二章

第85話 初夏の雪①

 新緑が深まる季節。俺、潤也、聡、紗月、絢香の五人は、久々に集まろうということで、県内の某高原でバーベキューをすることになった。

 最初に決めていた近郊のバーベキュー場が臨時休業になったらしく急遽場所を変更せざるを得なかった以外には特に問題もなく当日を迎え、いち早く免許をとった潤也に運転をしてもらって皆で潤也の親の車に乗っている。


 田舎は免許必須。大体、高校を卒業すると皆こぞって免許取得に乗り出す。俺もいずれ取りに行こうとは思うが、今回は潤也にお任せだ。


 車内は賑やか。流行りの音楽をかけ、口々に近況や高校時代の話に花を咲かせる。時折木々の間から青空が覗く曲がりくねった山道をひたすら登り、着いた先は、雄大な山並みを臨む広々としたオートキャンプ場だ。


 キャンプ場という場所には引っかかりがある。だから、最初は近郊のバーベキュー場にする予定だったのだが、卒業旅行だって無事に切り抜けられたのだ。大丈夫だろう。


 俺達は早速バーベキューセットや食材を並べ、手分けをしながら火を起こしたり野菜を適度な大きさに切ったりしていく。

 高校時代にずっと一緒に過ごしてきた仲だ。準備はスムーズそのもの。

 次第に、バーベキューコンロからは、煙を上げながらジュージューと音を立てて焼ける肉の香ばしい匂いが立ち上がる。

 少し焦げめの付いたウインナーに、殻の中で垂らした醤油と共にグツグツと煮えるサザエや牡蠣。皮を剥くとプリッと出てくるホカホカのエビ。


 美味しく楽しく。

 時間はあっという間に過ぎていく。


 そして、いつだって、トラブルが起きる前は順調そのものなのだ。



 山の天気は変わりやすい。

 そうは聞いていたが、この初夏に、どんよりとした黒い雲から粉雪がチラチラと舞ってくるほどとは思わなかった。


 皆それぞれがお腹いっぱいに食べて談笑してると、本当に急激に、周囲が冷気に包まれた。

 つい先程までポカポカ暖かいくらいだったのに、今や真冬の様相だ。


「寒いし、片付けして下山しようぜ。」


 潤也が言って片付けを始めた頃には、雪が舞い始めていた。


「この時期に雪が降るなんて。」

「ホント。異常気象なんじゃない?」


と絢香と紗月が空を見上げて不思議そうな顔をしている。


 そうこうしている間にも、粉雪のようにチラチラ舞っていた雪は、みるみるうちに一粒一粒が大きくなっていき、片付けが終わる頃には、もはや牡丹雪のようになっていた。

 既に周囲の地面は一部が白く変わり始めている。雪に気づいてから大して時間は経っていないのに、だ。


「大丈夫かな。」


と潤也が不安そうに言う。


「時間は気にしなくていいから、下山するまで、ゆっくり行こう。頼んだぞ。」


聡はポンと潤也の肩を叩いた。



 黄昏時。

 帰りの車中、カーナビのテレビをつけると、この近辺での季節外れの雪と、それによるスリップ事故や交通渋滞への注意を促すニュースが流れていた。

 例に漏れず、俺達もまた立ち往生させられている。渋滞ではないが、狭い一本道で三台前の車がスリップしたらしい。

 大きな事故ではないが、それでもそのまま走行できず、ロードサービス待ち。


 雪はもはや道路の左右の土の部分にしっかり積もっていて、ボトボトとフロントガラスに落ちる雪もまた、ワイパーに押しのけられて窓の端に溜まっていく。


 俺の隣でハンドルを握る潤也の顔は、真剣そのものだ。


「これ以上積もったら、帰れなくなるぞ。」


 車内には不安げな空気が漂う。


 昼過ぎの状況からここまで、本当に異常なくらいのスピードで、どんどん天気が変わり、雪が増していっている。

 真冬じゃあるまいし、まさかこんな事態になるとは思わなかった。


 せめて雪が止めば良いんだろうけど。そう思いながら空を見上げる。


 すると、窓の外、まるで分厚い雲に紛れるようにその合間を縫って、白い何かが飛ぶのが目に入った。

 パッと見ただけではハッキリとはわからないそれは、白い着物に白い髪の女……のように見えた。


 まさかと思い、じっと目を凝らす。すると不意に、青白い顔がこちらを向いたような気がした。そして、そこにある二つの水晶のような煌めきが、俺をしっかり捉える。


「……あ。」


 思わず声が漏れた。


「どうした?」


 潤也の問に、俺はハッと我に返る。


「い……いや、何でもない。」


 俺はそう言いつつ、目をギュッと瞑った。


 そう、何でもない。何も見てない。何も飛んでなんかいなかった。目の錯覚だ。絶対に。


 しかし無情にも、助手席の窓は大した時間もおかずに、コツコツと鳴らされた。


 ……あぁ、さっきのやつかも。


 そんな嫌な予感がしつつ、窓の外に目を向ける。


 そこに居たのは、紛れもなく、先程空を飛んでいた白い女だった。

 少女と言って良いくらいの幼さの残る若い女は、長い髪も、着物も、その肌も、瞳でさえも、全てが白い。


「な……なんだ?」

「なんでこんなところに着物の女の子が?」

「っていうか、すごくキレイな子だけど、なんか……」


 聡、紗月、絢香の戸惑うような声が聞こえる。


「おい、まさか、お前がさっき、“あっ” って言ったのって……」


 潤也が恐る恐る俺に問いかける。

 水晶玉を並べたような少女の顔が窓の向こうから、じっと俺を見つめている。


「……さっき、空飛んでた奴と目があったんだ……ごめん……」


 俺の言葉に、暖房をガンガンにかけてある車内の温度が一気に下がったような気がした。


「マジかよ! お前、絶対窓開けんなよ!」


 潤也がハンドルをギュッと握ったまま声を上げる。


「助けを呼ぶか? 日向の本家に連絡して、誰か来てもらったほうが……」


 聡もスマホを握りしめながら言った。

 それから、プルルというコール音がわずかに聞こえてくる。


 ただ、今助けを呼んだところで、この大雪の中、一体どれくらいの時間がかかるだろう。

 普通に来るよりも早いだろうが、人ならざる少女は、今俺の目の前にいる。


 そうしている間にも、水晶玉の双眸は俺をじっと見据えて、窓を叩き続ける。

 しかも、その力は次第に強くなっていく。


 コツコツが、バンバンに変わり、ついにはダン! ダン! と窓を震わす。

 緊迫した空気に、心臓がドクドクと脈打つ。


 窓の外の少女は、良い者か、悪い者か。人でないことは確かだが、妖か鬼か。


「ねえ、このままじゃ、窓が割られそうじゃない?」


 絢香の小さく震えるような声が響く。


「前はまだ動かないのか?」

「まだだ。動く気配がない。助けは?」

「異変があったからって、俺が電話するより前に亘さんと汐ちゃんはこっちに向かったて聞いたけど……」


 潤也の問に聡が答える。

 窓が割られて寒さに凍え、妖か鬼か分からない者に皆を襲わせる訳にはいかない。


「俺、一回外に出る。多分、狙いは、さっき目が合った俺だ。」

「鬼だったらどうするんだよ!」


 潤也が目を見開いて怒声を上げる。

 でも、そうだったとしたら余計に、皆をここで巻き込むような事はできない。


「対抗手段があるのは俺だけだ。話が通じる相手かは分からないけど、一回話をしてみる。」


 覚悟を決めて、俺はドアのロックを解除し、ぐっと扉を開けようとする。しかし、ノブを引いても一向に開く様子がなく、ガチャガチャとから回るだけだ。

 手元を見ると、ドアは再び、ロックの状態に切り替わっている。


「潤也!」


 声を上げると、潤也はじっと前を見据えたまま、


「せめて、窓越しにしろ。俺達に気を使って外に出て、危険を冒すようなことすんなよ。車の中のほうが少しはマシだろ。最悪、バックで逃げる。」


と緊張したように言った。


「潤也の言う通りだ。助けがくるギリギリまで、車の中で耐えた方がいい。」


 聡の言葉に、俺は、後ろで抱き合うようにして不安げな表情を浮かべる、絢香と紗月を見る。


 潤也は俺をチラッと見てから首を横に振った。


「お前一人で全員を守ろうとすんなよ。一人でカッコつけようとすんな。バスで鬼に襲われた時だって、俺達がいたから切り抜けられたんだろうが。」


 確かに、あの時は、潤也と聡が機転を利かせてくれたから、何とかなったのだ。俺一人では、きっと被害はもっと大きくなっていただろう。


「……わかった。」


 俺はゴクリとつばを呑み込み、もはや叩き割らんばかりにガンガンと叩かれる窓を開けるため、手元のボタンを押し込んだ。


 スーッと窓が徐々に開いていくと、少女はようやく窓を叩く手を止める。


 そして、窓が完全に開き切る前に、少女はスッと俺を真っ直ぐに指差した。


「贄が足りぬ。此奴を寄越せ。」

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