第186話 鬼界の穴④

「やめろ!!」


 張り上げた声が、どこか他人のもののように耳に響いた。ざわめきがピタリと止まり、皆が俺に注意を向ける。


「武器を下ろせ。仲間内で戦ってどうするんだよ」

「奏太様」

 

 亘は止めるなと言いたげに俺の名を呼んだけど、淕達を睨みつけたまま、こちらを見ようとしない。


「武器を下ろせっていってるだろ」

 

 亘の手首をつかみ武器を降ろさせるよう力を入れるが、亘はそのまま動こうとしない。


「亘」

「何故止めるのです。ここで受け入れれば、あの時と同じではないですか。相手の言い分に抗わず、一人で勝手に諦め粛々と受け入れ、また自らの人生を捨てようとでも言うつもりですか? 今度は冗談では済まないのですよ」


 亘は転換の儀の時の言葉を繰り返す。あの時亘は、無謀にも本家に詰める武官全てを相手に俺を連れて逃げようとした。今の状況はあの時によく似ている。結局湊を騙すための偽装だったとあとから判明したけど、亘が言う通り、今度はそうじゃない。


 それでも――


「あの時だって、俺は本気だったよ。結局、冗談で済んだってだけで」

「何を馬鹿な事を……」

「バカでも何でも、選べる道なんて無かっただろ。それは今も一緒だ」


 自分が一番わかってる。状況はあのときと同じ。あの時も、自分の未来と柊士の未来を天秤にかけた。下に傾いたのは、自分でも呆気ないほど柊士の未来の方だった。

 

 鬼界に行くなんて、考えただけで手が震える。未知の世界に行かなきゃいけないことが心底怖い。死地に皆を送り出すだけでも怖いと思った。そこに自分が飛び込んでいかなければならないなんて、何が起こるか想像するだけでゾッとする。


 それでも、天秤は逆方向に傾くことはない。

 

「お前らに同士討ちをさせるわけにいかない。柊ちゃんを渡すこともできない」 

「戦わずに引き下がれと? 貴方を守ることもできずに、指を咥えて見ていろと?」


 亘がギリッと奥歯を鳴らす。


「指を咥えて見てろとは言わないよ。でも、戦うべきなのは今じゃない。無駄に傷つけ合ったってしょうがないだろ」


 俺は亘だけでなく、汐、巽、椿、俺たちと対峙している淕や他の武官達を見回す。武器を下ろせと言ったのに、みんな武器を構えたままだ。でも、その場から動かず俺が出す答えを待っているようにも見えた。

 

「あのさ、あの時の事を覚えてるなら、あの後、俺が言ったことも覚えてるだろ」

「……忘れました」


 絶対に覚えている時の反応だ。でも、亘は思い出すことを拒否しようとしている。俺はそれに小さく息を吐き、汐に目を向けた。


「汐は……」

「二度と聞きたくありません。」


 全部言う前に、キッパリと言い切られた。

 あの日、あの時、あの場にいたのは俺たち三人だけだ。巽も椿もいなかった。二人を見ると、不安そうに俺のことを見返していた。


「正直、璃耀さんに嵌められて淕達に売られるみたいで悔しいけど、でも俺の気持ちは、結局あの時から変わってないんだよ。今も、多分、これからもだ」

「やめてください」


 亘が低く唸るような声を出す。

 

「俺のワガママだってわかってる。でも、」

「奏太様、どうか、それ以上は……」


 らしくない懇願するような声音で汐がじっと俺を見つめている。それでも――


「ごめん」


 同じような状況に陥れば、俺の覚悟の行き着く先は結局同じ。

 自分が動けば余計な争いも、仕事に忙殺されながら今まで陰で助けてくれた従兄を差し出すこともしなくて済むなら、自分が動いた方が良い。その向かう先が、どんなところであっても。


「璃耀さん、俺が行きます。日向家の当主を出すわけにはいかない」


 俺はハッキリと、周囲に宣言するようにそう告げた。


「奏太様!」

「どうか、お考え直しください!」


 椿と巽が悲鳴めいた声をあげる。汐は顔を伏せるように下を向き、亘はあの時のように、やり切れない悔しそうな表情で刀を地面に思い切り突き刺した。


「よろしいので?」

「これを仕組んだ人が、それを言います?」


 確認するような璃耀に、皮肉に唇を歪めてそう言うと、璃耀は怪訝に寄せていた眉をふっと緩めた。

 そしてザッとその場に膝をつき頭を垂れる。それに合わせ、妖界の者達も一斉に膝をついた。


「貴方こそが、我らの悲願の要。貴方が決断してくださるのでしたら、我らはどんな事があろうとも、全力で貴方を御守りすると誓いましょう」


 妖界の者達の姿を上から眺めても、なんの感情も浮かばない。ハクを助けたいのは確かだけど、それと引き換えに大事な従兄を人質にしたのを許せる気がしない。

 ハクを救うために俺が必要だから、守ってくれるのは確かなのだろう。それでも完全に信用はできない。ハクに何かあれば、すぐに見捨てられるのだろうから。


 俺は頭を垂れる妖界の者達を視界から外し、淕に目を向ける。

 

「淕、汐を連れて柊ちゃんのところに戻って、うまく説明しといてよ。淕の望んだ通りにするんだ。怒鳴られる役目は任せる」

「……奏太様……」


 淕は複雑な表情で俺をじっと見たあと、璃耀達同様に、その場に膝をついた。俺の護衛役と柾を除く、里の武官達も。


「御英断、感謝申し上げます」


 そんな風に言われたって、何も嬉しくない。俺も柊士を自分の身代わりには出来ないと思ってる。淕の言うことも正しい。でも、淕の言動は感情的に受け入れられるものではない。


「……奏太様」


 不意に、耳元で小さく不安げな声が聞こえた。

 俺の肩にいた青い蝶はヒラリと舞い上がったあと、ふっとその翅と同じ色の髪の少女に姿を変える。


「私は、戻りません」 

「ダメだよ。鬼界なんて、危険すぎる」


 鬼の巣窟に汐を連れていくつもりは毛頭ない。危険の少ない人界で、できたら栞と和解して、忙しそうな柊士の手伝いでもしててもらいたい。

 しかし、汐は首を横に振る。

  

「私も、奏太様とともに参ります」

「ダメだって言ってるだろ」


 それでも汐は頑なに頷かず、じっと俺の目を見る。

  

「どうか、もう……置いて行かないでください……」


 絞り出すような涙混じりの声を、汐が出すとは思わなかった。


「どれほど危険でも、足手まといにならないように致します。ですから、貴方の御側に居させて下さい」

「……汐……」


 ただでさえ、汐は亘と同じく前の主である結に最後まで付き従う事ができなかった身だ。苦渋の思いで妖界に送り出さなければならなかった。俺についたあとも、案内役である汐を危険に晒したくなくて置き去りにすることが多かった。


 何と答えるべきか迷っていると、汐の肩に、後ろからぽんと手が乗せられる。


「私もお供いたします。汐も奏太様と一緒に守りますから」


 椿が複雑そうな笑みを浮かべてそう言った。


「……着いてきてくれるの? 俺が勝手に決めたことなのに」

「勝手に鬼界に行くことを決めてしまわれた上に、その身の御護りもさせて頂けず、更に人界に置いていかれでもしたら……一生恨みます」

「ご、ごめん……」


 転換の儀で、俺が死んだと騙されたあとの椿の勢いを思い出した。俺も含めて、皆が結構長いこと愚痴を聞かされ続けたんだった。笑顔の奥の目が怖い。


「僕も行きますよ。奏太様は目を離した隙に、気づいたら斜め上の事件に巻き込まれて危険に晒されているんです。お仕えするようになって、それがよく分かりましたから。これ以上蚊帳の外なんて、真っ平です」


 巽の表情は爽やかな笑顔なのに、口調には恨みがましい響きがある。確かに今までも、重要な所で巽に別の仕事させ、その間に危険に巻き込まれるような場面がいくつかあったような気がする……

 

「亘さんはどうします?」

「わかりきった事をいちいち聞くな」


 亘は不機嫌そうにそう言うと、俺の目の前まできて膝をつき、じっと俺を見上げた。


「もう二度と、勝手に、御自分の命を棒に振るような真似はやめて下さい。これが最後です。次は如何な御命令であろうと聞きません」


 たぶん凄く怒っていて、それをなんとか抑えるように低く言う亘に、俺は曖昧に笑う。二回同じ決断をしたのだ。次はないと、言い切る自信はない。


 しかし俺が答えられないでいる間に、亘に同意するように、汐、椿、巽も亘に並んで俺の前に膝をついた。


「僕たちからも、御願いします、奏太様」

「……善処するよ」


 俺をじっと見つめ答えを待つ複数の目に、俺はなんとかそう答えるのが精一杯だった。


 明確な答えを返さなかったせいだろう。亘は怪訝な顔をしたあと、諦めたように小さく息を吐いた。それから、グッと頭を下げる。


「どこまでも御伴いたしましょう。たとえそこが何処であろうと、最期の時まで御護りいたします」

  

 他の三人も、同様に頭を下げた。

 

 今俺の目の前に居るのは、この状況におかれても、誰を敵に回しても、何よりも俺を優先して護ろうとしてくれた者達だ。


 ――たぶん、本当の意味での唯一の味方。


「……ごめん。ありがとう」


 申し訳無さと感謝の思いが溢れる。それなのに、口から出せたのは、そんな平易でありふれた言葉だけだった。

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