第62話 沼地の戦い①
寺院からしばらく飛び、泰峨達が下降していった場所は、湿気の多い森の中だった。
「この先に沼があります。白月様はそちらに。」
「では、敵に気付かれぬよう沼を取囲み、逃げ道を塞ぐ。合図を出すまでは待機だ。会敵したら速やかに処分しろ。」
泰峨の言葉に、兵達は妖界人界関わらず、数名を残して沼地を囲いこむように散開していく。
俺や柊士、泰峨たちは散開していく者たちを見送ったあと、桔梗の案内のもと、真っ直ぐに沼地へと向かった。
しばらく進むと、茂みの向こうに茶色く濁った水が張った沼が見えてくる。
不意に、
「このぇ……っ!」
という声が近くから聞こえた。
一体誰が言ったんだろうと周囲を見回して背後を振り返ると、四人の近衛が刀を構えて二人の敵と思われる男を取囲み、その二人が時間差で倒れていくところが目に入った。
「周囲に複数潜んでいるようですね。御注意を。」
亘の言葉に、俺はコクリと頷いて見せる。
沼地に近づくに連れ、緊張感が増していく。
「それにしても、ここは、見覚えがありますね。」
沼の方を見ながら、亘がふと呟いた。
俺も同じ事を思っていた。
忌々しい、夏のキャンプの思い出の地だ。
いろいろありすぎて随分前のことのように思えるが、大量の蝦蟇相手に戦ったのは、それほど前の話ではない。
ここがきっかけで蛙に逆恨みされたのだ。
あれがなかったら、もしかしたら一連の騒動には巻き込まれていなかったかもしれない。
……いや、結局は巻きこまれたかもしれないけど、あの蝦蟇達がきっかけで余計な事態が引き起こったのは確かだろう。
沼地を覗き込むと、複数の敵兵が周囲を警戒し、沼の向こう側、ちょうど対岸で三人の男が何やら話をしているのが見えた。
更に、ハクはその直ぐ側に背を丸めて倒れていて、薄い色の着物が不自然にところどころ赤く染まっているのが目に入った。
ハクの側には別の兵が立っていて、桔梗が言ったとおり、刀を突きつけられている。
桔梗は、人の姿を保ったままだから意識はあるだろう、と言っていた。
でも、ここから見る限り、本当に息があるのだろうかと疑ってしまうくらい、ハクはピクリとも動かない。
大丈夫なのだろうか……
そう思ったとき、不意に背後から、
「……結……様……」
と小さく呟く亘の声が聞こえた。
振り返ると、亘は目を見開き、沼地の向こうを見つめたまま、拳をググッと握りしめて震えさせていた。
「亘。」
声をかけてみるが、聞こえているのかいないのか、ただただハクの方を見つめたまま動かない。
口をギュッと引き結び、顔面も蒼白になっている。
「ねえ、亘、大丈夫?」
もう一度声をかける。でも、たぶん俺の声は届いていない。
血に染まったハクの姿が、鬼に襲われたあとの結の姿に重なってしまったのかもしれない。
ただ、今はそんなのに囚われてる余裕はない。
俺は拳をグッと握り、思い切り亘の脇腹をドスッと殴りつけた。頬を打ち付けても良かったが、音をなるべく立てないための、俺なりの配慮だ。
同時に、亘から、グェっという奇妙な声が漏れる。
「っ! 奏太様、一体なにを……」
思わぬ不意打ちに現実に引き戻されたのか、亘は涙目で俺を見た。
「俺の声、聞こえてなかっただろ。」
「……い、いえ……それは……」
僅かに視線を逸らそうとする亘を、俺はじっと見据える。
「亘がしっかりしなくてどうするんだよ。きっと、まだ救える。結ちゃんの時とは違うだろ。」
実際、どうかはわからない。ハクは、ここから見る限りでは身じろぎ一つしない。
それでも、ここで亘にしっかりしてもらわなければ救える者も救えなくなる。
「助けるんだろ、今度こそ。」
俺がハッキリとそう言うと、亘は彷徨わせていた視線を、ピタリと俺に固定した。
「奏太様の言う通りだ。冷静になれ、亘。冷静さを保たねば、奏太様まで失うぞ。」
淕が、低い声でそう付け加える。
すると、亘はぐっと奥歯を噛み締め、思い切り自分の頬を拳で殴りつけた。
「え、わ、亘!?」
俺は、思わぬ亘の行動に目を見開く。
当の亘は、うつむき加減に目を瞑り、ハアーと深く息を吐き出したあと、直ぐにいつもの調子で俺にニコリと笑ってみせた。
「大丈夫ですよ、奏太様。淕になど言われずとも、私は冷静です。」
……嘘つけ。さっきまで完全に動揺してたくせに。
それを証拠に、自分を殴りつけたその頬は、ハッキリと赤くなっている。
柊士はそれを見て、呆れたようなため息をついた。
「冷静さを失って、奏太になにかあってみろ。死ぬほど後悔させてやるからな。」
「そのような後悔、二度としません。」
亘はそう言うと、じっとハクの方を見据えた。少なくとも、迷いも動揺もその瞳にはない。
もう大丈夫そうだ。
「この場は俺と奏太で陽動する。その間に、他の者で場の制圧を。」
柊士が茂みから沼の方を覗き見ながら、泰峨達にそう告げる。淕はそれに素っ頓狂な声音を上げた。
「柊士様!?」
「しっ! 静かにしろ!」
柊士が忍び声で怒鳴りつけ、脇腹のあたりを肘で思い切りドッとつくと、淕は口を抑えながら蹲った。
……うわ、痛そう。
それに、さっき亘に冷静になれと言った者と本当に同一人物だろうかと疑わしくなってくる。
「陽の気は目立つ上に向こうが警戒している分、敵を引き付け突破口をつくりやすい。一方で、致命傷に至らしめるにはやや時間がかかる。それに、混戦状態になれば使えない。寺の正面と同じだ。」
「……し……しかし……」
淕は涙目で脇腹を抱えながら柊士を止めようと仰ぎ見る。でも、柊士は淕をチラと見やるだけだ。
「淕と亘は俺たちの護りだ。混乱しているうちに、妖界の者で白月を。」
「承知した。では、奴らを引き付ける役は任せる。」
泰峨が了承の意を示したことで、淕はおろか、名指しされた俺すら口を挟めないまま、簡単な打ち合わせは終了した。
とはいえ、ここに残って隠れていろと言われなかったのだ。俺に異存はない。
「行くぞ、奏太。」
俺は柊士にコクリと頷くと、同時にパンと両手を打ち付け、俺達は茂みから飛び出した。
チラと見えた柊士を追う淕の顔には諦めの表情が浮かび、一方の亘は完全にやる気で真っ直ぐに敵を見据えていた。
俺達が茂みから出ると、すぐに背後から、
「かかれ!」
という泰峨の声が響いた。
開けた場所で沼を囲むようにして警戒していた敵兵たちが、飛び出した俺と柊士に目を剥いて動揺をみせる。
更に、森の中でも別の敵兵が警戒にあたっていたのだろう。姿は見えないが、刀を合わせるような音や怒声が、泰峨の掛け声をきっかけにワッと周囲から上がった。
一体何事かと辺を見回す敵兵に陽の気を向けつつ、柊士は左から、俺は右から、沼を回り込むように走る。
泰峨や、凪、桔梗など、近衛達や人界の妖が、俺達の後をついて走り、飛びながら、沼の周囲にいる敵兵を次々に相手にしていってくれている。
俺はただ、森の方や自分の背後に誤って陽の気を向けないように細心の注意を払いながら先に進むだけだ。
陽の気を発する事で敵は怯むし、当たれば結構な火傷を負っているとは思う。ただ、柊士が言っていたように、致命傷にまでは至らない。
うまく逃げ果せた者たちは、森に逃げ出そうとして沼地を取り囲んでいたこちらの手勢と鉢合わせて戦闘にもつれ込んだり、隙をついて俺に斬り掛かって来ようとして亘に一斬りにされていた。
曲がりなりにも、兵として訓練されていた者達だろうに、亘は軽々と相手にしている。
どうやら亘は思っていた以上に強かったらしい。
沼の円周はそれほど長くない。
ハクまであと少し、というところまで迫る。
しかし、先程まで対岸にいた男のうちの一人が苦々しげな表情を浮かべて、こちらと柊士の方に目を向けて吐き捨てるように悪態をついたあと、ハクに刀を突きつけた。
「止まれ! 止まらぬと、こいつの息の根を止めるぞ!!」
俺はそれに足を緩めかける。しかし直ぐに、
「脅しです。止まらずに行きます。」
という亘の冷静な声が聞こえた。
本当に大丈夫だろうかと足を止めずに周囲を見たが、誰も止まる気配がない。
男はそれを見やると、ギリっと奥歯を噛むような表情をしたあと、ぐいっとハクの片腕を引っ張りあげた。
「立て!」
焦ったようにハクの体を持ち上げようとするが、ハクはぐったりしたまま動かない。
男は舌打ちをして、周囲に視線を走らせる。
ただ、周りを見たところで、皆、既に戦闘にもつれ込んでいる。その場で動けるのは、ハクを掴む男と、側にいた三人だけだ。
その三人もまた、柊士と俺の陽の気から逃れようとしたところで近衛に刀を向けられ、戦いを余儀なくされていた。
あとはアイツだけだ。
そう思ったとき、
「奏太!」
という声が、前方から響いた。沼を反対側から走ってきていた柊士だ。
「白月に陽の気は無害だ!このままやるぞ!」
俺は柊士に頷いて見せると、真っ直ぐにハクのところに走る。
しかし、あと少し、というところで、不意に足元がぐらっとフラついた。同時に酷い目眩がして体が揺れる。
なんとか足を踏ん張ったものの、さっきまで勢いよく迸っていた陽の気は、搾り滓のような白い光の粒を残してピタッと止まってしまった。
空の結界を塞いだのも多分響いているのだろう。流石に陽の気を使いすぎた。
倒れそうになる体を支えようと思わず膝に手をつくと、
「奏太様!」
「奏太!」
という亘と柊士の焦ったような声が聞こえた。
目眩が治まり体勢を立て直すほんの一瞬の事だった。
陽の気を発する柊士の方ではなく、こちら側が穴だと見たのだろう。
ハクを掴んだままの男が、ハクをズルズルと強引に引きずりながら足早にこちらに向かってくる足元が、目に入った。
咄嗟に顔を上げると、男が振り上げた刀の切っ先が俺の真上でキラリと光る。
マズい!
そう思った瞬間、キンっという高い音が響いた。
「いくら味方優勢とはいえ、こんな戦場で無防備に休憩するなんて、馬鹿ですか!?」
亘が振り下ろされる切っ先を刀で受け止めながら怒声を上げる。
俺はムッと口を尖らせた。今回のはどう考えても不可抗力だ。
ただ、言い返したい気持ちはあるものの、この一瞬はチャンスだ。
男が引き摺ってきたハクがすぐ目の前にいる。
多分、もう少しくらいなら陽の気を絞り出せる。
この機を逃すわけにはいかない。
俺は亘を無視して、もう一度力を振り絞り、男に聞こえないようパンと小さく手を合わせた。
それと同時に男の懐に入り、ハクを掴む手に飛びついた。
もう大して陽の気は出てこない。でも、直接注ぐなら無駄な力は必要ない。
ハクから手を離させられれば、それで十分なはずだ。
あとは亘や他の者たちが何とかしてくれる。
頭に流れる祝詞に沿わせて唱え始めると、すぐに男は顔を歪ませてパッとハクから手を離した。
更に、男に生まれた隙を見逃さず、亘は思い切り相手の刀を弾く。
「ハク!」
地面にドッと落ちたハクに慌てて声をかけると、ハクは小さく、ピクっと動いた気がした。
助け起こそうと、両腕を支えると、俺の両手にべっとりとした血糊がつく。
……酷い怪我だ。早く手当しないと……
でも、このままでは、動くに動けない。
そう思いながら亘達を見上げると、僅かによろめいた男に、亘がすかさず斬りかかろうとしているところだった。
しかし、相手はぐっと踏ん張り、それをうまく刀で受け止めて振り払う。
更に、返し刀で亘の胴めがけて思い切り斬りつけた。
亘はそれを間一髪躱したように見えたが、うっ、と小さくうめき声を上げて脇腹をおさえる。
「亘!」
俺は思わず声を上げる。
男はそれを一瞥し、更に周囲に視線を走らせた。
「奏太!」
すぐ近くで柊士の声が聞こえた。俺達が男の相手をしている間に、柊士達や近衛がこちらにあと一歩のところまで迫る。
すると、男はギリっと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたあと、再びこちらに刀を振り上げた。
「もう良い! 逃げられぬのなら、白月だけでも死ね!」
そんな声が真上から聞こえ、ほぼ同時にヒュっという風を斬る音が聞こえた。
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