第53話 亘の誘い③

「まあ、お主の気持ちは分かる。今の奏太が白月様だったら皆が揃ってお止めするだろうからな。」


 忌々しい表情でこちらを未だ睨みつけている柊士に、蒼穹が言う。


「ただ、言っても聞いてくださらぬのもまた、白月様だ。その辺りは、血筋なのだろうな。お主も、父御を半ば強引に説得して来たのだろう。お主の従者は嘆いていたではないか。」


 なんと。柊士も伯父さんを完全に納得させて来たわけではないらしい。

 そのくせ、俺には、父と自分が止めたのにと、正論のように振りかざすのは、話が違う。


「何だよ。柊ちゃんも同じじゃないか。」

「同じじゃない。何度言えばわかる。お前はまだ子どもだ!」


 大人か子どもかみたいな論争は、もううんざりだ。俺だって、あと一年もしないうちに成人する。一体何が違うというのか。


「蒼穹さん、俺と柊ちゃんはそんなに違うと思いますか?」

「違わぬな。人など、我らからすれば殆どが子どもだ。」


 三十歳の汐が、子どもだと言われるくらいだ。それはそうだろう。


「妖と一緒にするな!」


 柊士はそう怒鳴ったが、近くに控えていた淕は眉尻を下げて柊士を見た。


「……柊士様。蒼穹殿が言うとおり、奏太様がいらっしゃる事で、我が方に有利にはたらくこともあるかも知れません。

 奏太様と同じく、御身も失ってはならぬのです。

 奏太様に人界に戻るように仰るなら、どうか、柊士様も我らに任せ、お戻りください。」


 意外な者からの反論に、俺も柊士も目を見開く。


「淕、お前まで今更何を……!」

「私はもともと、柊士様が妖界で指揮を取られることに反対なのです。皆、奏太様のお話ばかりでしたが、本家の次期御当主である柊士様こそ御守りせねばなりません。私にとっては、御身が何より大事なのです。」


 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。柊士は淕の言葉に、固まってしまった。


「淕は二心のある私と違って、柊士様一筋ですからね。まあ、私の場合、浮気ではなくどちらも本気ではありますが。」


 亘がぼそっと背後で呟く。

 一体何の話かわからなくなるから、ちょっと黙ってて貰えないだろうか。


「奏太様がこちらに残られ、少しでも柊士様の危険が減るならば、こちらにいていただきましょう。それだけ、陽の気は強力な武器です。そうでないならば、柊士様もお戻りを。」


 淕の目は、真剣そのものだ。絶対に譲るつもりなどないのだろう。


「ちなみに、奏太様がこちらへ来ることなど論外でしたが、柊士様が人界の妖を率いることについても、裏では反対意見は多かったのですよ。柊士様が無理を通して御当主から了承を得たので、表立っては誰も何も言わなかったのでしょうが。」


 亘は平然とした声音で、淕の言葉にそう付け加えた。


 ……“論外” ね。

 まあ、妖連中の俺の扱いについては思うところはあるが、次期当主を護ろうとする意見が上がるのは当然だとは思う。


 皆、亘の言葉に頷き、じっと柊士を見つめている。帰るか残るか。柊士の決断を待っているのだろう。

 柊士は自分を取囲み視線を向ける者たちをぐるりと見回す。そして、自分の不利に気づいたのか、ガシガシと頭を掻いた。


「……わかった……奏太を残せばいいんだろう……」


 柊士は苦虫を噛み潰したような表情でそう言ったあと、腹立たしげに息を吐き出した。


 俺も、ようやく柊士の許可が出たことにホッと息を吐く。

 しかし、それに気づいた柊士は、直ぐに表情を戻してこちらに睨みをきかせた。


「その代わり、お前は絶対に独断で動くな。亘は何をおいても奏太を護れ。連れてきた責任はきちんと負ってもらうからな。」

「無論です。」


 柊士の言葉に、亘はニコリと笑みで答えた。



 俺達は、土のトンネルの中を通って、翠雨の部屋に案内される。

 その場には、複数の兵と共に、どこかで見たことのある貴人二人も同席していた。


 何処だっただろうか……としばらくの間、頭の中で記憶を片っ端から掘り返していき、ようやく思い出した。

 ハクとともに烏天狗の山から戻ってきた時に、ハクを真っ先に迎え入れていた二人だ。

 一人は、瑛怜。何度か名前だけは耳にしていた男だ。もう一方の、少年っぽさの残る青年の方は名前が思い出せない。


 その二人は、翠雨が座していたであろう場所の近くに静かに座っていた。貴人の周囲には、それを護るように側近が配されている。

 もちろん、入口付近にも警備をする者がいるし、翠雨を護る者も居る。

 その部屋の中に蒼穹達軍の者達、人界の妖の一部が更に入ったため、部屋の中が凄く物々しい雰囲気だ。


 そんな中で、翠雨は立ち上がり、山と積まれた大量の物資の一部に手を伸ばしていた。

 瑛怜はそれを呆れたような表情で、もう一人の貴人は好奇心に満ちた目で眺めている。

 翠雨はそんな視線もお構いなしに、そのうちの一枚を取り出し、しげしげと感触を確かめるように見ていた。

 翠雨の周りにいる者達も興味深そうに物資を取囲み覗き込んでいる。


「何とも奇妙な触り心地だな。この布が擦れる音もだが。」


 翠雨はジャケットをシャカシャカ擦りながら言う。

 翠雨が触れたことを確認すると、周囲の者達も別の服に手を伸ばし始めた。


「なんと。これ程軽いとは。これであれば、ある程度着込んだとしても、戦いやすいかもしれません。」

「しかし、私は、この布地がピタと張り付くような感じは好きませんな。」

「おお、これなど、龍の何とも迫力のある絵が見事ではありませんか!」


 ああ、それ、潤也がふざけて入れたスカジャンね……


 皆、人界の服を手にしながら好き放題に口々と感想を述べている。こんな状況なのに、ワイワイと、何だか楽しそうだ。


「流石に全員分は用意出来ていない。前線に立つ者に優先的にまわしてやってくれ。」


 柊士が言うと、翠雨はコクリと頷いた。


「いや、十分だ。感謝する。蒼穹、これは軍団で使え。」

「はっ。有り難く。」


 蒼穹は背後に控える兵に指示を出し、早速運び出させていく。

 翠雨は気に入ったものがあったのだろう。軍団で使えと言いつつ、自分の分だけを一式確保していた。


「……まさか、前線に向かおうなどとはおっしゃいませんよね……?」


 服を片手に自分の席に戻る翠雨に、側近である蝣仁が背後で眉を顰めて言う。しかし、翠雨は答えない。


「翠雨様。くどいようですが、白月様は、翠雨様に民を守って頂く事をお望みです。」

「……わかっている。わかってはいるが、状況にもよるだろう。私が動くことで白月様をお救いする機が巡ってくれば……」

「こちらに居てくだされば、そのような機は、巡ってきません。どうか、大人しくなさっていてください。」


 最初の間が、翠雨の不服を物語っているようだったが、蝣仁は譲るつもりは一切ないようで、じっと翠雨を見つめている。

 翠雨はそれに否とも応とも言わずに小さく息を吐き出し、元の席に着座した。


 淕はそのやり取りを見ながら蝣仁の言葉に頷き、柊士に目を向ける。未だ、柊士を人界に帰したいと思っているのだろう。当の柊士は完全に無視を決め込んでいるが。

 ついでに言うと、亘は完全に他人事だ。俺にとっては都合がいいし、対照的でいっそ清々しい。



 翠雨が座すと、瑛怜が翠雨に向き直り口を開いた。


「幻妖京が燃えたあの日に姿が見えなかった者らの洗い出しは粗方済み、こちらに潜んでいた者、何食わぬ顔で戻ってきた者は捕らえました。

 尋問した結果、殆どが黒。疑わしい者も捕らえたままにしています。

 ただ、青嗣という者が入口で騒いだ事で、逃亡し捕らえられていない者が多く残っています。捜索はしていますが、これ以上は難しいでしょう。」

「そうか。あちらの戦力を削げれば良いと思ったが、なかなか上手く行かぬな。」


 翠雨は眉根を寄せる。


「しかし、内部に潜み、こちらを混乱させるような危険は避けることができました。それだけでも御の字では。」


 もう一人の貴人が言うと、蒼穹が頷く。


「泰峨様の仰るとおりかと。気づかずに事を運んでいれば、どのようなことになっていたかわかりません。」


 確かに二人の言う通りだと思う。

 この狭い土の穴の中で反乱を起こされたら……ハクを助けに行く最中で裏切り行為を受けたら……

 想像しただけで怖くなる。今度こそ、こちら側は壊滅してしまっていただろう。


「それから、幻妖宮側の妖共をあちらに引き入れ、まとめ上げた者の正体が明らかになりました。」


 瑛怜がそう続ける。


「どのような者だったのだ。」

「以前、白月様が仰っていた通り、検非違使の中におりました。

 名は識。昔、驟雨が何処から拾ってきた者ですが、周囲に埋もれるのが上手く、気になる言動も見受けられなかった為、見逃してしまっていたようです。申し訳御座いません。」


 ハクと一緒に牢に閉じ込められていたときに見た検非違使を思い出す。仮面をしていたので顔はわからない。

 ただ、驟雨という人を裏切った報いを受けさせるのだと言っていた。

 アイツがその識という者だったのだろうか。


 遼の行いばかりが目立っていたため、こちらで暗躍する者にまで頭が回っていなかったが、確かに、今まで起こった出来事の所々に、姿の見えない妖界の者の姿がチラチラ出てきていた。その識というのが妖界側の元凶だったということだ。


「捕らえたのか?」


 翠雨の問に、瑛怜は首を横に振る。


「しばらく前から姿を消しています。」

「妙な動きを此方側で続けられるよりは良いが、不気味ではあるな。」


 翠雨がそう言った時だった。

 唐突に、


「失礼致します!」


という声が部屋の入口から響いた。


 ガタタっと勢いよく木の扉が取り外され、そこから一人の妖界の兵士が飛び込んでくる。

 慌てたその顔色は青く、良くない知らせを持ってきたのだろうと当たりがつく。


 兵士はそのままザザっと翠雨の前まで行くと、膝をついて頭を下げた。


「申し上げます! 突如、この避難場所の上空の結界が解かれ、敵方の軍勢が攻め込んで参りました。外は既に乱戦状態。直に日が登ります。間もなく、中にも攻め込んで来ると思われます!」


 戦いの準備は整っていない。


 でも、こちらの状況などお構い無しに、敵方からの攻撃によって、唐突に戦いの火蓋は切られることとなったのだった。

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