第52話 亘の誘い②

「それにしても、亘はホントに結ちゃんのことが大好きなんだな。それこそ、何をおいても。」


 亘の背に乗り、妖界への入口を目指しながら、ふとそんな呆れ声がでた。


 最初の大君の血筋を守るという前提にたてば、汐がそう主張した通り、俺を妖界に連れていくという選択肢は選ばなかったはずだ。

 亘がそれを選択したのは、結を救うのだという気持ちが勝った結果に他ならない。

 俺が行かねば、妖界への入口がどこに空いているのかすら、亘にはわからなかったはずだから。


 俺がそうつぶやくと、亘は、当然だというように


「はい。その通りですが?」


と頷く。


「……いや、結ちゃんから俺についたのに、当たり前のようにそう言われると、ちょっと複雑なんだけど。」

「おや、嫉妬ですか? 女子ならまだしも、奏太様のような男子に嫉妬されるとは、こちらこそ複雑な気持ちになりますね。」


 亘は最初から全然変わらない。結と女の子が最優先だ。亘らしいといえば亘らしいが。


 そう思っていると、亘は不意に、殊の外真面目な声を出した。


「……まあ、冗談はさておき、お慕いしているという意味では結様以上の方は他にはいませんが、お仕えすべき方、という意味では、私にとっては、結様も奏太様も変わりませんよ。

 ただ、私は、あの方を御守りするという役目を全う出来ぬまま、今まで来てしまっているのです。

 未だに私の耳に残るあの方の声は、悲痛に助けを求め続けるままです。

 あの方が未だ人界の柵に捕らわれ、不幸の中で身動きが取れなくなっているのであれば、尚の事、あの方の心からの笑顔を見なければ、私も先には進めません。」


 亘のその声は、以前、妖界で翠雨達に結の最期を話したときのように、後悔の中でもがいているように聞こえた。


 きっと、結の一件があってから……もっと言えば、結を鬼から守れなかった時点から、亘の後悔は始まっていたのだろう。


 そしてそれは、結を妖界に送り出し、ハクが遼に捕らわれ、京という居場所を奪われたのだと聞くたびに、一つひとつが鉛の錘のようにのしかかっていったのかもしれない。


「……亘に、先に進もうって気があるなら、別に良いんだけどさ……」


 不意に、そんな言葉が口から漏れた。不満があるとか、嫌味とか、そういうのではなく心からそう思ったのだ。


「亘が結ちゃんに心酔してたんだっていうのは、最初に会った時から知ってたし、それを変えて欲しいとも思わない。

 ただ、ずっと後悔して、そこに囚われてるのは、なんか違うとは思う。

 結ちゃんじゃなくハクの、だけど、笑顔を見られることで、亘が後悔じゃなく、心から前に進めるようになるなら、今のまま、ハクの幸せだけを真っ直ぐに目指して行けばいいんじゃないかな。」

「……奏太様……」


 亘は感じ入ったような声をだした。

 それに何だか急に気恥ずかしくなって、俺は亘の背を、軽くポンポンと叩く。


「なんとなく、ハクの笑顔を見たら、亘はそのまま妖界でハクに仕えるって言いそうな気がするけどね。ハクの笑顔の破壊力は凄いから。」

「そこは、結様の時からそうですよ。」


 冗談めかして言ったつもりの俺の言葉に、亘は至極真面目にそう答えた。



 結界の穴が空いている場所まで行くと、少しだけ、穴が小さくなっているような気がした。柊士が塞いだのだろうか。


 万が一塞いでいる途中で突っ込んでいって亘が焼かれたら困るので、しっかり穴の中を覗き込む。

 どうやら穴を小さくしただけで、現在進行系で塞いでいる訳では無さそうなのを確認してから、幻妖京に下降していく。


「……これは、酷いですね。」


 そこは完全に焼け野原だった。

 前回、賑わう幻妖京に一緒に来ていた亘は、唖然としながら周囲を見渡す。


 少なくとも、森が更に焼かれるような事態にはならなかったようで、京のあった場所の周囲には、未だ木々が鬱蒼と生えたままだ。


「避難所はあっちだったはずだ。行ってみよう。」


 幻妖宮があった方角を指さし、亘と共に森へ向かう。


 問題なく着けるか少しだけ不安だったが、森の上を低く飛んでいると、程なく、松明が煌々と焚かれた一角に辿り着いた。


 穴の周りにはたくさんの者達が待機している。


 妖界に来てよく目にするようになった着物姿の兵の他に、揃いでは無い黒いライダースジャケットやフライトジャケットなど、明らかに人界の服を着込んだ者達が複数いた。

 何だか凄く異様な光景だ。


 俺達が買い集めてきた物を着ているのだろうが、時代がゴチャゴチャになった感じで頭の中が混乱する。


 人界と妖界の共同戦線だ。


 亘と共にその場に降り立とうとすると、着物姿の兵たちが警戒態勢を取り、人界の服装の者達が驚いたように声を上げた。


「亘!」

「奏太様!?」

「な……なぜ奏太様がここに!」

「お、おい! 柊士様にお知らせしてこい!」


 その場が俄かに騒がしくなる。妖界の者と人界の者の反応は対象的だ。


 外の騒ぎに、人界の妖も妖界の妖も、それぞれが避難所の穴に使いを走らせる。


 柊士と蒼穹が穴の中から姿を表すと、柊士は俺の姿を見るなり、怒りの形相でツカツカと早足でこちらへ歩み寄る。


 うっ、と怯んで一歩後ろに下がりかけたが、人の姿に変わった亘にグッと背を押しかえされた。


 柊士は目の前まで来ると、開口一番に怒声を上げる。


「お前、バカか!! 一体、何考えてる!?」


 俺は、コクリとつばを飲み込む。妖界で戦うと決めたのだ。始まってもいないのに、柊士相手に怯んでいるわけにはいかない。


「俺の考えなんて、ずっと伝えてただろ。父さんと二人で、全部無視したのはそっちだ。」


 負けずに言い返すと、柊士は顔を引き攣らせた。


「叔父さんと俺が、何故お前を人界に残したのか、理解できなかったのか? お前はそこまで物分りが悪いのか!」

「理解はしたけど、納得はしてない。上から目線でこっちの意見を捻じ伏せようとするな!」


 柊士はイライラしたようにチッと舌打ちをすると、不意に背後を振り返る。


「このバカ相手じゃ話にならない。おい、淕。今すぐに、奏太だけでも送り返せ。」

「……しかし……」


 淕は、柊士を睨む俺を、躊躇うように見た。

 俺は淕の手が届かないように、ジリっと離れる。


 せっかくこっちに来たのに、このまま送り返されてはたまらない。

 でも、このままでは強制送還させられてしまうだろう。誰かを味方に引き込むべきだ。


 そう思いながら周囲を見回し、俺は柊士の背後で腕を組んで静観している蒼穹に目を止めた。


「……蒼穹さん、こっちの陣営に、陽の気の使い手は必要ありませんか? 柊ちゃんも使えるけど、人界の妖をまとめないといけません。ある程度自由に動ける陽の気の使い手がいたら便利だと思いませんか?」


 柊士を無視して妖界側を味方につけようとしたからだろう。柊士はキツく拳を握る。


「お前……っ! 妖界に勝手に来ただけじゃなく、自分から前線に飛び込んでいくような馬鹿な真似は止めろ!」


 声を張り上げて俺を黙らせようとする柊士を他所に、蒼穹は静かに眉を上げてこちらを見た。


「まあ、我が方としては助かるな。陽の気の使い手がいるというだけで、妖相手には牽制になる。人界の者には悪いが、こちらは白月様の救出が最優先だ。協力してくれるというのなら、歓迎する。」

「勘弁してくれ。こいつはまだ子どもだ!」


 柊士は額に手を当て、蒼穹に向かって吐き捨てるように言う。


「しかし、覚悟を決めてここに来たのだろう。父御とお主に制止されたにも関わらず。送り返したところで、本当に人界で大人しくしていられるのか?」


 そんなわけない。

 蒼穹の言うとおり、覚悟を決めてきたのだ。一度決めてここに出てきた以上、家に引きこもっているつもりはさらさらない。


「大人しくするつもりはないし、そもそも帰るつもりなんてない。一人でだって、何とかする。」


 柊士をじっと見据えてそう言い放つと、不意に背後から、ポンと肩に手がのせられた。


「私が居ますから、御一人にはなりませんよ。奏太様。」

「……亘、お前、分かってるんだろうな。」


 ジロっと睨む柊士の言葉に、亘は挑戦的な笑みを浮かべる。


「ええ。承知の上です。全てが終わった後であれば、追放でも処刑でも、なんでも好きになさってください。ただ、奏太様と共に白月様の救出に加えていただけないのなら、それなりの抵抗はさせていただきます。」


 俺はそれにギョっとする。


「わ、亘! 処刑って……!」

「御守りすべき、最初の大君の血を引く御方を戦場へ引っ張り出したのです。奏太様に何かがあれば、そういうこともあるでしょう。それくらいの覚悟は出来ています。」


 俺の動揺をよそに、亘は当然だという表情で、ハッキリと言い切った。


「そこまで分かっていて、何故奏太を連れてきた。」

「白月様をお救いするためですが。」


 何でもないような言い方をする亘に、柊士は表情を歪め、胸ぐらをガッと掴んだ。


「お前の後悔に、奏太を巻き込むな! お前は、奏太を守るのが役目だろう!」


 柊士は声を荒げる。

 しかし、亘はそれに狼狽えるでもなく、落ち着いた様子でハアと息を吐いた。


「柊士様も奏太様も、何か勘違いをされているようですが、結様を救いたいという私の望みを叶える為だけであれば、行軍の後を一人でこっそりつけるだけで良かったのです。

 それでも私が奏太様をお連れしたのは、奏太様の意志も尊重すべきだと思ったからです。

 でなければ、奏太様も貴方のようにいらぬ後悔を背負うことになりかねませんから。」

「……何が言いたい?」


 柊士は亘の胸ぐらを掴んだまま、怪訝そうに眉根を寄せる。


「もし万が一、人界にいる間にあの方を失ったとしたら、何もできぬままあの方を犠牲に逃げたのだという後悔だけがずっと残り続けるでしょう。

 あの方を身代わりに人界に残られた貴方が、同じような後悔を奏太様に強いるのですか?

 動くべきときに動けず、全てが終わってから奥歯を噛むしか出来ぬことが、一体どういうことか、貴方にならお分かりでしょう。」


 ……亘がそんな風に考えているとは思いもしなかった。

 てっきり、結のことだけを考えて妖界に来たのだと思っていた。でも、亘は俺の未来も見据えて行動を起こしたということだ。

 俺に、亘や柊士が経験したような、拭いきれない後悔を残さないために。


 柊士は、亘を睨みつけたまま、亘の胸ぐらを掴んでいた手を、腹立たしげにバッと乱暴に離す。


「お前に何がわかる。」

「わかりませんよ。ただ、想像することはできます。何がいけなかったのか、どうすれば良かったのか、あの方を取り巻く様々なことがどう有れば良かったのか。考えぬ日などありませんから。」


 亘は尚も冷静な表情を崩さないまま続ける。


「あの方の笑顔をもう一度見るまでは、私の心はあの方にお仕えしたままです。しかし、そこに奏太様が居ないわけではありません。

 私にとっては、どちらも命を賭して御守りし、お仕えすべき方です。

 未来を奪わせるようなことは二度としません。未来を後悔で染めるようなこともさせません。結様であっても、奏太様であっても、です。」


 亘は苦い表情を浮かべる柊士の目を真っ直ぐに見てニコリと笑って見せた。


「結様と奏太様、御二方揃って、その笑顔が見られるのなら、私は、どんな咎めでも受けましょう。」

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