第185話 鬼界の穴③
立ち上がった妖界の武官達と、その空気に当てられ警戒の表情を浮かべた人界の面々を、璃耀はぐるりと見回す。
「そういえば、日向の御当主様は体調を崩されていらっしゃるとか」
「……それが何か? 主が出られずとも、日向家前当主も雀野の当主もおります。然程お待たせせず結論は出るかと」
守り手様を鬼界へ向かわせるなど通るはずもありませんが、と淕は小さく付け加えた。璃耀はそれに、微笑を浮かべる。
「いえ、そうではありません。今頃、翠雨様が此度の御礼と御見舞に、御本家へ御伺いしている頃かと思いまして」
「……柊士様の見舞いに、翠雨様が?」
意外なことを言われたとばかりに淕は怪訝そうな目を向けた。柊士の一番の護衛役である淕も知らなかった話。御礼や見舞いにしても妙なタイミングだ。兵を送り出しているまさにそのタイミングに、翠雨自らこちらにやって来るなんて。
「立場の上下に殊更厳しい方ですから、病床の柊士様にご迷惑をおかけしていないと良いのですが。最初の大君の血を引かない前御当主や、妖界の四貴族家より立場の低い雀野が相手では荷が勝つでしょう」
「柊士様の御身体の具合を考えれば、如何に柴川の御当主様といえども御相手は難しいかと」
「そうかもしれませんね。しかし、翠雨様自らお越しになるのです。理由付けなどどうともなりましょう。あの方は強引に話を通してしまうことだけは御得意ですから」
「……理由付け……?」
ただ翠雨の本家への突然の来訪を知らせるだけの言葉ではない。翠雨の行動には別の理由がある、そう聞こえた。
言葉の裏が読めずに問うと、璃耀はおもむろに懐に入れた鈴を鳴らぬように取り出してこちらに見せる。
出発前、行動のたびに鳴らして翠雨への合図にすると言っていた鈴だ。
「貴方が説得に応じればよし、逆にこちらの申し出を拒まれるようであればその旨を知らせる鈴を鳴らす。事前にそう取り決めて参りました。翠雨様はとても気の短い御方です。交渉不成立の知らせを聞いて、柊士様の御前で何事も起こさぬと良いのですが」
芝居めいて心配の言葉を述べる璃耀に、淕が悲鳴のような声を上げた。
「まさか、柊士様を質に取るおつもりですか……!?」
「……は? 柊ちゃんを質にって……」
「権力を振りかざせば柊士様への面会を取り付けられる。奏太様の御返事如何で柊士様の身柄などどうにでもできると、こちらを脅しているのです。今までのやり取りから妖界の者達への警戒は薄れているはず。あちらはこのようなことになっているとは思いもしないでしょうから」
低く唸るような亘の言葉に、璃耀は殊更に笑みを深めた。
「守り手様の御命を預かろうというのです。同等かそれ以上の方を引き合いに出さねば、貴方がたは動いてくださらぬでしょう?」
俺は大きく目を見開き息を呑んだ。ハクを助ける為に、妖界の者達は柊士の命を天秤にかけたのだ。俺を動かす為だけに。
「淕、すぐに柊ちゃんのところに……!」
「おや、行かせるとお思いですか? その為に外から結界まで張らせたのに」
……そうだ、鬼を出さない為に妖界から派遣したと言われて――
「……あれは鬼を出さないためじゃなく、俺たちを出さない為に……?」
「人界からも結界要員を付けられなくて助かりました。万が一そうなっていたとしても、別の手段を取りましたが」
すべてが仕組まれ、璃耀達の思惑通りに動かされていることにゾッとする。
「奏太様が動かれぬのであれば、人界の妖と戦になろうとも柊士様の身柄を押さえます。こちらも同様、力尽くで貴方を奪いましょう。あの方を救うには、必ずどちらかが必要ですから」
この場に淕、亘、柾が揃っているとはいえ、妖界側も精鋭。それに圧倒的にこちらの数が少ない。ハクの捜索は妖界の軍団がメインで動き、人界の妖はあくまで有志のみだからだ。一方で本家には今、里の三指に入る実力者達が全員いない。何より、戦いになれば油断している分危険が大きい。何れにしても戦いを仕掛けられればこちらが不利な状況だ。
「互いのためにその身を差し出すか、それとも互いを差し出し合うか、どちらを選んでも結構です」
「……御二方が抵抗すれば? 奏太様と柊士様を失えば、白月様をお救いできない。それどころか結界の維持すら難しくなるはずです」
巽の言葉に、璃耀は何でも無い事のように言葉を続ける。
「あちらでも、こちらでも、抵抗するならば守り手様方の生死の保証はいたしません。死なば諸共。あの方が被る禍事と共に、御二方共、人界と妖界を道連れに心中してください」
「……妖界がどうなっても良い、と?」
「私は、あの方が居ない場所になど用はありませんから」
冗談を言っているようには聞こえない。璃耀は至極真面目に言っているのだ。ハクが死を選ぶなら自分もお伴するとサラリと言い放った以前の姿が重なり背筋がゾッとした。
「勿論、柊士様を
ゴクリ、とつばを飲み込む。方法は一つ。俺が、今、ここで、鬼界に行くと決めることだ。
「人界は、奏太様と柊士様、どちらを取るのですか? それとも、御二方同時に失いますか?」
沈黙が広がる。誰も何も言わない。
ザッ
不意に、耳に砂を蹴るような音が聞こえた。
音のした方に目を向ければ、淕が両膝を地面につき、俺に向かって深く頭を下げていた。
「あとから咎めを受けることを承知でお願い申し上げます。奏太様、どうか里を……人界をお救いください」
淕の言動に喉の奥が詰まったようになる。
「戦になれば、どれほどを巻き込むかわかりません。柊士様を中心にまわり始めた里も、あの方がいなければどの様になるかわかりません。人界の為には守り手様を御二方同時に失う事は真っ先に避けねばならぬことです」
淕は地面に頭を擦り付けるような勢いで必死に言い募る。
「恐らく、戻りこの事態を知れば柊士様のお怒りに触れるでしょう。都合の良いことを申し上げているのも承知の上です。……それでも、あの方を失うわけには参りません」
苦しそうに吐き出された最後の言葉に、ズキリと胸が痛んだ。
わかってる。柊士の命もハクの命も、俺に比べれば遥かに重い。人界の為にも、妖界の為にも、二人共失えない。俺が覚悟を決めるしかない。
……でも……それでも、お前の命の方が軽いと言われているようで……
俺の一歩後ろから、ギリッという大きな歯軋りが聞こえた。
「……よくも、そのようなことを……」
スラッと刀が抜かれ、鞘が乱暴に捨てられる。
「亘!」
慌てて止めたけど、亘は俺を無視して一歩出た。
「己の主のために、我が主に犠牲になれと? 何度同じことを繰り返させる?」
「やめろ、亘!」
乱暴に腕を取り引き寄せようとしたけど、亘は気にも止めずにもう一歩を踏み出す。その目は、つい先日に見た凍りつくような色を映し出し、その上に激しい怒気を孕んでいる。
「……奏太様には申し訳ないとは思っている。けれど、結様を救うことにも繋がるのだ。お前にも利のある話だろう」
「ふざけるな!!!」
地が鳴るのではと思うような怒声。
「奏太様の命と天秤にかけるな! あの方を失ったことはこの方には関係ない! 賭すべきものを間違えるな!!」
今、天秤にかけられているのは、ハクと柊士と俺。かつての主の未来と日向当主の命、人界の平和がかかっていて尚、それでも俺を護るべき者としてくれていることに、胸の奥が熱くなる。しかし――
「亘さん、待ってください」
俺の後ろにいた巽が亘と淕の間に進み出て、二人を交互に見たあと、亘と俺に困ったような笑みを向けた。
「淕さんの言うことはもっともです。人界から守り手様を同時に失うわけにはいきません」
「巽!!!」
「やめろ、亘!」
亘が激昂して乱暴に巽に掴みかかる腕にしがみつきながら、自分の心が一気に冷えきっていくのがわかった。
自分の側近くにいてくれた者も、淕と同じ意見。亘は俺を守ろうとしてくれている。でも、普通に考えれば淕の選択が正しいのだという証明のようにも思えた。
「もういい、わかったから。だから、やめろ!」
そう言いながら何とか亘の手を離させると、巽はこちらを見て諦めたように静かに首を横に振った。そして、俺たちの前を通って璃耀の前に膝をつく。
俺を引き渡すと、そう伝えるつもりだろうか。亘を押さえながら裁きを待つように、巽の言葉を待つ。
しかしその口から出たのは、予想だにしない言葉だった。
「璃耀様、我らが柊士様を差し出します。場合によっては妖界側に加勢いたします。ですからどうか、我らにしばし猶予をくださいませんか?」
「……え?」
「巽っ!?」
淕が驚いたように、バッと勢いよく頭をあげた。
巽が一体何を言い出したのか、うまく理解できない。唖然としたまま巽を見つめていると、巽は仕方がなさそうな顔で淕に向かって苦笑した。
「僕だって、奏太様の護衛役なんですよ、淕さん。主の命が一番大事に決まってるじゃないですか」
声を失い愕然とした様子の淕に、椿がフフッと小さく笑う。
「淕さんが柊士様を守りたいと思うのと同じです。我らが主の命が、誰よりも何よりも重たいに決まっています」
椿が、亘の手の届かぬ範囲、俺の後方を守るように武器を構えた。
「白月様をお救いしたい、奏太様は絶対に失いたくない。ならば、最後の御一人に動いて頂くしかありませんね」
俺の前、亘の横に汐が並ぶ。
「……汐まで………お前達、何をしているか分かっているのか? 日向家の当主は柊士様だ。あの方がいなければ……」
「十分、分かってます。でも、僕らの主は奏太様なんで」
巽も立ち上がり、俺を守れるような位置につく。
「悪い、巽。お前を見くびった」
「この前のと合わせて、貸し二つですね」
巽は亘にいたずらっぽい笑みでそう返した。
四人の行動に、周囲が騒然となる。
「奏太様の代わりに御当主を差し出すつもりか」
「どちらを差し出すことになっても里は立ち行かぬ」
「いや、柊士様にこちらに残っていただくべきだ」
「妖界との戦など、ありえぬ」
「ならば、このまま奏太様に――」
淕が、亘達を厳しい視線でみまわした。
「……それが、お前達の答えか?」
「主を守る別の答えがあるのなら、教えてくれ」
亘の返答に、淕は一度、きつく目を閉じる。それから、ゆっくり立ち上がり、刀を抜いた。
それに合わせるように、里から連れてきた者たちの何人かが武器をかまえる。残った者たちは戸惑う様に両者を見ていた。
「柾、お前はどうする?」
「どちらにも付かん。鬼界に行ければそれで良い」
「なら、手出しするなよ」
亘の言葉に、柾は腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
ついさっきまで仲間だった者たちが、互いに睨み合い武器を構えている。
……話が進んでいくのは、俺が、黙っているからだ。
妖界陣は成り行きを見守るように、一歩引いたところで様子を見ている。対立しているのは、里の仲間同士だ。
「……やめろ」
声が震える。
「大丈夫ですよ、奏太様。絶対に貴方を渡したりいたしません」
椿がこちらを振り返りながら、いつもの微笑みを向ける。
「はい、僕だって武官ですから、奏太様を守って散るくらいは覚悟の上です」
巽が、いつもの軽口を叩くような言い方でニコリと笑う。
「また案内役を下に見るような言い方をして」
汐が呆れた様な口調でヒラリと蝶の姿に変わり、俺の肩にピタリととまった。
「私達は、決してお側を離れません」
カチャリと、亘の刀が音を立てる。
「貴方の側で貴方をお護りすると言ったでしょう」
覚悟を決めたような亘の声に、俺はぎゅっと強く目を瞑った。
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