第63話 沼地の戦い②

 投げやりに叫ぶ男の声を頭上に聞きながら、俺は反射的にハクに覆いかぶさった。


 瞬間、肩に激痛が走る。

 今まで感じたことのないような酷い痛みだ。焼けつくように熱くて、肩自体が悲鳴を上げているように痛む。更に、肩から下が全体的に痺れたようにジンジンとして感覚がない。

 あまりの痛みに、うめき声以外の声が出てこない。


「奏太!」

「白月様!」


 周囲に動揺の叫び声が響く。


 自分の肩がどうなっているかなんて見たくない。痛みをなんとか堪え、抱いたままのハクを見降ろす。どうやらハクには新しい傷はできていないようだ。


 瞬間、グアっという男のうめき声が頭上から聞こえた。

 それと共に、俺とハクの上にパタタっと血の雨が降る。


 見上げると、男の胸から刀の切っ先が突き出していて、男はそれを目を見開いて見つめ、ぐらっと体を揺らして後ろに倒れていくところだった。


 それと共に、男の背後にいた亘が目に入り、亘が男の背中から刀を突き刺して後ろに引き倒したのだということがようやく理解できた。


 倒れた男に近くにいた近衛が駆け寄る。

 亘は顔についた返り血を袖で拭うと、俺の傍らにトッと膝をついた。

 それから、目をきつく瞑って眉根を寄せ、長々と息を吐き出す。


「もう、勘弁してください……今度こそ本当に死んでしまうのではと……またしても、目の前で御守りすべき方を失うのではと……」


 亘の声は微かに震えている。酷く感情を揺らし、何とか押し殺そうとしているのがわかる。


「ハクはひどい状態だけど、今の攻撃からは守れたよ。」


 少しでも安心させようと俺がそう言うと、亘は俺をじっと見つめて、表情を歪ませた。


「……貴方は本当に大馬鹿ですね……貴方の事ですよ、奏太様。私にとっては、結様も貴方も同じなのだと言ったでしょう。」


 まさか亘が、俺のことでここまで動揺するとは思わず、目を見開く。そうして固まっていると、亘とは別の方向からパシっと軽く頭を叩かれた。


「お前、マジでふざけんなよ! 死んだかとおもっただろ!」


 見上げると、柊士が眉根を寄せ心配の表情を浮かべてこちらを覗き込んでいた。

 謝る必要があるのかはわからないが、取り敢えず


「……ごめん」


と殊勝な態度で言うと、柊士はハアと息を吐いてその場に座り込み、今度はハクの方に目を向けた。


「大丈夫なのか、そいつは。」

「……わかんない……」


 そう答えつつ、俺が抱えていたハクを、眉根を寄せて見つめている亘を見やる。

 亘はその視線を受けると、壊れ物を扱うように丁寧に、俺の上からハクを抱き上げた。

 亘の表情は固く、その手は震えている。


「……結様……」


 亘が、小さくそう呼びかける。すると、ハクの瞼がピクっと僅かに動いた気がした。


「……白月様……」


 亘はもう一度、ハクの名前で呼びかける。

 すると、ゆっくり、ほんの少しだけ、その目が開かれた。


「……わ……たり……? ……なん……で……? 」


 その声は今にも消え入りそうなほど弱々しく、本当に小さなかすれ声だ。

 耳を澄ませていなければ、周囲の喧騒に掻き消されてしまうほどの。


 でも、今、確かに亘の名を呼んだのだ。少なくとも、記憶を消されるような事態は避けられたという事だろう。


 ただそれでも、ハクの体が酷い状態であることに変わりはない。血で濡れた着物がそれを如実に物語っている。


「……貴方を……今度こそお救いしなくてはと……それなのに、またしても……この様な目に……」


 亘は今にも泣き出しそうに表情を歪める。それに、ハクはほんの僅かに眉を下げた。


「……そんな……かお……しないでよ……わたりのせいじゃ……ない……でしょ……だいじょぶ……だから……」


 途切れ途切れに息をしながら言う姿は、どうしても、遼の最期を彷彿とさせる。

 これだけ傷ついていて、大丈夫な訳がない。


 そこへ、敵をのしてきたばかりといった様子の凪が息を切らしたまま、他の者たちを乱暴に押しのけるようにやってきて、ハクの傍らに膝をついた。


「……白月様、凪殿が。」


 亘は、そう言うと、名残惜しそうにしながらも、そっと凪の腕の中へハクを移す。


「……白月様。」


 凪は、恐る恐るといった様子でハクを受け取り、呼びかけた。


「……な……ぎ……?」

「白月様!」


 凪は目に涙を溜めて、声を上げる。

 その声で、周囲の者たちもハクが反応を示した事に気づいたのだろう。早くハクの元へ、と急くように、味方の兵は次々と敵を薙ぎ払い、こちらに集まってくる。


「なん……で……? ……りょう……は……?」


 凪はそれに、ハクを安心させるように微笑んでみせた。


「あの者は、死にました。もう、大丈夫ですよ、白月様。もう誰も、貴方を傷つける者はおりません。皆を傷つける者もおりません。」


 凪のその言葉に、ハクはほんの僅かに目を見開き、眉根を寄せる。


「……そ……う……」


 ハクはようやく、それだけを小さく返すと、ふっと視線を下げた。


 複雑なのだろう。結から見た遼と、ハクから見た遼は、きっと違う。

 ハクから見れば、自分の大事なものを奪っていった敵だろうが、結からすれば幼い頃を共にした幼馴染みであり、婚約者だったのだ。

 単純に安心したと胸を撫で下ろすようなことでは、きっとない。


「……あ……あの、白月様……?」


 凪はハクの様子にたじろぐような声音をだす。

 ハクは凪の戸惑いに気づいたのか、ゆっくり視線を戻し、僅かに口角を上げた。


「ううん……たすけに……きてくれて……ありがと……。みんな……ぶじ……?」

「ご心配為さらなくても、大丈夫ですよ。」


 凪はそう言うと、再び微笑む。


 ここまでの間に何度も戦いがあった。ハクが言う皆がどの範囲を指すのかは判らないが、完全に無事とは言い難いだろう。


 それでも、今のハクには、そんな事まで伝えないほうがいい。


「白月様、お怪我の手当を致しましょう。特に痛む場所はありますか?」

「……うでと、あし……でも、もう……あんまり……かんかくが……ないの……」


 途切れ途切れに言うハクに、凪は眉根を寄せる。

 確かに、血が染み込んでいるのは袖と着物の太腿から下のあたりだ。


「少しだけ、御着物の裾を失礼しますね。」


 凪がそう言って少しだけ着物の裾を捲り上げると、皆が一斉に息を呑んだ。

 ハクの脚は、着物と同様殆どが血でベッタリと真っ赤に染まっている。


 しかも、多分刺されたであろう刀傷は一箇所ではない。

 絶対に逃げられないように、足が使い物にならないようにする意図があったようにしか思えない位に、何度も何度も刀で突き刺されたような傷があった。


 凪はギリっと奥歯を噛みしめて眉間に皺を寄せ、直視し難いように目をキツく閉じる。

 そして、覚悟を決めたように、袖も同様にそっと捲りあげた。


 そこにあったのは、足と同じ様に酷い状態の両腕だった。陽の気を使わせないようにしたのだろうか。

 肩を一突きされただけでこれ程の痛みがあるのに、ハクはどれだけの苦痛を強いられたのだろうと思うと、気が遠くなる。


「翠雨様にお伺いを立て、璃耀殿と同じ所へお運びしたほうが良かろう。」


 不意に、低く厳しい声音が響いて顔をあげると、泰峨がギュッと眉根を寄せてハクと凪を見ていた。


 そして、スッとハクの傍らに膝をつく。


「白月様は、しばしお休みください。我らが安全にお運びします。」

「……たい……が……そうたと……わたりも……」

「ええ、人界の者で怪我の酷い者もお連れしましょう。ですから、もう、ゆっくりお休みください。」


 泰峨にそう言われると、ハクはスウっと吸い込まれるように眠りについた。

 その体は、兎の姿に変わってしまっている。


 着物を着た人の体のままでは分からなかったが、ズタズタの状態の手足の他に、体もたくさんの傷が出来ているようだった。


 頭に遼の最期の姿が過る。他の者もそうだったのだろう。

 表情を固くして、凪の腕の中で眠るハクを見る。

 凪もまた、ハクの胸のあたりに手を当てて、きちんと呼吸をしているか確かめて、ほっと息を吐き出した。



 ある程度、場の制圧が成ったのだろう。

 気づけば、沼地の周りはだいぶ落ち着きを取り戻していた。

 妖界の兵達が敵兵を連れて忙しなく行き来し、人界の妖がそれを手伝っている。


 妖界の者達の説明によると、最後に亘が倒した相手が、今回の首謀者である識という検非違使だったらしい。

 つまり、これでようやく、一連の騒動が片付いた事になる。

 まさか、自分がこんな大騒動に巻き込まれることになるとは思わなかった。まあ、最後は自分から突っ込んで行ったわけだけど。

 兎に角、俺はその報告を聞いて、ほっと胸をなで下ろしたのだった。


 俺は亘に促されて移動し、トンと木の幹に背をつけて座り込む。


「亘、ハクについててもいいよ。心配だろ。」


 俺がそう言うと、亘は眉根を寄せてハクの方に視線を向けたあと、小さく首を横にふった。


「いえ。白月様には、頼もしい側近たちが居ます。私は奏太様に。」


 亘と同じようにハクの方へ目を向けると、凪がハクを大事そうに抱えていて、もう二度と離すまいと周囲に目を光らせていた。

 桔梗や数名の兵も、それを護るように取囲み、厳重に警備されている。


「……そっか。」


 そう答えたが、それでも、きっと心配と寂しさのようなものがあるのだろう。亘は時折ハクの方を振り返っては、その姿がきちんとあるか、変化はないかと、確認をしているようだった。


「お腹の傷は?」

「これくらい、どうということもありません。ただの掠り傷です。それよりも、奏太様の肩を手当てしなければ。」


 亘はそう言いながら俺のそばに膝をついたが、その脇腹には結構な量の血が滲み出しているように見える。


 そこへ、人界の妖に指示を出し終わった柊士が淕と共にこちらに歩み寄ってきて、眉根を寄せて亘と俺を見下ろした。


「強がるな。淕、この馬鹿二人、応急処置だけでもしてやってくれ。」

「おや、馬鹿とはまた、結構なお言葉ですね。敵の首魁を討ち取った功労者ですよ。」


 亘が茶化すように言うと、柊士は俺と亘の頭を、思い切り、ベシっ! ベシっ! と叩いた。今度は結構な力加減だ。


「許可なくこっちにやってきた癖に、結局二人揃って大怪我してんだよ、お前らは! ちょっとは反省しろ、馬鹿共!!」


 ……いや、俺、なんにも言ってないのに……完全に亘の巻き込み事故だ……


 ジロっと亘を見ると、亘はこちらを見て小さく肩を竦めた。

 反省するつもりはないらしい。俺を柊士の怒りに巻き込んだことも含めて。


「柊士様があれ程焦り、あれ程狼狽えるのを見たのは久方ぶりです。本当に、反省為さったほうが宜しいですよ。」


 淕はそう言うと、俺の刀傷のある肩に布切れを巻き付けて、ギューっと、力いっぱいに縛りつけた。


「痛ったっっっ!!!」


 涙目で淕を見上げると、淕はニコリと大変良い笑顔を俺に向けた。

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