第78話 妖の里④

 亘を広場に残して、俺達は御番所の入口をくぐる。


「奏太様、ここから先は私が受け答えを行います。くれぐれも、感情に任せて口を開かれぬようお気を付けください。」


 そんな事を瑶に言われて、更に不安が募っていく。

 瑶がいろいろ対応してくれるのは有り難いが、感情に任せて口を開くようなことが起こるかもしれないということだ。


 玄関で靴を脱ぎ、待ち構えていた案内役の男に着いて広い廊下を進む。


 建物の外は和風に見えたのに、中は和洋が融合したような不思議な雰囲気があった。

 戸は引き戸ではなく、木彫りの施されたドアで、床は絨毯。

 廊下ですれ違う者たちが次々と俺達に跪いていく。

 でも俺は、先程の瑶と淕と兵士のやり取りを思い出して、申し訳ない気持ちになりながらも、その前をただただ通り過ぎた。


 ……ハクだって、宮中では自分に膝をつく者たち一人ひとりに声をかけていっていたのに……


 俺自身が緊張しているのもあるのだろうが、建物内は何だかピリピリした雰囲気に満ちている気がする。

 廊下を行く者たちに笑顔はない。立ち話をしている様子もない。

 ただ足早に、淡々と仕事をこなしているようにみえた。


 しばらく進むと、案内役の男が一室の前で立ち止まり、


「奏太様がお見えです。」


と室内に声をかける。


 俺はドキドキしながら、廊下よりも上等な絨毯敷きの部屋に通された。

 奥に大きな執務室机と椅子があり、手前にはローテーブルと木彫りの背もたれのソファが二台。


 それらがあっても、更に出入口付近には広いスペースが残っている。


 そこに、上等そうな着物を纏い深緑色の髪を小綺麗に整え、好々爺のように柔らかい表情を浮かべた老人が立って出迎えていた。その後ろには数名の男たちがこちらに向かって跪いている。


「これはこれは、奏太様。ようこそいらっしゃいました。亀島家当主のさかえと申します。」


 老人はにこやかに言う。

 一体どんな者達に出迎えられるのかと身構えていたのに、何だか拍子抜けだ。


 しかし、拍子抜けついでに、


「亀島家?」


と言ったところで、好々爺の雰囲気がフッと変わった。

 人界の妖にも名字のようなものがあるのかと思い口をついただけだったのだが、


「おやおや、ご存知ないのですか。」


 と、榮の声に、何となく咎めるような、嘲るような音が交じる。


「奏太様、失礼ですが御勉強はどなたから?まさか、全くされていないということはありますまい。柊士様は何もお教えくださらぬのですかな。」


 勉強というのが何のことかわからないし、柊士が何にも教えてくれないのは全くもってその通りなので反論のしようがないのだが、上から目線の小馬鹿にしたような言い方が凄く腹立つ感じだ。


 俺が眉を顰めると、瑶がちらっと俺の表情を確認したうえで、俺が口を開く前に半歩前に進み出た。


「奏太様は御役目につかれて間もないのです。まだ御勉強の途中と聞き及んでおります。」

「間もないとは言うが、二年近くたつではないか。御当主と次期御当主は一体何をなさっているのか。」


 榮はあけすけに伯父さんと柊士を批判する。視界の端でピクリと淕が動いたのが見えた。


 榮はハアとこれ見よがしに息を吐く。


「まあ、仕方ありますまい。御二方に代わり、私がお教えして差し上げましょう。」


 正直、そんなこと言うやつに教えてもらいたくなんてないのだが、口を開きかけたところで、トンと淕に肩を軽く叩かれた。


 落ち着けというサインだろう。淕自身が自分を落ち着かせる意味もあったのかもしれない。

 俺はギュッと眉間にしわを寄せたまま榮を見る。


 しかし、榮はそんなこともお構いなしに語り始めた。


「元々、最初の大君の側近くにお仕えしていた貴族は全部で七家。柴川、雉里、申岡、狗山、猫崎、亀島、雀野すずの。うち、五家は妖界へ大君と共に戻り、亀島、雀野は人界に残る内親王殿下にお仕えすることとなったのです。」


 雉里という名は、何処かで聞き覚えがある。どこだっただろうか、と頭の中を探っていく。妖界へ戻った言っていたから、妖界の誰かなのだろうけど。

 その間にも、榮の説明は続く。


「我が亀島家と粟路殿の雀野家は、内親王をお支えし、その子孫を守り、課された御役目を遂行するため、何代もかけて貴方様方にお仕えしてきました。

 陽の気の満ちる人界で暮らすのは、我らにとっては厳しい環境です。

 それでも、人界の山の地中に里を作り、夜と昼を逆転させた生活を仲間達に強いながら、力を尽くして参ったのです。」


 ……いや、まあ、実際そうなんだろうし、亘達にはたくさん助けてもらったから否定はしない。昼夜逆転した生活をしてるなんて初めて知ったし、大変な思いをしてきたのだろう。

 でも、例えそうだったとしても、この老人は、何だか凄く恩着せがましい言い方をする。


「今は、雀野家が筆頭となり、この人界の妖を率いています。ただ、当主である粟路殿が御本家に行ったまま殆ど帰ってこず、右腕殿に里のことは任せきりなので、ほとほと困っておるのです。」


 榮はそう言いながらチラッと瑶に目を向けた。


「粟路殿の右腕である瑶がいたとて、私からすればまだまだ若輩。見ていてもどかしくなることもありましてな。」

「……面目もございません。いつもご指導ご鞭撻いただき、感謝しております。」


 嫌味たらしい言い方をする榮の言葉に、瑶は殊勝な態度で頭を下げる。


「御当主は、御自分のそばにいる粟路殿を重用されていらっしゃるが、私が居らねば、恐らく里は機能していないでしょう。柊士様にも散々申し上げているのですが、雀野の言葉しかお耳に入らぬようで。困ったものです。」


 困ったもの、はこちらのセリフだ。よくもまあ初対面の人間にここまで毒を吐けるものだと、むしろ感心する。


 要約すれば、人界の妖の筆頭である粟路は大して仕事をしない。自分のほうが相応しいのに、伯父さんも柊士も取り合ってくれない、という、ただの妬みだ。


 柊士がここまで貶められて、淕が黙っていられるのも驚きだ。亘には、“慣れた“ と言っていたが、柊士はいつもこんな言葉を浴びせられているのだろうか。

 こういう態度が伯父さんや柊士に認めてもらえない理由なのではと思うのだが、周りは誰も止めないのだろうか。


 不快なので、ずっと眉を顰めて見ていたが、榮は気づいていないのか、気づいた上で無視をしているのかはわからないが、そのまま言葉を重ねる。


「奏太様も、奏太様です。もう少し亘の手綱を握っておいて下さらねば。あの身の程も弁えぬ無礼者に、何度手を焼いたことか。」


 この言い方では、亘もまた、この爺さんに相当疎まれているのだろう。榮が言う通り、目上の相手に噛みつき無礼を働く様は、嫌でも想像がついてしまう。

 内心苦笑しながら亘のことを思い浮かべていると、榮は更に言い募る。


「結様にも何度か申し上げたのです。ですが、亘の態度が変わることはありませんでした。やはり女子には荷が重すぎる御役目だったのでしょう。それが今や妖界の帝とは。」


 柊士や俺と同様、結に対しても好意的な感情は持っていなさそうだ。むしろ、女だと侮り蔑むような言い方だ。時代遅れも甚だしい。


 そんな風に心のなかで悪態をつきながらも、余計な事を言い出さないように俺と榮の様子を伺う瑶の表情に、俺は口を噤み続ける。


 しかし、なんとか我慢できていたのはそこまでだった。


「全く、結様には困ったものです。表面上は柔和な態度で兵達を篭絡しておきながら、仮面の下では、一体何を目論んでいらっしゃったか分かったものではありません。」


 ……は?


「柊士様と奏太様がいる限り、あちらとこちらを御治めする御役目は、この御二方に委ねられます。女子の身でどうしようもなかったとはいえ、御自身が妖界の帝となられる為に、亘と汐をも巻き込んで、あのようなことを企てたのでは、などという噂がたっておりましてな。」

「はぁ!? そんな訳ないだろ!!」


 俺は思わず怒声を上げた。

 何を言ってるんだ、このジジイ。


 耳元で、


「奏太様、抑えてください。」


と淕の窘める声が聞こえるが、言われっぱなしで済ませるにはあまりにも悪意のある言葉だ。


「自から望んであんな目に会おうと思うわけ無いだろ! 結ちゃんを……ハクをなんだと思ってるんだ!!」


 今までのは全部、イライラしながらも、この糞爺の戯言だと思って我慢できた。

 俺が何かを言って、それが汐や亘に行っては困ると思って無言を決め込んでいた。


 でも、結の事をそんなふうに言う事だけは許せない。むしろ、彼女が柊士や俺の身代わりになって、全てを引き受けてくれたのだ。


 亘や汐がどんな思いで結を送り出したのか、少しでも考えたことがあるのだろうか。


 結が……ハクが一体どんな目にあったか分かって言っているのだろうか。


 それを言うに事欠いて、結自身が権力のために望んで妖界に行ったと宣うなんて。


 しかし、声を荒げる俺に、周囲の者達は、


「おお、怖い」

「我らを威圧して押さえつけるおつもりか」

「亘の影響ではないか?」

「御当主や柊士様の教育はどのようになっているのだ。」

「案内役がお諌めもできずにどうする。」


などと口々にざわめいている。まるで、榮の言うことを肯定し、俺を非難するかのように。


「この老体にそのような大声を出されるとは。瑶、奏太様にお仕えする者は、やはり変えた方が良いのではないか? 親の情で汐を重用したいのだろうが、失態続きでは、汐も苦しかろう。それに、粟路殿の任命責任も問われよう。それは其方の本望ではなかろうに。」


 榮は好々爺のような表情のまま、心底困ったように眉尻を下げる。

 表面上では汐や瑶を慮るような事を言っているが、内容は随分酷いものだ。


 瑶はそれに少しだけ眉をピクリと動かしたが、俺が何かを言う前に、すぐ表情を変えることなくスッと頭を下げた。


「申し訳ありません。案内役が至らぬばかりに。汐にはよく言って聞かせますので、どうか御容赦を。」


 しかし、榮の後ろにいた取り巻きの一人が、片眉を上げてそれを見る。


「娘御だけでなく、瑶殿も礼がなっていないように見受けられますな。二貴族家の御当主に対するのであれば、もう少し礼を尽くしても良いように思いますが。」


 取り巻きの言葉に、周囲から賛同のざわめきが生まれる。

 榮は優越感に浸るように嫌らしく口元を歪めた。


「ふむ。雀野の第一補佐官殿は、皆の手本にならねばな。」


 瑶が頭を下げたまま、少しだけ目を細めたのが見えた。


 それから、ゆっくり両膝を折り床につく。両手を前に揃えると、頭を床スレスレまで下ろした。

 汐もまた、瑶に倣うようにその場に膝をつき頭を下げる。


「申し訳ございません。」


 ……何だよ、これ。


 もはや気持ちが悪い。瑶も汐も悪くない。でも、こうやって榮に跪いて許しを請うのが当たり前のような、酷く淀んだ空気が周囲に漂っている。


「汐達は悪くないだろ。文句があるなら俺に言えよ。」

「主をお諌めするのは従者の役目です。奏太様、汐を思ってくださるなら、どうかお控えください。」


 俺に、瑶は頭を下げたままそう言った。あくまで榮に従う姿勢だ。

 ギリっと奥歯を噛んでいると、再び淕がコソッと耳打ちをしてきた。


「悔しいでしょうが、この場は、奏太様が  “悪かった“ と仰って頂かねば収まらないでしょう。」


 はぁ? 俺が謝る?

 むしろ、あっちからハクと汐に詫て欲しいくらいだ。


 俺は文句を言おうと淕を振り返る。しかし、俺が口を開く前に、淕は更に言葉を重ねた。


「堪えてください。このままでは汐が貶められるばかりです。」


 俺は、土下座をしたままの汐をちらっと見る。いつもの無表情だが、悔しくないわけがない。


「奏太様。」


 淕が更に小声で俺に呼びかける。

 俺は、静かに息を深く吸い込み、そのままフーッと吐き出した。


「……俺が……悪かった。」


 歯の隙間から吐き出すように、なんとかそれだけを言うと、榮は満足そうにニヤっと笑った。


「祭りの準備の視察でしたな。案内の者を呼びましょう。」

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