終章

第64話 薬湯の温泉①

 ジンジン痛みぼわーっと熱を帯びる肩に、動く気力も湧いてこない。いっその事、取ってしまいたい、なんて考えがふと過ぎったが、そんな事をすればもっと悲惨な状態になることは間違いない。


 俺より酷い状態のハクがいて、同じ様に怪我をしている亘が平然とした様子なので、俺も痛みを耐え忍びながら、平静をなんとか装っている最中だ。


 ちょっとでも愚痴れば、柊士に嫌味を倍浴びせられる気がして、弱音を吐くことも憚られる。


 多分、表情は引きつっているんだろうけど。


 柊士は先程から泰峨と話したり、人界の妖に指示を出したりしながら、時折俺の様子を伺いに来る。


 そうやってしばらく痛みに耐えながら周囲の様子を眺めていると、突然、戦場跡地が、数羽の猛禽の飛来によって騒然となった。


 何事かと空を見上げ、人界の妖が警戒体制を取る。

 しかし、妖界の妖には慌てた様子はあれど、武器を取り備えるような様子はない。


 それどころか、その一団が地上に降り立つとともに、その場にいた妖界の者たちが一斉に膝をついた。それに気づいた泰峨もまた、その内の一羽に駆け寄っていく。


 人界の妖達は、それをきょとんとした表情で眺め、立ち尽くしていた。


 でも俺は、鳥の背に乗る人物に心当たりがあった。すでに何度か顔を合わせたことのある見知った人物だ。


 ……ああ、翠雨さんか。確か、泰峨さんが、何かのお伺いを立てるって言ってたな……


 にしても、ここに来るという話だっただろうか?


 と思っていると、同じ様に思ったのだろう。泰峨の、呆れたような声が聞こえてきた。


「京の者や軍の指揮はどうなさったのです。場所さえ教えていただければ、我らでどうにかするつもりだったのですが。」

「瑛怜と蒼穹に任せてきた。あのような所でじっとしていられるか。白月様は?」


 泰峨はハアと息を吐いて、翠雨の後ろに控える蝣仁に目を向ける。でも、蝣仁は能面のような顔で小さく会釈するだけだ。


 蝣仁からは、何となくだが、柊士に振り回される淕に似た何かを感じる。


 泰峨は蝣仁の様子を見たあと、言いたいことを一旦全部飲み込んだような表情をして、


「……こちらです。」


とハクの元へ翠雨を案内し始めた。



 凪に抱えられた兎の姿のハクを見ると、翠雨は表情を固くする。すっと腰をおろし膝をつくと、そっとハクに触れ、静かに


「白月様。」


と呼びかけた。しかし、ハクはピクリとも動かない。


「……凪、白月様は……」

「大丈夫です。息はあります。ただ、できるだけ早く紅翅殿に……」

「ああ、わかった。泰峨、ここの処理は任せる。終了したら、瑛怜を手伝ってやってくれ。凪と桔梗は借りていくぞ。」


 翠雨は立ち上がり、くるりと向きを変えると、後方に控えていた泰峨に目を向ける。


「は? いえ、人界の者も同行しますし、私も共に……」

「いや、其方には、こちらとあちらを任せる。」


 翠雨は笑顔を浮かべてもう一度繰り返す。ただ、その奥にある瞳は全く笑っていない。

 有無を言わさぬ圧力を感じたのだろう。泰峨はウッと息を呑んだあと、


「……承知しました。」


としぶしぶといった様子で頷いた。


 ……あの翠雨って人も、なかなか癖者だよなぁ……



「ところで柊ちゃん、俺達、これから何処に行くの?」


 何処かにハクと一緒に行くらしいというのは聞いていたが、具体的にどこへ向かうのかまでは聞いていない。


「白月と一緒に、お前らの傷の手当てもしてもらうんだ。今ここにいる中では、翠雨と白月しか場所を知らないそうだ。

 向こうに帰って説明のつかない刀傷を病院で見せるわけにもいかないし、ここまで酷いと尾定さんも大変だろ。」


 なるほど。さっきのハクと泰峨の話はそういうことだったのか。

 確かに、妖界の薬がよく効くのは尾定の治療で経験済みだ。こっちで何とかしてもらえるのならその方がいいのだろう。



 残党狩りを残すだけとなった今、人界の妖達はある程度の役目を終えたと言える。


 柊士は人界の妖を二手にわけ、俺と亘に同行する者を三分の一残し、残りは日が落ちるとともに一足先に人界へ帰るよう指示を出した。


 柊士はこちらに残るらしい。何を仕出かすかわからない俺と亘を残して帰れないそうだ。


 はいはい。


 帰宅組は、日が暮れるまでの間、妖界の者たちの協力をさせるらしい。


 ……というか、先に人界へ帰るのか ……


 そう思った途端、父や友人達の顔が急に浮かびあがってきて、背筋が寒くなる。


 帰宅組のリーダーに余計なことは言わないように口止めしようかと思ったが、柊士の目が怖くて、終ぞできないまま出発の時を迎えてしまった。



「行くぞ!」


 翠雨の掛け声に合わせて、一斉に鳥たちが沼地を飛び立つ。

 近衛は基本的にはこの場に残され、凪と桔梗とあと数名が同行を許された。それに加え、人界の者と、翠雨が連れてきた護衛が共に行くことになる。

 結構人数を絞ったように見えたが、それでもそれなりの団体になっていた。


 亘が怪我をしていて俺も片腕が使えないので、俺は柊士と一緒に淕に乗り、亘もまた別の者に乗せられていた。


 しばらく飛ぶと、前方に険しい山々が見え始め、さらにそれを越えて行くと、小さなカルデラのようになっている場所が見えた。一行はそこを目指して降りていく。

 中央には湯気を上げる温泉のようなものがあり、木と木の間に粗末な小屋が一軒見えた。


 温泉の近くに降り立つと、すぐに小屋から、白いもこもこした羊と思われる妖が一匹出てくる。

 以前会った獺と同じく、動物の体で二足歩行だ。


「いったい、これは……」


 羊は俺達一行を見て、目を丸くして呟いた。


 ここに団体客が来ることは少ないのだろうか。

 そう思って周囲を見回したが、そもそもがただの団体客ではなかった。

 武装した兵が押し寄せて来たら、それは驚くだろう。


 羊はそうやってしばらくの間オロオロしていたのだが、その内に、凪に抱えられたハクに目を留めて、丸い目をさらに見開いた。


「白月さん!!」


 羊は声を上げてハクに駆け寄る。すると、その声に反応したのか、小屋からさらに二匹の羊が出てきた。一匹は子どもだ。


「康太、山羊七さんのところに行って、声をかけてこい。」


 最初に出てきた羊が指示を出すと、子羊はコクリと頷いて何処かに駆けていく。


「白月さん、どうしたんです。こんなに酷い怪我を一体どこで……」


 羊がそう言いかけたところで、翠雨がその間に入った。


「毛助、悪いが、白月様の治療を優先したい。説明は後だ。」

「え、ええ。それは勿論……ただ、貴方様は……」


 この羊は毛助というらしい。名付け親のセンスは一体どうなっているのだろうか。


 それに、翠雨は毛助の事を知っていそうなのだが、一方の毛助は翠雨の事を知らなそうだ。

 ただ、翠雨は本当に説明を後回しにするつもりのようで、毛助を無視して凪に目を向ける。


「そのまま、白月様を温泉の湯に。それだけで大分お怪我が良くなるはずだ。」


 翠雨がそう言うと、凪はコクリと頷いて温泉に向かい、スッと湯の側で両膝をつく。

 翠雨もまた、凪のそばに膝をついて、ハクの様子をじっと覗き込んだ。


 皆が固唾をのんでその様子を見守る。俺達、人界の者も同様だ。


 傷や病を癒す力のある湯が湧きでる温泉があるのだと、ここに来るまでの間に柊士に聞かされた。妖界の者が話しているのを詳しく聞いたのだそうだ。


 本当にそんなものがあるのかと半信半疑ではあるが、妖界の薬には驚くべき効果があるのだ。そういうものもあるのかもしれない。


 凪によって、ハクがそっと温泉につけられる。

 すると、効果は目に見える程、明確に現れた。


 ハクの薄い銀色の毛を赤く染めていた血があっという間に流れていき、みるみるうちにキレイな色を取り戻していく。

 しばらくハクを湯に浸からせたあと、凪がザバッと上げると、表面についた血が流れただけではなく、ずっと流れ出ていた出血も、しっかり止まり、傷のようなものはパッと見ただけではわからない位にキレイになっていた。


 そもそもハクには毛がある分、傷の状態がわかりにくいというのはある。

 でも、あれだけズタズタだった手足が一見しただけではわからない位にまでもとに戻ったのだ。

 まるで魔法ではないかと思う程だ。


「凄いな……」


 柊士がボソッと横で呟く。俺もそれに、コクリと頷いた。

 凪も同様に目を見開いてハクを見ているし、周囲の者たちも驚きを隠せずにざわめいている。


「白月様。」


 翠雨は、凪に抱えられたハクを覗き込み、静かに声をかける。

 するとハクは、今度はふっと目を開けて瞬きを繰り返したあと、翠雨をきちんと見返した。


「……カミちゃん……何でここに?」


 先程までとは異なり、大分しっかりした口調だ。本当に、温泉の湯が効いているらしい。


 翠雨はほっとしたように息を吐き出す。


「ここは、山羊七の温泉ですよ。傷ついた貴方をお連れできるのは私しかおりません。お加減は如何ですか?」

「……うん。もう、大丈夫。」


 ハクはそう答えたのだが、すぐに別の方向から、呆れたような声が響いた。


「大丈夫な御顔ではありませんよ、白月様。」


 その声に、皆がハッと驚いて振り返る。


 そこには、いつものキッチリとした着物姿とは違い、浴衣のような着物一枚にもう一枚着物を羽織った格好で兵の一人に支えられながら立つ、璃耀の姿があった。


 璃耀は酷い怪我を負って助からないのでは、と聞いていた。

 でも、そこに立つ彼は、以前見た時と変わらない表情でハクのことを見つめている。


 あの時の兵士が言っていたのは勘違いだったのだろうか、と一瞬頭を過った。

 ただ、周囲にいる妖界の者たちの顔を見ると、皆が一様に驚きの表情を浮かべていた。

 まるで幽霊でも見たかのように、あんぐりと口を開けている者までいるほどだ。


「……この湯はこれ程までに効果があるのか……」


 誰ともなく、そんな呟きが聞こえてきた。

 璃耀はそれに眉根を寄せる。


「翠雨様、ここに居る者に箝口令を。噂が広まれば、山羊七だけでは対処できません。」

「いずれ、朝廷の管理下におこうと思っていたのだ。方法は考える。それよりも、思ったより元気そうではないか。何よりだ。」


 翠雨の表情は、面倒くさい者を見るようなものではあるが、仲間の無事を喜ぶような顔ではない。


 そこへ、


「……璃耀……」


と、ハクの高く澄んだ声が小さく聞こえた。


 見ると、小さな前足を震わせて、璃耀の方に伸ばしている。


 璃耀は自分を支える兵に声をかけてハクの側まで行くと、膝をついて、その小さな前足を丁寧な仕草で両手で包んだ。


「大怪我を為さったと伺いましたよ。」

「私のことは良いの。璃耀が助かって、本当に良かった……」


 小さく震える涙声でそう言うハクに、璃耀はハアと息を吐く。


「御身に勝るほど優先されるものなどございません。また、無茶を為さったのでしょう。」


 困ったように眉尻を下げる璃耀に、翠雨は厳しい声を出す。


「無茶どころではない。其方が倒れたあと、白月様は自ら敵に降ったのだ。其方と我らを救う為に。ようやく敵を打倒した時には、白月様は重傷を負われていた。この湯が無ければどうなっていたことか。」

「翠雨様、そのお話はまた後に。白月様御自身もまた、お辛い経験を為さったのです。御身体に障ります。」


 凪が咎めるように言うと、翠雨はハアと息を吐き出し、ハクをじっと見つめる。


「白月様。申し上げたいことがたくさんあります。」

「……うん。」

「貴方を失うのは、もうたくさんです。」

「うん。ごめんね。」

「……早く良くなって、皆のもとに、お戻りください。皆が、貴方をお待ちしています。」


 翠雨は涙を堪えるように表情を歪ませたあと、小さく微笑んで見せた。

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