第184話 鬼界の穴②
結界の綻びは、山中にある古い洋館の近くにあった。鬼界との間に綻びが生じると、周囲に鬼灯がわさわさ生えるのも、何だか見慣れてしまった。
「こちらでも、鬼界に穴が開くと鬼灯が実るのですね」
宇柳が周囲を見回しながら言うと、巽が興味を惹かれたようにコクと頷いた。
「妖界でもですか?」
「ええ。白月様が帝位に就かれてからはみかけませんが、以前はよく見たものです。鬼灯がたくさんあれば結界の綻びを警戒すれば良いので、分かりやすくはありますが」
それは確かにそうだけど、二人が何だか親しげな感じに見えるほうが気になる。ハクを連れ帰った時以外に接点なんてあっただろうか。そう首を傾げていると、二人の背後に璃耀の姿が見えた。
「実際、そのために実るのだと聞いたことがある」
璃耀が声をかけると、二人はよく似た表情と仕草で、飛び上がるようにピシッと背筋を伸ばした。別に悪巧みをしていたわけでもないのに、恐る恐る振り返る二人の様子がなかなか面白い。ただ、巽が怯えているようなので、助けに入ったほうが良さそうだ。
「そのためにって、どういうことですか?」
「結界は、最初に危険な鬼界との間に線が引かれ、後の最初の大君の世に妖界と人界が区切られました。最初に鬼界との間に結界を作ったのは、時の賢人とも、神々とも、人妖鬼いずれでもない不可思議な存在とも言われており定かではありません。ただ、その方がこちら側の危険に気づく為に鬼灯の知らせを作ったのだと言い伝えられています。『鬼灯』というのは、その役割から呼ばれるようになったのだと」
妖界にはそんな言い伝えがあったのかと感心する。いや、宇柳は知らなかったようだから、妖界の四貴族家である璃耀だから知っていたことなのかもしれない。
コンクリートや岩の上だと咲かないから完璧ではないけれど、今の人界のようにコンクリートだらけではなく土の場所が多かったはずの当時はかなり有用な知らせだったのだろう。
鬼灯の生えるその周りでは、妖界の武官達によって陰の気の結界が張られている。
「これほどの結界の維持にはかなりの負担がかかるはず。要員の御手配、感謝致します」
「いや、こちらの都合で結界の穴を開けたままにしていただいているのだ。人界の者の手をこれ以上煩わせるわけにはいかぬからな」
淕の言葉に、璃耀は穏やかに微笑み返した。
結界を張る武官に宇柳が声を掛けると、陰の気の結界の一部に通り抜けられるくらいの穴ができる。更に行く手を阻む鬼灯を払ってもらい、通り道を作ってもらうと、その向こうに鬼界への穴がぱっくりと口を開けていた。
ここを見る限りでは、鬼が侵入してきている気配はない。璃耀が指示を出し、再度鬼灯の周囲の陰の気の結界が閉じられたのは念の為なのだろう。
「では、皆様があちらに移られましたら、この結界の穴を奏太様に閉じていただきますので……」
「いや、その前に」
淕が鬼界の穴を示して移動を促そうとしたのだが、璃耀がそれを遮って手を挙げる。
まだ何かあるのだろうかと首を傾げていると、璃耀はおもむろに俺の前に進み出て、すっと膝をついた。
「我らから、奏太様に御願いしたきことが」
それに合わせて、妖界の者達も皆がガチャチャと音を立てて一斉に跪く。急なことに、人界側の武官達も俺たちも、状況が理解できずに目を瞬いた。
「えーっと……御願いしたいこと?」
なんとかそう問いかけると、璃耀は首肯してから頭を上げて俺をじっと見つめる。
「はい。妖界には未来を見通す力を持つ妖が居るのですが、数日前、翠雨様にある予言を残したそうです」
「……予言、ですか……」
俺自身、未来の出来事を見せる貝に遭遇したことがある。見せられた未来と同じことが相次いで起こったのだ。だから、そういう妖が他にいても不思議には思わない。
でも、それと俺への願いがどう関係するのだろうか。
「曰く、白月様は、神に等しき力を持つ方に導かれて鬼界へ向かわれたそうです」
「神に等しき?」
等しい力を持つだけで、神では無いということなのだろうか。
「残された白月様に関する予言はこうです。『ここから起こるのは、大いなる力の代替わり。選ばれ行けば、永遠の命と引き換えに、その場に囚われ闇を抑える役目を背負う』」
『神に等しき力を持つ者に導かれた』『選ばれ行けば』――もしも話に繋がりがあるのだとすれば、ハクはその『神に等しき力を持つ者』に選ばれて導かれて鬼界に行ったとも受け取れる。そしてその後に待つのは、『永遠の命』と『囚われ闇を抑える役目を背負う』こと。
「……永久に死ぬこともなく、囚われ続けると言うことですか? 闇とやらを抑えるために……」
汐が唖然としたように問うと、璃耀はコクと頷いた。
「白月様がその身を差し出さなければ、妖界も人界も鬼界も全てを巻き込んで滅びに向かうそうです。白月様はそれを承知で向かったのだと」
ハクは、自分の生に悲観して鬼界に向かったのだと思っていた。実際、水晶玉に閉じ込められていた時はそうしかねない状態だったと
……どっちにしてもハクが幸せになれる道じゃない。死を選ぶにしても、永遠の生とともに囚われるにしても。
「……その予言は確かなのですか?」
椿がそう問うても璃耀からは予言を否定する言葉は出てこない。
「私も以前、白月様がその者と出会い予言を残された時には半信半疑でした。しかしその後に、起こることを見通していたとしか思えないほど、その通りの出来事が起こりました。恐らく今回残された予言も同様でしょう。その種族は未来を見通す力があるのだと、別の者の証言にもありましたから」
たかが予言と笑い飛ばす事もできる。でも俺自身が遭遇したように、未来を見通す力を持つ者は実際にいる。何より、璃耀たちがその予言を正しいものと見なしているというところに真実味があるような気がした。何事にも慎重であるはずの朝廷の上位者が、人界の俺たちに協力を求めようとするほどに。
「……それで、奏太様への願いというのは?」
亘が低く問うと、璃耀はじっと俺の目を見る。
「白月様が自由を得られる可能性を作れる者は、この世でたった二人だけ。あの方と同じ血を引く者のみだそうです」
「ハクと同じ血?」
「ええ。恐らくは、最初の大君の血筋ということでしょう」
そうであれば、俺と柊士でハクを救う事ができるということだ。死でも囚人のような生でもない未来を。
「それで、俺たちはどうすれば……」
俺が言いかけると、璃耀は改めて姿勢を整え俺に向かって深々と頭を下げた。
「伏してお願い申し上げます。奏太様には何卒、我らと共に鬼界へ御同行頂きたく」
「……は?」
……俺が、鬼界に?
「あの方を救う手掛かりが、何処にあるかは分りません。ただ、あの方と同じ血を引く方のいずれかが、鬼界にいる必要がございます」
周囲に居る人界の者達の間に、一気にざわめきが広がる。
「まさか、奏太様を鬼界へ……?」
「白月様を救うためとはいえ、それは……」
「鬼界で何かあれば取り返しがつかぬ」
「守り手様が御一人になれば、人界はどうなる?」
騒然とする周囲の声と共に、ドクドクと鼓動が早く打ちつける。自分が鬼界に行くことなど、想像もしていなかった。何と答えるべきか、声がでない。
璃耀は俺の答えを待つように、ピクリとも動かず頭を下げたままだ。
「有り得ません」
低く厳しい声音を出したのは、淕だった。
「妖界で白月様の存在が重要なように、人界では柊士様と奏太様の存在が要です。鬼界にお送りし、危険に晒すような事は出来ません」
有無を言わさぬ淕に、璃耀はゆっくりと顔を上げる。しかしその視線は、淕ではなく俺を真っすぐに見据えていた。
「宇柳から報告がありました。水晶玉の中にいるあの方が、死を望んでいるとも受け取れる言葉を零されていたと。あの方があの様な事にならねば、たとえ何者かに導かれたとて一人であちらへ行くようなことはなさらなかったかもしれません。せめて、御一人で決めずに我らに相談があったかもしれません」
「…………それは……」
「もしも御心が弱っていなければ、別の道を共に考える猶予をいただけたかもしれません」
あの時、ハクの心が弱っていたのは確かだ。忠が俺たちにハクの言葉を伝えるのを躊躇うほどに。そのせいでハクに冷静な判断ができなかったのだと言われれば、俺に言い返す言葉なんてでてこない。
代わりに、俺の後ろにいた椿は小さく首を横に振った。
「それは、あくまで仮定の話でしょう。世界の危機を知ったとすれば、あの方ならば……」
しかし璃耀はそれにほんの少し眉を上げただけ。
「少し前、白月様が陽の気に焼かれる京を守るため、御一人敵に下った事がありました」
それは、俺たちがよく知る事件だ。ハクを取り戻す為に遼が京の上空の結界に穴を開け、ハクはその身を引き渡すことと引き換えに遼の行いを止めた。
「あの方一人に重荷押し付けたことを、皆が悔いました。二度と同じ事は繰り返さぬと、せめて一人で動かず相談してくださると、あの戦のあと、そう御約束してくださったはずなのです」
目の奥の暗闇にじっと見据えられて、体が動かない。
「妖界で生きていかれる決意をした白月様に、過去の逆恨みで心に大きな傷を負わせた。その責は人界にあります。仮にも貴方は今、人界の妖の上に立つ御立場でしょう。貴方がたの咎を償う責務があるのではありませんか?」
もっと早く湊の企みに気付けなかったのか、亘にハクを斬らせずに済む方法は無かったか、水晶に入ったハクともっとしっかり話せなかったのか。
せめてハクの不安や思いを聞いたうえで、きちんとこちらの事情を説明する時間をとれていれば、柊士や亘や汐、里の者達の……俺の思いを伝えておけていれば。せめて、生きるために戻るのだと納得してから体に戻せていれば……
あれからずっと、そう思っていた。
ぐっと奥歯を噛み、汗でジメッとした手を俺はぎゅっと握り締める。
「しかし、それは奏太様が御一人で負うようなことでは……」
巽が声を上げる。
でもこれは日向が負うべき責だ。誰が、ではない。俺もまた、その一人として償っていかなければならないことだ。それに……
「あの方を救う術をお持ちの貴方が、この場を逃げ出し再びあの方を犠牲にするのですか? 今まで貴方を含む日向家がそうしてきたのと同じ様に」
璃耀の言う通りだ。
ハクを見捨てて逃げるようなこと、もう二度と許されない。結だけに重荷を背負わせて来た俺たちが、これ以上は……
気づけば皮膚に爪が深く突き刺さるほどに、力を込めて拳をきつく握りしめていた。
「奏太様、どうか冷静になられてください」
不意に汐が俺を落ち着かせるように、いつもの静かな声音でそっと俺の腕に手を置いた。それとともに、亘にグッと肩を押さえられる。
「……あの方を救いたいのは我らも同じです。ただ、貴方を行かせることは出来ません。何か別の方法があるはずです。少なくとも、この場で決めるようなことではありません」
詰まるようだった息苦しさの中で、ほんの少し、喉の奥に空気が通った気がした。
「二人の言う通りです。それに、これ以上人界から守り手様を失うわけにはまいりません。一度戻り、御本家で相談したほうが良いでしょう。対応方法はそちらで検討いたしましょう」
淕もそう続ける。
追い詰められていた頭が、頼るべき先を見つけて少しだけ冷静さを取り戻す。
確かに、せめて相談する時間が必要だ。感情に任せて動けば、本来取るべき方法を見逃すかもしれない。
俺は深く深呼吸してから、汐と亘、淕の顔を見て頷きかける。
しかし、その前に。
「―――ふむ。やはり、すんなりとは行きませんか」
璃耀は何事か考えるように顎に手を当ててそう呟いた。
それからおもむろにスッと立ち上がり、チラッと蒼穹達に目配せをする。蒼穹がそれにコクと頷くと、妖界の武官達が一斉に立ち上がった。
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