。それに、御役目はまだこれからですから。」


 淕はそう言うと、視線を扉の横に移す。

 そこには、薄い緑色の髪の、少し小柄な体格の男が跪いて待っていた。

 顔つきだけなら、俺と同年代か少し上くらいに見える。

 まあ、妖年齢で言えば、だいぶ歳上なのだろう。


「奏太様。お初にお目にかかります。亀島家末子の湊と申します。」

「……亀島家……」


 思わずそう呟く。


 末子、ね。ってことは、あの爺さんの息子か孫ということだろう。

 せっかく部屋を出たのに、今度はその家族から嫌味を言われることになるのだろうか、と眉を顰める。すると湊は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「……父ですね。どうか、老人の戯言と思ってお聞き流しください。」


 何となく、榮と大きく印象が違う感じがする。

 でも、榮だって第一印象は良かったのだ。ここで油断して後から裏切られるのではダメージが大きすぎる。


「ご案内します。どうぞ、こちらへ。」


 立ち上がる湊に硬い表情でコクリと頷くと、湊は困ったような顔で微笑んだ。


 何を言われるか、いつ態度が豹変するかと身構えながら着いて行ったのだが、湊は、あの爺さんの息子とは思えないくらいに丁寧に俺達の案内をしてくれた。


 各担当毎の準備状況、支出報告などを、いくつかの部屋を巡りながら教えてもらう。

 それぞれの担当者達は、俺に好意的とも批判的とも言えない無表情で、淡々と説明だけを行った。

 祭りの準備だというのに、楽しそうな雰囲気は一切ない。

 ただただ事務的に指示された目の前のことをこなしているようにしか見えない。


 もっと楽しそうにやればいいのに、という言葉が喉元まででかかったが、それをぐっと飲み込んだ。

 余計な事を言って、さっきみたいに誰かに突っかかってこられても困る。



 一通り説明が終わり、湊に見送られて外に出ると、淕と交代した亘が、複数の者たちに囲まれているのが目に入った。


 最初、俺が中で受けたみたいに、妙ないちゃもんをつけられているのかと思った。

 ただよく見ると、亘の周囲を囲むもの達は皆笑顔だし、亘自身の表情も柔らかい。


「何だ。結構人気者じゃないか。」


 俺はぽつりとそう呟く。


 最初の兄弟の様子や、瑶から聞いた話だけだと、亘に味方と言える味方はいるのだろうか、と少し心配だったのだ。

 でも、あの様子を見る限りでは、結構慕われているように見える。


「武官で亘を疎ましく思っているのは一部の者くらいしょうね。その大半が亘に返り討ちにされていますが。一方で、力ではなく立場を慮る文官衆の評判は極めて悪いです。亘自身はあまり気にしてはいないようですが。」


 今まで黙って、俺が突っ走った行動をしないか見張っていた淕が、ようやく表情を緩めて苦笑を漏らした。


「元々、南の出で、その強さだけで守り手様の護衛役に選ばれたのです。強い光故に影ができ疎まれることもありますが、亘は皆の憧れでもあるのです。それに加えて、先の戦での活躍ですから。そういう意味では、奏太様も武官の間では英雄ですよ。」

「俺が?」

「帝となられた結様をお救いになるために、危険も顧みずに飛び出していかれたでしょう。」

「柊ちゃんと父さんに死ぬほど怒られて、汐から平手打ち喰らったけど。」


 淕はそれに笑いを零し、汐は何気なくツイと俺から視線を逸らす。


「それでも、誰にも別け隔てなく接してくださっていた結様の身を、武官、皆が案じていたのです。柊士様より結様の方が人気があったくらいですから。」


 柊士様も良い方なんですがね、、、とゴニャゴニャ愚痴るように淕は、付け加えた。



 そのうちに、亘はこちらに気づいたようで、周囲の者たちに何かを言い手を挙げると、こちらに向かって歩き出す。


 しかしその前に、一人の大男が俺の前にすっと出てきて、膝をついた。


 男はチラッと亘を振り返ったあと、大仰に頭を下げる。


「奏太様、亀島家次子の拓眞と申します。」


 父親、末っ子の次は次子?

 末っ子は終始礼儀正しく対応してくれたが、その兄ちゃんはどうなのだろうか。


 と思ったのだが、拓眞の背後であからさまに顔を顰める亘をみて、だいたい察した。

 視界の端で淕が、こちらへ来るなと亘を制するように右手をあげている。


 これは、ひとまず口を開かないほうが良さそうだ。

 そう思っていたら、早々に相手の口から毒を含む言葉が飛び出した。


「失礼ながら、亘など、お側に置かれるべきではありません。先の戦、御身が危険に晒されるようなことばかりだったと聞き及んでおります。何より、戦に主を連れて行くなど言語道断。妖界の帝など放っておけば良いものを、自分の手柄の為だけに、奏太様を妖界へお連れするとは、護衛役の風上にも置けません。」


 なるほど。こっちの息子は完全に父親と同じ立場だと。


「亘が自分の手柄のためだけに妖界へ行った訳ないだろ。後から責められるのを承知で、それでもハクを助けるために妖界へ向かったんだ。」


 沈黙守って周囲に対応を任せようと思ったけど、父親は結を、息子は亘を、同じような理由で侮辱するのだ。

 そんなわけ無いのに、黙っていたら肯定しているようで、我慢できなかった。


 瑶と淕が、苦い表情を浮かべたが、そんなの知ったことか。


「しかし、それでは前の主を尊重し、奏太様を蔑ろにしているということではありませんか?」


 拓眞は困った子どもに言い聞かせるように言う。


「ハクを救う事は、俺自身も望んだ事だ。亘はそれに協力してくれたんだ。」

「それはまた、困ったものですね。奏太様を御守りする役目があるのに、お諌めもせずに焚き付けるとは。」


 何だ、コイツ。

 全然会話が成り立っている感じがしない。

 いや、成り立ってはいるのだが、俺の言葉が全然入っていっている気がしないのだ。

 暖簾に腕押し、という感覚だ。


「奏太様、もう結構です。余計な体力を消費するだけですよ。」


 淕に押し止められ、ずっと成り行きを見守っていた亘が、痺れを切らしたように、声を上げた。


「拓眞様、奏太様も明日があります。この辺りで。」


 亘がそう言うと、拓眞はすっと立ち上がり、亘に向き合う。淕が小さく息を吐きだし、諦めたようにゆっくり首を横に振った。


「すっかり、守り手様の従者気取りだな。卑賤の身で図々しいことだ。そもそも、結様を御守りしきれなかった其方が、何故まだ守り手様についている。任じられたとしても、自ら辞するのが道理だろうに。」


 俺は拓眞の言葉に、ムッと眉根を寄せる。


「亘はよくやってくれてるよ。何度も助けてもらってる。何も知らないくせに、外野が口出しするなよ。」

「これはこれは。随分と亘への信頼がお厚いようですね。ですが、奏太様はお若い身。まだまだ知らぬことも多いのでしょう。祭りの後には私が護衛役となり、しっかり教えて差し上げましょう。」


 ああ、なるほど。瑶が言っていた、俺と柊士を若輩と侮る者の一人ってことか。

 それにしても、随分な自信だ。力比べとやらで、勝ち抜くつもりなのだろうか。


「亘に勝つつもり?」

「ええ、もちろん。私が必ず勝ち上がります。その際は、是非お引き立てを。」


 拓眞は俺に不敵に笑って見せると、


「では、本日はこちらで。」


と言ったあと、亘をフンと嘲笑して建物の中に入っていった。

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