二章

第187話 砂地の夜①

 そこは濡れた砂の大地。白の渦の中心には、住み慣れた世界の景色が見える。ここを閉じてしまえば、別の綻びを偶然見つけるか、ハクをみるけるかしなければ、二度と故郷の地を踏むことはできない。

 

 覚悟は決めたはずだ。俺は小さく深呼吸をし、パンと手を打ち付ける。

 白の渦に陽の気を注ぐたびに小さくなっていく向こう側の景色に不安感が募る。


「そんな顔をするのなら、初めから来なければ良かったのでは?」


 結界の穴を閉じ終わり、ハアと息を吐くと、俺の肩にトンと亘の手が置かれた。


「わかってるよ、そんなこと」


 怒りを通り越し呆れたような亘の声に、喪失感とこれから先への恐怖心が少しだけ和らぐ。そこへ、巽がヒョコッと顔を覗かせた。

  

「じゃあ、さっさと白月様を見つけないとなりませんね!」

「ええ。きっと、すぐに戻れます」


 椿も慰めるような優しい笑顔だ。俺の我儘で来たのに、励まそうとしてくれているのが分かって申し訳ない気持ちになる。


「大丈夫です。我らが共におります」


 汐がそっと、俺の腕に触れてそう言った。

 自分一人ではない。いつも側にいてくれる者達が一緒だ。それだけで、心が少し軽くなったような気がする。


 俺を囲む四人の向こうには、璃耀が率いる妖界の者たちと、柾が率いる人界の有志達が待っていた。柾を含む数人は置いておいても、どちらも、ついさっき敵対したばかりだ。こんな不安定な状態で鬼界にいるなんてと、途方に暮れる。


「それで、どうやってハクを探すんですか?」


 一応、連合軍を率いていくのだろう璃耀に尋ねてみる。しかし璃耀はそれに答えず、俺の足元をじっと見つめていた。


「璃耀さん?」

「……その土、奏太様の踏んでいるところからどんどん色が変わっていっていませんか?」

「……土?」


 先程まで踏んでいたのは、シャクシャク音を立てる濡れた砂のような地面だった。言っている意味が分からず首を捻りながら足元に目を向ける。


 暗くてよくわからないけど、確かに色が濃くなっていっている気がする。足を少しあげて踏んだ感触も、シャクっとしたものではなく、フカリとした土の感触だ。

 でもその変化は、璃耀が言うように俺の足元だけ。


「……何で俺のところだけ?」


 そう呟いてから気づいた。陽の気の放出は終わっているのに、何だか足元から微量ずつ、陽の気が吸い出されていっている。


「……奏太様?」


 不安そうな顔で汐が俺を見上げた。これ以上心配かけるのは……と一瞬言葉に詰まる。でも、今言っておかないと今後とんでも無いことに発展する可能性もある。ふと、ここに来る前に巽に言われた言葉が過った。


 ――気づいたら斜め上の事件に巻き込まれる。


 そういう時は、事前にあったほんの些細な違和感を無視して突き進んだ時に起きることが多い。さすがに俺も学んでいる。


「……陽の気が引き出されてるんだ。本当に少しずつ。意識しないと気づかないくらいの量だけど……」

「それじゃあ、奏太様は鬼界に居続けたら、そのうち陽の気が尽きて……」


 巽が顔を青ざめさせる。しかし、亘は首を横に振った。


「奏太様は自身の体の中で陽の気が作り出されていく。出ていく量が僅かなら、恐らく問題ないだろう」

「引き出される量が増えたりはしていないのですか?」


 椿に問われて、目を閉じて地面に吸われていく陽の気に意識を集中してみる。けれど、以前大岩様に触れた時のように増えていくような感じはない。


「……一定の量が引き出されていっているみたいだ。これなら、たぶん大丈夫だと思う」

「とはいえ、陽の気が減る分陰の気の入りも増すでしょう。以前差し上げた、陰の気を吸い出す腕輪はつけておいでですか?」

「外し方が分からなかったので、着けてます……けど……」


 璃耀に問われそこまで言いかけて、嫌な予感が頭をよぎる。


「……まさか、とは思いますけど、この腕輪も鬼界に来ること見越して……?」


 恐る恐る尋ねると、璃耀は無言でニコリと笑った。

 本当に最初から仕組まれていたのかと、胸の中に苦い思いが広がっていく。


 いや、ここまで来てしまった以上、妖界組といさかいを起こしている場合じゃない。


 自分を落ち着けるために、目を閉じ額に手を当ててゆっくり深呼吸をする。俺を囲む四人の気が立っている気配はするけど、さすがにそこまでフォローする余裕はない。


「……もういいです。それで、どうやってハクを――」


 そう言いかけた時だった。


「蒼穹様! 上空、巳の方角から鬼が!」

「奏太様を中心に結界を張り弓を射よ!」

「子の方角からも地を駆ける鬼が三!」

藤嵩ふじたか桔梗ききょう、迎え討て!! なぎ!」

「はい!」

「宇柳、他にいないか周囲を探れ!」

「はっ!!」

 

 蒼穹の指示に、妖界勢が組織だった動きで鬼と対峙する。あまりに統率が取れた動きに、鬼への恐怖よりも感心のほうが勝った。そういえば、妖界での戦に行った時もそうだった。そして、人界の妖達も――


「私も行きます!」


 許可を得るというより宣言。柾がおもちゃを得た犬の如くキラキラした目で真っ先に駆け出していく。人の姿には無いはずの尻尾を、振らんばかりの勢いだ。

 妖界での戦の折り、人界の妖達も統率の取れた動きで見事に立ち回っていたのを思い出し期待の目を向けたのに、早速トップが単独行動にでた。 

 柾は人界の有志軍のリーダーではないのだろうか。蒼穹のように指示を出すでもなく、単独行に走って良いのだろうか……


 ……そういえばあの時、兵の統率を取ってたのは淕だったような……


「あれ、放っておいて大丈夫……?」


 颯爽と駆けて遠くなった柾の背にポツリと呟きが漏れる。

 

 トップが真っ先に駆け出していったせいで、妖界の者達が連携を取り合いながら鬼に向かって行く中、残された人界の有志達は顔を見合わせあっている。


「ぼけっとするな! お前らは結界の補助と奏太様の守りにつけ!!」


 不意に、やや高く反響するような怒声が人界の者達の中から響いた。


「大丈夫でしょう。空木うつぎが居ますから」


 亘は鬼が出たというのに、腕を組み呆れたようにそう言った。


空木うつぎ?」 

「柾の補佐に付けられた武官です。本能で飛び出していく柾が頭で部隊がまとまるわけがありません。補佐とはいえ、実質はあれが頭ですよ」


 もう一度目を戻すと、動き出した武官達の中央に、汐よりもやや大きいくらいの背丈の、濃い銀髪の少年が立っていた。

 淕に従って俺たちに武器を向けた中にその顔は無かったと思う。柾と同じく中立で成り行きを見守っていたのだろうか。


 俺の視線に気づくと、空木は小さく礼をしてから指示出しに戻る。確かに、キビキビと指示を出していく姿は、柾よりもよっぽどリーダーらしい。


「この数がいれば、余程の大物がでない限りは大丈夫そうですね」


 椿が周囲で次々と鬼を始末していく者達を見ながら、安心したように言った。


「味方でいるうちは、だけどね」


 空木達と璃耀を見ながら答えると、璃耀は少しだけ眉を上げる。


「少々強引な手を使った自覚はありますから、警戒されるのはわかります。ただ先程も申し上げた通り、貴方がいなければ白月様を御救いすることは出来ません。あの方を見つけ安全なところへお連れするまで、我らが貴方と敵対することはありませんよ。無闇に弑すれば、あの方の怒りに触れるでしょうし」


 見れば見るほど、笑顔が胡散臭く見えてくる。


 期限付きの上に動機はハクだ。警戒していないとそのうち裏切られるのではとどうしても疑念が湧く。

 空木達はどうだろうか。里と人界が大事なのは同じだから、人界に戻るまでは味方でいてくれるだろうか。


 俺はハアと息を吐いて座り込んだ。


「大丈夫ですか、奏太様。やはり陽の気で御身体が……」


 俺に合わせて膝をついた汐に、俺は首を横に振って見せた。


「違うよ。ただ、気持ち的な消耗が激しい日だなと思って」


 柊士の仕事の一部を受け持っていたら、璃耀達に騙されて、淕達に裏切られ、案内役と護衛役に負担をかけてまで鬼界に来て、自分の手で人界への道を閉ざした。


 暗くてわかりにくいけど、ここから見える鬼界の景色は薄茶の砂の大地と枯れた木々ばかり。緑溢れる人界が恋しい。


 そう思っていると、何故か突然、茶色く変わった自分の足元の土から、ピョコンと小さな緑の芽が飛び出した。


「……は?」


 そう声を出す間に別の場所からもピョコンとでる。それをきっかけに次から次へとピョコピョコ地面から緑が飛び出し始めた。更に飛び出した芽がちょっとずつ伸びだす。


 呆然とそれを眺めていると、最初に芽を出した緑の草が、小さなシロツメクサの花を咲かせた。


「……これは……一体……」


 気づけば、俺がいる周りだけ……ちょうど陰の気の結界を張っている内側だけが、ちょっとした草原のようになっていた。


「ふむ、陽の気の影響でしょうか」

「陽の気の?」


 顎に手を当てた璃耀を見ると、璃耀もまたしゃがみこんで地面に触れる。


「妖界でも、陽の気に乏しい土地は不作に陥ります。あまりに荒れる時には主上に奏上し陽の気を注いでいただくのです。すると、その土地が肥え植物が育つようになる。先程、陽の気が引き出されていると仰ったでしょう。この地そのものが深刻な陽の気の枯渇状態になっているのかもしれません」

「……陽の気の枯渇」

「もしも、ここ以外の場所も同じような状態になっているとしたら、まずいですね」


 巽も俺のそばに座り込み、生えたシロツメクサをプチッと摘んだ。


「何が?」

「我らは不要ですが、奏太様には食料が必要です。現地調達ができるかどうか……」

 

 巽の言葉に、妖界の山の中で水も飲めずに彷徨ったことを思い出してゾッとした。あの時は陰の気を取り込まないために飲食を控えていたけど、今はそもそも飲み食いするものがない。


「食料が必要なのは奏太様御一人ですから、こちらでなんとかしますよ。鬼だって何かを飲み食いしながら生きているのでしょうし何も無いということはないでしょう。それに最悪の場合でも、今のように草さえ生やしてもらえれば、ある程度食べられるか否かの判断は出来ます。これでも百年薬師をしていましたし、師はもともと人であった先帝陛下ですから」


 璃耀の発言にポカンと口を開ける。


「まあ、奏太様が信用してくだされば、ですが」


 璃耀は再び胡散臭い笑みを浮かべた。

 

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