第54話 洞窟の戦い①

「まだ中まで攻め込んで来ているわけではないのだな?」

「は、はい。しかし、時間の問題かと……」


 翠雨が尋ねると、兵は緊張したように答える。


「蒼穹、穴を掘るのに長けた者に、避難民の逃げ道を作らせよ。早急にだ。逃げ場を失うことだけは避けねばならぬ。」

「承知しました。おい、和麻達に伝え、早急に対処させよ!」


 蒼穹が振り返って命じると、その内の数名が走って出ていく。


「瑛怜、検非違使は民の避難を優先させよ。泰峨、近衛は検非違使と共に民の護りを。軍団は前線へ。侵入を防ぎ、万が一侵入されたとしても、入口で仕留めろ。」

「はっ!」


 翠雨の命令に、各々が返事をする。


「人界の者には外に出次第白月様の救出へ向かってほしい。場所を分かっているのは其方らだけだ。向こうがこちらへ出向いてくれているならば、今が好機であろう。蒼穹、全てを人界の者に任せるわけにはいかぬ。一部、兵をかせ。私も行く。」

「翠雨様!」


 蝣仁が咎めるように声を上げる。

 それはそうだろう。ついさっき、民を護れと言われたばかりだ。


「民は一時的に検非違使に任せる。蒼穹にはこちらの対処をしてもらわねばならぬ。」

「では、近衛にお任せください!  白月様を御守りする御役目は、泰峨様に!」


 翠雨はそれに、ムッとした表情を浮かべる。

 しかしそれに反論しようとしたのか口を開きかけた瞬間、別の方向から声が飛んできた。


「翠雨様、蝣仁の言う通りです。白月様を御守り出来なかった我らに、挽回の機会をお与えください。それに、白月様を奪われた上、翠雨様まで失っては、立ち行きません。」


 泰峨は真剣な目で真っ直ぐに翠雨を見つめる。


「翠雨様、長くお仕えしているからこそ、白月様がこのような時にどのように仰るのか、翠雨様ならばお分かりになるでしょう。どうか、ここはお引きください。」


 蝣仁がダメ押しとばかりにそう言うと、翠雨はハアと息を吐きだした。


「……わかった。白月様を頼む。」



 俺達は部屋を出ると、軍団と共に入口に向かって走る。入口で敵を退ける役目を負う軍団に、近衛と共に協力しつつ、力づくで突破するのだ。


 俺は翠雨達と共に逃げるように柊士に言われたが、柊士を守りたい淕を味方につけて抗い、同行許可をもぎ取った。

 柊士に歯ぎしりしながら、覚えていろよ、と言われたが、全てが無事に片付いた暁には、都合よく忘れてくれることを祈りたい。


「蒼穹さん、さっき持っていった荷物の中に、大きな厚手の布が入ってます。着替えは難しいかもしれないけど、遮光できる布だから、それだけは持っていった方がいいと思う。」


 俺がそう声をかけると、蒼穹の視線だけで承知したように、兵が横穴の一つに走って行った。

 空の結界を解かれたなら、陽の気を防ぐ手立てはあった方がいい。多くは守れないかもしれないが、遮光カーテンがあるとないとでは大違いだろう。


 蒼穹や泰峨達は出口へ進みながら、横穴に一人二人と兵を走らせ仲間達と合流していく。その中には、凪と桔梗のように見覚えのある者達もいた。

 穴は大人が五、六人並んで通れるくらいの広さはある。それでも、道中で合流を繰り返したこともあり、かなりの人数が移動し、徐々に手狭になっていった。


 人が増え、入口に近づいていくに従い、胸がドクドクと強く鼓動するのがわかる。走っているのもあるが、それだけでは無いくらいに早く強く打ち付けるのは、未知の戦場というものに緊張しているせいなのだろう。


 しかし、戦いが繰り広げられている筈の出口に辿り着く前に、前を走っていた兵達がその足をピタと止め、俺達はその場に足止めを食らった。


 「一体、前で何があったんだろう?」


 俺達がいる場所からでは、最前線を走っていた者達に何があったのかまでは見えない。体を左右に動かして前の様子を確認しようと試みるが、やはり原因はわからない。


 ただ、それから大して時間をおかずに、その理由が判明することとなった。


 前方にいた者達が、一人、また一人と倒れていったのだ。


「一体、何が起こっている!?」


 誰かがそう叫ぶように言った。

 前はよく見えないままだが、異常事態であることだけはわかる。


 更に、俺の目の前にいた妖界の兵士もまた、構えた武器を取り落として呻き声とともに蹲った。


 驚きに目を見開いていると、蹲った兵の手や首など、地肌の出ている部分が青紫色になっているのが目に入る。


「だ、大丈夫ですか!?」


 そう手を伸ばしかけた。そこで、兵士の体に、雨蛙よりも少し大き目の蛙が数匹よじ登っているのに気づいた。


 その光景にゾッとする。

 少し前、人界で似たやつを見たことがあるのだ。聡がその蛙の体液で死にかけたのをありありと思い出す。


「毒蛙だ!」


 思わず叫ぶと、騒然としていた兵の間にさらに動揺が広がるのが分かった。


 周囲をよく見ると、地面や壁に、ポツポツと濁った緑や灰色の斑点が見える。

 結構な数のそれに背筋が寒くなる。


 少し前方にいた泰峨が刀を抜き放ちながら、


「既に侵入を赦しているではないか! 一匹残らず始末しろ!」


と怒声を飛ばした。


 周囲の兵達も混乱しながら、地面や壁に目を走らせる。


「足元だ!」

「小さいのがうじゃうじゃいるではないか!」

「壁もだ!」

「毒に気をつけよ!」


 先で起こっているはずの戦いに皆が気を取られていたからだろう。小さい体で忍び寄ってくるそれに気づくことが出来なかったのだ。

 しかも、この大人数の中、小さい体で隙間を縫うようにちょこまか動くので、攻撃を加えにくい。


 周囲の混乱状態の中、不意に、俺の足元から小さな声が複数聞こえてきた。


「おお、コヤツ、見たことがあるぞ!」

「なんと、我らを陥れた人界の小僧か!」

「このようなところに居るとは、なんという巡り合わせか。」


 足元を見ると、蛙が複数、俺を取り囲むように距離を詰めているとことだった。

 しかも、過去に恨みを買っているせいか、地面や壁からそれらの声につられて他の蛙がどんどん集まってくる。


 気持ちが悪いなんてもんじゃない。

 ゾッとして立ち尽くしていると、亘はすかさず、ザッ! とその内の一匹に刀を突き立てた。


「奏太様! 下に向かって陽の気を!」


 動揺して体が動かなくなっていた俺に、亘が声を張り上げる。言われるまで自分の武器をすっかり忘れていた。


 俺は自分の両手を見たあと、パンと手を打ち付ける。

 同時に、仲間の妖達が俺から少しだけ距離をとったのが分かった。

 ハクや柊士と接しているからだろうか。手を叩く動作だけで何が起こるかを把握しているのだ。


「周囲は妖ばかりです。ご注意を!」


 亘にコクリと頷きながら、俺は頭の中に流れる言葉に声を這わせ、自分の足元に陽の気を放った。

 出来るだけ周囲に広がらないようにと蛙にだけ集中する。


 無防備に近寄ってきた複数の蛙が陽の気に晒されて、ギャッと悲鳴を上げて赤く光りながら焼かれていく。


 一方で、やや離れたところから俺を取り囲んでいた蛙たちは、陽の気に慌てて飛び跳ねながら逃げ出し始めた。


 陽の気で焼いた蛙なんてほんの一部だ。前方にはまだまだたくさんいるし、俺が取り逃がした奴らもいる。

 でも、ここできちんと蛙を始末しておかないと、奥の避難民に被害が及んでしまう可能性だってある。

 全て陽の気で焼いてしまえれば早いのだが、亘が言う通り、周囲は妖だらけで無闇には使えない。

 自分の側はなんとかなっても、他の蛙を始末するどころではない。


 どうしたら……とあちらこちらにいる毒蛙に視線を向けていると、亘から厳しい声音が飛んだ。


「奏太様、今は御自分の身だけを守ることに集中を! 蛙が原因と分かれば、各々が対処できます!」

「でも……」


 自分の身だけしか守れない状況がもどかしい。

 そう思っていると、刀で数匹を串刺しにした亘が、周囲に視線を走らせながら、懐から短刀を一本取り出し、無造作に俺に差し出した。


「決して無理をせず、御自分の身を第一に考えると約束してくださるなら、これを差し上げます。」


 それは、以前、蛙退治のために亘が潤也に貸し出していたものだ。


「足元にいるものは、各々が何とかするしかありません。余裕がお有りなら、壁にいる者共の始末を。」

「わかった!」


 やることが明確になり、俺は真っ直ぐに壁に向き合って片っ端からへばりつく蛙を刀で叩き落していく。


 周囲の者たちも、足元や壁などにいる蛙を虱潰しにしていったことで、どんどんとその数は減っていった。



 ようやくこれで前に進めそうだ。そう思った矢先だった。

 ガチャガチャっと武器を構える複数の音が前方から響いてきた。


 今度は一体何事だろうか。


 ここからはよく見えないが、前方で戦いが始まったようで、兵が大きく動き、怒号が飛び交い始める。


「場所を開けろ! 淕、前に行くぞ!」


 不意に、少し前方からそんな声が響いた。


「柊士様!」


 淕の悲鳴のような声も聞こえる。


 兵をかき分けて柊士のもとに向かうと、柊士が淕に詰め寄っているところだった。


「前から攻められてるんだろ! 中に入ってくる奴らを止めるなら、焼いたほうが早い!」

「しかし、最前線へ向かうなど……!」

「こういう時に陽の気を使わずにいつ使う! 乱戦状態になったら何もできなくなる! やるなら今だ!」


 淕は柊士の顔を見て、迷うような素振りを見せたが、直ぐに覚悟を決めたように歯を食いしばると、ふっと猛禽の姿に変わった。


 亘よりも一回り小さいその鳥に、柊士は慣れたようにひらりと飛び乗る。


 やや小さいとはいえ、この穴の中だ。ぎりぎり飛べるかどうかといった狭さの中、淕が地面を蹴り羽ばたくと、周囲に突風が巻き起こった。


 一体何が起こったのかと戸惑う兵士達の頭上を淕はスィと越えていく。


「無茶をするな、人界の!!」


という泰峨の怒声が響いたが、気づけば兵達の頭上を飛び越えて、その姿はあっという間に見えなくなった。


「亘、俺達も……」


と言いかけたが、亘は首を横に振る。


「複数で行っても意味はありません。あちらは柊士様にお任せしましょう。必ず出番はどこかにあります。」


 亘は真っ直ぐに前を向いてそう言った。

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