第6話 夏の想い出①

 夏休みももうわずかとなったある日。

 明日……いや、今日あと数時間後に友人グループとのキャンプを控えているにも関わらず、俺はわたりの背に乗って空を飛んでいた。


「御役目の直後に遊びに行くとは、若さですかねぇ」


 亘に乗っても片道三時間かかる古びたトンネルへほころびを塞ぎに行った帰りだ。背に乗る俺に亘が感心するように言った。


「そもそも、前日の夜に仕事が入ると思ってないし、まさかここまで遠いだなんて予想外も良いとこなんだけど」

「しかし泊りがけで遊びに行かれるとは……。今夜再び報告が入ったらどうしましょう」


 うしおは蝶の姿のまま困ったような声を出す。


「一日くらい見逃してよ。それにしゅうちゃんもいるだろ」

「しかし、柊士しゅうじ様は……」

「まあまあ。ここのところ連日で報告が入ることはないし、もし入ったらその時に考えれば良いだろう。念の為、宿泊地も教えてもらっておいて……」

「ああ、それならすでに教えて頂いたわ」

「えぇ!? 報告があったらキャンプ場まで来るつもり!? 困るよ!」

「こちらとて困ります」


 そんな事を言われたって、皆が居る中で抜け出すなんて出来るわけがない。


「まあ、大穴でなければ一日待っても良いでしょうし、重大な事案が起こらぬことを祈るしかありませんね」


 亘は苦笑しながらそう言った。



 俺は一抹の不安を抱えながら、ほとんど眠れないままに出発の時間を迎えた。キャンプが始まる前からヘトヘトだ。


「今から行くのに、大丈夫か、奏太そうた?」


 潤也じゅんやが呆れたように言う。


「うん。大丈夫。昨日あんまり寝れなくて」


 実際問題、二時間も眠れていない。

 トンネルに現れた、メソメソ泣くへび女の相手をさせられたせいだ。汐はいつもの調子だし、亘は蛇女には興味なしとばかりに俺に相手を任せた。

 話を聞いてやり、説得し、妖界ようかいに送り返して綻びを閉じた。戦闘にならなかっただけマシだが、精神的にすごく疲れる夜だったのだ。

 でも、そんな事を友人たちに愚痴るわけにもいかない。


「キャンプが楽しみ過ぎて眠れなかったんでしょう?」

「えぇ? 子どもじゃん!」


 茶化すような絢香あやか紗月さつきに、乾いた笑いで応えるしかできない。


「まあ、そういうこともあるだろ。休憩しながらやればいいさ」


 さとしが苦笑するように言った。



 キャンプ場は沢が近くに流れる小さな場所だ。少しだけ懸念があるのが、近くに有名な心霊スポットの沼があることだった。

 心霊スポットは、綻びのせいであやかしが悪さしていることがあるのだと、汐は以前言っていた。

 実際、ここ何回か行った綻びのある場所はほとんどが心霊スポットだったのだ。昨夜のトンネルも同様に。


 不安感を密かに覚えながら、俺達はキャンプ場に到着した。しかし、実際にキャンプ場についてしまえば、眼の前に広がるワクワクに、そんな不安はすぐに何処かへ消し飛んでいってしまった。

 昼間は人間の天下だ。昨晩の疲れなんて忘れて、沢遊びに釣りにバーベキューにスイカ割りにと、力の限り遊びまくった。


 事態が変わったのは、日が沈んで間もない頃のこと。早めに夕飯のカレーを食べ終わり、片付けを各々でしていた時だった。

 水場に行っていたはずの潤也が随分と慌てた様子で走って戻ってきたのだ。尋常じゃない汗と形相に、俺も聡も紗月も唖然あぜんとして潤也を見る。


「どうした、そんなに慌てて」

「あ……絢香が連れて行かれた……!」

「は? 連れて行かれたって、誰に!?」


 紗月と聡が眉根を寄せる。


「わ……分かんない。分かんないけど、たぶん人じゃない。なんか、すごくデカくて黒っぽい何かが、長くて赤い紐みたいなやつで絢香をぐるぐるって……」


 皆が緊張した表情を浮かべて顔を見合わせていたのだが、潤也がそこまで言いかけると、プッと紗月が堪えきれなくなったように吹き出した。


「またまた! 絢香と二人で私達を驚かそうとしてるんでしょ。つくならもうちょっとマシな嘘にしてよ!」


 紗月の言葉に、そりゃそうか、とその場の空気が弛緩しかんする。しかし、潤也だけは必死の形相だ。


「ホントだって! 俺、近くの沼まで引き摺られて行く絢香を追いかけて行ったんだけど、途中で見失っちゃって……」

「沼ってあれでしょ。有名な心霊スポットになってるとこ。肝試しのつもり?」

「だから、違うって!」


 皆になんとか信じてもらおうと、余裕なく懸命に言い募る潤也の様子に、ザワッと嫌な予感がした。

 

 ―――心霊スポットによく分からない化け物。


 以前の自分だったら、紗月と一緒に笑い飛ばしていたかも知れない。でも今は、思い当たるものが出来てしまっている。

 

 まさかとは思ったけど……

 

 もし本当にあやかしに連れて行かれたのだとすれば、絢香が心配だ。何故連れて行かれたのかはわからないけど、早めに見つけてあげた方がいい。


 俺は自分を落ち着かせるために、一度小さく息を吸って吐き出す。


「俺、ちょっと様子見てくるから、二人はここに居てよ」

「奏太!」


 希望の光を見出したのか、潤也はすがるようにこちらを見た。一方で、紗月は呆れたような表情だ。


「奏太は優しいんだから。悪ふざけになんて、いちいち付き合わなくてもいいんだよ?」

「だから、悪ふざけなんかじゃないって言ってるだろ!」

「まあまあ。それに、こういうのもキャンプの醍醐味だいごみだろ。ちょっと行って来るから、二人は片付けの続きをしててよ」


 潤也をなだめながら、何でもない風を装って二人に言うと、二人は仕方の無さそうな顔で先程の続きを始めた。それを確かめてから、俺は潤也の肩をポンと叩く。


「行こう、潤也」



 潤也に道案内をしてもらっている間に、その時の出来事を詳細に教えてもらった。ただ、潤也もしっかりと事態を把握できていたわけではないらしい。


「絢香が連れて行かれたっていう沼に、変なものはなかった? 灰色の渦のような……」

「奏太は俺の話、信じてくれるのか?」

「まあ、嘘をついてる感じじゃないし、もし本当に悪ふざけだったら、その時に怒るから良いよ」

「奏太」


 潤也は今にも泣きそうな顔でこちらを見る。


「それで、灰色の渦のようなものはなかった?」

「……よく分からない。絢香を探すので必死だったし」

「そっか」


 そう言いながらキャンプ場から離れ、暗くなり始めた森を抜けていく。


 不意に、どこからやってきたのか、一匹の青い蝶がヒラヒラとこちらへ飛んでくるのが目に入った。


「チョウチョ? もう夜になるのに?」


 潤也は不思議そうな顔でそれを眺める。

 しかし蝶はお構いなしにピタリと俺の肩に留まると、俺にしか聞こえないような小さな声でささやいた。


「この先の沼に綻びがあります」

「……そうだと思った……」


 ため息交じりに囁き返す。


「なんか言ったか?」

「いや、何でもない」


 絢香の件は妖の仕業でほぼ確定だ。綻びもあると言われたからには、絢香を救出した上で綻びを閉じなくてはならない。


 御役目については、伯父さんに余計な事を言うなと以前言われたけれど、他人に見せて問題無いものなのだろうか。それとも、何か理由をつけて潤也を遠ざけておくべきだろうか。

 

 ただ、すでに友人が一人連れて行かれているのに、この友人までここに取り残すわけにもいかない。


 そんな事を考えているうちに、あっという間に沼にたどり着いてしまった。

 キャンプ場から然程さほど離れてはいない。こんなところに綻びがあるなら、放置しないほうが無さそうだ。

 それに、問題がもう一つ。


 俺達が沼にたどり着くと、ザバッと汚い泥水の中から、縦も横も俺達の身長以上ある大きな蝦蟇がまがえるが、ギョロッとした目を光らせながら現れたのだ。

 裂けた口で、ひと飲みにされてもおかしくないくらいの大きさに、潤也も俺も、ヒッと息を飲む。


「おやおや、先程の小僧が仲間を連れてきたか。なんとしつこい」


 大きな蝦蟇が口を開いてしゃがれ声を出すと、潤也は愕然とした様子で目を見開いて腰を抜かした。

 俺はぐっと歯を食いしばったあと、震えないようにしながら何とか声を出す。

 怖いものは怖いが、妖なのだ。こういう奴もいるだろう。


「……おい、絢香はどこだ?」

「ほう。そちらの小僧は、我らを見ても驚かぬのか」

「絢香は何処だって聞いてるんだ」


 蝦蟇がまがえるはそれに口の端を釣り上げる。なんとも気味の悪い笑みだ。


「あの娘なら、我らの住まいに連れて行った。我らが首領が随分お気に召したようでな。花嫁に迎えると言って聞かぬのだ。」

「……花嫁……? かえるの……?」


 潤也は腰を抜かした状態で、呆然と呟く。


「冗談じゃない。妖の花嫁だなんて……」


 そう言いかけたところで、先程まで静かに俺の周囲を舞っていた蝶が、スゥっと視界に入り込んできた。


「そのような問答、どうでも良いでしょう。綻びは沼の対岸です。さっさと閉じてください。奏太様」


 汐が痺れを切らしたように、蝶の姿から人の姿に変わる。


「……あのさ、汐。一応そこに潤也がいるんだけど」


 潤也に目を向けると、汐に視線を固定したまま、完全に固まってしまっている。

 日本人形のような着物姿の女の子が突然現れればそんな反応にもなるだろう。


「それが何です。奏太様に任せていたら、いつまで経っても綻びを閉じてくださらないではありませんか」

「まずは絢香を助けることが優先だ」

「神隠しなど良くあることでしょう。あの言い方では、すでに妖界ようかいに連れ込まれています。探しに行っている間に、別の妖の被害があるかもしれません。閉じるのが優先です」

「汐!!」


 怒声をあげると、潤也の方が肩をビクッと震わせる。


「……な、なぁ。奏太。さっきからお前、一体何の話をしてるんだよ。そいつら何なんだよ。絢香は一体……」

「……悪い。全部終わったら説明する」


 イチから潤也に説明して納得させようと思ったら、いくら時間があっても足りない。


「とにかく、絢香があっちに居るなら助けに行かないと」


 対岸に目を凝らすと、確かに黒ずんだ木々の向こう側に灰色の渦が見える。


「正気ですか、奏太様。いんの気に満ちた妖界へ行こうなどと。それに、ただ妖界に迷い込んだだけではありません。大蝦蟇おおがまがえるに捕らえられている者を、本当に救えるのですか?」


 汐は眉根を寄せる。

 でも、このまま放っておけという方が無理な話だ。


「救えるかどうかなんてわからないけど、友だちがあっちに居ることが分かってて、見捨てて入口を閉じるような事は出来ないだろ」


 俺が言い切ると、不意に、ハア、というため息が上空から聞こえた。見上げると、亘がスッと地面に降り立とうとしているところだった。


ゆい様と同じだ、汐。こうなってしまえば言っても聞いてくださらぬだろう。面倒ですが、私も共に参りましょう、奏太様」


 どうやら、汐と共に来ていたようだ。

 面倒、とういう言葉が引っかかるが、亘が一緒に来てくれるのはすごく心強い。


「お前はどうする、汐」

「奏太様と亘が行くのに、案内役の私が行かないわけには参りません。」


 汐は心底不服そうにため息をつく。

 それに合わせるように、クイッと服の裾が下から引っ張られた。


「どこに行くかはわからないけど、絢香を助けるなら、俺も行くからな。」


 見ると、潤也が腰を抜かしたまま、戸惑いと決意の入り混じった表情でこちらを見返していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る