第5話 廃病院の怪②

 動くことを拒否する足にむち打つように、一歩一歩先に進む。

 わたりを先頭に、俺、うしおの順だ。

 完全に二人に守られる立場である。情けない。


 しかし、手術室の扉に入った途端、わずかに湧き上がったそんな思いは、あっという間に消し飛んだ。


 残されていた手術台の上にいたのは、鬼のように二本の角を生やし、裂けたような口から鋭い牙をのぞかせた毛むくじゃらの頭に、巨大な蜘蛛くもの体を持った、凶悪な見た目のあやかしだった。


「う……うわぁぁ!!」


 慌てて入口にむけて這い出ようとする俺の襟首を亘が掴んで引き止める。


「大丈夫。鬼がこのようなところに居るわけがありません。妖です!」


 それの一体何が大丈夫なのだろうか。そんなの、見ればわかる。鬼じゃなかろうが、化け物は化け物だ。

 しかし、亘は平然とした顔でその化け物と向き合う。


「汐、代われ!」


 亘が声を張り上げると、汐が俺の側まで駆け寄り、ぎゅっと腕を握った。

 妖とはいえ、幼い風貌の女の子に腕を掴まれているのに、それを振り払って逃げ出せる訳が無い。

 というか、腰が抜けて体が動かない。


 亘は汐が俺の側まで来たのを確認すると、懐から短刀を取り出す。

 それを振りかざしたかと思うと、背から翼を生やし、身軽な様子で化け物の攻撃をかわしながら一度二度と斬りつけた。


 あんな姿にもなれるのかと思っているうちに、ギャア! という叫び声が聞こえて、化け物が手術台から転げ落ちる。

 腕が立つと言っていたが、あんな巨体に、小さな刀で攻撃を繰り出せるのだ。

 亘は本当に強いらしい。


 転げ落ちた化け物は床にうずくまるような仕草を見せる。

 亘が小刀を振りかざし化け物にとどめを刺そうとしたその瞬間、不意に白っぽい何かが別の方向から飛び出し亘に飛びかかった。猫くらいの大きさの動物だが、耳が短い。イタチだろうか……

 それが亘の腕に噛みつくと、亘は容赦なくそれを思い切り振り払う。ギャウっと悲鳴を上げてイタチが床に叩きつけられた。


 化け物は……と先程床に居たはずの化け物の方を見ると、そこには先程までいた化け物の姿はなく、体の一部に斬りつけられた赤い痕の残るイタチが転がっていた。


 床に叩きつけられた方のイタチが化け物のいた場所に蹲るイタチに駆け寄り、二匹が恨めしげにこちらを見つめる。


「……子どものてんか」


 亘はそれを見下ろしながら呟く。

 イタチではなく、テンというらしい。どこかで聞いた事がある種だ。


「コイツらは、何かに化けるのが得意で、いたずら好きなのです」


 亘は貂から目を離さずに説明してくれる。


「……さっきの化け物は、この子達だったの?」


 あの化け物の正体が、こんなに可愛らしい生き物とは、なんとも拍子抜けだ。亘によって斬りつけられ、床に叩きつけられたのが何だか可哀想にすら思える。


「大丈夫なの? 二匹の怪我は」

「ええ、大丈夫なはずです。手加減しましたから」


 亘のその言葉を証明するように、貂はムクリと起き上がり、口々に悪態をつき始める。


「っちぇ。せっかくいいところだったのに」

「そこのソイツも逃げ出させたら、連続百人達成だったのに」

「なんで逃げないんだよ。人間のくせに」

「武器を持ってくるなんて卑怯だぞ!」

「そうだ! 大人の妖なんて連れてくるな!」


 可愛いが、言っていることは悪ガキそのものだ。


「全然大丈夫そうだね」

「貴方たち、人界の妖? それとも、あの穴を通ってこっちに来ているの?」


 汐の質問に、二匹はツンと顔をそらす。

 それに亘が二匹の頬をつまみ上げた。


「答えろ。今からあの穴を塞ぐんだ。お前らの家があちらにあるなら、帰れなくなるんだぞ」

「痛い痛い! やめろよ!」

「離せよ! あっちから来たよ、悪いか!」


 二匹の答えに亘がぱっと手を離すと、二匹は涙目で頬をおさえてこちらを睨む。


「何で閉じるのさ。せっかくあと一人で百人だったのに!」

「そうだ! 俺達の楽しみが無くなるだろ!」


二匹が喚くと亘は拳を握りしめる。ゴチンと音がしたと思えば、亘は有無を言わさず二人に拳骨を落としていた。


「妖にとってはようの気が毒で、人にとってはいんの気が毒になるからだ!」


 俺はそれを呆然と眺める。

 

「……なんか、亘は手慣れてるね」


 子どもの貂二匹に説教をし始めた亘を見ながら言うと、汐は小さく頷く。


人界じんかいに生まれた妖の子ども達の指導もしてますからね」

「えっ、先生してるってこと?」

「まあ、似たようなものです」

「いや……それにしては……」


 前回、子どものように驚かされたことも、ゆいに執着するあまりぞんざいに扱われたことも、忘れていない。


「まあ、子どものようなところがあるから、子どもの扱いもうまいのでしょう」


 汐も亘を眺めながら、苦笑を浮かべた。



 しばらく亘と子ども達の様子を見ていたのだが、子ども達がみるみるうちに今までの勢いを無くしていくのがわかる。

 何を言っていたのかまでは聞いていなかったが、あの姿を見ていると、汐が先生だと言っていたのもあながち嘘ではないのだと思えた。

 子ども達は、ついにはしゅんとした様子で俺と汐の前に正座する。


「……迷惑をかけてごめんなさい」

「まあ、反省してるならいいけど……」


 俺が言うと、二人はコクリと頷く。


「ほら、謝ったらさっさとあちらへ帰れ。穴を塞げぬ。ようの気に晒されて酷い目には会いたくなかろう」


 亘の言葉に、二人はサァっと顔を青ざめさせる。

 陽の気に妖が晒されるとどのようになるかはわからないが、相当亘に脅されたのだろう。

 すごすごと灰色の渦に戻っていく二人の姿を見送りながら、亘はふうと息を吐いた。


「さあ、り手様。出番ですよ」


 ニコリと笑う亘に、俺はハアと息を吐きだす。まだ何もしていないのに、凄く疲れた気がする。

 でも、気乗りはしないが、またあちらからやってきた妖に騒ぎを起こされるのはごめんだ。

 灰色の渦に向き合うと、俺はパチンと手を合わせた。


 頭に浮かんでは過ぎていく祝詞に声を乗せる。すると、前回同様に、掌から白いキラキラした光が溢れ始めた。

 それが灰色の渦に届くと、徐々に穴が小さくなり塞がっていく。

 遂に渦そのものが消滅すると、俺はその場にストンと座りこんだ。


「……何だか凄く疲れた気がする」


 前回と違って子どものてん二匹に驚かされたせいで、余計なパワーを使った感じだ。


「それにしても、あんなに人を驚かすことに執念燃やしてるなんて。そりゃ、有名な心霊スポットにもなるよ」


 所謂いわゆる心霊スポットと呼ばれる場所がこんなふうに妖が好き勝手している場所だと思うと、今まで感じていた恐怖ではなく面倒過ぎて近づきたくない。


「ただ先程のような、人のくせに面白半分にこういった建物に入り込んでくるような手合いを心底脅かしてやりたくなる気持ちはよく分かります」


 ……人のくせに……


 汐はここにも一人、人が居ることを忘れているのでは無かろうか。


 表情一つ変えずに言う汐に、亘は苦笑を漏らす。


「侮られて腹が立つ気持ちはわからなくもないが、少し落ち着け。汐があの者らよりも長く生きているなどと誰にも分からぬ」


 なるほど。

 表情が変わらないから分からなかったけど、どうやら相当怒っていたらしい。


 それにしても、妖だからと年齢なんて気にしたこともなかったが、汐は大学生グループっぽいあの人達よりも年上らしい。


「……汐って何歳なの?」

「遠に30を超えています」

「妖にしては、まだまだ子どもです。50でようやく大人の仲間入りですから」


 人からすれば、30年も生きていれば、立派な大人だ。汐さん、と呼ばなくてはならない年齢じゃないか。


「ちなみに亘は何歳なの?」

「さあ。途中で数えるのを辞めてしまいましたからよく分かりませんが、二百くらいでしょうか……」

「二百!? 江戸時代から生きてるってこと!?」

「ああ、江戸の町には行ったことがありましたね。それに、吉原は、それはそれは素晴らしいところでした」


 キラキラした表情を浮かべる亘に、汐は呆れたような目を向ける。


 ……それにしても、まさか、リアルタイムで江戸時代を知っている者に会うことができるとは思いもしなかった。


「凄い! 初めて亘を尊敬するよ!」


 俺が言うと、汐は今度はこちらに呆れ顔を向けた。


「吉原に行ったことは手放しでうらやましがられても可笑おかしく無いような場所でしたが、今の時代、奏太そうた様には少し早いのでは?」


 亘のその言葉で、汐の視線の意味に気づいて慌てて顔の前で両手を振って否定する。


「ち、違うよ! 吉原じゃなくて、江戸時代に生きていたってことをだよ!」


 しかし、汐はジトっとした目をこちらに向ける事をやめる様子はないし、亘に至ってはそんな否定すら聞いていない。


「……それに、初めて尊敬とはまた……」


 亘はなんとも微妙そうな顔でこちらを見つめる。

 吉原の一件でそんな尊敬の念も帳消しだが、そんな顔をされたって、実際そうなんだから仕方がない。

 しかし、直ぐに亘は気を取り直すように笑った。


「まあ、お会いして間もないですからね。これから信頼を積み上げましょう」


 ……亘のこの前向きさも、尊敬すべきところかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る