第84話 路地裏の騒動④

 ポリバケツの中にいるのが小鬼であれば、先程俺に飛びかかってきた奴のように、そのまま飛び出して来ただろう。

 しかし、蓋が外れたにも関わらず、中から何かが出てくるような気配はない。


 そういえば、小鬼は必死にこのポリバケツの蓋を取ろうとしていた。じゃあ、一体何が……


 そう思っていると、亘が乱暴にポリバケツを引き倒した。すると、中から、


「う……うわぁ!!」


という叫び声が聞こえ、ダーン! と倒れた拍子に、一人の少年がズザーっと地面にズリ出てきた。


 見た目は小学校高学年から中学生くらいだろうか。あどけなさの残る顔つきの少年は、地面に蹲ったまま、恐る恐るといった様子で、チラとこちらを見てから、


「……ひ……人?」


と呟くように言う。


 汐は蝶のままだし、晦朔は犬の姿のままだ。亘をチラと見たが、何気ない様子で手を人の形に戻していた。


「……そうだよ。大丈夫?」


 俺は、少年に向き合ってその場にしゃがむと、手を差し出す。随分と怯えているようで、小さく震えている。

 少年が俺の手を掴むと、その手は凄く冷たくなっていた。


「こんな時間にどうしたの?それに、子どもがいるような場所じゃないだろ。」

「……こ……ここ、俺の家で……」


 少年は立ち上がりつつそう言うと、すぐ横の居酒屋の入る建物を指差す。店の方はすでに電気が消えていて暗く、住居になっていると思われる二階以上もポツンと一箇所電気がついているだけで静まり返っている。


「にしても、なんでこんな時間に外に?」

「……ゲームしてて、寝ようと思ったら外から変な音がしたから窓を覗いたら、見たことない生き物がいて……写真撮ろうと思って……」


 少年はそう言いつつ、俺と亘、俺の周りを舞う青い蝶と子犬二匹を見回してから、地面に転がる小鬼二匹に目を留め、大きく見開いた。


「……あれ、お兄さんが倒したの?」


 少年は驚きの表情で俺を見る。が、倒したのは俺ではない。


「倒したのはあっちのお兄さんだよ。」


と亘を見ると、少年は怖怖、亘に視線を移した。


「……あの生き物は何だったの……?鬼とか、結界とか……それに、二人だけじゃなかったでしょ。他にも何人か……女の子も……」


 どうやら、ポリバケツの中から、全部聞いていたらしい。馬鹿正直に答えるわけにもいかない。

 ひとまず、話をはぐらかすように、


「君は、なんでその中に?」


と問うと、少年は少しだけ眉を顰めた。


「……外に出たら、その変な生き物に襲われてたんだ。でも、家に入ろうとしたら内鍵がかかっちゃったのか、ドアが開かなくて、慌ててこの中に隠れたんだ。」


 で、俺達はそれに気づかずに、鬼と戦って、いつも通りに結界の穴を塞いだと。


「何が起こったのか教えてよ。俺、音だけだけど、途中から録音してたんだ。」


 少年はそう言いながら、ポケットからスマホを取り出す。

 俺はそれに、思わず青褪めた。

 さっきまでのやり取りが、そのまま残されているなんて思いもしなかった。

 データを消せと言ったところで消すとは思えないし、かと言って、スマホを無理矢理取り上げるわけにもいかない。


 一体どうすれば……


と思っていると、さっきまでこちらの様子を黙って伺っていた亘が、不意にスタスタとこちらへやってきた。


 それから、なんとも爽やかに少年にニコリと笑いかけてから、力尽くで少年のスマホを奪い取った。

 さらに、少年が何かを言う前に、思い切りそれを地面に叩きつける。

 ガカッと、すごく嫌な音がしたかと思うと、亘はその上に踵を落として踏みつけた。


「っ!! 俺のスマホ!!」


 少年から悲痛な叫びが聞こえてくる。

 気持ちはわかる。でも、亘の足の下でグリグリと踏みにじられるスマホは、もはやここから見てもバッキバキで、既に見るも無惨な状態だ。


「君が見聞きしたのは、全て夢だ。」


 亘は凄みのある笑顔で囁くように少年に言う。

 そして、呆然としたままの少年の胸ぐらをグッと掴んで引き寄せ、指を一本だけ鷲の爪に変えて喉元に突きつけた。


 ツゥと一筋の鮮血が、首を伝って流れ落ちる。


「わ……亘!」


 俺は慌てて声を上げる。

 亘がやっていることは、以前遭遇した鬼や、敵対していた妖界の者達がしていたのと同じことだ。

 しかし、亘は、


「守り手様。この場は私にお任せを。」


と、黙っていろと言わんばかりに、いつになく厳しい声音で言った。


「君は何も聞かなかった。ここでは何もなかった。余計な事を言えば、小鬼に襲われた事など可愛げがあったと思うような目に合うだろう。わかるな?」


 少年の喉がゴクリと鳴る。


「この場で誓え。妙な真似はしないと。」


 亘が低い声で唸るように言うと、少年は顔を引き攣らせながら、コクコクと頷いた。


「……誓う……! 誓います……っ!」


 少年が何とか絞り出すようにそう言うと、汐はひらりと亘の側に舞い寄る。

 そして、


「亘、そこまでに。」


と、少年がいることを気にするでもなく、声をかけた。


 少年は目を見開いて汐を見つめる。しかし、ジロっと亘に睨まれると、慌てて視線を逸してうつむいた。


「もう少し、脅した方が良くないか?」


 首を傾げつついう亘に、汐は、


「もう十分よ。証拠がなければ、所詮、子どもの戯言。それに、守り手様もこれ以上はお厭いになるでしょう。」


と淡々とした様子で言った。


 汐の言葉に、亘はチラとこちらへ視線を寄越したあと、ハアと息を吐く。

 それから、もう一度少年に目を戻すと、グイっと先程よりも高く持ち上げた。

 少年は、亘に爪を突きつけられたまま、わなわなと震えてしまっている。


「家も顔も、覚えたからな。」


 最後にもう一度脅すと、亘はようやく、パッとその手を離した。

 少年はそのままその場にへたり込んでしまっている。


 亘はそれを振り返ることもなく、手早く少年が隠れていたポリバケツを掴んで小鬼二匹を放り込んでいった。


 俺はそれを横目に見ながら、


「……ごめん。君、大丈夫?」


と少年に声をかけてみた。しかし、亘が散々脅したせいで、俺が声をかけても、ビクっと肩を揺らして小さく震えるばかりで、それ以外の反応すら返してもらえなかった。


 小鬼のこともあるので、少年が家に入るのを見届けたかったのだが、少年はその場から動く気配がない。

 そうしている間に、


「行きましょう。」


と汐に言われ、亘にグっと腕を掴まれた。


「いや、でも……」


と言いかけたが、


「あの少年に更に脅しをかけることをお望みですか? まだここに留まると仰るなら、そのようにしますが。」


と亘に言われて口を噤んだ。いつもの軽口と違って、ホントにやりかねない口調だったからだ。


 汐がひらりと晦と朔の方に向かうと、結界の方を向いたままだった二人は、同時に何事かを囁く。

 すると、直ぐにピキピキっと薄灰色の結界にどんどんとひびが入っていき、まるでパリンと薄い氷が割れるように、脆く粉々に崩れ去った。

 そしてその破片もまた、霧のように空気に紛れて消えていく。


「では、さっさとこの場を去りましょう。」


 汐に先導され、亘に背を押されるまま少年を振り返ると、彼は追ってくる様子もなく、ただ呆然とした様子でこちらを眺めていた。



 逃げるように最初の神社に戻って来ると、俺はひとまず亘に苦言を呈する。


「やり過ぎだよ。怪我までさせて。スマホだって。」


 しかし、亘はどこ吹く風だ。


「まだ手ぬるい方ですよ。あの手の輩は、余計な事を言わぬよう、口を開けなくなるほど脅さねばならぬところです。」

「でも子どもだろ。」

「子どもだろうと、証拠を残そうとするような悪知恵が働くのです。妙な機会を与えるべきではありません。」

「だけどさ……」


 あの少年は、既に気の毒なくらいに震えていた。へんにトラウマにならないといいけど……


「脅してしまったものは仕方がありません。命を取らなかっただけ御の字でしょう。」


 汐は汐で、淡白に言い放つ。妖連中の倫理観は相変わらずだ。

 俺はハアと息を吐き出した。


「ところで、晦と朔はどうしたの?さっきから随分静かだけど……」


 そういえば、あの路地を抜けてから、あの二人は一言も喋っていない。

 気になって声をかけると、晦と朔は二人揃って耳と尻尾を垂れ下げて、


「……せっかくお供したというのに、奏太様の勇姿を見逃しました……」


と呟いた。

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