第61話 廃寺の戦い④
遼が倒れたはずのその場所には、体の殆どを血で染めた、小さな銀色の兎の亡骸がぽつんとあった。
だからだろうか。幼い頃から知っていた者が、目の前で亡くなったというのに、現実味が全く湧いてこない。
一方で、周囲の皆は、言葉を失い、表情を硬くして遼を見ていた。
でもきっとそれは、遼の死を悼んでいるわけではないのだろう。恐らく、ハクによく似たその兎に、ハクの姿を重ねてしまったのだと思う。
遼の最期はあっけないものだった。
一体なぜ、こんなところに少ない手勢でいたのかはわからない。ただ、ハクを最期に助けようとしていたことだけはわかった。
愛とかそういうのはよくわからないけど、失うのが怖いと思うほどに大事だったからこそ、凄く歪んでいたんだろうと思う。
結を失ったその時から歪んだのか、陰の気に支配されて歪んだのかはわからない。
ハクは、このことをどう受け止めるんだろう。
結の婚約者であり、ハクから全てを奪おうした遼の死を。
「此奴が依代にしたのは、結様の依代となった小兎の家族だったそうです。白月様にはお見せしないほうが良いかと。」
亘が妖界の者達に言う。
……そうか。
遼が死んだということは、兎の方のハクの兄弟も死んだということになるのか。
確かに、ハクにこのタイミングで伝えるのは酷すぎる。
「……ええ。そのように。」
亘の言葉に、凪が奥歯を噛み、そう小さく返した。
銀色の兎の亡骸が何処かへ運ばれていくのを見送っていると、亘はくるっとこちらへ向きを変える。
「さて、奏太様、言いたいことは山程ありますが、まずはお役目を。」
……ああ、そうだった。
遼の死があまりに衝撃的で、役割を忘れてた。
空を見上げると、先程見たよりもやや大きくなった穴から、青空が覗いている。
まだ、太陽の光は漏れ出ていないようだ。
俺はほっと息を吐き出し、パンと両手を打ち付けた。
キラキラした光の粒は、再び地上から空へと戻っていく。
ただ、戻っていくとは言っても、元々形作っていた陽の気がそのまま戻るわけではない。出処は俺だ。
それに、地上から見るよりも随分大きく口を開けていたようで遅々として塞がっていかない。
ようやく塞ぎきったかと思う頃には、フラっと目眩がし、その場に座り込むくらいには力を使い果たしてしまっていた。
「大丈夫ですか、奏太様。」
亘が目線を合わせるようにしゃがみこんで顔を覗き込む。
「大丈夫だけど、ちょっと休憩させて。それより、桔梗さんは帰ってきた? それに、柊ちゃんたちは……」
俺が亘を含む人界の者達に守られながら陽の気を注いでいる間、妖界の兵たちが、忙しなくあちこちに動き回っているのだけは目に入っていた。
正面での戦いの情報を集めたり、こちらの情報を伝えたりすることに奔走していたのではないかと思ったのだ。
「あちらは、避難所の戦いを片付けた蒼穹殿達軍団の応援があったようで、我が方の勝利にて、ある程度制圧できているようです。柊士様もご無事だそうです。」
「そっか。良かった。じゃあ、あとは本当にハクを取り戻すだけだね。」
「ええ。ですが、まだ桔梗殿が戻ってきていません。余程遠くに連れ去られたか、あるいは桔梗殿に何かあったか……」
亘は心配そうに、桔梗が飛んでいった空に目を向ける。
「……正直、遼が首謀者ならば、命までは奪われないだろうと少しだけ高を括っていたところがありました。ただ、今あの方を連れ去っているのは全く別の者です。あの方に執着も思い入れもない者が、一体どのようにあの方を扱うか……」
確かに、遼から別の者に身柄が渡ったのだとすると、ハクの安否が心配だ。
特に、遼の最後の言い方が気になる。
“戻ってやらなきゃ、あいつは……”
悔しそうに顔を歪めたあの表情と声音は、決してハクが安心できるような状況には置かれていないということを明確に示していた。
きっと、直ぐにでも助け出してあげなきゃいけないような状況なんだろう。
ある程度休憩し、ようやく体力が戻ってきたなと思ったころ、
「奏太!」
と、聞き慣れた声で呼びかけられた。
声のした方を見ると、泰峨達が俺達の上空を通過して凪たちの元に向かうのが目に入り、俺たちの前に、淕に乗った柊士が降り立とうとするところだった。
柊士は顔や腕に傷をつくり、服を血で赤く染めていてひどい状態だ。
それなのに、柊士は俺の顔を見るなり、ほっとしたように息を吐いた。
「良かった。無事か。」
「無事かじゃないだろ! 柊ちゃん、それ!」
俺が声を上げると、柊士は自分の体を見下ろす。
「ああ、返り血だ。俺のじゃない。心配すんな。」
何でもないような調子でいう柊士の後ろでは、人の姿に代わり、精神を極限まですり減らしたような様子の淕がいた。
柊士を見やる虚ろな目を見る限り、俺に散々無茶をするなと言っていた柊士本人が、無茶を仕出かしたんだろうな、というのは想像に難くない。
「……お疲れ、淕。」
そう声をかけると、柊士が眉根を寄せ、淕が、わかってくださいますか! と言わんばかりに目を見開いた。
この戦いの中で何度か亘に言われたが、多分血筋なんだろう。淕や亘はもちろん、この調子ではハクに仕える者たちもおんなじ感じなんだろうな、と思う。
遺伝と思って諦めてもらおう。こればっかりは仕方ない。
あと、背後から亘のジトッとした視線を感じるが、一旦それも無視しておくことにしよう。
「全部報告は受けた。白月を連れ去った連中の情報は入ったのか?」
「まだ、後を追った桔梗さんが戻ってこないん……」
と言いかけたところで、唐突に、
「桔梗! 白月様は!?」
という凪の声が後方から響いた。
なんというタイミングだろうか。
目を向けると、桔梗が人の姿で背から羽をはやし、地面に降り立とうとしているところだった。
柊士と視線を交わし合い桔梗に駆け寄ると、桔梗は泰峨の前で膝をつき、顔を強張らせて、見てきたであろうハクの状況を話し始めた。
ハクが連れて行かれた場所は、ここからしばらく飛んだところにある沼地の近くで、深い森の中のため、人目につきにくい場所だったそうだ。
そこに、数名の兵士と共に囚われたハクがいて、刀を突きつけられ、ぐったりとした様子で倒れていたらしい。
「御着物が赤く染まるほどの出血をされているようでした。人の姿を保ってらっしゃったので、意識はあるのだと思うのですが、倒れた状態のまま動かれる気配がなく……」
桔梗は悔しそうに俯き、歯を食いしばる。
「……酷いお怪我をなさっているので、私だけででもお救いできたら良かったのですが、無理に突っ込んでいって、逆に白月様を傷つけられてはと、手出しできませんでした……申し訳御座いません。」
今にも消え入りそうな声で頭を下げる桔梗に、泰峨がギリっと奥歯を鳴らす。
「……致し方あるまい。其方一人で下手に動くべきではない。すぐに向かおう。向こうの数はどの程度だ。」
「見える範囲では十名強、ただ、周囲の見通しが悪く、他にも潜んでいる可能性もあります。」
泰峨は桔梗に頷くと、すぐに周囲に目を向けて声を張り上げた。
「ここにいる手勢全てで向かう!」
泰峨の声に、桔梗や他の者たちがすぐに鳥の姿に変わり、鳥に変わらない者たちがそれに乗って空に舞い上がる。
泰峨も一羽の鳥に跨ると、すぐにその後を追い始めた。
「柊ちゃん、俺たちも!」
そう振り返ると、柊士は表情を引き締めて頷き、亘と淕も心得たように鳥の姿に形を変えた。
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